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第85話 古き悪魔は退場する

淡く輝く間接照明が、最高品質の調度品を照らす。


選ばれた者しか入室が許可されないダンジョン管理局局長の執務室。


その部屋の重厚で豪奢な扉がノックされる。


「入れ!」


低く重苦しい音を立ててその扉が開かれ、官吏服の男が入ってくる。


一礼するその男に、


「おお、ネロか。ご苦労だったな」


と、執務机につく部屋の主が声をかける。


「やるべきことを成したまでのことです」


あくまでネロは、仕事をこなしたという態度で感情の抑揚を感じさせない。


「そうか。あの低級淫魔は今どうしている?」


「今は魔王様の御前裁判に向けて、司法局にて最終尋問中です」


それを聞いてキマリスは上級悪魔らしく邪悪な笑顔を見せる。


「やはり、あのような下等な淫魔風情は魔王軍幹部には相応しくなかったということだ。これからは伝統を重んじ、古き良き時代を復興せねばならない」


その発言に対しネロはただ口を閉ざし、一礼するだけだった。


「ちょうど良い。ネロ、お前もトータスダンジョンのスタンピードを見ていくとよい」


キマリスはそう言うと、ソファーまで歩きどっかと掛け、ローテーブル上にあるベルを二回鳴らした。


すると、音もなく黒い影がキマリスの後ろに現れ、人の形を取りひざまずいた。


「マルバス、映像を見せよ」


キマリスが指示を出すと、


「かしこまりました」


とマルバスは目の前に大きな影を作り、魔物たちの群れの映像を映し出した。


この映像を見て、キマリスは大いに満足そうに笑みを浮かべたが、ネロの表情は感情の無いままだった。


「驚いたか? これはマルバスが使役する魔物の視界を、この場に投影しておるのだ。そして――」


キマリスはローテーブルの上に置かれた魔術紋が刻まれた魔石を起動し、


「ワイバーン隊出陣せよ」


と、魔石に向かって命じた。


命令が発せられると、映像が切り替わり、ワイバーンに騎乗しているゴブリンジェネラルの肩の上からの映像が映し出され、次々とゴブリンジェネラルが騎乗したワイバーンたちが飛び立った。


「見たか! これが新しい戦いの方法だ。私のような高貴な者が戦場の埃にまみれるのは相応しくない。このように下々が働くのを優雅に眺め、卓越した指揮を繰り出すことで、魔王軍を勝利に導くのだ!」


キマリスは上々の気分で、指を鳴らす。


すると、ローテーブルの上に酒のボトルとグラスが出現する。


マルバスは慣れた手つきでボトルの栓を抜き、グラスに注いだ。


キマリスはワインを片手に進軍の指揮をするつもりだ。


映像は空を高速で移動するワイバーンたちを映し出している。


「この酒はネロが献上したものであったな。気に入って飲んでおるぞ」


とキマリスが述べると、


「はい、お気に召していただいているようで何よりでございます。母の実家から仕入れております」


ネロは無感情に答える。


「おお、ハデスフレイム侯爵夫人の実家からか! 後日、礼状をしたためることにしよう」


ネロは黙って一礼した。


その時、


「キマリス様、地上に馬車が見えます」


とマルバスが報告する。


映像には四台の馬車が映し出されており、数十人の武装する者たちが乗っていた。


「いかがなさいますか?」


マルバスが尋ねるが、


「ふん、あんな寡兵放置しても構わん。それに、今回はネロがもたらしてくれた地下通路の情報で、前衛の軍団は地下を通って進軍している。奴らが気づいたころには軍団はマナエルの城壁付近まで到着しておるわ」


