19話 オリアナと共に(1)
ルンドベリ包装店は、夏に向けて模様替えをしていた。
とはいっても、僅かなスペースだった小物売場を拡張し、ユニオンメールとの合弁事業である配送サービスを取り扱うカウンターを増設したくらいなのだが、朝から改装祝いに訪れる常連客でごった返していた。
そうして忙しかった午前中を何とか凌ぎ、今は平穏な午後の時間を過ごしている。うららかな日差しの当たるテーブルには紅茶が置かれ、いつも通り不良な老人二人がくだを巻いていた。
「しっかし、ここは全然変わらねぇなあ」
「大きなお世話ですよ」
「しかし急にお洒落になられたら、我々が浮いてしまうでしょう」
「違いねぇな」
「お二方は、今でも十分浮いてますよ…」
すっかり喫茶店扱いでくつろいでいるのは、クリッタ会長とケンプ社長の二人組だ。どうせ仕事から逃げてきたのだろうが、今日はいつも以上にダラダラしている。このままでは帰ってくれそうにないので、仕方なくお茶請けを出すことにした。
「こんな物しかないんですけどね、つまみますか?」
「ああ、わりぃなアーネちゃん」
差し出された市販のクッキーを口に放り込んだクリッタは、ほんの少し顔をしかめて紅茶に手をのばした。その様子を見たアーネは苦笑いを残してカンターの奥へと姿を消した。
「イマイチだよなぁ」
「そりゃまあ、あのクッキーに比べたら、美味くないでしょうよ」
「そうじゃなくてな。まあ、それもあるけどよ。どっちかってとアーネちゃんが、だよ。いつもの毒舌が無いだろ」
「メイドちゃんが居ないからですかね」
「くっそ、物足りんなあ。ナナリちゃん早く帰ってコイコイ。おじいちゃんは君とクッキーが恋しいんじゃ」
クリッタは涙を流しながらバリボリとクッキーを頬張り、新聞へと手を伸ばした。
暇な時は、こうして新聞から賭のネタになりそうな情報を仕入れるのが日課なのだ。
「む、客船が座礁?おっかねぇな」
「ほう」
「こりゃ暫く乗客は足止めかのう。死人が出てないと良いが」
「またあの海峡ですか。今月に入って2度目ですね」
「今頃保険屋は真っ青だろうよ」
「近頃は、支払い能力の怪しいアンダーライターが増えてるみたいですからね」
「何人破産するやら、だ」
「賭けますか」
「ええの」
「5人をラインにしましょうか」
「下」
「では上で」
「ええじゃろ」
クリッタの手が伸び、テーブルに1シリング硬貨が置かれた。
ケンプも懐に手を入れ、その上に硬貨を重ねる。
だがそれは1ポンド硬貨だった。
「む、随分強気だな」
「ギャンブラーの直感ですよ」
クリッタは、惚けて見せる悪友を睨みながらも1ポンド硬貨を追加した。二人の賭ルールでは、ベット額が同額にならないと成立しない事になっている。これでクリッタの掛け金は1ポンドと1シリングとなったので、ケンプがあと1シリング追加すれば賭が成立する。
それにもかかわらず、ケンプが置いたのは2ポンド硬貨だった。
「…ケンプよ」
「何でしょう」
「貴様、なんぞ情報を掴んでるな」
「はて何の事でしょうか」
震える手でクリッタは2ポンド硬貨を追加した。すでに賭けたコインを引き戻すことはルール違反だ。このまま同額になるまで賭け続けるか、降りるかどちらかだ。だがクリッタにも意地がある。そう簡単に降りるわけにはいかなかった。
それを哀れむようにケンプの手からさらに5ポンドが追加されると、テーブルが激しく叩かれ、コインが散らばった。
「無効だ無効!このイカサマジジイめ」
「だから後賭けしたんだろうが、いちゃもんつけるな、ヘボジジイ」
「何が『ギャンブラーの直感』だ、制服マニアの変態野郎が。ああそうだな、メゾナールバンクの受付嬢はなんて名前だったかのう!」
「そっちこそ胸の大きさを基準に声かけてるだろうが。だが残念だったな、フランズ百貨店のケティー嬢のあれはな、偽物よに・せ・も・の!はっはっは、憐れなエロジジイは妄想とともに滅んでしまえ」
「名前を公表するな腐れ外道が。何の根拠があってケティーちゃんを侮辱する」
「うちの商会が最新作の矯正下着を卸した。ケティー嬢の被服店にな。そしたら翌日から彼女の胸が成長した」
「きっと育ち盛りなんじゃ!」
「ド阿呆め」
目の前で醜いつかみ合いの喧嘩が始まっても、アーネは頬杖をついてぼんやり通りを眺めていた。初夏の陽気で、通りを歩く人々の服装も心なしか軽やかだ。
「平和だなぁ」
欠伸を噛み殺していると、扉の鈴がカラリと鳴って来客を告げる。
どうもーと間延びした、それでいて憎めない挨拶をしてきたのは、ユニオンメールのリオネルだった。
包装店は彼の配達エリアには無いのだが、配送サービスを本格運用するにあたってルンドベリ包装店とユニオンメールとの窓口的な役割を担っているため、こうして時々来店しては打ち合わせをしていく。
