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27話 天体観測(中編)

 ミセス・ラブールの屋敷は、ウォールエンド地方と呼ばれる岬の近くにある広大な敷地に建っている。夏場は避暑地として賑わっているが、冬になると海からの冷たい強風にさらされるため、街はずいぶんと寂しくなる。


「人通りが少ないわね」

「でも、珍しいお店が一杯です」


 先程までは、ピリピリと神経を尖らせていたアーネだが、今は馬車から身を乗り出して街並みを眺めるナナリを柔らかな表情で見つめていた。


 ミセス・ラブールとの会談では些細なやり取りが後に大きな影響を与えることがあるので気が張っていたのだが、街並みを見てはしゃぐナナリを見てふと肩の力が抜けたのだ。

 風で飛ばされそうになったナナリの帽子を押さえてあげると、お礼とともに幸せそうな笑顔が返ってきた。


「本当に嬉しいんです。ウォールエンドは、いつか訪れてみたいと思っていたので。随分文化が違うんですよね」

「そうね、言葉からして違うから同じ国内とは思えないわ。でも交通機関も発達しているし、そう無理な旅でもないでしょうに、何故来なかったの?」

「何度か母にお願いしたことはあるんですが、いつも『私の精神を平穏に保つために駄目』だって反対するんです。訳がわかりません」

「相変わらずユニークなお母さまね」


 ナナリから聞く母親の話は、なかなか面白い。随分としっかりした教育方針を持っているのに、所々私情が混じる。そしてその内容が良くわからない。


 13歳まで立派に育て上げたというのに、ほとんど着の身着のままで都会に放り出している。それなりに裕福な家庭の出だと思われるのだが、その理由について聞いてもナナリは黙して語らない。


「確かパイが変わった形なんですよね」

「良く知ってるわね」


 ウォールエンドの名産品といえばウォーリッシュ・パスティだ。半月型のパイで、牛肉のミンチやジャガイモ、カブなどが包まれている。胡椒がピリリときいていてとても美味しい。他にも崖の上に建てられた劇場『ダスク・シアター』や、冬でも色とりどりの花が咲き乱れる庭園『ルーシー植物園』などが有名である。


 だが、今この時期といえば何をさておき『スカーレット・グレイス』だろう。街全体が赤一色に染まるほどの賑わいを見せる、ウォールエンド地方独特の祭りだ。


この国がユニオンになるよりもずっと前から続く地元の祭りで、火星を観測するという一風変わったものだ。大体2年おきに起こる火星の最接近にあわせて、祭りが催される。


 昼間は屋台も出て賑やかな普通の祭りなのだが、夜になるとその雰囲気が一変する。火星観測のため屋内外での灯が使用禁止となり、街は静寂で清廉な空気に包まれるのだ。


「ただ、どちらかというとナナは天体観測よりも、美味しい食べ物って感じだわ」

「そんな事は」


 断じて違うとは言い切れない。モジモジしながら帽子の端をいじくっていると、ミセス・ラブールの屋敷が見えてきた。


 アーネの邸宅とは比較にならないほど広大な敷地に立てられた立派な屋敷だが、今は息子達も全員家を出ており、持て余しているのだとか。そのため、良く茶会を催したり、街の人をまきこみ敷地内でイベントを開催することもあるという。

 そのような催しで良く使われるヴィラと呼ばれる別の建物に、アーネ達は招かれていた。


 コバルトブルーの屋根に海外の建築様式を取り入れたという遊興のための住居は、広壮で豪奢なものだ。ペロンと呼ばれる入り口の外階段は美しいアーチを描いており、テラスとの対比が美しい。中に入れば広々としたギャラリーに大小いくつかのサロン、遊戯室に客用の寝室と貴族並みの住居と、とても別宅とは思えない造りであった。


「そこらの貴族よりも気を遣うわね。ナナもそう思わない」

「私はその、クッキーが大好きな、ただのおばあちゃんとしか」

「恐ろしい子」


 財界に絶大な影響力を持つミセス・ラブールを「ただのおばあちゃん」と称するナナリは大物だ。アーネは少し引き気味にナナリから距離を取る。

 慌てて取り繕うナナリを軽くあしらっていると、執事が主人の到着を伝えた。


「まあまあ、ミス・ルンドベリにナナリちゃん。遠い所をありがとうね」

「ミセス・ラブール、本日はお招き頂きまして光栄の至りです」


 アーネとナナリは膝を折り、見事なカーテシーでお辞儀をするが、ミセス・ラブールは優しく笑って気楽にするよう伝えた。まるで実家に戻って来た娘と孫に接するような態度で二人をサロンに誘うと、絶妙なタイミングでお茶とメイプルクッキーが運ばれてきた。


