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22話 オリアナと共に(4)

 なんとかランテールを船橋に送り届けると、ナナリは床にへたり込んだ。大人の男性に肩を貸して歩くのは平時でも重労働だ。それが、荒れる波に翻弄される船内で階段昇降までさせられるとあっては、少女には荷が重い。


 グッタリしながらも、なんとか壁のバーにしがみついて滑り落ちぬ体勢だけは確保し、クルー達と話すランテールに目を向けた。


 「緊急時契約に基づいて、手伝いに来たぞ」

 「ランテール船長!ご無事で何よりです」

 「船長じゃない、俺はもうとっくに引退してる。それよりどうなってるんだ」

 「それが、つい先ほど推進力を失いまして」

 「ボイラートラブルか」

 「いえ、恐らくスクリューではないかと」


 設計図を睨みながら、航海士長とランテールが怒鳴り合いかと思う程の大声で議論をかわしている。ふと船外に目を向けると僅かだが雨足が弱まってきたような気がした。もしかしてこのまま嵐を抜けるのではないかと淡い期待を抱くが、現実はそう甘くなかった。

 クルー達の会話を聞いていると、30分もしないうちにもっと大きな時化がやって来るのだそうだ。身動きが取れないオリアナは、横波を喰らってあえなく横転沈没となる線が濃厚だ。それはランテール達にも充分判っているようで、どんどん慌ただしくなっていく。

 

 「スラスター、ですか?」

 「補助用のスクリューだよ。接岸時に使用する為の発明で当初は船首に付ける予定だったんだが…エンジン増設をケチりやがった」

 「ああ、あの馬鹿社長ですか。でもようやく腐ったレシプロが船尾に残されてる理由がわかりました。こいつ用だったんですか。しかし、こんなに小さくて動かせるんですかね?」

 「全開で2ノットくらいは出るだろうが、速度は問題じゃない。要は波を乗り切るための方向修正ができりゃいいんだ」

 

 ナナリには会話の半分も理解できなかったが、少なくとも飛び込んで来た直後の悲壮感は薄れてきた感じはする。やはり頑張ってランテールを連れてきた事は間違いではなかったのだと、安堵する。


 クルーが揺れる船内を全力疾走し、機関室の調整が終了するまで丁度30分。オリアナはギリギリの所で息を吹き返した。


 予想外の幸運だったのは、予備のレシプロ蒸気機関を始動したところ3軸目のスクリューが動き出した事だった。主軸のスクリューが直結されているのに対して、3軸目はスラスター用の低圧蒸気を流用する仕組みだったため、スラスターの稼働と共に回り出してしまったのだ。


 これにより急遽3軸目のスクリュー一本での運行に切り替え、嵐からの脱出を図る事にした。かすかに光明が見えた事で、船橋では歓声を沸き起こった。行けるぞ!そんな声が方々から上がり始めた時だった。

 

 「おい、大丈夫か!」

 

 誰かが叫ぶ声が聞こえ、振り向いた先に男が一人倒れていた。

 マルゴー船長と対立した航海士アマンが、ドアにもたれ掛かるようにして入ってきたのだ。頭から血を流しており、意識は朦朧としているようだった。

 駆け寄ってきたクルーが揺れに苦労しながらも応急手当をし、落ち着かせる。

 

 「何があった」

 「船長が…テンダーボートを」

 

 一瞬船橋の中を静寂が包み込んだ気がした。


 「マルゴーの奴、まさか使ったのか」

 「はい、今左舷は大穴が空いています」

 「あの餓鬼ぁ」


 ランテールは、アマンから事の概略を聞き出すと、口汚くマルゴー船長を罵りながら壁を蹴りつけた。どうやらテンダーボートを起動させた後、アマンを殴りつけて脱出を図ったらしい。時間経過を考えると、相当量の浸水があることが想像できた。


 せっかく希望が見えてきたというのに、再び船橋は絶望感に包まれていた。

 現時点でオリアナの取り得る道は、二つある。船の復原力に賭けて航行を続けるか、船を捨てて嵐の海に脱出するかだ。


 航行を続ける場合、左舷側に傾斜したままではリスクが大きすぎるので右舷側にも海水を注入してバランスをとる必要がある。最も手早く出来るのはもう一隻のテンダーボードがある右舷の格納庫のゲートを切り離すことだ。


 重要な救命艇を一つ放棄することになるが、ほぼ左舷と同量の海水を呼び込むことが出来るのでバランスがとりやすい。

 もっともその分沈没の可能性も高くなる。

 

 では海へ脱出するほうが良いかと問われれば、首を傾げざるを得ない。テンダーボートならまだしも、通常の救命ボート程度では容易く嵐にもまれて海の藻屑と消えていくことだろう。そもそも、ボートを降ろすことすら困難な状況である。

 

 船長ではないランテールに決断することは出来ないが、航海士長に洗濯を促すことはできた。

 

