Code-L
本編「Ⅴ.其処にある軋轢 - 教皇の讒言 / 正位置」読了後に読まれることを強く推奨します。
執筆:ロキ
──TOKYOCITY、Ikebukuro。
深夜のサンシャインシティビル屋上で、風に吹かれる少女の影。英雄王の側近、ロキである。
その姿はいつもと変わらず、漆黒のロングコートですっぽりと身を包み、フードを目深に被っているため、とても不気味なシルエットとして夜の街に浮き上がっている。
少女は何かを思い出したかのように左手の黒いボストンバックの取っ手をちらりとみる。くくりつけたシンプルなデザインの腕時計の短針が零時を指していた。
「戦争の徴兵は終ったことですし、そろそろサヤさんと合流するべきでしょうか」
誰も居ない屋上でポツリ、呟く。その呟きは深夜の雑踏と車が行き交う雑音でかき消された、ただの独り言。
これもゲーム内では見納めだと思わんばかりに視線を眼下の街並みに向ける。色とりどりに光る夜景に思わず目を細め、現実に良く似た非現実に少しだけ恐怖を覚えた。
ゲームであったものが現実を侵食していく。
この出来事と、四年前の事件が重なる。
御伽噺であったはずのものが、日常を蝕み超常を呼ぶ。それは彼女にとって少しだけ楽しみで、少しだけ怖いものであった。
少しだけ楽しさを感じている自分に嫌気が差し、こめかみに指を当てため息をつく。そしてログアウトを行った。
自宅の自室ベッドの上で、少女は目を覚ます。
大学から帰ったままの格好はラフなもので、この少女からあの死神を連想することはまずありえない。ウエストまで伸びた、日本人には珍しい地毛であるダークブラウンの髪を素早く纏め上げ、ぞんざいにベッドの上に放置されている眼鏡をかける。
「サヤさんと早く合流して何かおごってもらおう。そうしよう」
自分に言い聞かせ、簡単に身支度をする。必需品の携帯と自宅の鍵があれば当分は困らないはずだ。そう考えならこっそりと家を出る。深夜零時を過ぎた状態で外出する所を親に見つかると面倒くさい。
下町に住んでいるため都心に比べて夜はあまり明るくない。電柱に備え付けられた街頭が道を照らすも、恐らく相手の顔は確認しにくい暗さだろう。
そんな夜道をみて思考を張り巡らせ、手早くログインを行った。
大学から帰宅し、晩御飯と入浴を済ませてO3にログインしたのが二十時。最後の徴兵が終ったのが澪時過ぎ。ロキの予感は見事に当たり、地元がMHA化しているのを確認した。
(都内は都内でも、千葉寄りだからそろそろと思ってましたが……、地元がこうだと笑えないですね)
非日常が順調に日常を侵食していることを目の当たりして、内心で皮肉った。歩きながらアイギスを手に取り連絡先一覧を呼び出そうと指を走らせていたその時、アイギスが振動する。
思わぬ呼び出しにビクリと肩を震わせ、あわててディスプレイ画面を確認した。
「……」
ロキの表情が険しいものになる。静かに呼び出しに答え、そっとアイギスを耳に傾けた。
『やぁ、元気かい?』
「……隷従達の行進の司令塔が何か御用で?」
聴きなれた穏やかな声。隷従達の行進のトップ、カナキである。
『やだなァ、少し冷たいね』
「五月蝿いのです。用件言わないのであれば切りますが」
『ゴメンゴメン、……ただ、俺のトコで戦争前のお茶会でもやらないかなって』
少しだけ思考する。彼の狙いは何か。
(戦争は眼前に控えていることは、隷従達の行進の動きをみていれば分かる。となると戦力を削るために僕を誘い出している……?いや、それはまずありえない。彼は僕に対して危害を加えないハズ。では……?)
