21話 オリアナと共に(3)
【ブリッジにて】
荒れ狂う波に弄ばれ、まともに立つことも出来ないほど揺れる船橋で、航海士長の怒声が響き渡った。
「状況がわからん、簡潔に報告しろ」
「いきなり止まりました。浸水の程度は軽微、機関も動いてますがスクリューが空転して進みません」
「スリップか?」
「いえ、機関室では軸だけ残してゴッソリ無くなったんじゃないかと言ってます」
「馬鹿いえ、ありえん」
「けど事実、動いてないんです!」
一等航海士の悲痛な叫びをかき消すかのように、船体が大きく傾き、固定されていない小物が吹き飛んでいく。海図の乗った机にしがみついて堪えながら、航海士長は乗客の安否を案じた。
このような揺れでは、固定されていないテーブルや椅子が、凶器のように襲ってきて危険きわまりない。無事物陰に避難してくれる事を祈りながら、必死に海図を睨む。
「くそ、こんな航路を強行させた幹部連中を、絞め殺してやりたいよ」
政策的な要因でこの航路における最速を義務づけられていたオリアナは、嵐を避けるという選択肢を与えられなかった。最新の技術が盛り込まれた船体だという過信もあったのだろう。
反対する航海士長達を押し切って、船長判断で嵐へと突っ込んでしまったのだ。
直後は何とか操船技術で凌いでいた。だが、目まぐるしく変わる波の変化に対応できず、何度か横から大波を受けたことがあった。
そのうちの一つが運悪く運んできた『何か』がスクリューを直撃すると、衝撃とともに船が傾いで推進力を失った。たったそれだけでオリアナは沈没の危機にさらされることになる。
ここ数年で大型船はほとんど外輪式からスクリュー式に代わりつつあった。効率も良くパワーもあるそれは、あっという間に造船業界に広がった。
当初はトラブルも多く、万が一に備えて帆走機能を併存させる船も多かったが、2軸構成が主流となってからは、帆を持つ船はほとんどなくなった。たとえ片軸が故障したとしても残る一軸で航行できるためで、オリアナも例に漏れず複数構成になっている。それなのに、完全に沈黙している。
機関室からの応答ベルは返って来ているので、タービンは回転しているはずだ。それにも関わらず船が動かないということは、スクリューが全損した可能性が高い。
航海士長は下唇を噛みしめた。
「出力は微速に変更だ。焼き付かない程度で、ただし絶対に止めるなよ」
「はい」
一方で、航海士長は危機を乗り越える手段を探してフル回転していた。だが荒れ狂う海原で推進力を失うということは、大波に対する手段を全て失ったということに他ならない。
大型客船であろうと、横波を受ければ容易く転覆する。せめてわずかでも推進力が得られたら、舵が取れるのにと歯ぎしりする。
外が嵐では救命ボートを降ろす事すら難しい。何か使えるものがないかと設計図を凝視している時に、船尾のとある装備に目が行った。
その瞬間、嫌な予感が脳裏をよぎる。船尾の両舷には試験的に用意された大型の緊急ボートが、設置されている。後にテンダーボートといわれ、接岸できない寄港地などで船と陸の行き来に利用される一般的な設備となるのだが、この時はまだオリアナにしか装備されていない最新の装備だった。これならば、嵐の中でも比較的安全に避難できる。
「ちょっとまて、そういえば船長はどうした。見つかったのか」
「いえ、それがどこにも」
「あのクソ野郎、まさかとは思うが…」
船が推進力を失ってからすぐ、船長は姿を消していた。何人かのクルーが探しに行ったが、未だに見つかっていない。もとより素行に問題がある人ではあったので、クルーも大してあてにはしていない。愛人を無賃乗車させるなんて事は日常茶飯事で、職務中にもかかわらず、仕事は部下に丸投げして乗客と楽しんでいる事が多々あった。
「すまんが、船尾の格納庫を確認してくれ」
「え、アレを使うつもりじゃないですよね。まだ昇降装置とか無いんですよ!?船体ぶっ壊すつもりですか」
「杞憂であることを祈る。とにかく急いでくれ」
揺れに苦労しながら部屋を取びだしていく一等航海士を見送ると、航海士長は救命ボートの配置図へと目を落とした。全て足しても乗客数の半数にも満たない。
「全く足りんな」