さて、どんな茶葉を用意したのだろうかと香りを確認しようとしたアーネが、首を傾げる。見た目はどう見ても紅茶なのだが、香りがまるで違う。口を付けてみて、再度確認をするがやはり紅茶では無いようだった。不思議な顔をしてミセス・ラブールを見ると、にこやかな笑顔でこちらを見つめている。


(期待されてるわよね…でも、こんな茶葉は知らないし、どうしようかしら)


 アーネの背中を嫌な汗が伝ったその時、ナナリの何気ない一言が彼女を救った。


「あ、これはルイボスティーですか。凄く美味しいです」

「あら、ナナリちゃんはこのハーブティーを知っているのかしら。すごいわねぇ、最近仕入れたばかりの新製品なのよ」

「はい、母と一緒に良く飲んでいました。ミルクやフルーツを入れても美味しいんですよ」

「まあ、そうなの知らなかったわ。どんなフルーツが合うのかしら」


 その時ミセス・ラブールの目がギラリと光るのを、アーネは見逃さなかった。

 隠居した老婆の世間話を装いながら、巧みにナナリから様々な飲み方や煮出し方を聞き出している。

きっとこの珍しいハーブティの販路を広げる為に活用される事だろう。嬉しそうに話すナナリを止めるわけにもいかす、苦笑するしかなかった。


 暫く二人の会話を眺めていると、満足のいく情報が集まったらしく、ミセス・ラブールは執事を呼んで何事か言いつけた。ナナリからハーブティーのレクチャーを受けるように指示をされた執事は、深々と頭を下げてからナナリを連れて退室した。その様子を満面の笑みで見送ったミセス・ラブールは、顔つきを変えてアーネへと向き直る。


「さて、ミス・ルンドベリ」

「は、はい」

「情報には相応の対価をお支払いしなくてはいけませんね」

「いえ、あれはナナリの知識ですので」

「メイドの手柄は主人の手柄ではなくいかしら」

「ナナリが満足でしたら充分です。私は特に必要ございません」

「相変わらず欲の無い」


 上品な笑い声が部屋に響く。


 その時、先程とは別の執事がノックと共に入室してきた。

 銀の盆には一枚の白い布が乗せられている。盆に乗せられた何かを覆うための布かと思いきや、執事は布そのものをアーネの前へと置いた。


「あの」


 質問を口にしようとした瞬間、アーネの表情が固まる。

 布に描かれた絵に視線が釘付けとなる。それは、あり得ない物だった。


「これは…」


 有名な画家、レスタントの描く猫の絵が布へと印刷されている。

 鮮やかな色彩で抽象化された猫の絵は、見る者を惹きつける素晴らしい出来映えだが、アーネを驚かせたのはその事ではない。布へ絵が鮮明に印刷されているという事実の方だ。


「素晴らしい技術でしょう、先週ようやくモノになったのよ。まあ年寄りには難しい事はわかりませんけどね。どうかしら」

「見事としか言いようがありません。何度か布に印刷されたものを見た事はありますが、どれも輪郭がぼやけていたり、色が乗らなかったり酷い出来映えでした。これは…ほとんど紙への印刷と変わらない」

「色々と面白い使い方が出来るのではないかしら?」

「面白いどころか、印刷業界は大騒ぎになりますよ」


 この技術だけで一財産が築ける。そう伝えると、ミセス・ラブールはにこやかに書類の束を手渡してきた。


「三年を、貴女にあげましょう」


 書類をめくるアーネの指先が震えた。一番上には『シルクスクリーン印刷装置』に関する特許庁の認可書類、そしてそれを三年間無料で独占利用できる契約書が続く。

 使い方を誤らなければ膨大な利益が転がり込んでくるだろう。


「こんな、ここまでしていただく程の事は」

「孫娘のようなものですからね、ナナリちゃんは。保護者を通じて、ちょっとしたお小遣いよ」


 少女のようにコロコロと笑うミセス・ラブールに終始圧倒されるアーネであった。



 †-†-†-†



「まったく、ナナのせいで酷い目に会ったわ」

「えっ、私のせいですか」

「本人に自覚が無いのが何より怖いわ。とりあえず夜までは落ち着けそうで安心したけど」


 火星の会が本番を迎えるのは星が見える夜である。それまでは、点在するサロンで思い思いに交流会を楽しんでいる。ミセス・ラブールの招待客であるアーネとナナリは、広大なラブール本邸から少し離れた別邸で軽食を摂っていた。


 別邸のすぐ近くには天体観測用の施設があるらしく、大きな球状の屋根が窓から姿を見せている。物珍しげにそれを見ていたナナリは、視界の端に映った人物を見て小さく驚きの声を上げる。