「……良いですよ、そちらに向かいますので少しお待ち下さい。それでは」
手短に通話を切り上げる。彼が自身に対して甘い事は彼女が一番理解している。彼の目論見はいまいち明確ではないが、戦争に関しての詮索が出来るかもしれない。そう考えて、目的地を新宿から彼の城へ切り替えた。
* * *
白と黒の市松模様の盤上。
黒いナイトの駒を指でなぞり、そっと後退させる。
「キミは大分奥手だね」
「……奥手じゃダメですか?」
不機嫌そうにカナキの指摘に問いかける。その反応に彼は愛おしそうに微笑んだ。
「実際、この局面で進めても全然問題はなかったかな。ただ、後退させちゃったから余計に俺がクイーンを取りにくく……んー」
結局のところ、彼が言うお茶会はいつもと変わらない普通のものであった。
前回とは変わって他愛もない日常的な話。あまりにも普通だったので正直ロキは拍子抜けしている。
紅茶の香りが室内をやわらかく満たし、暖色の照明は不思議な温かさを感じさせる。
ティーカップに口を付け、ゆっくりとアールグレイを味わいながら彼の番を待つ。不意にチェスをしようと言い出したのは彼である。
「こうやって遊ぶのもたまにはいいかもね」
白いビショップの駒を取り、大きく前進。思い切った一手。残念ながらこのビショップを取ろうとすると後方斜めに控えた白いポーンの駒に結局取られてしまう。
「む……。貴方がボードゲームがお好きとは個人的に意外でしたが」
さきほどの一手により、ルークの駒を動かすことを渋る。白いビショップは放置することにして、別の箇所のポーンを進めた。
「将棋はやらないんだけど、チェスはやるんだよね。キミは俺がいつも外で遊びほうけてるとでも思っているのかい?」
彼の手番。先ほどのビショップは動かさずに、白いナイトの駒をキングが混じる黒い陣形に切り込ませる。
「実際遊びほうけてるじゃないですか」
盤上を見直して、切り込んできた白いナイトをクイーンで取る。
「ふふ、キミだって美味しいご飯のお店があると喜んで入っていくのにね。ハイ、わざわざありがとう」
「なっ、なんで……ぁ……!」
ロキは美味しいものであるならば何でも良いという具合に──そんなに量は食べられないのだが──ご飯が好きである。美味しいお店なら喜んで入店するし、手料理であっても美味しければ喜んで食べる。理由はどうあれそれを何故彼がそんなことを知っているのか指摘しようとしたところ、クイーンをビショップで取られた。先ほどクイーンで駒をとったため、放置していたビショップの移動範囲に入ったらしい。思わず眉間に皺を寄せ、慎重に陣営の立て直し方を考察する。
「なんでって、それはキミが話したからなんだけれどね」
「僕は話した記憶がございませんが」
黒のルークに手を伸ばし、少し前進させる。
「それはキミが一冊の本に鍵をかけてしまったからだよ」
それを見て彼の手が白のクイーンを進める。心無しか、カナキの深い紺色の瞳が妖しく光った。
「……本? あなたの脳内はお花畑ですか。理由になってませんよ」
内心、心臓を握られたような感覚に陥る。赤崎の面々が知ることないはずの彼女の秘密。ナイトを前進させ、次の手で来るであろう場所を予測してクイーンの進行を阻む。
「……これじゃあ水の掛け合いだ。そろそろしらばっくれるのは止めてもらおうか」
白のルークで、前進した黒のナイトを取る。
「……しらばっくれるとは、なにをいっ……ッ!」
後方に控えていた黒のポーンで白のルークを取るも、素早く白のクイーンが黒のポーンを取った。
「チェックメイトだ」
諭すような笑み。心なしか彼はこの時を待っていたような気がした。
お手上げと言わんばかりにロキはため息をつく。もうごまかしは効かないだろう。腰掛けているソファーの背もたれに寄りかかり、ゆっくりと彼を見据える。
「……貴方は僕の"記憶の図書館"が欲しいのですか?」
"記憶の図書館"。彼女自身がそう名づけたある種の個人空間である。
エリン世界で生活している時、ロキはダンバートンの魔法図書館を基点とし、エリンに存在するありとあらゆる書物を求めて大陸を巡っていた。その魔法図書館にある、記憶を写す水晶玉の魔法を応用したものが彼女の"記憶の図書館"だ。常に自分を中心として世界に記録される事象を本として収め、集めた空間。エリンに存在するほぼ全ての書物と、彼女がすごしたエリンの記憶が詳細に記録されている。
ただ、これは魔法の一環にすぎない。魔法的に自分の記憶を呼び起こすものであるが故に、魔法行使が行えるMHA下の空間でしか使えない。ましてや彼女は英雄の成り損ないである。個人空間といっても、深層意識に部屋を魔法的に作ったようなものだ。"記憶の図書館"を閲覧している間は寝ている時と同然の状態になってしまう。使い勝手が難しいところだが、その知識量は膨大で価値のあるものもかなり含まれている。それ故に、今だからこそ"図書館"を必要とするのも可笑しくない。
