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鳶渡の時  作者: 春日戸
第参話【罪の底】
13/44

3-3

「違う!!」


 咆哮を発した野々垣の全身は汗ばみ、小刻みに震えていた。首が据わらない感覚。目の前の男が、自分の要求を呑む気が無いという、絶望感。


「違うなら、どうだって言うんだ。まあ、何をかこっても、人を殺すに相当する理由など、存在しないがな」


 目の色を変えないトキは、もう見限っていた。どう繕っても、どう謝罪しても、それは全て己のため。野々垣はそういう男。自身が手にかけた者への罪を背負おうとしない甘ったれ。鳶渡などというレベルでなく、会話さえ億劫となっていった。それほどまでに、トキの激情は鎮まることを覚えなかった。

 喉に蓋を閉められたと思えるほど、息苦しく、何も発せられなくなった野々垣は、悲愁に沈んだ。

 そんな頃合に訪れた、野々垣にとっての希望とも言える音が、トキの一室に響いた。

 玄関扉の開く音。

 トキはノックも無しに入ってくる無法者を確認する。そして目を開かせる。


「加室の旦那……何を?」


 図々しく、トキの部屋へ上がってきたのは、加室。口の端は持ち上がり、悪い顔をしている。それを目にする野々垣の目は、死んでいるようなものだった。

 加室はトキの質問に答えることなく、ずんずんと畳まで進んでいった。そして、その嘲るような口元から声を出す。


「よお、話は扉越しに拝聴させてもらった」


 そう言うと、加室は膝を折ってしゃがみ、野々垣の目の前に自身の厳つい顔を持っていった。野々垣は何だと後ろに仰け反る。そして、加室から発せられる言葉に、さらに身体を仰け反らせることになる。


「俺に、依頼しねぇか?」


「え」


 野々垣の驚愕の表情。

 トキの目は、信じられないモノを見る目に変わった。


「旦那、何を言っている」


 急遽、繕ったような下手な冷静な声。加室の口の端が大きく広がる。そして肩越しに、眉と口を曲げ、嘲弄した表情でこう答えた。


「だって、可哀想じゃねぇか、反省してるってのに、突き放してばかりじゃな」


 トキの繕いは簡単に消え、沸々と込み上げる怒りが蘇る。


「どこが反省しているっていうんだ!」


「トキ、黙れよ。お前はこの件は乗り気じゃないんだろ? なら俺に遣せ。否応無く、俺に遣せ」


 加室の嘲た顔は一瞬にして強面なものとなり、棘の張った言葉は、恫喝以外、何者でもなくなっていた。


「………」


 トキは諫言することもせず、言われるがままに沈黙した。

 加室は黙った様子を一見すると、顔を野々垣へ向き直した。


「つーこった。お前を救ってやるよ」


 話から、加室も鳶渡を使える者だと勘繰った野々垣は、明るい顔になった。


「ほ、本当ですか!?」


「つっても、タダじゃない。10万。それでお前の人生を救ってやろう」


「たった、10万で。……はは、ははは」


 予想とはあまりに別の小額の要求に、野々垣は笑って見せた。希望に満ちた笑いを。そしてトキを見た。こいつに頼るのが馬鹿だったと、煽るように。


「10万、出せるのか?」


「ええ! お願いします!」


「いいだろう。鳶渡を売ってやろう」


 トキはそのやり取りを見て、蔑むような目つきになった。しかし決して容喙することはしなかった。加室はそれに気づいたが、直ぐに視線を切った。そして立ち上がり、野々垣を見下ろしながら、話を再開する。


「だが、まぁ、俺は鳶渡が結構下手でな、お前がやっちまったもんを、事細かに訊かねーとダメなんだわ。辛いことを思い出させちまうが、いいか?」


 苦い顔をする加室。野々垣は少しだけ目を伏せて了解する。


「え……ええ、構いません」


 返事に、加室の片頬が一度だけ持ち上がる。


「うし、じゃあいくつか質問すっから、包み隠さず答えてくれ。まず、お前の名と出身地」


「の…野々垣 慶一。出身は○○県の○○市」


「誰を、何時、どこで殺害した?」


「……名前は解らないが、女の子を……、7日前にT町の雑木林の中で…」


「その子の歳は?」


「正確には解らないが、13、14くらいだと…」


 ん?と加室の脳が取っ掛かりに引っ掛かる。


「解らないのに何故、そう言える?」


「中学の制服を着ていたから…」


「制服を着ていたということは、犯行時刻は下校時刻か?」


「はい…、4時過ぎだった…」


「帰宅途中のその女の子に、何をした?」


「T町のM中学の雑木林に…口を塞いで連れ込んで…」


「連れ込んで?」


「喉で唸るから、頭を殴って気絶させた」


「それから?」


 先を進めると、野々垣は口を篭らせた。言いにくい内容なのだと誰でも勘付く。


「……服を脱がした」


 野々垣はそう言うと、視線を斜め下へと追いやった。加室はそこで、一度だけトキに視線を当てる。が、直ぐに逸らした。そうせざるを得なかった。トキは静止していたものの、その形相は狂気を感じさせるものだった。憎しみといえる感情の波が、激烈を伴って渦巻いていた。

 加室は頬に一筋の汗を流して、「……そして?」と再開させる。


「そ、それ以上のことはしていない! ただ、顔を見られていて、恐くなったから…」


「……」


 加室は押し黙って次を待った。


「学生鞄を頭に被せて、用意していたカナヅチで…殴りつけた」


「被せたのは、返り血が付着しないように…か」


「……」


 言い当てられ、野々垣は無言という答を表した。


「何度、殴りつけた」


「な…七回だ…。今でも手に感触が鮮明に残っている。最後は仰向けに倒れたところを、顔を狙って振り下ろした。鈍い音がした。何かが弾けるような」


 そう語る野々垣の瞳が、徐々に感情の流れを汲み取り、生死の間隙を突いた記憶から映像を抽出した。目に映るものは、畳ではなく、無残にも頭部を砕かれ、被せられた鞄から血を滲ませる、一人の少女。

 

「……そのカナヅチは、自分の物か?」

 

 加室の冷静な声に、野々垣は我に返る。


「……ッ…はい」


 加室は変化に気づいていたが、別に問うことはせず、淀まず続けた。


「凶器はその後どうした」


「家にまだ…ある」


 野々垣が答えると、加室は時間に間隔を空けた。そして、重く口を開く。


「最後に、罪は感じているか?」


「……馬鹿なことをしたと……思っている」


 野々垣は下唇を噛み締めた。加室は目を閉じた。


「よし、着いてこい」


「え?」


 何故、といわんばかりの表情に、加室は答える。


「ここで使ってもいいが、嫌そうにするやつがいるからな」


 そう言いながら顔を動かし、視線をトキに集めさせた。トキの身体は激情から総毛立ち、震えていた。感情を押し殺そうという気概などうに消えていて、次に感情を刺激することを吐けば、何を仕出かすか判らぬ、未曾有の気配を醸していた。

 これ以上、野々垣という火種を置いていては、導火線を燃やし尽くしてしまい兼ねない。野々垣もそれを承知し、震える足に説教を食らわし立ち上がった。

 野々垣にとって、最悪なのは、トキが警察に連絡し、鳶渡が行なわれる前に捕まってしまうことだ。それを避けるべく、野々垣は何も文句を言わずに、そそくさと出て行く。

 加室は立ち止まり、「悪いな」とトキに告げ、部屋から出て行った。


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