08話 ルクスブルー(中編)
なぜこんな事になったのかと、ナナリは呆然とした顔で周りを見回した。
例によってラッピングマイスターとしてのアーネのこだわりが詰まりまくったドレスは、青いサテン地を基調に、ナナリの魅力を最大限に引き出すリボンとレースがたっぷりの仕様であった。
ディナーのドレスコードについて訪ねた時の事だった。客室のクローゼットを開いて「じゃーん」と得意げにドレスを見せたアーネに向かって、盛大に首を傾げてしまった。
「ナナのドレスです」
アーネは自慢げに形の良い胸張ってドレスを差し出してきた。
こんなドレスをトランクに詰めた覚えがなかったし、何故自分用のドレスがあるのかわからず戸惑っていたら、もう一つ出てきた。
「ちなみに、こちらは私のです」
ドレスを胸に当ててクルクルと回転するアーネに聞いたところによると、『ルクスブルー』には被服店があるらしい。それもオーダーメイド専門である。
もうなんだか、金銭感覚がおかしい。
「大丈夫よ、会長に請求するから。あ、やっぱりそのドレス、髪の色にぴったりだったわね」
満足そうに頷くアーネの対面で、ナナリは彫像のように固まっていた。
果たしていくらするドレスなのか、考えたら歩けなくなるような気がした。
その後、給仕の勉強になるからと一緒に食事をするように言われて席についたものの、きらびやかすぎて全てが異世界の出来事のように感じられた。カトラリーひとつとっても、磨き方からして違うのだ。
どう息をしたら良いのかもわからず、運ばれてきた食前酒を優雅に飲むアーネをジッと観察ていた。
「あら、やっぱり少し揺れるのね。難しいわ」
他の列車に比して圧倒的に揺れの少ないルクスブルーだが、それでもワインに全く波が立たないかというと、そこまででは無い。多少の注意は必要そうである。
慎重に慎重に、そう念じながらナナリの手はぶどうジュースへと伸びていく。
「あ」
グラスの脚を掴んだ直後、わずかに列車が揺れた。
(あぶ、あぶないぃ)
ひくりと頬がひきつるのを感じながら、グラスを空中へと避難させる。
ゆらり、ゆらりと揺れる紫色の液体は、キャンドルライトを浴びて煌めいていた。
ほうっとため息をつくと同時に、くっくと笑いをこらえる声が聞こえてくる。
「失礼しました、あまりにお嬢様が愛らしくて」
ナナリが見上げると、席の隣にシェフの格好をした背の高い男性が立っていた。側を通りかかった給仕の男性に何かを伝えると、胸に手を当てて優雅に挨拶をする。
「スー・シェフのサリュートです、ルクスブルーへようこそいらっしゃいました」
流れるような話し方で、本日の料理について説明をしていく。副料理長のウイットに富んだ会話にアーネも満足しているようだったが、ナナリは恥ずかしさでそれどころではなかった。
だが、そんな羞恥心も「お詫びに」と用意された赤く冷たい果物を口にした途端、吹き飛んでしまった。表皮の赤とは正反対の真っ白な果実は、甘く不思議な触感だった。
「ライチという果物でして、食べ出すと止まりませんのでご注意を。シェフ渾身の料理が食べられなくなります」
冗談めかして話すが、半分くらいは本気のようだ。
それほど美味しい果物だった。
「それでは、ごゆっくりとお楽しみ下さい」
スー・シェフが去った後、ナナリは気が楽になっている事に気が付いた。食事のマナーばかり気にして、ガチガチに固くなっていたのだが、ライチを剥いて手で食べているうちにリラックスできたようだ。
「大したものねぇ、一流ホテル並だわ」
アーネが上機嫌で前菜に手を付けながら感心している。
食事も従業員も一流ということなのだろう。
その後にサーブされた食事の数々は、ナナリの理解を超える味だった。未知の食材はもとより、慣れ親しんだ食材ですら別物の味に仕上がっている。
興奮気味に味を楽しむナナリだったが、アーネの反応は案外冷めたものだった。
