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20話 オリアナと共に(2)

 仕事をやり終えた達成感から、ナナリは大いに頬を緩ませていた。ずっと交渉に同行してもらったユニオンメール支部メンバーとも別れ、今は一人船上で優雅にクレープを頬張っている。


 このクレープという食べ物、最近海外から紹介され婦女子の間で爆発的な人気を博していた。薄い生地に包まれた数々のスイートな食材達が口の中で見事な調和を見せてくれる。主にクリームとか、クリームなどが素晴らしい。付け加えて言うならば、クリームが秀逸である。

 予想外の人気で船尾の屋外ラウンジに専門コーナーが新設されてしまったほどだ。


 「苺を入れると更に美味しいんですけどね」


 ペロリと頬についたクリームを舐めとりながら、つぶやいた。まだ人気が出始めたばかりなので、それほど多様なクレープがあるわけではない。もう少しすれば大好きなチョコバナナクレープも出てくるのだろうが、今は我慢するしかない。


 残念そうにクレープを頬張りながら、海を眺めた。

 ユニオンメールからプレゼントされた一等客室の旅は、快適で船酔いもなく安全な旅を提供してくれている。


 まるでルクスブルーを思い出すような豪華な客船で、クルーはナナリのようなソロ・ゲストにも気を遣って迎えてくれる。未成年であることに緊張する必要もなく、快適に過ごしていた。


 早々に食べ終えてしまったクレープの包装紙をジッと見つめていたら、クルーの一人が笑いながら回収してくれた。本当は包装の柄を見ていたのだが、名残惜しそうに見えたのかと思うと、恥ずかしさで頬が赤く染まるのがわかる。

 だが、その後に聞こえた誉め言葉ですっかり気分は良くなった。


 「とても綺麗な髪の色ですね」


 今日のナナリは真っ白なプリーツレースのシフォンワンピースを着ている。白は青い空によく映えるし、何よりオリオンブルーの髪にぴったりだ。

 来た時よりも少し伸びた髪は、混血の特色が出ていて僅かに彩度が低いが、その分落ち着いて見えるので自分では気に入っている。そしてお気に入りを誉められれば、誰だって嬉しくなってしまうものだ。


 「ありがとうございます」


 笑顔を返し、海へと視線を戻した。心地よい潮風に当たりながら大きく伸びをした後、今日は何をしようかと呟きながらパンフレットを開いた。毎朝部屋に置かれていくパンフレットは、暇になりがちな船旅を盛り上げる為の様々なイベントが記載されている。眺めて想像するだけでも楽しめるのだ。


 彫金教室もやってみたいし、ナプキン折り教室も面白そうだ。初心者向けのダーツ競技会もあるし、夜はもちろんダンスタイムがある。もう少し成長して大人の女性になればカクテルパーティーやカジノにも参加できるだろう。

 だが、今はただデッキチェアでゆっくり横になるのが楽しかった。

 

 日差しはそれほど強くなく、頬を撫でる風も柔かい。

 目を瞑り、ゆらゆらとゆりかごで揺られているような感覚に浸りながら、ここ数日のハードな交渉を思い出していた。


 梱包材として使う事を秘密にしながら、細かい仕様に始まり、卸し価格や搬送方法を大人相手に交渉してきたのだから、正直グッタリである。契約関係をユニオンメール側が処理してくれなければ、きっと潰れていただろう。


 (ご褒美で帰りの船をアップグレードしてくれたし、ほんとユニオンさんには感謝しなきゃ)

 

 サプライズで用意していたらしく、チケットを渡してくれたユニオンメールの職員は驚くナナリを見て嬉しそうにしていた。そばかすの目立つ背の高い金髪で、真面目な上に口数の少ない大人しい青年だった。


 (なんか、リオネルさんとは正反対だったな)


 くすりと思い出し笑いをした後、急に寂しさがやって来た。アーネやグラベル、リオネル、ハンス、気の良い人々と一緒に賑やかに過ごしてきた日常がとてつもなく恋しい。緊張と忙しさで忘れていた感情がこみ上げてきて、喉がギュッと締められるような苦しさを感じる。

 

 (早く皆に会いたいな)

 

 そっと目尻を拭い、飲み物で潤わせようとデッキチェアから身を起こした時だった。頓狂な声が上がり、飲み物が零れる音がする。運悪く脇を通りがかった男性へ衝突してしまったのだ。


 ナナリにしてみればそんなに突然の行動だったつもりはないのだが、男性は杖を使っていたこともあり、急に避けることができなかったようだ。

 アルコールらしき液体は、その杖を使っている方の脚を盛大に濡らしてしまっている。

 

 「おっと」

 「あの、すみません」

 

 狼狽えつつも全力で謝ろうとすると、目の前の男性はにこやかにそれを制した。

 

 「気にしなくていい、白ワインだから目立たないしね」

 

 この暖かさなら、かえって気持ちが良いさなどと豪快に笑い飛ばしている。何度かクリーニングを申し出たが、子供が細かいことを気にするなと頭を撫でられて、うやむやにされてしまった。

 

 (そんなに子供じゃないんだけどな)