何を救い何を犠牲にするのか、難しい決断が迫られている。重すぎる責任に押しつぶされるように、深いため息を吐き出した。
【ホールにて】
「君の言った通りになったな!」
大声で叫ぶランテールに肩を貸し、ナナリは思い切り床を蹴った。三度目にして、ようやくホール中央のビュッフェスペースにたどり着いた。円形に区切られたこのスペースは全ての家具が固定されており、荒ぶるテーブルの波から身を隠すことができる安全地帯になっている。
床に腰を下ろして、人心地つくランテールの額にハンカチをあてる。派手に出血しているが、傷は深くないようだった。適当なクロスを引き裂いて巻き付けて止血をすると苦痛に顔を歪めながら、ナナリの左腕を指さした。
「君も怪我をしてるぞ」
「このくらいはかすり傷です」
左袖が破れて出血していたが、出来るだけ見ないようにした。傷口を見て一度気持ちが折れてしまえば、動けなくなるような気がしたのだ。ここで立ち止まることは出来ない。ナナリは強い贖罪の念にかられていた。
(もう少し早く気がついていれば)
唇を噛みしめながら、ほんの数分前の事を思い出していた。
最初に気がついたのはランテールとの夕食中に気がついた窓の雨粒だった。船尾で行われている野外演奏会の人達は大変ですね、などと呑気なことを言っていたら次第に船が大きく揺れ始めた。不安げな顔でランテールに尋ねると、客船は大周りになったとしても悪天候を避けるのが普通なので、心配することはないと言われ安堵のため息をつく。
だが揺れは収まるどころか益々大きくなっていく。その時ランテールの漏らした『まさか嵐が』の一言に、思わず立ち上がって悲鳴を上げてしまった。
嵐とオリアナという単語が結びつき、そこにランテール元船長という要素が加わってナナリの記憶からある新聞の見出しが呼び起こされた。
『新造客船 オリアナ座礁か』
「ラ、ランテールさん大変です。このままだと…この船沈みます」
「え?」
必死に避難を提案するが、ランテールは笑うばかりだ。彼はオリアナの設計に関わっており、この船が最新の安全設備に護られている事を知っていたし、航海士達もベテラン揃いなので万が一にも沈むなどということはあり得ないと信じていた。ナナリがどれだけ騒いだところで、初めての嵐に子供がパニックになっている程度にしか捉えていないのだろう。
そしてそれはその他大勢のクルーや乗客も同じだったようで、揺れが大きくなっていくというのに客室に戻ろうとするそぶりも無く、談笑しながら食事を楽しんでいた。
だが、ナナリは知っている。
これからオリアナが恐ろしい事故に巻き込まれるということを。
そうこうするうちに、オリアナを本格的な暴風雨が襲い始めた。
嵐に突入した直後、ホールは阿鼻叫喚のるつぼと化した。最初は揺れとともにズレる皿に苦笑いしていた客達も、椅子やテーブルが動き始めると、その笑いが徐々に引き攣っていった。固定されていないテーブルや椅子は揺れとともに右へ左へと動きだし、いつのまにか巨大な塊となって乗客を襲い始めた。
柱の陰に隠れても、次の瞬間には反対側から襲ってくる。時と共に塊は大きくなり、速度も破壊力も増していく。折れた椅子の足は凶器へと変貌し、粉々に砕けたガラスや陶器を巻き込んで凶暴な殺戮兵器へと変貌していった。
少なくない乗客が塊に飲み込まれ、悲鳴を上げた。
ふと気がつくと、机の波が向きを変えてナナリ達の隠れる円形スペースを襲ってきた。
激しい衝撃音とともに、砕けた椅子の脚が勢い良く飛んでくる。ここも、いつまでも安全地帯というわけではなさそうだった。
真っ赤に染まった椅子の脚を横目に見て、ナナリはブルリと身体を振るわせた。
わずかでも判断が遅れたら、命を落とす。平和な夕食が一転してまるで戦場だった。
ナナリはランテールを担ぎ直すと、通路へと繋がるドアへ向かうルートを脳裏に描いた。
「ランテールさん、あのドアで合ってますか」
「間違い無い。あそこから通路に出るのが船橋への最短ルートだ」
「じゃ、次に合図したら走りますよ」
「わかった」
ナナリは、目の前を通り過ぎるテーブルを凝視した。塊の大きさはあまり変わらなくなったし、揺れの大きさと方向を見極めればmあと一度でドアまで届くだろうと目論む。
もし予想が外れたら?
