Vol.01 Ch.006③ すでに真実に辿り着いた小山真衣は、大半の秘密を知った。
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一晩中の大雨で、林の小道はすっかりぬかるんでいた。気をつけて歩いたつもりでも、商店街に戻る頃には僕も紫木も靴にかなり泥がついていた。
ん?
商店街に入った途端、紫木がわざと速度を落とし、僕と五歩ほど距離を取って歩き始めた。並ぶのを避けたいのだろうが、他人の目を気にしているにしては露骨すぎるし、距離も中途半端だ。
だから、僕は遠慮なく歩く速度を上げた。
「え、ちょっと!なんで急に速くなるの!」
追いつこうとした紫木の前で立ち止まり、振り返る。
「ひゃっ……な、何?」
紫木がびくっと後ろへ跳ねる。
「別に、途中でたまたま会ったふうにすればいいだろ。」
「わ、私がどんな速さで歩こうが勝手でしょ。」
「はいはい。もう何も言わない。」
いかにも紫木らしいな。そう思って先に進むと、少しして後ろから足音が近づいてきた。
「おはよう、羽冬!奇遇だね!」
肩をちょんと叩き、紫木が改めて挨拶してきた。
……演技がぎこちなさすぎて、逆にどこからツッコめばいいのか分からない。
「おはよう。」
けれど、そうやって仕切り直したことで、さっきよりはだいぶ自然に見えた。表情も歩き方も、変な遠慮はかなり薄れている。
「昨日の夜、なんだか不思議だったね。」
「そうだな。お姉さんは、思った以上に人懐っこかったし。」
「社交の場に出ることが多いから、初対面の人と話すのも慣れてるんだと思う。」
そう言われると、たしかに納得できる。
「あ、そういえば昨日の参考書、私がしまっちゃったみたい。今返すよ。」
「いや、学校着いてからでいいよ。」
学校でそれをやると面倒なことになるかもしれない、という発想はまだないらしい。
気づいていないうちに、僕は鞄を開きかけた手を止めた。
校門を抜け、良見楼へ入る。階段を上がって教室へ向かう直前、紫木はまた少し距離を空けた。
今回はまあ、判断としては正しい。警戒すべきは他人の目というより、知り合いの目だ。
けれど、教室に入った瞬間、最悪の相手と鉢合わせた。
「おや、羽冬くん。今日は少し遅めだねえ。」
小山真衣。
しかもちょうど外へ出るところらしい。タイミングが悪い。
時間を見ると、6時55分。たしかに普段よりだいぶ遅い。
「たまにはさぼりたい日もあるんだよ。」
いつもどおり淡々と返し、小山の横をすり抜けようとした――のだが、この人、妙に勘が鋭い。
野生動物みたいに鼻をひくっとさせて、二度ほど空気を吸い込んだあと、じろじろと僕を見回してきた。
……君、警察犬か何かか?
それに、僕たちはそこまで親しくないだろ。シャンプーが変わったくらいで気づくな。
その最悪のタイミングで、紫木まで入ってくる。
いや、もう少し間を空けろよ!そういう時間差を作るなら、せめて自然な範囲でやれ!
