15話 不思議な国の
「林檎さん、支度はできまして?」
「あっ、はい、今……」
来夢は軽めのショルダーバッグ、綺羅々《きらら》はリュックサックを持ってパークに行く準備が整っている。
来夢に声をかけられた林檎は、あたふたしながらトートバッグに物を詰め込んだ。
「えーーー」
詰め込んでいる間にふとベッドに視線を移した時、その部屋にはいない人物と目が合う。
亡くなっている筈の、林檎の祖母だった。
(おばあちゃん……?!)
林檎の祖母はどこか哀しそうな、優しげな表情を浮かべて視界から消えて行く。
「……い、今のは……」
「どうかした?」
「!?」
林檎の支度が遅く、心配になったましろが林檎たちの部屋に迎えに来ていた。
「ま、ましろさん……には、見えましたか?」
「何が?」
「今、部屋に、私のおばあちゃんが……」
自分のベッドの上を指差す林檎。ましろは少し考え込み、ゆっくりと口を開いた。
「……ボクらは物語って言う存在に遭遇、認識した時から、幽霊ってヤツを信じなくなった」
「……それは、物語の仕業、だから?」
林檎が恐る恐る聞くと、ましろが頷く。
「だから、キミがさっき見たのは、たぶんこの前の赤ずきんの物語の残滓が見せた幻覚か何かだと思う。しばらく警戒した方がいい。……とは言っても、今から別の物語の展開領域に向かうのになぁ……」
上着やズボンのポケットに出来るだけお菓子を詰めたましろに、林檎は更にキャンディ袋を渡した。
「いざと言う時にお菓子が足りなくならないように、これ、あげます!」
「キャラメル味だね。ありがとう。どういう状況になるかわからないから、守りきれるかわからないけど、その時はみんなでキミを守るから」
ましろはキャンディ袋を開けると、林檎の掌にキャンディをひとつ渡した。
「さあ、行こうか。みんなが待ってる」
◇◇◇
「もう、遅すぎましてよ。何組か先に譲って入ってもらいましたわ」
ましろと林檎は遅れて待ち合わせ場所に到着した。来夢たちは他の人たちに順番を譲って待っていてくれたようだ。
「遅れてすみませんっ!」
「ふーん……。ここが例の物語の領域に繋がってる場所かぁ」
不思議の国のアリスをモチーフにしたキャラクターゾーン「ワンダーアリス」。テーマパーク、フォークロア・ストリートにある7つのアトラクションの内のひとつだ。
「狭いドアですこと」
「ストーリーの雰囲気を重視してるんじゃないかな」
来夢たちが来た頃から客が入って行った狭いドアが、どうやら入り口らしい。
「学園祭とか思い出すよ。こういう小さい入り口作って、お化け屋敷開いたりさ」
「誰から入る?」
「では、私から。随分と待たせられましたし。ですが、鵜久森さん?物語退治は学園祭のお遊びではなくてよ?」
「モノの例えだって。気にしないで」
「ここだってそうでしょう。学園祭クオリティを遥かに超えた造りにーー」
狭いドアを先に潜った来夢の声が途切れる。不審に思って窮屈だが無理矢理ドアを潜った鵜久森も言葉を失い、続いて綺羅々、林檎が潜った。
「……防音設備がすごい、ってワケじゃあないよね」
みんなを先に行かせたのはマズかったかなと思ったましろがドアを潜るとーーー
「来るのが遅いですわよましろさん!」
「わぁ!?」
黒いカチューシャ、白と水色を基調にしたスカート、縞々の靴下、黒い靴。不思議の国のアリスのようなコスチュームに身を包んだ来夢が、ましろの前に現れた。
「え!?紬さんにコスチューム渡されてたの!?」
「そんなワケないでしょう!この衣装は紬の作ったものでなく、アリスの物語の侵食によるものですわ!自分の姿をご覧なさいな」
「へ?」
自分は特に変化はないーーーそう思っていたましろはやっと、自分の姿が白と黒の縞々模様の脚の猫になり、半分ほど消えていることに気付いた。チェシャ猫役に取り込まれている。
「ーーーまずいねこれは。ポケットに入れておいたマカロンやクッキーがない」
「まずいよどうしよう!時間がないのに!」
来夢の隣でうさぎの耳を生やしているスーツ姿になっていた鵜久森は、首から懐中時計をぶら下げて頭を抱えていた。
「皆さん、姿が変わっているのに私だけ……?」
唯一アリスの物語の侵食を受けていないのは、林檎とラプスだけだった。