足がもつれたら?
そんな不安を押し殺しながら、ポケットの懐中時計を指で叩いてリズムを取る。幼い頃からの癖だが、これをすると不思議と落ち着く。
「行きましょう」
わずかに傾く床を蹴ると、ドアへ向かって走り出した。
【船尾格納庫にて】
客船オリアナには、最新の技術が惜しみなく投入されている。5年前に起こった豪華客船の沈没事故を教訓に、浸水時に自動的に左右のバランスを取る機構やブロック構造、スクリューの多重化などがそれだ。
しかし救命ボートについては注目されることなく、従来通りの仕様だ。プロジェクトの技術相談役であったランテールは危険性を訴え続けたが、受け入れられる事はなかった。なんとかテンダーボートを設置させることは出来たが、経営層の目には厄介者と映ったようである。
初代船長候補から外され、代わりにマルゴー・スボイがその栄誉を授かることになった。
そのマルゴー船長は、船尾格納庫で感慨深げにテンダーボートを見上げて言った。
「貨物を圧迫するクズ設備だと思っていたが、少しは役に立つようだな」
両舷船尾に一艘ずつ設置されたテンダーボートのうち、左舷側の格納庫に来ていた船長のマルゴーは、満足げにボートを眺めていた。オリアナの揺れはどんどん酷くなってきており、もはや一刻の猶予もないことはわかっていた。
嵐の海へ小さな救命ボートで脱出することは、分の言い賭けではない。しかしこれだけ大きなボートであれば、生き残る確率は高そうだとほくそ笑む。
「おい、急げよ。沈んじまうだろうが」
「はい」
船長に指示された航海士のアマンは、ボートを船外に落とすための手順を開始した。とはいえ、もともとテンダーボートの存在は一般のクルーには教えられていないので、やり方など知るはずもない。初めて見る設備に戸惑いながらも、マニュアルを見ながら懸命に作業を進めていく。
ボートと名がついているものの、最近流通し始めた自動車のエンジンを積んでおり、小型の船と変わりない。最初のうちは関心していたアマンだったが、マニュアルを読み進めるうちに顔が青ざめていく。
「船長、このボートを出すわけには行きません」
「はあ?何言ってんだてめえ」
地の性格が出てきたのか、マルゴーの口調はどんどん汚くなっていく。アマンは不快感を隠し、あくまで丁寧に理由を伝えた。このボートを船外に出すためにはゲートを開けなくてはならないが、なんとこのゲートが使い捨てなのだ。
どうせ使うことは無いだろうとケチったらしく、分厚い鉄板ごと海に投棄する仕様になっている。しかもその位置は喫水線に近いと来ている。
「こんな事したら、左舷に大穴が空いてしまいます」
「だから?」
「は?」
「どうせ沈没する船だ。それが多少早まったからどうだというのだ」
「どうって、あんたそれでも船長か!」
我慢の限界にきて食ってかかるアマンだったが、マルゴーは動じること無くマニュアルを取り上げ、隣で怯える新人クルーへとそれを投げ寄こした。
「こいつは船に残るそうだ。お前が代わりに引き継げ」
「えっ」
「なんだ、貴様も残りたいのか」
「ひっ」
新人クルーは青ざめた顔で二人を交互に見る。新人にとって、アマンは先輩クルーとして尊敬する男だったが、船長という権威に逆らってまで付いていく事はできなかった。何より、海の男として覚悟が出来上がっていない彼は、死ぬのが嫌だった。
黙ってマニュアルを開くと、睨み付けるアマンの視線から逃れるようにゲート操作へ向かうのだった。