「理香ちゃん、おはよう!」
「あっ……真衣、お、おはよう……」
……終わった。
この、悪いことして見つかった時みたいな不自然な言い方。
どうして登校中に少しくらい心の準備をさせなかったんだ。
きっと、昨夜の紫木姉との会話の余韻で、こっちも油断していた。
「ん~?」
小山は楽しそうに僕と紫木を見比べながら、紫木へ近づく。
「……お?」
何かに気づいたらしい小山は、次の瞬間、本当に頭から足先まで紫木の匂いを嗅ぎ始めた。
「真衣!何してるの!?」
次に自分が巻き込まれる前に、僕はさっさと席へ向かう。途中で教室内を見回 すと、後ろの席の高木と目が合った。
一、二秒見つめ合ったあと、高木はいつもの皺眉の顔をしてから、何事もなかったようにスマホへ視線を戻した。
……いや待て。その一瞬で納得した理由のほうが逆に怖いんだけど。
「理香ちゃん、ボディソープ変えた~?」
席についたころには、小山の現場検証も一通り終わったらしい。静かな教室に、その軽い一言がやけに響く。
「わ、私は……」
「ん~?」
完全に詰んだな。
さっきまで顔に焦りを貼りつけていた紫木だったが、その瞬間に脳の全細胞を総動員したらしい。
慌てたように小山の手をつかむ。
「い、行こ!購買部へ!ちょっと見たいものあるの!」
「え?え?」
なるほど、「犬」をおびき出すか。
この場の最適解としては、たしかに逃げるしかない。
十分ほどして二人が戻ってきた頃には、教室もだいぶ埋まっていた。
そして小山は入ってきた瞬間から、意味ありげな目でずっと僕を見ている。
今の小山の中では、僕が丸裸に見えているようなものだ。残された秘密は、たぶん昨夜の紫木姉との会話だけだ。
「あぁ……」
席に戻った紫木は、力尽きたように机に突っ伏した。
「ずいぶん絞られたみたいだな。」
できるだけ小声で話しかける。
「真衣、ほんと手ごわい……ごめん羽冬。あんまり人に知られたくなかったでしょ。」
正直、僕がどう思われるかは別にどうでもいい。広がって困るのは、どちらかと言えば紫木のほうだろう。まあ、僕だって全然うまく立ち回れていない。
「大丈夫だろ。小山も言いふらしはしないだろ。」
「うん……たぶん。たぶんね……」
小山が余計なことさえしなければ、ここからの振る舞いで多少は印象を修正できるはずだ。むしろ、さっき紫木が断ってくれたのは助かった。
「はい。昨日、放課後に貸してくれた参考書。ありがとな。数学、ほんと難しくてさ。家で夜遅くまで見て、やっと分かった。」
そう言うと、紫木は一瞬だけいつものように固まった。だが、高校に入ってから少しずつ成長しているだけあって、今回はすぐに察した。
「役に立てたならよかった。これからも必要なら言ってね。」
もしかすると、昨日の長い時間で、僕と紫木も、少しずつ息が合ってきたのかもしれない。
23
「これより、パンドラ祭実行委員会議を始めます。」
伊藤委員長がマイクを取り、今日の会議が始まった。相変わらず、場を仕切る力が強い。
「火曜日に各部署の進捗状況はすでに確認しています。来週火曜の会議までに、それぞれ予定されている進捗をきちんと終えられるようお願いします。」
今日の空き時間で、メインビジュアルの各エリアの基本色は決め終えた。あとは先輩たちが着彩を進めるだけだ。そうなれば、瀬戸に頼まれているD組のポスターや価格表にも時間を割ける。
「本日は体育祭の実施詳細について確認します。情報にずれが出ないよう、ここで改めて全体説明を行います。」
「体育祭の競技は、陸上競技とクラス対抗戦の二部構成です。陸上競技は男女別と学年別で、100メートル、200メートル、走高跳、走り幅跳びなどの個人競技に加え、四人四百メートルリレーやクラス対抗リレーなどの団体競技があります。クラス対抗戦は、バスケ、バレー、サッカーの三種目で、全学年合同・男女混合で行います。」
これだけの情報を、よどみなく一気に説明できるのはさすが生徒会長だ。
この陸上の個人種目、一クラス二人まで出られるのに、気づけば僕が全部出ることになっていた。体育の時間に負けず嫌いが出て、走るのも跳ぶのも得意だと自分でばらしたせいだ。神高附中の頃ならともかく、勉強重視のこの学校なら、案外上位も狙えるかもしれない。
高木も走高跳と走り幅跳び、そして四百メートルリレーの代表だ。望月は女子種目もほぼ総取りだ。紫木については言うまでもない。パンドラの大多数と同じく、運動音痴だ。
