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31話 お別れのウエディング(中編)

 夜のルンドベリ包装店は、静寂に包まれていた。商店が立ち並ぶブリストン通りは、夜になればすっかり人通りもなくなり、聞こえるのは裏路地で鳴いている犬の遠吠えぐらいだ。

 そんな真っ暗な包装店の中で、濃紺のメイド服を身に纏ったナナリは丸い椅子にちょこんと腰掛けていた。手に持った箱は、教会で貰った古びたマッチだ。細い人差し指で箱を押すと、マッチ棒が3本顔を見せる。果たして火が付けられるのか怪しいほど古いマッチ棒を前に、訝しみながら擦ってみると、意外にもすんなりと火が灯る。


 命を吹き込まれた蝋燭が、ぼうっとカウンターを照らし、ゆらゆらと猫の影を踊らせる。アーネと一緒に考えた猫の影絵を壁に映す蝋燭は、半年たった今でも人気は衰えていない。いや、確か13年経ってもルンドベリ包装店の定番商品として生き残っているはずだ。


 「素敵な一年間だったなぁ」


 蝋燭の光に揺られながら、懐中時計を弄ぶ。

 すでに蓋を開けなくてもわかるほど、もの凄いスピードで針が回っているのがわかる。時間遡行する時はほんの一瞬だったのに、戻るときは随分ゆっくりしているんだなと、ぼんやりした頭で考える。もしかすると、神様が気持ちを整理する時間をくれたのかもしれないとも思う。


 「そんなわけないか」


 首を振って自嘲気味に笑う。そんな配慮をするくらいなら、最初から時間遡行などさせなかっただろう。ぺたりとカウンターに頬をつけると、ひんやりした感触とともにアーネと過ごした日々が思い起こされる。ここルンドベリ包装店で出会った人々は皆が楽しくて優しくて、そして活き活きとしていた。


 頭の薄いクリッタ会長は、性懲りも無くメイドに手を出して奥方に怒られている。少しは反省すれば良いのにとも思うが、どうやらあれで家庭円満だというのだから大人の世界は判らないと思う。


 渋い紳士のケンプ社長は、クリッタ会長との賭け事が心のオアシスらしく、ここのところ毎日のようにルンドベリ包装店に足を運んで喧嘩している。一見ギャンブル狂いの駄目老人のようでも、実は保険組合の遣り手だというから人はわからない。


 ミセス・ラブールは相変わらずナナの事が気に入っているようで、しょっちゅう贈り物をしてくる。本当の祖母のようでつい甘えてしまう。以前にも思ったことだが、あんな風に年をとっていきたいと心の底から思う、尊敬すべき人だ。


 新規事業が波に乗り始めたハンスとリオネルは、活き活きとしている。頭脳のハンスと行動のリオネル、二人が上手く噛み合ってどんどん売り上げを伸ばしており、商売敵が増えたとクリッタ会長が愚痴をこぼしているほどだ。ハンスとリオネルが、あの会長から認められたという事実が、ナナリにはとても嬉しかった。だが、リオネルの事を考えると胸が痛む。

 

 何度本当の事を言ってしまおうと思ったことか。

 しかし、信じて貰えるとは到底思えなかった。気が触れたと可哀相な女の子だと思われて、避けられるのがオチだろう。だから『こっそり帳』にだけ、本当の想いを綴った。


 リオネルが好きだ、どうしようもなく好きだと。

 決して打ち明ける事のない苦しい想いにナナリの胸は締め付けられる。


 「だって、仕様が無いもの」

 

 告白された相手がある日突然消えてしまったら、リオネルだって困るだろう。だから想いを伝えてはいけない。そう何度も自分に言い聞かせてきたが、意思に関係なく涙はあふれ、カウンターを濡らした。

 このままずっと店にいられたらと、詮無いことを思うが、時は待ってくれない。

 ぐいっと袖で目尻を拭き取ると、深呼吸を繰り返した。

 別れの時間はすぐそこまで来ている。

 

