第五章 生きていると信じて
夜明け前の空は、色を決めかねていた。
黒に戻るには遅く、青へ向かうには早い。
ユリは、息を殺して走っていた。
足音を消す意味は、もうない。
それでも、止まるわけにはいかなかった。
背後で、光が走る。
追跡灯が、夜を切り裂く。
「――右」
エリカの声は短く、低い。
二人は同時に身を翻し、廃棄区画へ滑り込んだ。
錆びたコンテナ。
崩れた壁。
鉄と埃の匂いが、肺に刺さる。
「尾行……されてる」
ユリが呟いた、その瞬間だった。
「――見つけた」
拡声器ではない。
近くで発せられた、生の声。
二人が振り向く。
そこに立っていたのは、
レオナ・ヴェルデだった。
軍服のまま。
だが、背後に兵はいない。
銃口も、向けられていなかった。
「……レオナ」
ユリが名を呼ぶ。
彼女は一歩、前に出る。
「レイの現場を見てきたわ」
「軍は?」
エリカが問う。
「置いてきた」
それだけで十分だった。
裏切ったとも、逃げたとも言わない。
ただ、
もう、ここにはいない。
ユリは、言葉を探した。
「……どうして」
レオナは、一度だけ夜空を見上げた。
あの花火が咲いた方向。
「遺体が、なかった」
短い言葉。
「それで、終わりにできなかった」
沈黙が落ちる。
その隙間に、
別の影が差し込んだ。
「……話は後にしてもらえるか」
白衣を着た男だった。
「ここは、長く保たない」
「誰だ」
ユリが身構えるより早く、
レオナがその名を告げる。
「ゾアセノ・ハリス。国立大学研究所所長」
ゾアセノは、軽く頷いた。
「爆発現場を見た」
それだけで、
空気が変わる。
「俺も確認したが、遺体はなかった」
ユリの心臓が、一度、強く鳴る。
「だが、血だけが残っていた。
異常な量でな」
エリカが、息を吸う。
そして、
静かに尋ねた。
「……レイは?」
ゾアセノは、すぐには答えなかった。
一瞬だけ、視線を伏せる。
それから、わずかに笑う。
「……やっぱり、爆発したのは人間なんだな」
理屈より先に、
名前が出る。
その反応に、ゾアセノはどこか納得したようだった。
「発見されていない」
淡々とした声。
「死亡も、確認されていない」
その一文が、
この場の呼吸を、確かに変えた。
レオナが、迷いなく言う。
「行く」
「追う側じゃない」
「確かめる側として」
ゾアセノは、四人を見回した。
ユリ。
エリカ。
レオナ。
そして、
ここにいないはずの一人。
「……いいだろう」
そう言って、
彼は近くのコンテナへ向かった。
錆びた外装。
廃棄物にしか見えないそれに、
ゾアセノは端末を接続する。
低い駆動音。
コンテナの側面が開き、
中から姿を現したのは――
空飛ぶ車だった。
研究用に改造された機体。
無駄のない構造。
「地下通路を抜ける」
ゾアセノが言う。
「追跡は切れる。研究所まで直行だ」
誰も異論を出さなかった。
四人は、順に機体へ乗り込む。
ハッチが閉まり、
外の音が、途切れる。
エンジンが低く唸り、
車体が浮き上がる。
白い灯りが連なる地下通路へ。
ユリは、窓の外を見つめながら、
胸の奥で、静かに名前を呼んだ。
――レイ。
答えはない。
それでも。
生きていると信じる理由は、
もう、偶然ではなかった。




