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第73話 公爵は亡き妻の姿を娘に見る

執務室の机上の明かりが書類の束を照らす。


明日の出陣式までには残務を終わらせたいと思いつつも、疲労がペンの動きを鈍らせている。


逃げ出して、好きな研究に打ち込みたい。


そんな欲求を抑えつつ、私はペンを動かす。


私の無茶な命令で懸命に仕事をこなす部下たち、冒険者たち――その顔を思い浮かべ、自分を奮い立たせた。


ペンを置き、大きく伸びをして、硬くなった身体を軽くほぐし、壁にかけられた妻の肖像画を見つめる。


「シルファ、君が生きていてくれたらと思わない日はないよ。君が愛したマナエルは今、多くの人々が生きる希望を取り戻しつつあるよ。だから、明日の戦いは絶対に勝たなければならない。キャサリンも明日は出陣する。どうか、見守っていてくれ」


肖像画の表情は変わるはずはないのだが、心なしかいつもより笑顔が輝いて見える。


妻に微笑みかけ、仕事に戻ろうとした時、執務室のドアがノックされた。


「どうぞ」


「失礼いたします」


ウォルターが入ってきて、一礼し、


「旦那様、王都より荷が到着いたしました」


と、告げた。


ウォルターの手には小型の亜空間バッグがあった。


「そうか、間に合って良かった」


エド兄さん、ユリア義姉さんと法力通信で通話した時に依頼していた荷が届いた。


「それと、キャサリンお嬢様がすぐにお目にかかりたいとおっしゃってます」


「分かった。ちょうどいい、連れてきてくれ」


「かしこまりました」


ウォルターが出て行った後、程なくノックが聞こえた。


「どうぞ」


「失礼いたしますわ、お父様」


「おかえりキャサリン。何か良いことがあった顔だね」


「はい、朗報です」


「座りなさい。その朗報を聞こう」


キャサリンがソファーに腰掛けると、タイミング良くドアがノックされる。


「どうぞ」


「失礼いたします」


ウォルターがティーセットを運んできて、手早くハーブティーを淹れる。


お茶の準備が整うと、ウォルターは一礼して退室した。


一口、お茶を飲んで、


「それで、何があったんだい?」


と、キャサリンに尋ねた。


「庶民派の聖治癒師の方々、十二名が明日の戦いに同行することとなりましたわ」


「そ、それは本当かい!?」


思わず手に持ったカップからお茶がこぼれそうになった。


庶民派の聖治癒師たちとは最高位の法力紋による約定を結び、ロキ神父に無手で勝利しなければ、聖治癒師の協力が得られないこととなっていた。


しかし、噂に聞く無手の達人に勝てる者など私にはキャサリンくらいしか心あたりが無く、彼女に全てを任せつつも、半分諦めていた。


だが、


「本当ですわ。お父様」


彼女は笑顔で返答した。


「キャサリン、君が彼に勝利したのかい?」


「いいえ、私もミオも挑みましたが、見事に返り討ちにされましたわ。そこで、シドにお願いしたのです」


「それじゃあ……」


「はい、シドが勝ちましたわ!」


「そうか。彼にはまた大きな借りができてしまったね」


編成会議では聖治癒師は間に合ってるとナイジェル司教に強がって見せたが、実のところアマンダ氏だけでは不十分で、編成会議後にイストワール大隊長にはひどく嫌味を言われてしまった。


正直、聖治癒師の問題がこんな形で解決するとは思ってなかったため嬉しい誤算だ。


「ですが、ロキ神父は条件を出されましたわ」


「条件?」


「庶民派の十二人の聖治癒師はシドの指揮下に入ることを条件とされましたわ」


「やはりそうなったか⋯⋯」


実は、司教の逃亡後、庶民派の聖治癒師たちは正統神聖教会から見放された状態にあった。


この状態には二つの問題があった。


一つ目は資金の問題であった。


庶民派は元々冷遇されていたのだが、今はこのマナエルを管轄する司教自体がおらず、元々少なかった礼拝堂と孤児院の運営資金も全て途絶えてしまった。


心情的には領の予算から彼らに運営資金を出したい所だったが、行政的に正当な理由もなくそれをすることはできなかった。


そこで、私は司教の犯罪の証人であるザイン氏の保護をロキ神父に依頼し、その対価に当面の運営資金に十分な額を彼らに与えた。


また、聖樹工房からの賃金も入り、資金面は当面心配が無くなった。


しかし、もう一つの問題は、領軍や冒険者ギルドへの随伴時の指揮権であった。


彼らの所属は今でも正統神聖教会にあるのだが、管轄権を持つ司教のいない状態で彼らが勝手に領主や冒険者ギルドの指揮下に入ることは、後に越権行為と見なされ、彼らが断罪される理由を正統神聖教会の教皇庁に与えてしまうこととなる。