 「さよなら、みんな。またね」


 蝋燭の日を消そうと顔を近づけた時だった。

 ガランと店の扉が勢い良く開かれた。

 驚いて振り向くと、膝に手を当てて肩で息をする女性のシルエットが目に飛び込んできた。月明かりを浴びて、髪が銀色に輝いている。


 「ちょっと、私に黙って、どこに、行くって、いうのかしら!」

 「あ…」


 息も絶え絶えに、しかし怒気を含んだアーネの声が、暗闇を震わせた。

 乱れたドレスから、彼女が結婚式後のパーティーを抜け出したのだと判る。

 だが、そんな事はあり得ないはずだった。


 「どうして、ここに」

 「そりゃ、ここはルンドベリ包装店で、私はその店長ですもの」

 「そうじゃなくて!」


 ナナリは混乱していた。新婚の二人を迎え入れる大切な夜の準備をするため、ナナリはパーティーに出席せず、屋敷で待機する事になっていたし、それはアーネも了承していたはずだ。本来ならば、まだパーティーでダンスでも踊っている時分なのだ。

 

 「パーティーはどうしちゃったんですか」

 「おかしいと、思ってたのよ」

 

 アーネは息を整えながらゆっくりとナナリに近づいていく。

 結婚式が近づくにつれ、様子がおかしくなっていくナナリを、ずっと心配していた。

 突然ぼんやりしたかと思えば、無理矢理造った笑顔で家中を磨き上げたり、とにかく情緒が不安定だったのだ。


 嫌な予感がしたアーネは、ある時ナナリの不在時に部屋を覗いたのだが、その時に確信した。

 

 「今日、出て行くつもりだったんでしょう」

 

 一見いつも通り整えられたナナリの部屋だったが、数少ない彼女の私物は見当たらず、綺麗に整理されていたのだ。


 まるで最初から彼女が居なかったかのように整えられた部屋を見た時、アーネは震えた。

 体の一部が失われるような絶望感に襲われ、暫くその場を動く事が出来なかったのを憶えている。

 

 「どうして、何か酷い事してしまったのかしら。それとも、私が嫌いになっちゃったの」

 

 ナナリの頬に伸ばされた指先は震えていた。アーネは、喉から絞り出す。


 「黙って行ってしまうのは、嫌よ」


 瞳からこぼれ落ちた滴がナナリの頬を濡らした時、ふんわりと壊れ物を扱うかのような優しい仕草で両腕に包み込まれた。懐かしいアーネの香りに埋め尽くされたせいか、ナナリの腕は自然とアーネの背中に周り、気が付けばぎゅっとその体を抱きしめていた。

 アーネの悲しみがナナリの心に伝わってくる。

 

 ナナリはぐっと腕に力を込める。

 嫌いじゃ無い、嫌いになんてなるはずが無いと伝えたかった。

 だって貴女は世界で一番大切な人だから。

 

 「お母さん…」



 †-†-†-†



 「そろそろ限界みたい」

 「大丈夫、ナーナ。ちゃんと元の時代に戻れるの?」

 「わからないけど…お父さんもお母さんも、私が戻ったかどうか知らないから」

 「そうよね、13歳になったらナナが過去に行くって事しか知らないものね、未来の私は。心配だわ、事故とか起こらないのかしら。ねえグラベル、その時計本当に大丈夫なの?」

 「どうかな、突拍子も無い話だから何とも言えないけど、未来の俺を信じるよ。13年もあったんだ、それこそ死にものぐるいで調べてるだろう。その上でナナリに渡したんだ、大丈夫さ。そうじゃなかったら、未来の俺をぶっ飛ばしてやる」

 「そ、そう。自分で自分を殴るのは難しそうね」


 根拠など何処にも無いのに、グラベルに握られた手は、アーネに安心感をもたらした。深呼吸を一つして、ゆっくりと気持ちを落ち着かせる。


 ナナリから告げられた話は、衝撃的だった。ナナリがアーネとグラベルの子供で、実は13年後からやってきたなどと言われても、にわかに信じられるはずがない。

 しかし、どこか納得している自分もいた。

  

