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17話 恋愛前夜(中編)

 グラスに注がれた赤のポートワインとチョコレートを楽しみながら、ピクニックの時間はゆるゆると過ぎていく。


 「どれも素晴らしい料理だったが、なんといってもミートボールだな。まさかこの国で味わえるとは思わなかった」

 「ううん、断然オストカーカ。こっちではもう食べられないと思ってた、幸せ」


 グラベルもシエラもだらしなく頬を緩ませ、至福の表情でワインを飲んでいた。

 ミートボールとオストカーカは、二人が最も愛していると豪語してやまない料理である。それがふんだんに振る舞われたのだから、機嫌も良くなるというものだ。


 リンゴンベリージャムとクリームソースを添えたミートボールは、ポテトと共に食す祖国の伝統スタイルそのままだった。スタンピード家では結構多めにナツメグを入れるのだが、まさにその味わいそのものであった事に感動したグラベルによって、ミートボールは独占された。


 オストカーカは牛乳にレンネットを加え、カゼインを凝固させたいわばチーズケーキのようなデザートだ。ジャムやクリームを添えて食べることが多いが、ナナリはあえて2種類のアーモンドを使って素材の味を活かした食べ方を推奨した。これがまたシエラをいたく感激させたらしく、彼女は器を抱え込んで猫のように威嚇して独り占めしていた。


 子供の様な喜びようで料理を語る二人を前に、アーネはなんとも言えない顔でナナリを見上げてしまう。まるで二人の大好物を事前に知っていたかのような周到さではないか。


 「知ってたの?」


 ヒソヒソとナナリに耳打ちしてみたが、ただの偶然ですとシンプルな答えが返ってきただけだった。確かに、いずれも彼らの祖国ではポピュラーな料理であり、他意はないと言われてしまえばそれまでの事だ。


 何となく釈然としない顔つきでアーネがチョコレートを囓っていると、ポートワインに酔ったシエラがグラベルに甘える様子が目に入ってきた。

 グラベルの耳元とで何か囁き、小突かれてクスクスと笑っているその幸せそうな姿を見ていると、胸の奥がもやもやして仕方が無い。

 

 「本当に仲がよろしくて」

 「あ、いやこれは…すまない、甘やかしてきたものだから」

 「いいえ、喧嘩をする恋人同士を見るほど嫌なものはありませんから、そのくらいの方が良いと思いますわ」

 「シエラは…その」

 

 何か言いかけたグラベルだったが、首を傾げるアーネを前にすると口ごもってしまう。

 今ここで打ち明けて、良好な関係がガラガラと音を立てて崩れてしまうのは何としても避けたかった。


 ずるいかも知れないが、抜き差しならない所まで行ってから打ち明けた方が…そんな打算が脳裏をよぎったとき、アーネが小さくくしゃみをした。

 

 「うーん、変ね。本格的に風邪なのかしら」

 「少し風が出てきましたから、こちらを」

 

 さりげなくブランケットを掛けてくれるナナリに感謝して二人に視線を戻すと、シエラは酔ってグラベルの肩に寄りかかって寝入っている所だった。

 

 (何か、嫌だわ)

 

 人前では多少はしたないかもしれないが、恋人同士ならば日常の事だ。

 だというのに、アーネの心は乱れている。

 正体不明の気持ちに翻弄されたアーネが、きゅっとブランケットを握りしめて俯いた時、突然静な森に響く鳥のように透き通ったナナリの声が流れてきた。

 

 「何にもまして―」

 

 詩のように聞こえるそれは、有名な戯曲の一節だった。

 ハッとした顔のグラベルが、ナナリを凝視している。


 自らに誠実に、それは昼も夜も。そうすれば他人にも嘘をつかなくて済む、という有名な戯曲家の言葉だった。

 そしてそれは、スタンピード家で厳格に守られてきた家訓でもある。

 淀みなく、歌声のような美しい声で読み上げられた一節に、グラベルは言葉を失った。

 家訓だからと毎日嫌々読み上げているグラベルやシエラでは、こんなに気持ちのこもった言葉を紡げないだろう。


 そして1万回以上も聞いたその言葉は、今この場において初めて正しくグラベルの心に刺さった。


 「ナナ、急にどうしたの」

 「はい。スタンピード家のご嫡男と『ご令嬢』に、末永い幸せが訪れますよう、お祝いの詩を」


 アーネは『ああ、そういえば伝えてなかったわよね。良く似ているから勘違いするのも判るわ』と苦笑いを、そしてグラベルはというと、苦渋の表情を浮かべていた。

 当のナナリはすまし顔で微笑み続けている。

 