「あらリオネル君。ナナの残り香でも嗅ぎにきたの?」
「ななな、何を言ってるんですか。仕事ですよ、仕事!」
「ふーん」
「アーネさん絶対信じてませんよねっ!ほらお届け物です」
「ふーん」
頬杖をついたまま、ニヤニヤしているアーネの前に、ドサリと小包が置かれた。
伝票の宛先はルンドベリ包装店、送り主はナナリだ。
小包を開け、いくつかの包装サンプルと手紙を取り出しているとチラチラと視線を感じる。
(くふふ)
目を細め、口元を少し吊り上げてしまう。
こういう時、アーネはとてもイジワルな顔になると、よくナナリに怒られたものだ。
「お仕事ねぇ」
「仕事です」
「じゃあ手紙の中身は興味ないのね。お疲れ様ありがとう、またよろしくね」
トントンと指先で小包を叩きながらリオネルを見上げると、微妙に視線を逸らして立っていた。
10秒が過ぎ、いつの間にか喧嘩を止めたクリッタの咳払いが聞こえた。
20秒をむかえ、成り行きを見守ろうとケンプが椅子を引いて座る音が聞こえた。
30秒に達すると、リオネルの首がガックリと垂れた。
「すみません、僕も見たいです」
「やあねえ若い子はもっと素直にならないと」
あらあらおほほと笑いながら封を切ると、リオネルを交えて手紙を読んだ。ナナリの几帳面さがよく出ていて、便せん3枚にびっしりと報告が書かれている。
「あ、なんか良い香りがしますね」
「君、顔がだらしない事になってるよ」
お手本のように綺麗で丁寧な筆記体で書かれたそれからは、ほんのりエニシダの甘い香りが漂ってくる。どうやら便せんに香り付けをして贈ってきたらしい。
ナナリらしいとほほえみながら読み進めると、サンプル品を送ったと書いてあった。
がさごそと袋を開けてみると、中から小さな正方形の梱包材、そしてそのカラーサンプルが出てくる。
正方形の梱包材は、ライナと呼ばれる表面と裏面の紙で、芯となる波状の紙を覆った頑丈な構造をしているらしい。
ただの紙なのに簡単には折れず、物を落としても凹むだけで破れたりしないと書かれていた。そのうえ軽いというメリットもあるそうだ。
「なんか紙のくせに頑丈なんて魔法みたいね、すごいわ」
「これ、紙の厚さによっては相当な重量まで耐えるんじゃないですかね」
一緒に手紙を覗き込んでいたリオネルが、真剣な顔つきで梱包材を叩いていた。
こういう時は男の子の顔をするのねぇと感心しつつ、アーネは別の部分に興味を抱いていた。
紙なので、着色や装飾がやりやすいのだ。
絵を描いたり、キャッチーなメッセージを書けば目立つだろうし、企業名をデカデカと載せたらもの凄い広告になる。
「組み立て方法を検討する必要があるって、書いてあるわ」
「そんなもの、ユニオンで直ぐに実証試験できますよ、これは凄いです。すぐに、採用しましょう。革命が起こりますよ」
「ちょ、わかったから落ち着きなさい。ナナが帰ってきてから直接意見を聞いた方がいいわ」
「そんな悠長な事を言ってたら先を―ぐえっ」
グイグイと迫ってくるリオネルの首根っこを掴んで持ち上げたのは、ケンプだった。
「少年、商売はタイミングが重要なんだよ。急ぐならば落ち着けと言うだろう」
「飛ぶ前によく見ろとも言うしな」
いつの間にかクリッタも神妙な顔つきでアドバイスしていた。
どうやら百戦錬磨の商売人二人から見ても、この梱包材は商売になると見えたらしい。
アーネにしてみれば、なによりも信頼できる鑑定である。
「リオネル君。そういうことだから、落ち着いてもう少し待ちましょう。ほら、明日にはクイーンロクサーヌ二世に乗船して戻りますって書いてあるから、4・5日で戻ってくるでしょ」
「わかりましたよ―って客船ですかっ!?」
不承不承といった感じで頷くリオネルの脳裏に、朝刊の見出しが浮かんだ。酷い海難事故があり、大勢が犠牲になったらしいと聞いていたが、あれは何という船名だったかと不安になってくる。
「あの、朝刊ありませんか、座礁したあれ、名前何でしたっけ」
慌てて店内を見回すリオネルに、若いもんはいいねぇと茶化しながらクリッタが新聞を投げてよこした。バサリと音を立てて落ちた新聞に飛びつく様子を、アーネは微笑みながら眺めていた。
もちろん、座礁した船の名前は覚えていたので、余裕の表情である。
一方、1面の見出しを見ていたリオネルは、安堵で力が抜けたのかヘナヘナと床に座り込んだ。
「よかったぁ」
するりと手から滑り落ちた新聞が、床へと落ちた。
【 新造客船 オリアナ座礁か 】
~乗客1563名中727名が行方不明~
だが、オリアナという名前をリオネルはどこかで聞いた事があるような気がしていた。
暫く首を捻り、そして「あ」と叫び声を上げると猛然と配達鞄を漁り始めた。