「陸上の個人種目は、来週火曜の会議終了後に締切とします。団体競技、つまり陸上のリレー種目と各クラス対抗戦の参加者および補欠については、来週金曜までに委員会へ提出してください。各委員は、所属クラスへの周知をお願いします。」
「次に、業務分担です。各競技の記録は一年生が担当し、二年生はサポートおよび予備人員として配置します。記録が試合出場と重なって不足するのを避けるためです。なるべく同じクラス同士で同じ競技を担当できるよう配慮します。まず確認ですが、球技に詳しい人はいますか?」
どうやら立候補制らしい。記録なら、やはり興味のある種目がいい。
「なあ、一緒にバスケの記録係やらない?」
全体がまだ様子見しているうちに、小声で紫木に声をかけた。
「え? いいけど、私、全然分からないよ?」
「大丈夫。教える。」
やっぱり紫木は、誰かが道筋を作ればそのまま素直に乗ってくる。便利な性格だ。
競技の記録はバスケ、バレー、サッカー、そして陸上の四つに分かれ。それぞれ四人ずつ、一年の実行委員十六人がきれいに割り振られる形だ。
僕が手を挙げると、紫木も一緒にバスケの記録へ回った。友子先生は、僕が自分から手を挙げたのを見て、かなり意外そうな顔をしていた。
その後は、各種目の予選選考方法の説明に移った。
僕に関係が深いところで言えば、個人の短距離はタイム上位六名、団体種目は上位4組が決勝へ進む。走高跳と走り幅跳びは、祭本番前に決勝まで終わらせてしまい、当日は表彰だけ。
クラス対抗バスケは八ブロックに分かれ、一組三クラスの総当たり。上位二クラスがベスト16へ進み、その後はトーナメントで、決勝と三位決定戦に進む四クラスを決める方式だ。
そして僕と紫木の仕事――バスケの記録。総得点や個人得点、ファウルだけでなく、リバウンド、アシスト、ブロック、スティールまで書く必要がある。ベスト16以降の個人成績をもとにMVPなどの個人賞も出すからだ。先輩たちは大量の記録用紙を配り、事前にネットの試合などで練習しておくように言った。
とはいえ、こういう記録の細かさは、バスケを知っている人間には常識でも、紫木のような初心者には別世界だ。隣を見ると、案の定処理落ちしていた。
でも、紫木を自分でこの係に誘った時点で、教える覚悟はできていた。
僕だって実際に記録係をやったことはない。教えるためにも、自分でちゃんと練習しないといけない。
「……あ。」
目が完全に死んでいる。脳細胞が今まさに絶滅しかけている顔だ。
「大丈夫。まだ本番まで時間あるし、ゆっくり教えるから。」
「うん、お願い。」
僕がそう言うと、紫木はすぐに落ち着きを取り戻し、また真面目に会議を聞き始めた。
意外と素直だ。もしかすると、紫木の中で僕はもう少しくらい頼れる存在になっているのかもしれない。
会議の最後に、委員長は来週火曜も進捗確認、金曜は文化祭当日の業務分担を行うと伝えた。
「羽冬、紫木。」
終了後、友子先生がこちらへ来る。
「二、三年生や生徒会の先生方から、羽冬は積極的で真面目だって、すごく評判いいのよ。この調子で頑張ってね。」
友子先生の穏やかな励ましは、不思議と人を安心させる。
「ありがとうございます。」
「理香ちゃんは、バスケに詳しくないでしょ?羽冬に誘われたのよね?」
さすが、見抜いてる。
「はい。でも羽冬がちゃんと教えてくれるって言ってくれたので、大丈夫だと思います。全然見たことがないわけでもないですし、私、やれると思います!」
妙に自信満々だ。
それを聞いた友子先生も、安心したように微笑んだ。
「二人とも本当に、超すごいわ。この調子で頑張ってね。時間も遅いし、気をつけて帰るのよ。」
「はい。お疲れ様でした!」
友子先生は、褒める時は子どもに向けるみたいに惜しみなく褒めてくれるのに、失敗した時はちゃんと大人として扱ってくれる。パンドラに来るまで何年教師をやっていたのかは知らないが、その距離感の取り方は本当に上手い。
紫木と別れて一人で家へ向かう途中、ふと今朝のことを思い出した。
紫木姉が紫木へ向けていた、あの甘やかしにも似た過剰な保護を。
そうだ。
どんな保護も愛で正当化できるわけじゃない。
一線を越えれば、それはただ自分の思う「最善」を相手に押しつけているだけだ。
それは単なる支配にとどまらない。
それはもう、誰にも赦されない罪になる。
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