「いやー……、チェシャ猫はラプスっていう適役が居るのに、なんでボクかなぁ。勘弁してよ……。それにしても、これどうなってるの」と、人外に変化しているわりには呑気に半分見え隠れして、浮いたり沈んだりしているましろを他所に、鵜久森は忙しない。
「早くしないと!遅刻、遅刻する!!」
「皆さん!お静かに、冷静に!」
来夢が掌を合わせて数回叩くと無数の光を発した。光を吸収した各自の挙動が収まり、まともに会話が出来るようになる。
「私は少しだけ取り込まれた物語の影響力を弱める言霊が使えますの」
「今、皆さんが役になりきったようになったのは……」
「ええ。侵食の影響が強すぎると、言動や行動までアリスの物語に支配されてしまいます。「役に取り込まれる」と完全に物語の登場人物として我を見失ってしまいますの。今回はましろさんの見立て通り、既に物語の本体が顕現していると見て間違いなさそうですわ」
「来夢さんがアリスなのは……?」
「私がアリスなのは……はて?何故なのかしら?不思議の国のアリスがイギリスの童話だから?……まぁ、物語の主人公になって悪い気分ではありませんので、別によろしくてよ」
『侵食が進んでいる……』
「何か言いましてこの小動物」
『いいや、何も。それにしても、林檎がアリスの物語の影響を受けてないのは何故だろう?』
4人の中で林檎のみが私服のままだった。
「当て嵌まる役がない、とか?」
「まさか。不思議の国のアリスと言えば、登場人物の多さですわよ」
「それよりも、綺羅々ちゃんがいないのが気になるし、とりあえず他の人が物語に取り込まれないように入り口を閉めないとーーー」
正気に戻った鵜久森が入って来たドアを探すが、ドア自体が見当たらない。
辺りを見回すと、そこは高く広い天井と広い壁に囲まれて出来た部屋だった。
「文化祭のクオリティどころじゃないなぁ。なんだかボクたちが、とても小さくなった気分になる部屋だ」
そこは不思議と感覚がクラクラする部屋のように思えた。五感が狂っていくような気分になる。
「はやくこの部屋から抜け出して、綺羅々ちゃんを探さないと」
「出口が遠退いて行く錯覚が起きてましてよ」
「あっ、大きなテーブルにケーキがあるよ」
猫になったままのましろがケーキを指差すも、来夢の手により遮られる。
「あれはおそらく、食べると体が大きくなる不思議なケーキですわ。この部屋から出れなくなる可能性が高い……ましろさん、ここで食べるお菓子はちゃんと選んで下さいまし」
「私たちはまだ小さくなってません。たぶん……。でも、体が縮んで小さくなったという感覚は感じてない筈です。確か、小さくなったアリスはケーキを食べて大きくなりますが、私たちはそこのケーキを食べなくてもいいと思います」
「……わかったよ。ボクはキャラクターくらいしかアリスのことは知らないから、ここでの判断はアリスのストーリーをある程度知っている来夢と林檎に任せるよ」
今にもテーブルを登ってケーキを食べに行きそうになっていたましろは、来夢と林檎に宥められ、少し落ち着きを取り戻した。
「さて。話が少々飛ぶようですが、ある程度ストーリーの流れに沿わなくては、物語の倒すべき敵や私たちが領域から出られる道筋が見えませんわ。というワケで白うさぎの鵜久森さん、貴方の家に行かなければならないのですが方向、わかりまして?」
「うん。あっちだよ」
部屋のドアは三つあったが、これでどのドアに入れば良いかがわかった。ましろたちは白うさぎになった鵜久森が指した一番左のドアを開け、道なりに進んだ。
『普段上から僕を見下ろしてくるましろが、まさか同じ視線になるとはね』
「一応、消えることも出来るけど、物語と戦う時には役に立たない能力だから、万が一戦闘になった時はよろしくね」
さりげなく嫌味を言うラプスを躱し、チェシャ猫になっているましろは体を透明にして見せた。
◇◇◇
「さて。ストーリー通りに鵜久森さんのーー時計ウサギの家に着きましたけど……あら?」
時計ウサギの家のドアを開けると、中では赤いフードの女の子がひとりで座り込んで泣いていた。
「……赤ずきん?」
「赤ずきんがアリスの物語の中に?」
ましろと来夢が林檎を見るが、赤ずきんに関わっている本人にすら、物語構成粒子云々の類いを感知出来ない為、最終的に2人の視線はラプスへと移る。