キマリスはそう自信満々に語り、グラスの酒をあおった。


「キマリス様、今回、ワイバーンはどのように調達されたのですか?」


ネロが質問する。


「秘匿事項だがネロには教えてやろう。トータスダンジョンコアにワイバーンの子供を食わせたのよ」


キマリスは笑みを浮かべながら答えた。


「それは、ワイバーン族の子供をダンジョンコアに取り込み、ダンジョンにワイバーンが発生するようにしたということでしょうか?」


「その通りだ。元々ダンジョンコアには生命の情報は入っておらんからな。ダンジョンコアにそれを覚えさせるため、ダンジョンコアに生きた個体を食わせるのよ。まあ、ダンジョンコアに覚えさせるのに数千個体が必要だがな」


「では、数多くのダンジョンにもこれまで……」


「当然だ。それがダンジョンの仕組みを支えておる。そして、新たな個体がダンジョンから発生し、魔王軍を支える忠実な兵たちを生み出すのだ」


「………分かりました」


そう答えるネロの左耳には緑色の輝く魔石がはめられていた。


映像は高速で移動するワイバーンたちを引き続き映し出す。


そして、遠方にマナエルの城壁が見えてきた。


「いよいよだぞ! 今回はゴブリンに城壁を登らせるなんて手間のかかる手法は取らん。ワイバーンたちにより城壁を突破し、ゴブリンジェネラルたちに街の主要区画を襲わせ、敵の指揮系統を破壊し、城門を内側から解放させ軍団を突入させる!」


キマリスは興奮し、立ち上がる。


「見ていろ、今から私が華麗な指揮でマナエルを簡単に落としてみせてやろう」


遠方に見えていたマナエルの城壁がどんどん迫り、街の建物が見えてきた。


「ワイバーン隊、北に回り込みあの大きな塔のある建物を完全破壊せよ! おそらくあれは、人間どもの礼拝施設だ! まずは奴らの信仰の源を破壊し、奴らの心を折ってやるのだ!」


キマリスは魔石を手に持ち、大声で指示を出す。


ワイバーン隊は旋回し、北に回り込み、北の城門近くにある大聖堂と思われる建物を取り囲んだ。


「ワイバーン隊、ブレス一斉射!」


キマリスが叫ぶと、ワイバーンたちが一斉にブレスを吐いた。


ブレスは大聖堂に次々と着弾し、建物を破壊していく。


「もっとだ! もっとブレスを打ち込み完全な瓦礫の山としてやれ!」


キマリスは邪悪な笑みを浮かべ、映像に見入っているが、ネロはそんな興奮するキマリスを冷たい目で見ていた。


「ハハハハハ! 見たか、この圧倒的な力を! 愚かで下等な人間どもよ震え上がれ! 今回は十年前のようにお前たちを逃がしはしない。住民全てを皆殺しにしてやるぞ!」


興奮のあまり、キマリスは酒をボトルのまま飲み、口からこぼれた酒を袖口でぬぐう。


映像には完全に瓦礫の山と化した建物が映っている。


「よし、このままこの勢いで、政庁を落としてやろう。ワイバーン隊、街の中央の政庁へ向かい、建物を破壊し、ゴブリンジェネラルどもを突入させろ! 領主の首を取って私に見せるのだ!」


