第60話 元副支部長は取り引きを提案される
時は少し遡る。
シドの工房設立の翌朝、工房内の宿舎で一人の男が目を覚ました。
「ここは⋯⋯どこだ?」
目が覚めたら私は知らない部屋で寝かされていた。
だが、いつもよりも何か清々しく、気持ちのよい目覚めだった。
こんな気持ちの良い朝は経験したことがない。
私の朝はいつも憤りと、不安と、謀略の暗雲に満ちていた。
だが、今日はそのような暗雲は消え去り、眩しい光に包まれ、解放感が心を満たしている。
(昨日は一体、何があったのだろうか?)
そう思っていると、部屋のドアがノックされた。
「どうぞ」
私が返事をすると、一人の男が入ってきた。
その男は驚くことにエルフだった。
「おはようございます。ご気分はいかがですか?」
「はい、とても清々しい気分です。ところで、あなたは⋯⋯」
「申し遅れました。私の名はエルノートと申します」
「私はサイロスと申します。ここは一体⋯⋯」
私がここがどこか聞こうとしたところ、エルノートと名乗ったエルフの男は湯気の立ったパン粥と果物をトレーに乗せて手渡してきた。
「まずは朝食になさってください」
「は、はあ⋯⋯」
思い返すと私はここ最近、朝食を取らない生活をしていた。
朝は食欲もなく、食べる気分にはなれなかったからだ。
しかし、今日は違う。
内側から食欲が沸き起こり、自然と腹が鳴った。
「いただきます」
このように言うのも久しぶりだ。
「はい、召し上がってください」
一口パン粥をすくって口に入れた途端、口の中に甘みとコクと温かさが広がり、なんとも言えない幸福感で満たされた。
私は次々とパン粥を口に運んだ。
私はまた、丁寧に皮がむかれた果実をフォークで刺して口に入れた。
この果実も実にみずみずしく、心地よい酸味と甘味が口に広がり、口の中をリフレッシュしてくれた。
私はパン粥と果実を交互に口に運び、その幸福を何度も味わった。
皿はあっという間に空になった。
「ご堪能いただけましたか?」
「はい、ごちそうさまでした。こんな美味しい食事を取ったのは久しぶりです」
「良かった」
そう言って、彼はお茶をそっと差し出してくれた。
そのお茶を飲むと気分がさらに晴れやかになった。
「落ち着かれたようですね」
「はい」
「では、お話をいたしましょう。私はこう言う者です」
そう言って彼は右手にはまった指輪を見せた。
指輪はまたたく間に光り始め、空中に紋章が浮かび上がった。
私はそれを見て驚愕した。
「そ、その紋章は冒険者ギルド特別監察機関の紋章!」
冒険者ギルド特別監察機関は冒険者ギルド内の不正を取り締まる機関で、冒険者ギルド中央執行部および各国の首脳たちの権力からも独立した捜査権を持つ組織だ。
「改めて、私は主任監察官のエルノートと申します」
主任監察官はどんな国においても捜査権を阻害されないアンタッチャブルな存在だ。
彼の名乗りとともに、私は思い出した。
そう、私は暴露草のエキスの不法所持によって昨日拘束されたのだ。
「私は拘置施設に運ばれたのですか?」
「いえ、ここは拘置施設ではありません。お話の後、ご案内しましょう」
「案内?」
「ご安心ください。あなたが協力して下さったら、悪いようにはいたしません」
(どういうことだ⋯⋯私は裁かれるのではないのか?)
「何がお望みなんですか?」
「あなたはとても慎重で、周到な方ですね。あなたのオフィスを調べさせていただきました。あなたは権力を利用してあらゆることを成されたようですが、数字上はどこにも不正が無い」
(そうだ。私は権力を利用したが、帳簿上では一切の不正をしていない。私の職業は上級会計士。数字では誰にも負けない!)