 黒い制服のコートにユニオンの腕章を付けた二人組の男性、リオネルとハンスが別邸に向かっているのだ。

 

 想定していなかった事態に驚き、慌ててアーネにその事を伝えたのだが、アーネは全く動じること無く「ああ、そう」とだけ応えて、再び紅茶に口を付けていた。

 その時落ち着いてアーネの表情を見ていれば、うっすらと口元が笑っているのがわかったのだが、気が動転していたナナリは気付く事無く、ひとりアワアワと歩き回っていた。


「ナナ、お茶はここのメイドさんが用意してくださるわよ」

「でも、そういうわけには。クッキーとか持ってくるべきでした。あ、いえ今からキッチンを借りてすぐ作ればまだ間に合うかもしれません」

「貴女が居ない方が問題だわ。大丈夫、私がちゃんとおもてなしの品を用意したから、貴女は座っていなさい」

「おもてなし、ですか?」


 首を捻るナナリを無理矢理ソファに座らせると、一通の封筒を机の上に置いた。

 間もなくしてベルが鳴り、リオネル達がサロンに通されると、恭しく礼をしてから小包が差し出された。

 

「今日は~、ルンドベリさんお届け物ですよ」

「あらリオネル君。随分遠くまで配達するのね。配置換えでもあったのかしら」

「いえいえ、僕らに指名配達の依頼があったものですから」


 にこやかにハンスが応える。

 指名配達とは、懇意にしている配達員を指名して配達してもらう仕組みで、貴族などを中心に時々使われているシステムだ。失礼があってはいけない相手先などに利用され、大抵は重要な品物が贈られる。


 受け取ったアーネとハンスの間に火花が散ったように見えたが、疲れているせいだろうとナナリは思い直す。


「あの、どなたからですか」

「多分若者の情熱にほだされた、未来の旦那様からじゃないかしら」

「未来の…?ああ、グラベル様ですね。わざわざ旅行先まで贈り物を届けてくれるなんて、素敵です」


 若者の情熱云々は聞き流したナナリは、手を叩いて感激している。

 おおよそ事のあらましが推測できているアーネにしてみれば、喜びも半分であるが。


「色々と手が込んでるわねぇ。男同士の友情ってやつかしら。ハンス君は私からの防波堤役?」

「何のことでしょう。偶々指名依頼があったので、僕が運転してきただけの事ですよ」

「ふうん、そうなの」


 笑いながら二人をソファに勧め、メイドの用意してくれた熱い紅茶とスコーンでアフタヌーンティーを楽しむ。

 春のお花畑のように楽しげな雰囲気を振りまいているナナリとリオネルの横で、アーネとハンスの間にはブリザードが吹き荒れていた。


「それで、次はどんな手を考えているのかしら。夜の観測会にまで潜り込むのは難しいわよ」

「人聞きの悪いことを。これまた偶々ミセス・ラブールからのご依頼で『星降る部屋』にソファー一式を運び込むことになっているんです。ちょっと大がかりなので、ギリギリまでかかっちゃいそうなんですけど」

