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鳶渡の時  作者: 春日戸
第壱話【鳥の声】
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1-1

カーンカンカンカン


 鉄筋の音が響く、工業地帯。空は灰色に染まっていて、深呼吸でもしようものなら噎せ返ることが約束される。そんな空気の汚染された場所。現代では、こんなところでも、高層マンションもあればスーパーやコンビニもある。


 その中でも一等古ぼけたアパートがあった。周囲の雑草は育ちに育ち、ゴミは散乱し荒れ放題。玄関扉のベニア板は削げ返り、インターホンは潰れて使い物にならないほど。蜘蛛の巣はあちらこちらに張ってある。大家も諦めがついているのか、10部屋あるうちの6部屋は空き部屋となっている悲惨な状態。遠目から見ても、近寄り難いアパートである。


 しかし、そこに足を運ぼうとするものが居た。


 不釣合いな高級スーツを纏うサラリーマン風の男。程好く茶の混じった髪に、剛健な気風の顔立ち。目や口元にはシワが蔓延っている。齢は52を刻む。


「……ここか」

 男は呟くと、アパートを前にして生唾を飲んだ。見据える先は105号室。丁度このアパートの中央部だ。枷の付いた足を持ち上げるが如く、重く重く歩いてゆく。

 105号室を前にして、男の鼻孔を煙草の匂いが刺激する。恐る恐る扉を叩く。

コンコン


「……」

 奥から返事はない。男はもう一度腕を振る。


コンコンコン


「はいよ。勝手にはいってくんなせ」

 借主は迎えもせずに、扉の奥から進めてきた。透き通ったとダミ声の中間に位置するような、特徴的な声だった。それは若くも無く年老いたようでもない、不思議な声。

「……」

 男は無言のままドアノブを回転させた。中に入ると、白い靄で埋め尽くされていた。煙草だ。


 男は噎せ返る。

 奥の和室で胡坐を組みつつ煙草を咥えている男は、それに気づいた。


「おっと、あんたは吸わない性質か。悪いね、今窓を開けるよ」

 座に構えながら少し無理な体勢で後ろに仰け反りつつ、カラカラカラと窓が開くと、煙は群がって出て行った。

 ようやく視界が晴れた。

 男の眼に映るのは、茶か金か、どちらにも見える明るい髪に、黒い瞳の三白眼。顎には少しだけ黒の髭がある、20代半ばの男。黒無地の長袖Tシャツに薄い色のジーパンを着ている姿は、単なる一般人と見て何ら疑問は沸かない。


「上がっても…」

 男が言うと、煙の男はコクリと頷いた。

 靴を脱ぎ、木の床に足を踏み入れ、少し歩いて畳みの上に着く。中は6畳半ほど。襖や、白だったはずの壁模様はヤニで黄ばんでいた。目に付くものは小さなテレビ。そして古いラジカセ。最近の機器はなく、強いてあげるならば携帯くらいだった。


「まあ、座んなよ」

 煙の男は座布団を自分の対面上に投げた。


「あんたが、無代 トキ(むだい)か」

 男は言い、腰を下ろす。

 トキと呼ばれた煙の男は煙草を一吸いし、口を開く。


「ええ。そちらはどちらさん…?」


 男は正座し、丸めた拳を大腿に置いて頭を下げた。

「…私は宮路みやじ 博信ひろのぶと言う。察しはしているだろうが、頼み事がある」

 トキはその堅苦しい姿にため息を漏らす。


「そう堅くモノをつくらんで下さい。気軽にいきましょうや」

「…! 娘の命が掛かっているんだ。気軽にいけるわけがない」

 宮路は冷静に言ったが、苛立ちを抑えているのが伺えた。


「いや、まあ、それは分からんでもないですが、宮路さんも相当切羽詰っているだろう。ここくらいでは肩の荷を解いちゃくれませんか」


 トキが諭すように言うと、宮路は重く口を開いた。

鳶渡とびと…というものは…本物なのか」

「どう思います?」

 トキが遊ぶように返すと、宮路は下げていた頭を上げ、眼を効かせる。


「本物であって欲しい…! と、切に願うまでだ」

「まあ、それはそうでしょう。恐らく、その娘さんに八方手を尽くされたとお見受けしますし」

 穏当な眼をしているトキに、宮路の頭はまた畳みに向かった。


「娘の…美登理みどりは、今、意識不明の重体で…どの医者からも、救うのは困窮を極めると…」

「……最初に言っておきますが、鳶渡も100じゃな――」


「それでも……可能性はあると耳に入れた!」


 静かに流れていた場の空気が、宮路の渇のような言葉で加速した。ピリピリとした其は、余裕の無さから来る、焦燥であった。

 トキは眼を瞑り、立ち上がった。ふぅ…と新しい煙が漂う。

「向かいましょうか。話は移動しながら…というのがご希望でしょうし」

 意識不明の重体は、一刻を争う。医者が匙を投げてしまうほどなのだ。その一秒は父親である宮路からすれば、一刻一刻、正に針を突き刺されているに等しい。


 トキは乗り気ではないものの、事情を酌んだ。宮路も立ち上がり、足早に玄関に向かいながら言う。

「外に車を待たせてある」


 外に出ると、宮路の言った通り、車が佇んでいた。超高級車のベンツだ。何時潰れてもおかしくないボロアパートの前にベンツが止まっている光景は、トキの口の端を嫌に持ち上げる。

「不釣合いだなぁ」


 両名は後部座席に乗車した。


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