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02話 メイドが欲しい(後編)

自ら火を起こした暖炉で暖まりながら、アーネは紅茶のカップに手を伸ばした。

左隣では、ナナリがちょこんとソファに腰掛け、申し訳なさそうな顔をしている。


「随分顔色が良くなったわね」


「すみません、ご心配おかけしました」


頬に赤みが戻り、年相応の健康そうな顔である。

表情豊かというわけではないが、よく見れば一つ一つの動作が可愛らしい少女だった。


たとえば、控えめにキョロリと動く瞳。

調度品を見てうっすら唇を開いて驚く仕草。

カップを落としそうになって、あわあわする動作。

緊張して握っていたスカートを、ハッとして放すところ。


まるで小動物のようだ。

このまま観察を続けていたい気もするが、ぐっと堪えて話を進めることにした。


「ええと、待たせてしまってごめんなさいね」


ナナリはふるふると首を振る。あまり口数は多くないようだ。


「約束の時間からは、ずいぶん過ぎてしまったけれど、大丈夫だった?」


首を傾げたナナリだったが、ポケットから懐中時計を取り出して記憶を辿り始める。


「約束、ですか?」


「ちゃんと協会から面談時間は聞いてるわよね?」


「協会?」


「メイド協会から、派遣されたメイドさん…よね?貴女」


不安になったアーネが恐る恐る確認をとると、果たしてナナリは盛大に首を傾げた。はて、なんですかそれはという顔だ。


(あ、やっちゃったわ、コレ)


冷静に考えてみれば、協会がこんなに若くて使い勝手が良く商品価値の高そうなメイドを、実家と揉めている問題貴族のもとに送ってくるはずがなかった。


『協会』という単語にも反応しなかった事からも、どうやら彼女がメイド協会に紹介されたメイドでは無いとわかる。

それでは、本来会うべき面談の相手はどうなったのか?

考えるまでもない、とっとと帰ったのだ。


「あの」


「なにかしら?」


こめかみを押さえてソファに沈み込むアーネに、ナナリは足下の鞄から取り出したメモ用紙を手渡した。


「先ほど玄関に落ちていたみたいで、ゴミかと思ったんですが」


渡されたメモには、予想通りの内容が書き込まれていた。

クレメンス・メイド協会のサンドラ・モーガンの署名がある。


「うわあ、最悪。よりによってあのオバちゃんを寄こしてたのか」


メモには、簡素ながらも待たされた怒りが滲み出ている言葉が書かれていた。もう二度と来ませんと。

口が悪く、雇い主からすこぶる評判が悪いモーガンだったが、メイドの中でも古参であるがゆえ一目置かれる存在でもあった。

協会内での発言力も大きい彼女の怒りを買ったとなれば、これはもうジ・エンドである。


「はあぁ」


手足とメモを放り投げて、天井を仰ぎ見た。

ようやく、仕事で疲れた身体を癒してくれる生活が手に入ると期待していただけに、失望感は大きかった。


【変更点:アーネの「孤独」を少し描写し、動機を深める】

この広すぎる屋敷で、凍えるような孤独に耐える日々はもう終わりだと思っていたのに。

協会に見限られたら、この先メイドを雇う事など不可能―


「あれ?」


アーネは、肘掛けに置いた手をめり込ませてガバと飛び起きる。


「ということは、あなた、だれ?」


何とも間の抜けた質問だが、それくらいアーネは動揺していた。

協会が派遣したメイドでなければ、目の前の少女は正体不明の誰かである。

すっかり協会絡みだと勘違いしていたが、実は不審人物を招き入れてしまったのではないかと、今になって不安が押し寄せてくる。


「あの、私メイドの仕事なら一通りできます。えっと、募集も見た事があります」


ナナリはそんなアーネを見ても動じた様子はなく、再び足元の鞄を開けてゴソリとチラシらしきものを取り出した。

綺麗に4つ折に畳まれたそれを見た瞬間、アーネの背筋にうすら寒いものが這い上がってきた。

チラシを開こうとするナナリの指の間から、オレンジ色の枠が見える。


「あ、ちょ、ちょっと待って!もしかしてそれ…わああっ」


「え」


あっという間に広告を取り上げられ、目を丸くするナナリの前に、ぜいぜいと息を切らした鬼気迫る顔が迫った。チラシを持つ手がわなわなと震えている。


「ど、どこで見たの。というか、なんでまだ残ってるのよ!」


「は、母からコレは切り札だから大切に持っていろって」


「はうぅ」


それはまだ希望に溢れ、かつ世間を良く知らなかった若かりし頃、アーネが手書きで作ったメイド募集の広告だった。

お世辞も上手とは言えないメイドのイラストが書かれた、彼女にとって塗りつぶしたい歴史である。

個人契約すると、以後永遠に協会の援助が受けられないと知ってから全数処分したつもりだったのだが、誰か剥がして持っていたのだろうか。


「ま、まあいいわ。すると、あなたは協会を通していないけど、うちのメイドをしてくれるって事かしら」


こくりと頷いたので、メイド候補としてナナリを改めて見直してみた。

まず最初に目が行くのはその髪の色だ。オリオンブルーというのは初めて見たが、異国の少女なのだろうと納得する。

光を受けて透ける様が幻想的で、非常に見栄えは良いのだが、身長が140cmくらいしかないので接客目的のパーラーメイドなどには向かないだろう。


そうなるとハウスメイドから始めるのが妥当かしら、などと真剣に考える自分に気がつき、思わず苦笑する。

今アーネがメイドに割ける余裕は1名分しかないのだ。必然的に全ての家事を行うジェネラル、すなわちメイド・オブ・オールワークをしてもらうしかないのだが、そうなるといくつか問題がある。


