38話 吸血衝動
「──クトゥルフの物語の件についてだが、まだ反応を感知しただけではデータが足りないようだ。本部からラプスのアップデートにまで至るような接触が必要不可欠だと言われたよ」
「それって相手が領域展開でも起こさない限り、不可能かもしれないってことじゃないですか!」
「鵜久森さん、おさえておさえて。お砂糖いりますか?」
アーバンから大事になるようなクトゥルフ事件が必要だと聞き、鵜久森は怒りを顕にした。鵜久森が拳をテーブルに叩きつけたせいで食器が音を立てる。ましろが慌ててフォローに入った。
「聞くからにクトゥルフの物語は童話系や最新系の物語よりも凶悪です。一般人を巻き込んだらどうなるか……」
砂糖入りのコーヒーを飲んで、鵜久森は気持ちを落ち着かせる。
「私たちの手に負えない可能性があると、鵜久森さんは心配していますのね」
ココアを一口飲んだ来夢が核心をついた。
「アーバン・レジェンドの手に負えない強さの物語か……想像したくはないなぁ。今までなんとかなってたからね」
「何か良い方法はないかな、ましろくん」
「うーん……」
鵜久森に問い掛けられ、ましろはカフェモカを飲みながら考える。
「──やっぱり、行くしかないかなぁ……」
◆◆◆
「あれ?ましろクンじゃーん」
クォンタム社のビル一階。フロントで受付をしていたましろの背後から、学校から帰宅途中の赤羽根榴姫が声をかける。
「赤羽根さん」
振り返るましろ。仄かに香る甘い匂い。ましろはビニールに入っている長方形の箱を持っていた。
「なになにー?鴉になんか用?」
「ボク、スマホを新しくしてね。改めて携帯番号を聞こうと思って」
「あーなるほど。そーいや鴉から、ましろクンがあっちでスマホなくしてたって話を聞いたわね」
榴姫はましろに近寄り、ビニール袋の中を除く。クリスピークリームドーナツ。ちょっとお高いドーナツショップ。
「番号聞くだけじゃアレだし、少しお茶してかない?アイツの部屋で。アタシスペアキー、持ってるし」
「赤羽根さんの部屋じゃないの?」
「ましろクン、この年齢で男が女の部屋にズカズカ入るのは恋人関係くらいなもんよ」
榴姫はましろの腕を取り、エレベーターの前へと連れて行く。
「ねぇ、ここまで来てウチの社長とは会わないの?」
上に上がるエレベーターの中で2人きり。榴姫はましろの顔を覗き込んだ。ましろはきょとんとした表情を浮かべる。
「へっ?なんで?」
「なーんだ。てっきりギルド合併の話でもするのかと思っちゃった」
「あはは……。それは夜闇鴉が絶対に許さないと思うよ」
「それもそうね」
エレベーターが最上階に到着し、榴姫とましろがエレベーターから降りる。
「──そういえば、赤羽根さんのギルドって前は別のメンバーが居たよね?その人たちって……」
「……っ、」
ましろの隣を歩いていた榴姫の視界が霞む。額に手を当てる榴姫。ましろが異変を感じて榴姫の顔を覗き込んだ。
「赤羽根さん?大丈夫──うわっと!?」
突然榴姫がましろを廊下に押し倒した。
「赤羽根さん!?」
何をされるのかわからず、ましろは身を捩った。目にしたのは榴姫が鋭い2本の牙を見せ、自分の首筋を狙うその瞬間だった。
「──!?」
ましろは慌てて自分に噛み付こうとしているその口に、ドーナツを咥えさせる。
「ん、むぐ」
「──おい。人の部屋の前で何をしている」
いつの間にか鞄を肩に背負っている、制服姿の夜闇鴉がそこに居た。
「あ、あはは……。なんだか赤羽根さんが体調が悪いみたいで」
夜闇鴉は冷たい瞳で赤羽根榴姫に覆い被されたましろを見つめている。
「……いつものアレか。というか月影ましろ、何故ここに居る?」
「少し話があって、ドーナツをお土産に持ってきてお茶をしようってところなんだけど」
「──入れ。話はそれからだ」
間を空けて鴉がカードキーで自室の扉を開ける。榴姫は咥えたドーナツを食べながら立ち上がった。ましろも残りのドーナツの入った箱の蓋を閉めて立ち上がる。
◆◆◆
コーヒーメーカーは、ボタンひとつでコーヒーを始めとする美味しい飲み物が手間要らずで飲めて便利だ。
黒いテーブルにクッションが3つ。テーブルに置かれたドーナツを囲んで3人は座っている。
「ねぇ、いいでしょ鴉?」
「ああ……」
榴姫にせがまれ、鴉が首を傾けると、榴姫は鴉の首筋に噛み付いた。
「……それは、物語の呪いなのかな?」
「そうだ。榴姫は吸血衝動の呪いに苦しんでいる。クォンタム社に元いた物語ハンターたちは、榴姫を気味が悪いという理由で辞めていったそうだ」
物語に影響された呪いを受ける苦しさは、お菓子を食べたいという衝動に駆られるましろが誰よりもわかる筈だ。
「ぷはっ。あー生き返るー!」
「美味しいとか不味いとか、感想はないのか?」
「ん?ああ、美味しいよ。トマトジュースよりも断っ然美味しい」
鴉の首筋から離れた榴姫がハンカチで口を拭う。鴉もハンカチで首筋を拭った。
「──で。ましろクン、話しって何?」
「ええっとね。クトゥルフの物語の件についてなんだけど、協定を結ぶことはできないかなって」
「協定?」
「断る。──と、言いたいところだが、確かに2人そこらで簡単に片付けられない力がクトゥルフの物語にあることは身をもって経験している」
「そうそう。だから、はい。お土産にまあるい和のドーナツ」
「お土産と言いつつ自分が真っ先に食うなよ」
ましろはチョコスプリンクルを食べ終えた後、コーヒーに角砂糖を5個入れてスプーンでかき混ぜた。
「携帯番号も、もし物語の領域展開内でスマホが使えるようなことがあったら便利だし。もう着信拒否にはしないでね」
「そういうお前はオレの神経を逆撫でするようなことは言わないように気を付けろ」
「う……、ど、努力するよ……」
「歯切れが悪いな。……まあいい」
クッキー&クリームチョコを平らげ、鴉はブラックコーヒーを飲み干した。
「今日は随分ご機嫌じゃない?また新しいゲームでも買ったの?」
「くっ……、何故わかった!?」
「わかりやすいから。あと袋がいつも買い物してくる店のだから」
サクラクリームをもしゃもしゃと食べながら榴姫がつっこむ。
「フン。ありがたく受け取るがいい」
「ありがとう」
鴉がボールペンで電話番号を2人分書いたメモ帳を差し出す。ましろはお礼を言ってさっそくスマホに登録し始めた。