「……ようやく認めたね」
クスリとカナキが微笑み、盤上から下ろされた黒のクイーンを愛おしく指でなぞる。
「キミの"図書館"も勿論欲しいかもね。エリンの知識はこれからとても価値があるものになるだろうから。でも、俺は"図書館"より……」
言葉を切り、ロキと視線を合わす。
「俺はキミそのものが欲しいんだ」
重みのある穏やかな声音。ロキは冷静にその言葉の意図を探る。
「それは、ただ僕が好きだからとかそういう理由で…… いや、僕を一つの駒として扱いたいからですか?」
「……うん、そうだね。駒としても扱うつもりで言ってるし、キミと一緒になりたいのもあるかな」
予想通りの発言に呆れるも、思い切った彼の発言に関心さえする。この戦線でロキの立場はとても重要なものになりえるに違いはない。赤崎には唯でさえ人手が少ないのだから。
「僕と貴方は敵対関係。そして僕は赤崎の面々を守るためにあそこに居るようなもの。僕には貴方に付く理由がありません」
きっぱりと。彼が自身に身体的には手を出さないことはすでに分かりきっている。だからこそ断りを入れる。
「手厳しいね。キミは一個の集団及び人間にとても従順だ」
「貴方が僕を欲する理由も理解していない訳ではないですが、そこらへん弁えて下さい」
悲しそうに微笑む彼を無視し、彼女は紅茶を飲み干して部屋を出る準備をする。今日の収穫はむしろマイナスだ。これから彼の発言に注意していかなければならなくなった。そう思うと頭が痛い。
ロングコートを羽織り、立ち上がる。
「それでは未明までに僕は行かなければならないので」
そう告げ、ボストンバックを片手に退室しようとしたところだった。
「……ッ」
背後から力強く抱きしめられる。
彼が立ち上がったのは勿論察したが、まさか抱きしめられるとは微塵にも思っていなかった。
焦燥が彼女の心を満たしていく。気味の悪い罪悪感。頭が真っ白になり、対応に困惑する。
「な、なにして……ッ」
「俺はずっとこの時を待ってたんだ」
慌ててもがこうとするが耳元で静かに囁かれる。思わず硬直し、抵抗することさえ忘れてしまう。
「キミとまた会えた事が嬉しかった。キミが居たから、俺はキミと一緒に帰ろうと思えたんだ」
「何を、話しているのですか……?」
理解に苦しむ彼の言葉。しかし彼の声音は震えている。彼が此処まで本心を露にすることなんてあったであろうか。おそらく、これは唯のうわ言でない事実の発言。
「だからキミの言葉通り、俺にはキミが必要だから……『失われた世界の鍵を』」
まさに、それは鍵。
彼女自身が彼を想い、考慮した一冊の記録。
少女の瞳からぽろぽろと涙があふれ出る。彼がここまで彼女に執着する理由への理解。忘れていた出来事の罪悪感。
「貴方は、四年も、可能性を信じて"待っていた"のですか……?」
もう一つの檻の世界での出来事。
少女が青年と出会い、彼の心の傷を癒し、彼を理解した出来事の記録。
彼だけを守り、ある意味で彼の心を救った物語。
世界の崩壊とともに、この記憶の消失を危惧した彼女が彼に残したもの。
『無いとは思いますが……僕とまた出会う機会があって、僕が必要な時はそれを、僕に』
間違いなく彼に託した鍵。現実は少女に別の出会いを与えて、彼を忘れ去ろうとしていたのかもしれない。
それが余計に辛かった。彼の期待には答えられない。されど、彼を突き放す事が彼女には出来なかった。
「一度でいい。もう一度、俺についてきてほしい。もうすぐで、もうすぐ世界が、俺達の悲願が……」
四年前の口約束をまだ願い続けている彼を見て、少女は何も言えなかった。
† † †
アイギスからバイブ音が発せられる。
ディスプレイに映る着信画面。その画面には「遠藤白夜」の文字。
視線を向け、静かに着信拒否のパネルに触れた。
ゆっくりとベッドから立ち上がり、室内に備え付けられたクローゼットの戸を開ける。
丁寧にハンガーに掛けられた、彩度の低い紺色のYシャツ、黒いベスト、ネクタイ。そして黒い燕尾服とスラックス。
燕尾服には装飾が施された白い十字架のラペルピンが既に付けられている。
そっと、その十字架を指でなぞる。雑念が脳内を巡るが、すぐに振り払った。
彼女の選択は余りにも重く、罪深いものだ。
だからこそ、"事が済むまで何も想わない"と決めた。あの世界で彼意外の人物に感情を抱くことを止めた時のように。
彼と似たデザインの十字架を見つめる少女の瞳は、どこか虚ろで寂しげだった。
作中最も暗躍してると噂のロキ子のサイドストーリーでございます。
本編ではキーパーソンの癖にあまり触れられていないカナキさんを、より知っていただけたら幸いです。