死ぬときは一人がいい
大抵の人間の言葉は、難しいだけで、深くない。
自分に向けた言葉じゃないから。
その人の言葉だけ聞いて、理解でもできたつもりかい?
馬鹿言うんじゃない。
理解なんて絶対に出来ないんだよ。
言葉を介してしか伝えられないんだから。
なにも理解しちゃいないんだ。
現実を直視しない、なにも考えてない能無しの馬鹿に贈る言葉なんか、私は持ち合わせちゃいない。
綺麗事を話しているわけでもない。
本当の綺麗とは、そんなものじゃないから。
綺麗事を語る人間のほとんどが、現実が見えていないだけの人間だ。
相手が醜い化け物だというのに、正面から向かっていく。
相手がどれだけの深さかわかっていないのに、十分熟考したとみなして言葉を吐く。
綺麗じゃない相手を、自らの幸せしか望めないそれを、他人を排したそれを、まるで綺麗かのように扱いたがる。
違う。どうせそいつは、勝手に幸せになる。
そいつのことなんて、考える必要はない。
そもそも、それを叶えるために、なぜ他を犠牲にする?
綺麗事を語るなら、最後で行かなければならないのに。
しかし、全員が幸せになる方法を考えることはしない。
必ず誰かが不幸になる。
目に入らなければいいなら最初から黙れ、最大多数の最大幸福を祈り、考え続けている人間の邪魔をするな。
それはただの、安全な場所からの言葉だ。
なぁ、本当に、何が目的なんだ?
追悼を捧げることが、どうも苦手だ。
身勝手極まりないことだと感じる。
その人はもう何も言えず、生前どうだったかもわからない。
天国で楽しく暮らしてるなんて言葉、言えない。
無責任にも程がある。
美談になんかしたくない。
その人にはもう伝わらないのだから。
後は、身勝手な自己満足に過ぎなくなってしまう。
彼、彼女の死を、私は悲しんでいます。
なんて、言えない。
わかってる。
これは理屈じゃない。
でも、私は出来ない。
その人のことを考えたら、自分で悲しみを解釈したら、その人は自分の都合のいいように変わり果てる。
それがどうも、苦手なんだ。
死とは、その人のものだろう?
その人が望んだ姿が、その人の死後だ。
私は、触れない。
絶対に。
尊厳、それの本当の意味を考え続ける。
誰にも知られず。