「うちはメイドを複数雇う余裕がないのよ。そうなると、体力とか年齢とか色々問題があるのよねぇ。留守中に妙な事になっても困るし、残念だけど…」


アーネのつぶやきを聞いたナナリが、ジッと見上げてきた。


「ダメですか?」


せっかく朱みの戻って来た顔が再び青くなっている。

絶望するようなその顔をみた瞬間、言葉に詰まってしまった。


(なんか、強烈に母性本能がくすぐられるわ! 私、子供産んだ事なんて無かったはずだけど)


仕方なく、もう一度冷静に考え直してみる事にする。

アーネにしてみれば、メイドが向こうからやって来るなんて機会はもう一生ないだろうし、できれば雇いたい。可愛らしい目の前の少女はメイド協会のサラ・モーガン・ゴリラババーより何十倍もマシである。


それに、この子はまるで中身のわからない贈り物のようだ。素性は不明で、どんな子かもわからない。それでも、きっとその包みの中には、素敵なものが入っている。そんな予感がしたのだ。


どうせ二度と協会から紹介はされないだろうから、個人契約したって構わないのではないか。

掃除は身長がネックになりそうだが、いくつか道具を追加すれば解決するような気がしてきた。


「いいわ、雇いましょう」


「良いんですか!」


「目の前で泣かれたらこう、キュンとくるじゃない」


「あっ…その、すみません」


泣き落としが卑怯な手段だと思ったのか、頬を紅く染めて曖昧に微笑むナナリが、妙に可愛らしい。

アーネは、思わず抱きしめたくなっている自分を制しつつ、引き出しから契約書を取り出していた。


「住み込みになるけど良いのかしら」


「はい、是非」


ナナリは勢いよく頭を縦に振った。

首がちぎれるくらいの勢いで振ったので、ちょっとクラクラしている。

なんか面白い子を見つけたかも、とアーネは心の中でほくそ笑んでいた。


「よろっ、よろしくお願いします」


「こちらこそお願いね、ナナリ。うーん呼びにくいから、ナナでいいかしら」


「ナナ…」


「嫌だった?」


「いえ、ぜひそれで!」


一瞬ぼんやりしたナナリだったが、直ぐに満面の笑みで返事を返してきた。

アーネはというと、そんなに喜ばれる事かしらと苦笑しつつ、ナナリを連れて邸宅の中を簡単に説明して回った。


「構造は単純だと思うんだけど、わかったかしら」


「はい」


「あ、暖炉の上は私が掃除するから、やらなくて結構よ」


「わかりました」


「あとね、下の方は世話しなくて良いから」


一般的に夜は寝室の汚物入れに溜めて、朝メイドが処理をするのが慣例だったが、一人が長かったせいでアーネは夜もトイレを使う。

水洗は広く普及していなかったが、これと風呂だけは元実家に無理を言ってこだわった部分である。


「それで今日からでいいのかしら?寝室は見たとおり2つ余ってるし、すぐに使えるわよ」


再び、激しく頷くナナリ。

そうと決まれば、まずはメイド服を用意しなくてはいけない。

下手な既製品では駄目だ。

包装屋としてのプライドがある。


「明日一番で仕立屋さんに行きましょう。お店はお休みにするわ」


嬉しそうにうなずくナナリを見て、アーネはふとある疑問が頭に浮かんだ。


(そういえばこの子、どうして私の店に来たんだっけ?)


だが、初めて自分のメイドを手に入れた喜びによって、そんな疑問はかき消されてしまうのだった。



†-†-†-†


その夜、とある中流階級の住宅街で、歓喜の声が響き渡った。


「お父さん、私の大好きなものばっかり!」


温かな暖炉の前に座る少女が、幸せそうな顔で箱を抱きしめていた。

プレゼントの帽子はそっちのけで、クマの包装紙とメッセージカード、クマ型のクッキーでうめつくされた箱に夢中になっている。


「帽子も忘れないでくれよ」


紳士が、苦笑しながら帽子を娘の頭に被せると、少女ははにかんだまま、ぽそりと小さく呟いた。


「ぼうしも、きれい。うれしい」


「そうかい?お父さんも嬉しいよ」


帽子だけであれば、娘も素直に嬉しさを表現できなかったかもしれない。

ちょっとしたアレンジで喜びの幅を増やしてくれた女店主に、心のなかでそっとお礼を告げていた。

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