その指示を聞いたワイバーン隊は進路を街の中央に取り、少し進んだ瞬間、


「な!? 何だ?」


ワイバーン隊は次々と地上に墜落し始めた。


映像も近づく地面が映し出された所で消えてしまった。


「何が起こったのだ!!」


キマリスは大声で叫び、マルバスを睨んだ。


マルバスは、


「ワイバーンが落とされたようです。私の使い魔とのつながりも途絶えました」


と、冷静に答えた。


「そんなことは分かっている! 私は何が起こったのかを聞いているのだ!」


マルバスはそれに答えず、


「緊急事態です。前衛軍が攻撃を受けております。地下通路に煙が充満しております」


と冷静に報告した。


「何だと!?」


映像は切り替わり、地下通路の映像が映し出される。


そこには煙に苦しみつつ後退しようとするが、後続の軍団によって押されて望まぬ方向に進んでいくゴブリンたちの姿があった。


しかし、次第にゴブリンたちは互いの体により圧迫され、苦しみの表情を浮かべたかと思ったら、力なくうなだれていく様子が映し出されていく。


「な!」


キマリスは口を開いたまま固まった。


目は血走り、まばたきを忘れて映像を凝視していたが、


「なんとかしろ!!」


突然、大声で叫んだ。


しかし、マルバスは冷静に、


「外の映像を映します」


と答えた。


その映像は、鳥の魔物から見た、空から映し出された映像だった。


そこには、煙を上げる穴の周りを囲み、穴から登ろうとする魔物たちを攻撃する者たちと、散開して顔を出したイビルモールを吹き矢で攻撃する者たちが映し出された。


「あれは先ほど馬車に乗っていた者たちですね」


ネロは冷静な判断を述べた。


「何故だ! 何故、軍団が地下通路を進んでいることがバレたのだ!?」


キマリスは激昂した。


しかしマルバスはそれには答えず、


「いかがなさいますか?」


と質問した。


キマリスは怒りに満ちた表情のまま一瞬目を閉じ、ギリッと歯を噛み鳴らし、


「……残りのワイバーンを出せ! ワイバーンに陸亀を抱えさせ、奴らの懐に直接送り込んで一掃しろ!」


と命じた。


しかし、マルバスは、


「あれはキマリス様がマナエルへ参られる際に騎乗するようにと残されておられた一匹ですがよろしいのですか?」


と冷静に返答した。


それに対して、


「つべこべ言わず急行させろ!!」


と、キマリスは怒鳴りつけた。


マルバスはその指示を淡々と現場に伝えた。


映像は再びワイバーンからの視点に切り替わった。


ネズミのような小さな魔物からの視点のようでワイバーンの背中が大きく映った。


ワイバーンは高速で飛行し、進行中の陸亀の軍団に接近し、足で一匹の中型種の陸亀をすれ違いざまに抱えて、再び高度を上げた。


人間たちへの距離は一気に詰まったが、陸亀投入のため高度を落としたところで、人間たちからの連続の吹き矢攻撃を受けた。


矢じりの多くは逸れたが、当たった矢じりもワイバーンの硬い表皮で弾かれ、うまくいくと思われたその時、ワイバーンは突然苦しみながら身を捩り、あっという間に墜落してしまった。