豪華な料理に慣れているからだと思ったが、そうではなかった。
「とても美味しかったけれど、暖かくないもの」
ナナリにはその理由が今一つわからなかった。
確かに冷めた料理は多いが、味は全く落ちていないと思う。
首を傾げていると、アーネが苦笑しながら教えてくれた。
「私だけのために、好みや栄養を考えて作ってくれるナナの料理の方が、美味しいに決まっているでしょう。愛情がこもってるのよ」
思わぬ言葉に、顔が赤くなる。
アーネは時々こういう恥ずかしい事を、平然と言ってくるから始末が悪い。
恥ずかしさを紛らわすように黙々とデザートを平らげた。
†-†-†-†
「今日はもういいわ、休んで頂戴」
「はい」
そう告げるアーネの顔は強ばっていて、とても怖かった。
簡潔に応えて隣室へと下がる。
別にナナリが粗相をした訳ではなく、原因を作った人物は別にいた。
素敵な時間を過ごしていたディナーを一気に壊してしまったその男性を思い出し、ナナリもまた深いため息をつくのだった。
それは紅茶の香りを楽しみながら、メインディッシュに出た魚の話で盛り上がってた時の事だった。
突然アーネのティーカップがガチャッと音を立てる。
彼女にしては珍しい事だと顔を上げるナナリの目に、自分を睨むアーネの顔が映った。実際はナナリの後ろから歩いてくる人物を見つめていたのだが、その時は何かとんでもない失態をしてしまったのかと震え上がってしまった。
それほど冷たく、怖い顔だったのだ。
しかし、不機嫌の原因は別の所にあった。
初老の執事を連れた青年がアーネに気がつき、声を掛けてきたのだ。
「おやおや、こんな所でお会いできるとは」
「私はお会いしたくなかったのですけどね、ランドベルグ・マグノリア」
「またつれない事を」
マグノリアと呼ばれた青年は、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。
いくつか社交辞令を交わしている様子を聞いているだけで、アーネがピリピリと苛立っているのが判った。
「どうかな、生活で困っている事があったら僕が力になるよ」
「ご心配なく、順調ですから」
「そうかな、あの店は経営が思わしくないって聞いたけど。そろそろお店遊びにも満足したんじゃないかな?」
ピクリとアーネの頬が動いたのがわかった。
だが、それ以上表情を見せる気は無いようだった。
「お気遣いどうも」
「どうだい、そろそろ僕の―」
「お断りします」
「…あ、そう」
冷え切った空気が二人の間に流れ、そして唐突に終わりを告げた。
「ナナリ戻りましょう」
固い声でアーネが告げ、黙って頷いたナナリは席を立つ彼女の後に続く。
「ふん、どうせ泣きついてくるさ」
青年の呟きはアーネにも届いていたが、あえて何も言葉を返さないまま部屋へと急いだ。
部屋に戻ってからのアーネは、一層酷い顔をしていた。
†-†-†-†
カタコトと列車の振動音を感じながら窓の外を眺めると、そこにはダークグリーンの地味なワンピースを着て、困った顔をしている女の子が映っていた。
そっと窓に手を当てると、ひんやり冷たい感触が返ってくる。
「ふぅ」
目を閉じれば、傷ついたアーネの顔が浮かんできた。
何とか力になりたいと思うが、所詮メイドでしかないナナリに出来ることなど、ごく僅かである。
しょんぼりと下を向いた時、ふとテーブルに置かれた花柄のハンカチが目に入った。
最後尾のバー・ラウンジで婦人から頂いたクッキーの包みで使われた、あのハンカチである。
「クッキーは無理だけど…」
せめて、ほっと気分をほぐすハーブティーぐらい煎れてあげたよう。
そう決心するが、ここにはティーセットが無い。
ぐるりと周りを見渡しているうちに、ある人物が頭に浮かんだ。
(お願いしてみようかな)
人見知りが激しいナナリだが、この時ばかりは勇気を奮い起こして行動に移すのだった。




