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映画『ハルビン』――伊藤博文の死が意味するもの

作者: イカゲソマヨソース小太郎。(小さな脳みそ仲間)
掲載日:2026/05/05

週末――


ワインを呑みながら、

リビングで映画を観た。


――ハルビン。


『愛の不時着』のヒョンビン。

そして、伊藤博文役にリリー・フランキー。


韓国で制作された、歴史映画だ。


観終わったあと――


イカゲソをくわえたまま、

固まっていた。


気づけば――

ワインボトルは、空だった。


薄氷の上を歩くシーン。

静かに流れるエンドロール。


音楽だけが、ゆっくりと遠ざかっていく。


その中で、

頭の奥に“何か”が引っかかって、離れなかった。


残ったのは、ひとつの問い。


これは、いわゆる「もしも」の話だ。


歴史に答えはない。


けれど――

問いだけは、残る。


――◇――


「ハルビン。

 伊藤博文。

 暗殺。

 ――ほとんど知らなかった」


自室の、PCの前に座る。


私はAIに聞いた。


「あの映画は、実話なのか?」


「歴史上の出来事をベースにした作品です」


なるほど、と思った。


……でも。


本当に引っかかっていたのは、そこじゃない。


私はもう一度、聞いた。


「もし、伊藤博文が暗殺されていなかったら――

 その後の日本は、変わったと思うか?」


少し間があって、返ってきた。


「断言はできません」


――だよな。


だからこそ、考えたくなった。

専門家でもない、私の小さな脳みそで。


――あのとき。


もしも、伊藤博文が暗殺されていなければ。


その後の日本は、どうなっていたのか。


――◇――


調べていくうちに分かってきたのは、

ひとつのことだった。


日本が戦争へと進んだ道は、

一本の線ではなかった。


いくつもの分岐が重なり合い、

気づけば引き返せない場所に立っていた。


中でも、大きな三つの分岐がある。


・満州事変

・三国同盟

・対米開戦


これらは連鎖している。


だが同時に、それぞれが独立した危機でもある。


どこか一つを止めても、

別の場所から同じ危機が顔を出す。


まるで――


決まっている未来に向かって、

歴史のほうが逸れた道を許さないかのように。


つまり。


これを止めるなら、一度では足りない。


何度も、何度も。

止め続けなければならない。


――◇――


■ 分岐点1:満州事変


現地の軍が独断で戦争を始め、

政府はそれを追認した。


この一手が、後の流れを大きく変えた。


なぜか。


――成功してしまったからだ。


軍が勝手にやっても、結果が出れば許される。


この“成功体験”は、国家にとって危険な前例になる。


もちろん、実際の歴史はここまで単純ではない。


だが、あえて一本の仮説として見るなら。


もしここに、伊藤的な文民統制の意志があったとしたら。


おそらく、処罰という選択を取ろうとしただろう。


だが――


・軍は反発する

・世論も割れる

・政治は傷つく


それは、簡単に通る決断ではない。


つまりこれは、


国家として“痛みを引き受けるか”という問題になる。


それでも止めるか。


それとも、流されるか。


この時点で、日本はまだ引き返せる場所にいた。


――◇――


■ 分岐点2:三国同盟


次に訪れるのは、“錯覚の瞬間”だ。


・ドイツが強すぎた

・強すぎて、勝ち馬に見えた


当時の空気の中では、

それはある意味、合理的な判断だった。


だが、それは短期の合理にすぎない。


ここで問われるのは、判断力ではない。


錯覚に呑まれない構造があるかどうかだ。


もし伊藤のような視点があったなら、

こう問うはずだ。


「十年後、どうなっている?」


・イギリスの海

・アメリカの工業力


この二つを敵に回す。


――無理だ。勝てるはずがない。


実際に伊藤は、

軍や外交に対して強い現実主義を持っていたとされる。


だが現実には、

“その場の正しさ”が未来を押し流すことは珍しくない。


ここで踏みとどまれるかどうか。


これもまた、一つの分岐だった。


――◇――


■ 分岐点3:対米開戦(1941年)


そして最後。


ここは、最も人間的な場面だ。


・追い詰められた

・資源がない

・引けば負けに見える


だから戦う。


――理解はできる。


だが。


「勝てないなら、やるべきではない」


伊藤のように、

そう言える人間が、どれだけいたのか。


ここで重要なのは、

戦争を避けることではない。


戦争をしない状態を、維持し続けることだ。


・対立は消えない

・摩擦もなくならない


それでも。


・譲る。

・引く。

・時間を稼ぐ。


その選択を積み重ねる。


それは、勇気のいる判断だ。


そして同時に――

最も評価されにくい判断でもある。


――◇――


■ そして、その先


ここまで来ると、未来は大きく変わる可能性がある。


・真珠湾がなければ

・太平洋戦争がなければ


日本は、少なくとも同じ形で敵国にはならない。


つまり――


原爆が投下される理由そのものが、

存在しなかった可能性がある。


もちろん、歴史に「絶対」はない。


別の形で危機が訪れたかもしれない。


それでも言える。


回避できた分岐は、確かにあった。


――◇――


■ 結論


ハルビンで響いた銃声。


それは、一人の政治家の死で終わる話ではない。


それは――


・満州事変

・三国同盟

・対米開戦


この三つの分岐で、

踏みとどまるための意思や構造。


その“踏みとどまれる一つの可能性”を

失った出来事だったのかもしれない。


そして、その後の日本はどうなったのか。


止まれなかったのか。


――いや。


もっと厄介な状態だったのかもしれない。


『止まるためのコストを、払えなくなったのだ。』


・軍を抑えるコスト

・世論に逆らうコスト

・プライドを捨てるコスト


それらを払えなくなった国家は、

前へ進むしかなくなる。


間違っていても、進む。


戻れなくなる。


そして一度その状態に入ると、

そこから抜け出すことは、極めて難しい。


――◇――


あの映画を観て感じた違和感の正体は、

たぶんこれだったんだと思う。


日本は、本当に止まれなかったのか。


それとも――


止まることを、選べなかったのか。


今も、その答えは持っていない。


ただひとつ、確かに問えるのは。


「じゃあ現代は、止まれるのか?」


――あの銃声は、


今も心のどこかで、鳴り続けている気がする。


【了】

あとがき。


お読みいただき、ありがとうございます。


歴史や政治の話は、どうしても少しセンシティブで、

これまであまりエッセイにはしてきませんでした。


でも今回は――


ワインの酔いと、

イカゲソのマヨソースを口の周りにつけたまま、

あえて書いてみました。


自分の人生でも、

「あのとき、もしも――」と考えることはあります。


そしてそれは、きっと他の歴史にもあるのだと思います。


もし、織田信長が。

もし、芹沢鴨が。

もし、坂本龍馬が。


そう考え始めると、

歴史の分岐点は、いくつも見えてくる気がします。


なお、あまり歴史に詳しくないので、

鋭すぎる質問は、どうかご勘弁くださいw

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