32話 お別れのウエディング(後編)
真っ白な空間に漂いながら、私は夢を見るように自分の名前を思い出す。
ナナリ・ルンドベリ・スタンピード、それが私の名前。
父は外交官、そして母は国内一の包装店を経営している。
ああ、そうだった。
一年前、私は過去に向かう時間遡行に巻き込まれたのだ。
そして丁度一年が経過した今日、再び懐中時計の旅に付き合わされることになったらしい。
上も下もわからないまどろみの中で、私は両親の結婚式を思い出していた。
ウエディングドレスを着た母のアーネは、綺麗だった。
これなら父が惚れてしまうのも仕方ないなと、納得するほどだ。むしろ、よくもまあ今まで悪い虫が付かなかったものだと感心してしまう。
そういえば、クリッタお爺さんやケンプお爺さんが、毎日お店に居座って害虫駆除していたおかげだと自慢していた気がする。でも、本当は母が天然で数多のアプローチに気付かなかっただけだと思う。
最前列で指輪交換を見た時には、感動で身体が震えた。いつか私もこんな結婚式を挙げたいなぁと思っていたら、リオネルと目が合ってしまった。露骨に目を背けてしまったけれど、傷ついていないだろうか。
しかし、それでよかったと思う。元の時代のリオネルはとっくに結婚適齢期だ。ハンスと一緒にユニオンメールから独立して、小包の配送業を請け負う事業を立ち上げた新進気鋭の青年実業家だ。良く雑誌にも掲載されいているし、見た目も良い。きっと結婚の引き合いも多いのだろう。
この時代に来る前は、良く家に遊びに来ていた優しいお兄さんというポジションだったのだけど、戻れたらどんな顔をして遭えばいいのか悩んでしまう。
結婚しました、なんて報告受けるの嫌だな。
想像したらちょっと、いやかなり憂鬱になってしまったので他の事を考える。
そういえば、私が戻る日付は知っていたけれど、本当に戻れるかどうかは誰も知らないのだ。きちんと戻れるのだろうか、不安が増していく。
でも、たとえ戻れなくても、この記憶は消えないでほしい。若かりし頃の母が入れてくれた紅茶の温かさ、常連客の喧騒、リオネルと食べたミートプディングの味も、何もかも。
過去の世界で過ごした一年は、未来の私に引き継がれるのだろうか。それはそれで、色々と恥ずかしいものがある。
逆に、全てが忘却の彼方に去ってしまう可能性もある。無かった事にされてしまうのは寂しすぎるので、それは出来れば避けたい。
はたまた、このまま戻れずに一生白い空間を漂い続けるかも知れない。それは絶対に嫌だ。嫌だけど、自分の力ではどうにも出来ないことだってある。
抗う力も無いし、身を任せる事しか今の私には出来ない。
でも、もし叶うなら…どうか神様お願いします―
どうか、もう一度。
あの人たちの子供として、もう一度、この世界に―!
「ほぎゃあーっ!」
盛大な鳴き声が響き渡り、主治医のクレメンスが赤子を取り上げた。
男性産科医による出産介助に加え、夫が分娩に立ち会うという珍しい形を取るのは非常に珍しい。反対する親族も多かったが、グラベルと二人で押し切った。
主治医はクレメンス先生でなくてはならない。
これは二人にとって絶対に譲ることのできない確定事項であった。
「元気なお嬢さんですよ」
へその緒を切り終わり、丁寧に拭かれた愛娘は、元気よく泣き叫んでいた。
まずグラベルが愛おしそうに触れた後、アーネの胸へと渡された。
長かった約1年間、待ち望んだ瞬間なのにアーネは不思議と穏やかな気持ちだった。
「ようやく会えたわね」
「随分と待たされたよな」
出産直後にはよくある夫婦の会話だったので、クレメンスは特に気に留めることなく笑っていた。
しかし、その次に続く言葉は少し不可解だった。
聞き間違いかと思い尋ねてみたが、二人はただ笑うばかりだ。
「ま、世の中色々あるって事ですかね」
首を傾げる産科医をよそに、アーネはもう一度心の中で呟くのだった。
『お帰りなさい、ナナリ』