『ま、そういうこともあるだろう。例外中の例外だね。この子はアリスの物語の中に取り込まれた赤ずきんの物語で赤ずきん役に選ばれたーー人間だね』
「パークの来場者ってこと!?なら保護しないと」
「……待って下さい!」
薄暗い部屋の中で、林檎は目を見開いた。部屋の隅に置かれたベッドに、年老いた女性が横たわっている。
「おばあちゃん……。亡くなっているのに、どうして……」
今にも老婆に駆け寄りそうな林檎の手をましろが引き留める。
「気を付けて。それは赤ずきんの物語が見せてる幻覚だ。物語の中に取り込むのに失敗した、君の興味を惹く為に」
「……マズいかもしれませんわ」
「え?」
来夢の予感が的中し、突然時計ウサギの家のドアを蹴り上げ、銃を持った男性が老婆のいるベッドに銃口を向けた。
「止めて!!」
林檎が横から男性に飛びかかり、銃口を逸らす。状況を把握した鵜久森が林檎に代わり男性を抑え込んだ。
「ッ離せ!そいつは狼だ!!」
『なるほど。ましろが狼の因子を事前に退治したから、猟師が狼でなく、おばあさんを殺す流れになっていると』
「ふぅん。始めからこうなるのを予測して、ボクにあの狼を退治させたのかい?」
『まさか。今起きていることは偶然だよ、偶然』
引き金に指掛け、猟師がラプスに向けて発砲する。鵜久森が銃ごと蹴り飛ばした。
「狼っ!狼はどこだっ!?」
「狼はいないよ。ボクが倒したから」
「そんな筈はない!狼はそこにいる!ベッドの上だ!!」
「赤ずきんの物語は猟師が狼を倒しておばあさんや赤ずきんを助けるストーリー……。狼だけが欠けてしまっては、猟師の役割は……ストーリーのバランスが崩壊してしまいますわ」
「どうすれば赤ずきんの物語を終わらせることができるの!?」
林檎が来夢に迫った。
「そ、それは……」
来夢はおばあさんを見遣る。
「あのおばあさんの、幻影を消せば、おそらくは。赤ずきんがこの小屋から出られれば……林檎さん!」
林檎が部屋の端に転がされた銃を拾い上げ、来夢が慌てた声を出す。
「……本当に、自分でやるのかい?幻影でも、辛いと思うよ」
猟師を抑えながら、鵜久森が真剣な表情で林檎に尋ねた。
「……猫の姿でなければ、ボクが代わりにできたのに」
「ーーーいえ。いいんです。私が辛さや悲しみを我慢すれば良いから。でないと、みんなが物語の中に閉じ込められて、出れないままだし」
林檎は2人の優しさに首を振って、銃口を祖母の幻影に向ける。
「ーーーちゃんと遺産を管理できなくてごめんね。さようなら、おばあちゃん」
時計ウサギの家から、銃声が聞こえた。
「ーーー君、大丈夫?怪我はない?」
林檎がベッドの上のおばあさんの幻影を撃ち抜いた後、遂に役割を失った猟師が跡形も無く消える。猟師を抑え込んでいた鵜久森は、部屋の中央で泣いていた女の子に駆け寄った。
「怖かったね。大丈夫。あれは……本物の人じゃないから。はやく、忘れよう?」
「この子のさっきの記憶はどうにかできませんの?」
来夢がラプスに問いかける。
『アリスの物語ごと、粒子を回収すれば記憶から忘れ去ることができるよ。今回は別の物語の中での領域展開だから、その別の物語ーーアリスの物語を回収しないとどうにもならない』
「そう……」
ましろはどこか冷めた表情でラプスを見るが、ラプスは表情を崩さない。いつも通りの無害な小動物を装っている。
「最初から、林檎の言霊覚醒が目的で、ボクらを誘導していたのかな?」
『さぁね?それを今更聞いて何になるんだい?もう片付いた話だろう?』
「私の言霊覚醒……?っ!?」
林檎が抱いていた銃が眩く光始め、一枚のカードの形を作った。
「それが、林檎さんのソネットカード。言霊発動時に使うものですわ。私たちもそれぞれ別のカードを所持していますの」
来夢は林檎に箒が描かれたソネットカードを見せた。林檎のソネットカードには先程の銃が描かれている。
『林檎は能力が覚醒したばかりだからね。戦力に組んだ立ち回りはしないほうが賢明かと思うよ』
「言われなくても、そのつもりだよ」
ましろはラプスの助言にそっけない言葉で返す。
「さぁ。先を急ごう。まだアリスの物語の中にいることを忘れちゃダメだよ」
ラプスが平坦な声を出し、沈黙が続く皆を促した。