「ギルド本部から研修で赴任した過去の副支部長たちは、バルター商会から金銭的キックバックを受けていたようですが、あなたの場合、バルター商会からあなたを通して貴族への美術品の提供と言う形で処理がなされていた。あなたは美術品の保管と管理費を合法的に受け取っていただけだった」
(そうだ。過去の副支部長たちは不正を働いて、バルター商会からキックバックを受け取っていた。しかし私は完全に合法的手段で金銭を得ていた)
「むしろあなたは、過去の副支部長たちの不正を利用し、彼らに対するアドバンテージを得た」
(その通りだ。私は彼らの不正行為を収集し、政治上の駆け引きに利用してのし上がって来たのだ……)
「今、あなたが取り入っている役員についてもほぼ数字上の弱点を把握し、もう少しで掌中に収められる所だったのではないですか?」
(あの伯爵家の三男坊も、下手に出て懐に入り込み、あらゆる不正行為を収集してやった。あと少しで利用できる所まで来ていたというのに……)
「あなたはご自身の出自に劣等感を覚えておられた。シルバニア王国、特に伝統貴族派においては戦闘職において序列がある。剣士、槍士は騎士となることで司令官クラスに出世できるが、弓士は騎士になれず、下級士官止まりになる」
(そう、私の家は男爵家だが弓士の家系で、父や兄たちは騎士団付きの弓分隊の分隊長。万年安月給で騎士たちに顎で使われる家系だ。だが、愚かな父や兄たちはそれにしがみつくことを誇りとしている……)
「あなたの家系はそんな弓士の家系なのに、何故かあなたは上級会計士になった」
(そうだ。私は何故か上級会計士になった。なってしまったのだ。しかし⋯⋯)
「本来なら、家族に上級職が与えられれば喜ぶはずが、あなたの家族は違った」
(ああ、私の家族は私を⋯⋯)
「あなたの父と兄たちはあなたの母君が不倫をしてあなたを産んだのではないかと疑った。しかし、あなたの母君は伯爵家出身。たとえそれが事実だとしても母君を離縁できない」
(私は不貞の子ではないかと疑われ続けて育ったのだ⋯⋯)
「お辛かったですね⋯⋯。私の能力によると、あなたは正真正銘あなたの父君の子ですよ」
「それは本当ですか!?」
私はその一言に驚いた。
「はい、あなたの母君の家系は内政職を多く輩出する家系です。おそらく、あなたはその家系の影響が強く出たのでしょう。まあ、この話も私を信用してくださればの話ですが」
「一体あなたはどんな能力を持っておられるのですか?⋯⋯⋯いや、結構です。あなたの話が真実だとしても、もう今の私には関係の無いことですので……」
「そうですね。今、あなたはあなたの家族から自由になった。あなたは犯罪者になったことで、家族から自由になったのです」
「ははは、皮肉ですね。あんなに出世して父や兄たちを見返してやろうと思っていたのに⋯⋯、もうその必要はなくなったんですね」
「実は自由になったあなたにお願いがあります」
「何でしょうか?」
「あなたの持っている、冒険者ギルド役員たちの不正行為の情報を私に提供してください」
「⋯⋯そんなことをしなくても、あなたならば私の持ち物の中から全て同じ情報を集められるのではないですか?」
「そうですね。それはたぶん可能でしょう。ですが、私が欲しいのはあなたの情報でなく、あなた自身です」
「私を?」
「私は冒険者ギルド特別監察機関の主任監察官ですが、元エルフ聖樹国十二長老第五席、そして今はこのマナエルにおける第一世代聖樹の守り人を拝命しております」
「エルフ聖樹国の十二長老といえば国の中枢におられる方ではないですか!? なぜ、マナエルなんかに?」
「不思議な導きですね。今、この街には聖樹の第一世代がお生まれになり、成長しておられます。窓の外をご覧ください」
私は窓の外を見た。
そこには風にそよぐ竹林があり、またその真ん中に立つ一本の輝く木が見えた。
「あれは⋯⋯」
「あれが第一世代の聖樹であらせられます」
「なぜ聖樹がこんな魔境に!?」
「私も驚きました。でも、その説明はまたの機会に」
「それでここは……」
「ここは聖樹の聖域内にある『聖樹工房』」
「聖樹工房?」
「はい、あの第一世代聖樹の主様が経営されている工房です」
「そ、そんなお方が工房を⋯⋯」
「はい、それはそれは素晴らしい技術をお持ちのお方です」
「それで、この私に何を⋯⋯」
「あなたにはこの『聖樹工房』の会計士になっていただきたいのです」
「犯罪者の私にですか!?」
「あなたは数字上では一切不正はありません。あなたの罪状は違法薬物である暴露草のエキスの不法所持です。この罪はあなたが持っている情報ほどの重い罪ではありません」
「司法取引ですか?」
「はい、この取引に応じてくだされば、私が冒険者ギルド特別監察機関へ働きかけ、あなたを保護観察処分にすることができます。あなたは私の下でしばらく保護観察下におかれますが、それが過ぎれば自由の身となります」
「私がここから逃げるなんてことは考えないんですか?」
「あなたは計算のできる人だ。この工房がどんな所なのか知れば、あなたは逃げたりはしないと、私は思います」
私は初めて、エルノート氏の目を真正面から見た。
「⋯⋯⋯返事は工房を見てからで良いでしょうか?」
「そうおっしゃると思いました。ああ、そうそう、あなたに情報を渡していたビバルさんですが、彼はこの工房で働くそうですよ」
「それは!?」
「分かってます。彼はナイジェル・ノアール司教の闇奴隷でした」
「バルターも⋯⋯」
「はい、バルター商会長も彼の闇奴隷でした」
「しかし、どうやって⋯⋯」
「司教は、暴露草のエキス同様、エルフ聖樹国から不正に持ち出された宿木の種を用いて闇奴隷を生み出しています。宿木の種のことは知らなくても、闇奴隷についてはあなたは知っていましたね」
「⋯⋯はい」
「しかしあなたは、その情報を利用しようとしていただけで、積極的に関わらなかった」
「⋯⋯バルターは見殺しにしました」
「それもあなたが命じたのではありません」
「それでビバルは?」
「聖樹のお力で解放されました」
「そんなことが!」
「はい、いずれ司教に奴隷にされた方々もみな解放されることでしょう」
「そうですか……」
「では、そろそろ工房をご案内いたしましょう」
私はエルノート氏に連れられて、部屋の外へと足を踏み出した。