 思い返せば、そうとしか思えないようなナナリの言動がいくつもあった。

 何よりも自分の母性というか、本能のようなものが真実だと告げている。


 「とにかく、嫌われたわけじゃなくて良かったわ」

 「大好きに決まってる。でも、一番は13年後のお母さんだから」

 「なんか、未来の自分に嫉妬するわ」


 おどけて笑うアーネとグラベルに、ナナリはお別れのキスをした。

 懐中時計から光が漏れはじめており、扉が開かれようとしている。

 ナナリの手を、グラベルの両手が優しく覆った。

 

 「その懐中時計は絶対に放さないようにな。そして未来に戻りたいと、強く願うんだよ」

 「はい。あと、その、お父さんも今日は頑張って」

 「ん、何の事だ」

 「えっとね、主治医のクレメンス先生が言っていたんだけど」


 ナナリがグラベルの耳元で何か囁くと、珍しくグラベルがうろたえていた。


 「子供はそんな事知らなくていいんだ!」

 「はーい」

 「なあに、ナーナは何て?」

 「アーネは知らなくていい」

 「なによもう、仲間はずれにして」


 誰からともなく笑いが起こった。

 やはり別れは笑顔がいい。


 「またね、お父さん、お母さん」

 「ああ、またな」

 「行ってらっしゃい」


 その時、店の入り口から激しい衝突音が響いてきた。直後に飛び込んで来たのは、埃まみれになったスーツを着たリオネルだった。後ろからは頭をおさえてふらつくハンスが顔を見せる。

 驚くナナリに向かって、リオネルは叫んだ。

 

 「ナナリ、行くな!」

 

 目の前で何が起こっているのか、リオネルには判らなかったが、ナナリが居なくなってしまうという事だけは本能的に察した。

 そして考えるよりも早く体が動く。


 飛ぶようにカウンターへと突進すると、硬直するアーネとグラベルの横から、ナナリに向かって手を差し伸べた。

 しかし、同じように伸ばしたナナリの手を掴むことは無く、蜃気楼のように通り抜けてしまう。

 

 ナナリの口が何かを叫んでいるが、その声は届いていなかった。

 

 「ナナリ、ナナリ!」

 