「な!? 何故ワイバーンが落ちるのだ!!」


キマリスは叫ぶが、マルバスとネロは無表情で黙って映像を見ていた。


映像を映している小さな魔物は無事のようだったが、墜落したワイバーンは苦しみ悶えているのが見えた。


程なく、一人の男が輝く剣を持って近づき、ワイバーンの頭部にその輝く剣を突き立て、ワイバーンに止めを刺してしまった。


「あ、あの剣は何だ!!」


その問いにも答えず、二人はただ映像を見つめている。


映像の視点は移り、次にワイバーンと共に落下した陸亀を映し出した。


そこには四人の剣士が輝く剣を持ち、陸亀を囲み、陸亀の足に剣を突き刺す映像が映し出された。


もはや、キマリスはひと言も発せず、口を開けたまま映像を凝視していた。


陸亀は怒りの咆哮とともに、ブレスを口に収束させ、右足側の人間に吐き出そうとしたが、横合いから女がファイヤーボールを陸亀の顔面に当てた。


しかし、陸亀にダメージはなく、ブレスの方向を女に定めた。


「そこだ! やってしまえぇぇ!!」


キマリスが叫ぶと、


右足を刺した男が叫びながら、輝く剣で陸亀の頭部を斬りつけた。


剣は弾かれたが、ブレスの方向は逸れ、ブレスは女の横合いを通過して行った。


その後、男はポーチから何かを取り出し、口でピンを抜き、口で何か操作をして、その何かを陸亀の口に放り込んだ。


陸亀は驚き口を閉じたその瞬間、穴という穴から血を流し絶命してしまった。


「おのれ、人間どもめ!!」


キマリスは怒りのあまりボトルを壁に投げつけた。


ガラスは弾け飛び、赤い酒は壁を濡らした。


「ダンジョンボスは今どこだ!!?」


キマリスがマルバスを睨みつけ質問した。


「まだ、人間どもから遠く離れております」


マルバスは冷静に答えた。


「ブレスで攻撃せよ!!」


キマリスはもはや冷静さを保てない様子で理不尽な命令を下した。


「距離がありすぎて効果が望めません」


マルバスは冷淡な口調で答えた。


「いいから、ブレスを撃て!!」


キマリスはマルバスに殴りかかった。


マルバスは左頬を殴られ、数メルト飛ばされた。


マルバスは倒れ、数秒動かなかったが、静かに立ち上がり、


「了解いたしました」


と何ごともなかったように答え、使い魔に指示を与えた。


映像には、遠くにいるトータスダンジョンのダンジョンボスがブレスを吐く姿が捉えられた。


ブレスの発射から数秒後、拡散され攻撃力を失ったブレスの余波が使い魔に到着し、使い魔が風に飛ばされた。


飛ばされた使い魔は弱っているようで、動きが鈍くなっていたが、最後の力で人間たちの様子を見た。


予想通り、人間たちには何の効果も与えられなかったようで、次々とその場を離脱して行った。


残っていた人間たちも、煙を上げる穴に樽を投げ入れ、火を点けてから、走る者、馬車に乗る者全てが、無傷で離脱して行った。


そして、使い魔はそこで力尽き、映像は途絶えてしまった。


執務室は一瞬静寂に包まれた。


しかし次の瞬間、キマリスは獣のような咆哮を上げ、ローテーブルを殴り割ってしまった。


ローテーブルの割れた破片が部屋中に飛び散り、壁に当たってパラパラと床に落ちる音がする。


その場はしばらく沈黙に閉ざされた。


しかし、その沈黙を破る者がキマリスに近づいた。


ネロが冷徹な表情でキマリスに、


「キマリス様、お別れの時が来ました」


と告げた。


キマリスはネロを睨み、


「お前は何を言ってるんだ!」


と、叫んだ。


しかし、ネロは意に介さず、


「キマリス様、我々はあなたを逮捕します」


と告げ、キマリスの腹に短剣を刺し入れた。


「な!? お、お前は……何者だ?」


キマリスはそれまでの表情とは一転、青ざめた表情に変わり、全身が硬直したように固まってしまった。


ネロは質問には答えず、


「上級悪魔であるあなたを弱体化させるのには苦労しました」


と言った。


「マ、マルバス、ネロを殺せ!」


キマリスがそう命じたが、マルバスはキマリスに近づき、


「お疲れ様でした」


と、一言述べて、ネロと同じ短剣をキマリスの腹に刺した。


キマリスは、


「マルバス、おまえもか………」


と力なく言葉を発し、気を失った。


ネロは踵を返し、執務室のドアを開け放った。


そこには黒服を着た者たちが並んでいた。


ネロは、


「運び出せ!」


と短く命じた。


黒服の男たちは返事をすることもなく、入室し、慣れた様子でキマリスの執務室中の調度品の数々を運び出し、執務室内の全ての書類を押収した。


その後、医療局の者たちが入って来て、キマリスを担架に乗せ、連れ出した。


ネロとマルバスは最後までその様子を監視していた。


全ての者が退出した後、マルバスが静かに口を開き、


「終わりましたね王子」


と告げた。


ネロはしばらく沈黙した後、


「まだ、終わってはいないさ。それに、王子と呼ぶのは止してくれ」


と言った。


そして、


「これで良かったのでしょうか? 母上」


と静かに、もうこの世にいない誰かに語りかけるように呟いた。



この日、魔王国に長く続いた古き悪魔の権勢は終わった。


その悪魔の退場と共に。



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