 「どうする。航海士長、今は君が船長代理だ」

 「私は―」


 突然の選択を迫られ、重責に耐えきれなくなったのだろう。航海士長は顔面を蒼白にし、震える手で口を押さえていた。沈黙する船橋で、激しく窓を叩く水の音だけが響いた。

 皆が押し黙る中、ナナリはディナーの最中にランテールが発したある言葉が気になっていた。


 嵐に遭った船のことを話していた時、『転覆するくらいなら、座礁の方がまだ生きていられる可能性があるね』と言っていたではないか。

 

 「あの…」

 

 少女は、手摺りにしがみつきながら、恐る恐る手を上げた。



 †-†-†-†



 「馬鹿っ、ドジ!間抜け!」

 「アーネ、そのくらいに…」

 「だって、だって。電報よ、手紙じゃ無いのよ?子供だって急ぎだとわかるわよ、普通忘れないわよっ!」

 

 臨時列車の個室に、アーネとグラベル、執事やメイド、それに怒られて小さく縮こまったリオネルがいた。彼の隣では親友のハンスがせわしなく客船オリアナのパンフレットや雑誌記事から情報収集をしている。

 ルンドベリ包装店を訪れた時、リオネルはアーネに小包しか渡していなかったが、実はアーネ宛ての電報も届いていたのだ。ナナリを見送る際、彼女の働きに対する正当な対価として船をアップグレードしておいたという、現地職員からの電報であった。

 迎えの日時が変更となることから、気を利かせて電報という高い料金を払ってまで知らせてくれたのだが、その気遣いをリオネルはすっかり無駄にしてしまったのだった。

 

 「あの時判っていれば、もっと早く…ああ、ナナが…どうしよう」

 「落ち着け、数時間早く着いても何ができるわけじゃない。まず、情報収集だ。悪い方にばかり考えちゃだめだ」

 「でも―」

 「リオネル君も、罪悪感を感じている暇があったら、少しは友人を手伝ったらどうかね」

 「は、はい!」

 

 飛び跳ねるように返事をしてハンスの元へ移動するリオネルを見送り、グラベルはアーネの手にそっと自分の手を重ねた。


 ああ言ったものの、グラベルも心中穏やかでは無かった。アーネと正式にお付き合いをするようになってから、何度も訪れた家でナナリは何かと世話を焼いてくれた。


 不思議なことに、彼女にはその時欲しい物や、して欲しいことが阿吽の呼吸で伝わる。それが居心地良くて、つい長居してしまい気が付けば真夜中なんてこともしばしばあった。


 いつの間にか、グラベルの中でもナナリという少女が閉める割合は大きくなっていたのだと、今更ながら気付く。

 

 「大丈夫、きっと無事だよ」

 「グラベル」

 

 もう一度力強く握りしめたアーネの手は、小刻みに震えていた。


 『残りの乗客も絶望か?』『船長がいち早く脱出、客船オリアナの迷走』『謎の航行ルートと問われる管理責任。過酷な競争による弊害か』センセーショナルにかき立てる新聞記事が、アーネの精神を削っているのだろう。


 だが今は無事を信じて、一刻も早く現地へと駆けつける事しかできなかった。グラベルは懐中時計を懐から取り出すと、トントンと蓋を叩いてリズムを取り始めた。

 

 「それ、癖なのね」

 「ああ。こうすると落ち着いて、色々と先が見通せる気がしてくるんだ」

 「ナナも同じ事をするわ。本当に、親子みたいね」


 アーネの微笑みを直視できず、グラベルはつい目を逸らしてしまった。アーネと子を成すことが出来れば、あんな感じの娘になるんじゃないか。そんな想像をしてしまったのだ。


 ひとり顔を赤らめ、窓の外を眺めていると、海岸線が見えてきた。どうやら、目的地が近づいたようだった。



 到着した駅は、普段定期船が到着する時間帯以外に人を見かけることが無い田舎駅である。しかし、今は人で溢れかえっていた。改札は押し寄せる人並みを捌ききれず、駅員も諦めて開放状態にしている。


 ホームでは、報道の腕章を付けた者や警察、消防、野次馬、ボランティアといった多種多様な人々が、殺気だった顔つきで走り回っていた。グラベルはしっかりとアーネの肩を抱き、人の流れに逆らわないようにして駅を出た。


 事故現場はすぐにわかった。どこかなど聞く必要もないほど、全ての人々がそこに向かっているので、黙っていてもたどり着ける。

 

 「あれかしら」

 

 海岸に向かって、少し高台になった場所から見下ろす場所には、カメラを抱えた人やオペラグラスを構える人がひしめき合っていた。押しのけるようにして転落防止柵まで来たアーネは、その異様な光景を見て言葉を失った。

 

 気持ち悪い

 

 それが正直な印象だった。どうにも違和感がぬぐえない、そこにあってはいけない存在、それは座礁した客船オリアナを前にした者の共通な思いだろう。美しい海岸線にのっそりと居座る巨大な建造物。

 それは斜めにかしいだまま、二度と動く事は無い。まさに異物だった。

 

 「とにかく、下まで行こうぜ」

 「そうだな」

 

 いち早く立ち直ったハンスがリオネルの背中を叩き、呆然とするアーネはグラベルが手を引いて海岸まで降りていった。

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