「成る程、でも屋敷には人手が溢れていると思うけど」

「特注品でして、取り扱いにコツが必要なんです」

「それなら、こんな所で休んでいる暇はないわね。急いで仕事をして帰らないと日が暮れてしまうわ」

「いやあ、もう宿も取ってありますんで。遠距離の出張って疲れますよねえ」


 ハハハと笑って肩を回すハンスに向かって、アーネは人差し指を折り曲げて唇に当てた。


「そう。とても、残念だわ」

「え」


 アーネは、もの凄く残念そうに眉をよせ、ため息を一つ吐き出した。

 憂いのある表情が、夕刻の陽射しを浴びて一層引き立つ。


「ナナと私は、気球天体観測に誘われているの」

「は?気球、ですか」

「最近貴族たちの間で流行っているのよねぇ、気球の遊覧飛行。夜に行うのは初めてらしいわ」

「そ、れは…素敵なイベントですね」


 一瞬呆然としたハンスだったが、直ぐに鉄の意志で表情を取り戻す。

 若いのになかなかのものだと感心していると、直ぐに反抗に出てきた。


「でも熱気球はまだ開発途上の技術ですよね、しかも夜間となると危険じゃありませんか」

「難しい事は私もわからないのだけど、なんとかバーナーっていう新技術が盛り込まれているらしいわ。随分安全になったみたいよ」

「へ、へえ。でも上空は寒いですし、万が一を考えるとやはり温かい地上から観測した方が」


 動揺が隠せないハンスを見て、アーネはニンマリと笑みを返した。


「あら女心が判っていないわね。時には現実より浪漫を求めるのよ、女性は」

「…」


 やり込められたハンスは、頭までお花畑になっている隣の友人を恨みがましい目で睨み付けたが、もちろんそれに気が付くリオネルではなかった。

 必死に打開策を考えるハンスの目の前に、アーネの白く細長い指が差し出された。指の間には、一通の封書が挟まれている。


「さて、ここに一通の招待状があります。何の招待状でしょうか」


 言われなくとも、一目瞭然だ。

 封書の表には、熱気球と火星のイラストが描かれている。

 ギリ、と唇を噛む音が聞こえるようだ。


「ゴンドラの定員は2名、ナナはミセス・ラブールに招待されているから良いとして、もう一人乗り込むには招待状が必要なのよねぇ」

「もう一人は、ルンドベリさんが乗られるのでは…」

「私はほら、さっきハンス君に指摘されたとおり寒さに弱いお年寄りですからぁ。地上でゆっくりぬくぬくと観測しようかと思っているのよねぇ。こういうイベントは若いカップルにこそ、体験させてあげないとねぇ」


 ちらちらと横に視線を送りながら、いやらしく封筒を上下に振った。


「何…が、望みですか」

「んー」


 ハンスは、ブルブルと震える手で、なんとか気持ちを落ち着かせようと紅茶カップに手を伸ばす。そんな様子を見てようやく満足したようで、アーネは最後の爆弾を投下することにした。


「今後、プレゼントの購入は、必ずルンドベリ包装店を利用して欲しいわ」

「それは構わないですけど、ナナリさんへのプレゼントですか?それならリオネルに言ってください」

「いえいえ、ハンス君が購入するもの、よ」

「誰にですが、僕は特に―」

「来月マリーちゃんの誕生日でしょう」


 ブーっと盛大に吹き出された紅茶と共に、アーネの悲鳴が響き渡った。

 メイドによる片付けと、アーネの着替えが終わる頃には、すっかり日も落ちて観測会も近づきつつあった。


「おいハンス、お前のせいでソファ-の搬入が出来なくなったじゃないか。どうしてくれるんだ」

「リオネル…何も言わず、一発殴らせてくれ」

「嫌だよ、何で俺が殴られるんだ」

「五月蠅い、問答無用だ」


 ぎゃあぎゃあと喚く若い男達を尻目に、ミセス・ラブールからドレスを借りたアーネと黄色のワンピースに身を包んだナナリは別邸を出て、気球の発着所へと向かっていた。


「あの、ハンスさんどうしたんでしょうか。突然紅茶を吹き出すなんて」

「全くだわ、おかげで余計な手間がかかったし。でもまあ、ちょっと溜飲を下げたわね」


 ハンスの思い人が、クリッタ商会連合会長の孫娘であるところのマリー・マルケローニであると知ったのは、偶然だった。


 クリッタ会長の「最近孫娘に悪い虫が付いているきがするんじゃが」という泣き言を適当に流して聞いていたのだが、ある日当の本人から恋愛相談を受けたことから、全てが発覚して大いに驚いた。


 どうやら周囲の反対を予想して、お互い気持ちを打ち明けられぬまま、何度か逢瀬を繰り返してきたようだった。

 しかし、恋愛というものは抑えれば抑えるほど燃え上がる。そろそろ爆発寸前というところで、マリーがアーネに助けを求めてきたのだ。


「ま、来月にはまとまるでしょう。本当に面倒臭い」

「はあ」


 何のことだかよく判っていないナナリは、曖昧に返事を返した。


 発着所には、8機の熱気球が準備を整えていた。夜の闇に浮かぶ熱気球群は、バーナーに照らされて幻想的な景色を作り出していた。

 言葉を失い、見とれているナナリの肩に、アーネの手が乗せられた。


「じゃ、ナナ。楽しんでいらっしゃい」

「え?はい、えっと」

「高い所、嫌いなのよ。私は観測所の温かいソファでゆっくり火星を鑑賞しているから」

「ええっ、私一人ですか」

「大丈夫、頼りない護衛を一人雇ったから」


 そっと耳に唇を近づけて、その名前を告げる。

 気球の一つから、元気に手を振る一人の男の姿が見えた。

 とたんにナナリの顔が赤くなる。


「そういうことで、若い二人で頑張って頂戴」


 ナナリの抗議を無視し、背中強引に押し出した。

 アーネとて、ナナリには幸せになってもらいたいのだ。ただ、その事で人に騙されたり利用されたりするのは気に入らないだけだ。


 何度も振り返るナナリに、早く行けと手の平を振り、ようやく辿り着いたのを確認すると、さっさと観測所へと戻っていった。



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