 

 それでも誠意は見せようと頭を下げ続けていたら根負けしたらしく、ワインを奢ることで妥協してくれた。船内の食事や軽食はチケット代に入っているので、奢ることができるのはアルコールぐらいなのだ。


 後部デッキでオープンサンドセットを2つ、紅茶と白ワインをそれぞれ注文して、ベンチへ腰を下ろすと、サンドが運ばれてくるまでの間に簡単な自己紹介をすませた。

 

 「ほう、その年で商談してくるとは、大したものだ」

 「ほどんどはユニオンメールの職員さんが。私はオマケみたいなものです」

 「学問なき経験は経験無き学問にまさると言うだろう。何事も実践が大事なんだよ」

 「ランテールさんに言われると、深いですね」

 

 ランテールと名乗った男は、ひげを触りながら孫娘を見るような優しい目でナナリを見ていた。髪に白髪が交じり始めた50代後半のこの男は、長いこと客船の船長をしていたという。この航路で帆船時代から客船を預かってきたのだが、事故で左脚を怪我してしまい引退、今は時折客としてクルーズを楽しんでいるらしい。


 ふと、ランテールという名前に聞き覚えがあるなと思い首を捻ってみたが、結局思い出せなかった。後になって思い返すと、この時頑張って記憶の海からその名前をサルベージしておけばよかったと、悔やまれる。

 しかし、この時はさほど重要とも思っておらず、次の話題に移る頃にはすっかり頭から抜け落ちていた。

 

 「帆船ですか、帆船ってこの船と何か違うんですか?」

 「うーん、今は子はすっかりスクリュー式の汽船だね。そうだなあ、まず帆船は美しいって所が違うな。私の船は2本マストだったけど、大きいものは3~4本あってね。その種類もシップ、バーク、バーケン…」

 

 サラサラと布ナプキンに帆の形が書かれていく様は、まるで魔法のようだった。身を乗り出し、鼻息も荒く夢中でマストの絵を見ていたのだが、丁度紅茶が運ばれ来たのでレクチャーは一時中断される。


 代わりに茶葉の講義が始まったからだ。

 独特の良い香りがするその紅茶は、まだランテールが茶葉の輸送をしていた時に、クリッパーと呼ばれる大型帆船で運んだ茶葉と同じ種類だという。遥か遠くの国で生産された茶葉を、いかに素早く運んでくるかといった話が繰り広げられていく。


 茶葉といえばどこどこ産ね、等と気軽に話題にしていたのだが、これからは生産地を見る度に遠く離れた地からはるばる運ばれてくる茶葉の大冒険が思い起こされる事だろう。

 そうした想像をした後に飲んだ紅茶は、味わいまで変わったように思えてくるから不思議である。


 「嵐の中とか、くぐり抜けて来たお茶なんですね」

 「嵐か…船乗りとしては、できれば体験したくないけどね」

 「そんなに?」

 「ああ、死に直結するんだよ。横波を受ければ簡単に転覆することもあるし、夜の海だったらもう絶望だな」

 「こ、怖いですね」

 「ああ。転覆するくらいなら、座礁の方がまだ生きていられる可能性があるね」

 「怖いですね」

 「怖いと言えば、ある海域では白い悪魔と呼ばれるとんでもない突風が吹く事があってね。何隻もの大型船が沈没しているんだ」

 「白い、悪魔…ですか?」

 「ああ。そんな時、高速船として名を馳せていたある帆船が最速チャレンジを試みたことがあるんだ。ところが―」

 

 次から次へと溢れ出してくるランテールの話を聞いていると、時間が過ぎるのを忘れてしまう。気が付けばすっかり日が落ちていた。


 再会を約束して別れた後、部屋に戻った後は寝る前の準備をするのだが、これがまた楽しい。色々な香りが楽しめる石けんやオイルなどが置いてある、就寝前だというのに、すっかり一時間ほど堪能してしまった。


 反省しつつも髪を梳かしていると、船内案内のパンフレットに目が止まる。ランテールから船の話を沢山聞いたせいで、普段見ないような設備が気になってしまう。


 パラパラめくっていると、救命ボートの項目で指が止まった。2000人弱が収容できる大型客船にしては数が少なく、右舷に偏っていないだろうか。60人乗りのボートが15艘だから―。

 暗算しようと虚空を見つめている自分の顔が鏡に映っている事に気が付くと、急に恥ずかしさが襲ってきた。


 (専門家でもないのに、ばかみたい)


 乱暴にパンフレットを閉じてベッドに飛び込むと、勢いよく枕へ顔を埋めた。バサリとパンフレットが落ちる音がしたが、まあいいかとそのまま目を瞑る。


 (アップグレードしてくれた、ユニオンさんに感謝しなきゃ)


 幸せを噛みしめ、ゆっくりと眠りに落ちていった。


 椅子の足に引っかかったパンフレットのページが、一枚また一枚と戻っていき、最後の一頁が音もなく表紙に吸い込まれていくと、船のシルエットが姿を現す。

 それは美しい金文字を伴い、誇らしげに船の名を告げていた。


 『o.s ORIANA』

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