ただでさえ冷遇されている庶民派にこれ以上の否定的要因が加えられるのは望ましくなかった。


しかし、この問題もシド君が彼らを率いることでクリアされた。


それは、貧民街の一信徒であるシド君からの個人的依頼で彼らが同行することは、通常の教会活動の一環とみなされるからだ。


すなわち、彼らはシド君の依頼で『たまたま』戦場に赴くわけだ。


シド君は、我らにとっても彼らにとっても良い落としどころを提供してくれた恩人なのだ。


「まったく、最近の我が領はシド君なしには回らなくなってきたようだ」


「完全に同意いたしますわ」


「シド君は明日の戦いに参加するのかい?」


「戦うのではなくフォートラン商会の整備士として冒険者ギルドに随伴するとのことですわ」


「なるほど。それはそれで頼もしい」


「あと、礼拝堂にて保護されていたザインさんと護衛のジンさんもシドに従うそうですわ」


「え!? ……ああ、そうか、護衛の聖治癒師たちが全員出払ってしまうから、一緒に行くと言ったのか……」


「はい、彼はシドに大恩を感じているようでしたから、それもあってのことだと思いますわ」


「ジン君はエルノート殿の部下だったな」


「暗殺者ですわ」


「良い斥候として働いてくれそうだな」


「そうですわね」


しかし、全て良いように思えるこの状況で、唯一問題となることが残っていた。


「後の問題は、領軍の剣士隊だな……」


「何か問題でもありましたか?」


輜重隊、整備士らからなる後方支援隊に随伴する剣士隊の隊長とその部下たちは、伝統貴族派が多い。


それもあって、今回は実戦部隊から外して後方支援隊の護衛に付けたのだ。


「剣士隊隊長がトラブルを起こす可能性がある」


「剣士隊隊長⋯⋯⋯ああ、あの分不相応に私に粘着して求婚してくる、領地経営権もない侯爵家五男のボンボンですか? 思い出したくない人物を思い出してしまいましたわ」


「ああ、そのボンボン、ジャスティン・エビルスだ。今回は冒険者ギルドに随伴する後方支援隊の護衛に付くことになったんだ」


「げっ!ですわ。そんなのが一緒だとシドと仲良くできませんわ」


「そうだな。まだシド君を伝統貴族派の目にさらすわけにはいかない」


「私の婚約者候補となるまではということですわね」


「そうだ。だから、今日これが届けられた」


私は先ほど届いた亜空間バッグをキャサリンに見せた。


「ひょっとして⋯⋯」


「そうだ」


私は亜空間バッグから一枚の紙を取り出した。


「エド兄さんのサインと国璽が押された紙だ」


私が取り出したのは、エドマリス・ヴァル・シルバニア国王のサインと国璽が押された白紙だった。


サインと国璽が押されているが内容が書かれていないということは「こちらで好きな内容を書け」ということだ。


「キャサリン、これはシルバニア王国はシド君を得るためなら、何でもするというエド兄さんの意思表示だよ」


「分かっておりますわ。お父様」


キャサリンの顔が決意に満ちた顔となる。


「キャサリン、君の気持ちはシド君に伝えたのかい?」


「伝えましたわ。でも、返事は今はしないで欲しいと言いましたわ」


「そうか。いい判断だったね。では、この書類には何と書こうか」


「私に考えがありますわ」


キャサリンはその考えを私に説明した。


「それで良いのかい? ひょっとするとシド君は封を開けて中を見ないかもしれないよ」


「お父様、ある意味私はジャスティン・エビルスという男を信頼してますわ」


「それは、どういった意味で?」


「はい、彼は必ず問題を起こして、シドを困らせますわ。私は『ジャスティン・エビルスは必ず問題を起こす』というただ一点において、彼を信頼しておりますわ」


「それは、何というかすごい信頼だね⋯⋯⋯」


「ですから、ほぼ確実にシドは封を切って内容を見ますわ」


「そうか⋯⋯キャサリンがそういうならその通りで行こう」


「ありがとうございますわ。それと、その亜空間バッグですが⋯⋯」


「ああ、エド兄さんからの別紙の手紙によると、この亜空間バッグはシド君に使ってもらうようにとのことだったよ」


「さすがですわね。エド伯父様は」


「じゃあ、明日の出陣式の前にでも、亜空間バッグの利用者登録をシド君にしてもらって、明日持って行ってもらおう」


「分かりましたわ」


「キャサリン、君はずいぶんとしたたかになったね」


「王立高等学院を三年も飛び級して、成人式をこの街で迎え、冒険者ギルドを内部から変革して、全人類のために、このマナエルのために魔王を倒すと決めて帰ってきたのですわ。私はそのためなら何でもしますわ」


「そうか。そうだったね」


私は妻の肖像画を見つめた。


(シルファ、やっぱりキャサリンは君の子だね。目標に向かってただひたすら前進するキャサリンを見ていると、まるで君がここにいるようだよ)


私は娘の成長を喜ぶと共に、亡き妻の姿を娘に見るのだった。



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