映画『ハルビン』――伊藤博文の死が意味するもの
週末――
ワインを呑みながら、
リビングで映画を観た。
――ハルビン。
『愛の不時着』のヒョンビン。
そして、伊藤博文役にリリー・フランキー。
韓国で制作された、歴史映画だ。
観終わったあと――
イカゲソをくわえたまま、
固まっていた。
気づけば――
ワインボトルは、空だった。
薄氷の上を歩くシーン。
静かに流れるエンドロール。
音楽だけが、ゆっくりと遠ざかっていく。
その中で、
頭の奥に“何か”が引っかかって、離れなかった。
残ったのは、ひとつの問い。
これは、いわゆる「もしも」の話だ。
歴史に答えはない。
けれど――
問いだけは、残る。
――◇――
「ハルビン。
伊藤博文。
暗殺。
――ほとんど知らなかった」
自室の、PCの前に座る。
私はAIに聞いた。
「あの映画は、実話なのか?」
「歴史上の出来事をベースにした作品です」
なるほど、と思った。
……でも。
本当に引っかかっていたのは、そこじゃない。
私はもう一度、聞いた。
「もし、伊藤博文が暗殺されていなかったら――
その後の日本は、変わったと思うか?」
少し間があって、返ってきた。
「断言はできません」
――だよな。
だからこそ、考えたくなった。
専門家でもない、私の小さな脳みそで。
――あのとき。
もしも、伊藤博文が暗殺されていなければ。
その後の日本は、どうなっていたのか。
――◇――
調べていくうちに分かってきたのは、
ひとつのことだった。
日本が戦争へと進んだ道は、
一本の線ではなかった。
いくつもの分岐が重なり合い、
気づけば引き返せない場所に立っていた。
中でも、大きな三つの分岐がある。
・満州事変
・三国同盟
・対米開戦
これらは連鎖している。
だが同時に、それぞれが独立した危機でもある。
どこか一つを止めても、
別の場所から同じ危機が顔を出す。
まるで――
決まっている未来に向かって、
歴史のほうが逸れた道を許さないかのように。
つまり。
これを止めるなら、一度では足りない。
何度も、何度も。
止め続けなければならない。
――◇――
■ 分岐点1:満州事変
現地の軍が独断で戦争を始め、
政府はそれを追認した。
この一手が、後の流れを大きく変えた。
なぜか。
――成功してしまったからだ。
軍が勝手にやっても、結果が出れば許される。
この“成功体験”は、国家にとって危険な前例になる。
もちろん、実際の歴史はここまで単純ではない。
だが、あえて一本の仮説として見るなら。
もしここに、伊藤的な文民統制の意志があったとしたら。
おそらく、処罰という選択を取ろうとしただろう。
だが――
・軍は反発する
・世論も割れる
・政治は傷つく
それは、簡単に通る決断ではない。
つまりこれは、
国家として“痛みを引き受けるか”という問題になる。
それでも止めるか。
それとも、流されるか。
この時点で、日本はまだ引き返せる場所にいた。
――◇――
■ 分岐点2:三国同盟
次に訪れるのは、“錯覚の瞬間”だ。
・ドイツが強すぎた
・強すぎて、勝ち馬に見えた
当時の空気の中では、
それはある意味、合理的な判断だった。
だが、それは短期の合理にすぎない。
ここで問われるのは、判断力ではない。
錯覚に呑まれない構造があるかどうかだ。
もし伊藤のような視点があったなら、
こう問うはずだ。
「十年後、どうなっている?」
・イギリスの海
・アメリカの工業力
この二つを敵に回す。
――無理だ。勝てるはずがない。
実際に伊藤は、
軍や外交に対して強い現実主義を持っていたとされる。
だが現実には、
“その場の正しさ”が未来を押し流すことは珍しくない。
ここで踏みとどまれるかどうか。
これもまた、一つの分岐だった。
――◇――
■ 分岐点3:対米開戦(1941年)
そして最後。
ここは、最も人間的な場面だ。
・追い詰められた
・資源がない
・引けば負けに見える
だから戦う。
――理解はできる。
だが。
「勝てないなら、やるべきではない」
伊藤のように、
そう言える人間が、どれだけいたのか。
ここで重要なのは、
戦争を避けることではない。
戦争をしない状態を、維持し続けることだ。
・対立は消えない
・摩擦もなくならない
それでも。
・譲る。
・引く。
・時間を稼ぐ。
その選択を積み重ねる。
それは、勇気のいる判断だ。
そして同時に――
最も評価されにくい判断でもある。
――◇――
■ そして、その先
ここまで来ると、未来は大きく変わる可能性がある。
・真珠湾がなければ
・太平洋戦争がなければ
日本は、少なくとも同じ形で敵国にはならない。
つまり――
原爆が投下される理由そのものが、
存在しなかった可能性がある。
もちろん、歴史に「絶対」はない。
別の形で危機が訪れたかもしれない。
それでも言える。
回避できた分岐は、確かにあった。
――◇――
■ 結論
ハルビンで響いた銃声。
それは、一人の政治家の死で終わる話ではない。
それは――
・満州事変
・三国同盟
・対米開戦
この三つの分岐で、
踏みとどまるための意思や構造。
その“踏みとどまれる一つの可能性”を
失った出来事だったのかもしれない。
そして、その後の日本はどうなったのか。
止まれなかったのか。
――いや。
もっと厄介な状態だったのかもしれない。
『止まるためのコストを、払えなくなったのだ。』
・軍を抑えるコスト
・世論に逆らうコスト
・プライドを捨てるコスト
それらを払えなくなった国家は、
前へ進むしかなくなる。
間違っていても、進む。
戻れなくなる。
そして一度その状態に入ると、
そこから抜け出すことは、極めて難しい。
――◇――
あの映画を観て感じた違和感の正体は、
たぶんこれだったんだと思う。
日本は、本当に止まれなかったのか。
それとも――
止まることを、選べなかったのか。
今も、その答えは持っていない。
ただひとつ、確かに問えるのは。
「じゃあ現代は、止まれるのか?」
――あの銃声は、
今も心のどこかで、鳴り続けている気がする。
【了】
あとがき。
お読みいただき、ありがとうございます。
歴史や政治の話は、どうしても少しセンシティブで、
これまであまりエッセイにはしてきませんでした。
でも今回は――
ワインの酔いと、
イカゲソのマヨソースを口の周りにつけたまま、
あえて書いてみました。
自分の人生でも、
「あのとき、もしも――」と考えることはあります。
そしてそれは、きっと他の歴史にもあるのだと思います。
もし、織田信長が。
もし、芹沢鴨が。
もし、坂本龍馬が。
そう考え始めると、
歴史の分岐点は、いくつも見えてくる気がします。
なお、あまり歴史に詳しくないので、
鋭すぎる質問は、どうかご勘弁くださいw