 行かせまいと何度も体を掴もうとするリオネルに、ナナリは一瞬だけ躊躇し、そして意を決したようにポケットから『こっそり帳』を取り出した。

 消えてしまうギリギリ手前で、ナナリの手から離れた手帳が、ポトリとリオネルの手に落ちてきた。


 「嘘、だろ」


 呆然とするリオネルの後ろで、ハンスが興味深そうに店内を見回していた。

 グラベルは、どう説明したものかと頭を悩ませていたが、結局妻に丸投げすることに決めた。

 色恋に関してはアーネの方がまだマシなはずだからだ。


 「アーネ、頼んだ」

 「私もこういうの苦手なんだけど」


 苦笑いしながら、リオネルの手にある手帳をひょいと取り上げて中を確認したのだが、すぐにパタリと閉じた。

 目頭を押さえて、呻くように声を発する。


 「そりゃ13年も待ってくれなんて、言えないわよねぇ。幼女趣味とか言われたら、リオネル少年が不憫だし。どうするのよ、これ」


 悩むアーネを救ったのは、満面の笑顔で近づいてきたハンスだった。


 「何だか、興味深い話になりそうなので、後日詳しくお聞かせいただけませんか。今日の処は僕がリオネルを連れて帰りますので」

 「君、なかなか大物ね。こういう状況になれてる?」

 「まさか、お二人でなかったら胸ぐら掴んで詰問していますよ。親友の思い人が目の前で消えたんですから」

 「まあ、そうよね」


 床にへたり込んだまま動かないリオネルは、未だにナナリが消えた空間を見つめている。


 「とはいえ、ご夫妻が悪事に荷担しているなんて事はないでしょうし、あまりにその…」

 「現実的じゃない現象」

 「ですね。まあ、そういう事で今日のところはリオネルを連れて帰ります。後日事情を聞かせていただけますよね」

 「いいわよ、むしろ色々相談したい事もあるし」

 「わかりました」


 リオネルの様子は心配であったが、ハンスの言葉に甘えることにした。アーネが達が店の外に出ると、すぐに街灯に衝突した自動車が目に入った。


 「おいおい、自動車使ったのか。しかも衝突させるとか…君ら大丈夫なのかい」

 「最近、親が自動車を購入したと自慢していた友人から借り受けまして」

 「借り受けた?そんなに簡単に貸すようなものではないだろう」

 「まあ、同意はありませんでしたが、書き置きはしました」


 絶句するグラベルに、ハンスはしれっと答える。

 自動車は最近出回り始めたばかりの超がつく程高級な乗り物だ。ここまで壊れると、相当な賠償金を求められるだろう。若い二人が簡単に返せる額では無い。


 「大丈夫なのか」

 「ご心配なく。こいつの結婚予定資金と僕の独立予定資金で頭金ぐら払えます」


 ハンスの笑顔には、嫌味も戸惑いも怒りも見られなかった。そこには、やりきった満足感しかない。グラベルには、親友のために全てを投げ出せる姿が羨ましく映った。



 自宅に向かって走る馬車の中で、アーネはグラベルの手を握ったまま、未来に想いを馳せていた。ナナリが恋をした少年が、借金にまみれて身を持ち崩していくのを見るのは辛い。将来、無事に戻ってきた14歳のナナリが悲しい思いをするのは見たくない。


 「ねえ、グラベル。あの二人の事だけど」

 「自動車代を肩代わりするのは駄目だぞ」


 言おうとしていたことを先回りされ、ぶうと頬を膨らませたアーネを、グラベルも澄まし顔で受け流す。


 「気軽に支払える額じゃない。それに何より二人が望まないだろう」

 「それでも…」

 「賠償金は出せないよ。アーネも余計な事をしたら駄目だからね」


 もとよりそこまで裕福ではないアーネは無理だが、伝手を使えばどうにかなると思っていたところに釘をさされ、さらに頬を膨らませることになった。


 「ただ、まあ」

 「まあ?」

 「商才はありそうだから、二人が事業を立ち上げるならそっちの手伝いならできるかもしれない。外交官は人とのつながりが命だからさ」

 「そっか、自分達でお金を儲ければ良いのよね!」

 「そういうこと」

 「わかった。私もミセス・ラブールにお願いしてみるわ」

 「それは洒落にならないから止めてくれ」


  安心したアーネは、グラベルの肩に頭をのせ、ゆっくりと目を閉じる。

  色々あったが、今はとても幸せだ。そしてこれからもっと幸せになるだろう。


 「ね、ところでグラベル」

 「どうした」

 「ナーナはお医者様に何を言われたのかしら」


  見上げると、グラベルの目が動揺で激しく泳いでいる。すっかり忘れただろうと思っていても、覚えているのが女性というものだ。


 「…秘密だよ」

 「教えてくれないと、一週間口をきかないわ。手もつないじゃ駄目」

 「じ、冗談だよな?」


 うっすらと浮かぶアーネの笑みは、冗談を言っているようではなかった。

 グラベルの抵抗は長く続かなかった。


 「あのな…ナナリが生まれた日から逆算するとな、どうやら今晩あたりらしいんだよ…」

 「何が?」


 グラベルが耳元で囁くと、みるみるうちにアーネの頬が染まっていく。そうしてしばらく固まった後、何かを決意した顔でグラベルへ向き直った。首に腕を回して重ねられた唇は、誓いのキスとは違って扇情的なものだった。


 「私も、頑張るわ。グラベル」

 「お、おう」


 アーネはグラベルの腕に包み込まれ、両目を瞑った。

 これから生まれてくるであろう、オリオンブルーの髪を持つ最高に素敵な女の子の事を想って。

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