 「ナナ、ごめんなさいね。実はお二方は兄妹ではなくて恋人同士なのよ」

 「兄妹でご結婚されるのですか」

 「そうじゃなくて…」

 「実はそうなんだ」

 「え?」

 

 途中から割って入ったグラベルの言葉にアーネは言葉を失う。

 どういう意味なのだろうかと。

 『ジツハ ソウナンダ』

 その言葉が繰り返し頭の中を駆け巡る。

 まさか、そういう事なのだろうかと。

 

 「グラベルさん…」

 「すまなかった、アーネさん。何度も打ち明けようと思ったんだがシエラが―」

 「き、き、禁断の恋も良いのですが、この国では近親婚が認められていないんです。愛し合う二人が結ばれないなんて事があっては、ああそうです、駆け落ちと言う手もありますわ。でも周りから祝福されない結婚なんて辛すぎますし。一体どうしたらいいのかしら、そうだわ!ミセス・ラブールにお願いすればもしかして」

 「いやアーネさん、違うから落ち着いて」

 「いえ待って。ねえナナ、もしかするとあちらでは近親婚が認められているの?」

 「厳禁です」

 「ああどうしましょう、やはりミセス・ラブールに頼み込んで―」

 「アーネさん、聞いて下さい!」

 

 立ち上がってアーネの手を力強く掴むグラベル。

 ずり落ちそうになったシエラは、さりげなく後ろに回っていたナナリが支え、ゆっくりと横に寝かせていた。


 もう大丈夫だと、ナナリは安堵する。

 恋に関しては多少ヘタレな所があるグラベルだが、真っ直ぐなで誠実な気持ちはアーネに伝わるはずだ。


 下手な小細工などせず、正面からぶつかればきっと上手く行く。

 なにしろ、相思相愛なのだから。

 

 (これで一安心、です)

 

 心から安堵するナナリであった。



 †-†-†-†



 その晩はグラベルの公邸で夕食を頂いた。

 ナナリも同伴を求められたが、固辞して他のメイドと同じ食事を摂ることにした。


 ルクスブルーの時とは違い、アーネのメイドとして来ていたので食事を同席するわけにはいかないというのが表向きの理由で、実際には肉食獣の如くナナリを狙っているシエラから身を隠すためでもあった。


 そして、ナナリの正体を知りたくてウズウズしているのはシエラだけではなかった。グラベルもまた、気になって仕方が無い様子で食事中何度も話題をアーネに振っていた。

 もっともそれはスパイス程度で、主に話題となっているのは二人の趣味だとか好きな食べ物だとか、聞いていて甘ったるくなるようなものである。

 

 そんな事もあり、メイド達の控え室へと足を踏み入れたのだが、そこは意外と大変な事になっていた。


 「ようやく、ご当主様も身を固めるおつもりに、なられたのかしら」

 「でもルンドベリ様はまだお付き合いを承諾されていらっしゃらないとか。心配だわ」

 「あらだって手をつながれて頬を染められていたわ、きっと大丈夫よ」

 「全力でサポートするのよ、これを逃したら二度と春は来ないわっ」

 

 グラベルはメイド達に人気がある。

 それは決して外見というわけではなく、彼女たちの働きを正しく評価してくれる珍しい主だからだ。


 祖国のスタンピード家で働いていたメイド達のうち、仕事への意欲の高い者を引き連れて外交官公邸へ移り住んだグラベルは、働きぶりに応じて給与を決めていた。道具に工夫をして掃除の時間を短縮したあるメイドは、特別賞与を貰っていたりもした。


 余計な出費のようにも見えるが、結果して全体効率の向上に寄与している。ある一点を除けば、メイド達にとって最高の職場環境であった。

 

 そんな彼女達の目下最大の懸案事項は、いつまでも結婚しな主の恋愛事情であった。

 貴族の女性は大勢公邸を訪れているというのに、一向に彼女達を誘うような事をしない。


 恋に不器用な主をどうにか救おうと、最終兵器『シエラお嬢様』を公邸に招き寄せたのだったが、それが大当たりだったようである。

 

 「毎日毎日ルンドベリ様の話ばかり、もう全てのエピソードを暗唱できるわ」

 「それにしても、シエラ様の『嫉妬心を煽ってみるわよ作戦』は成功だったのかしら」

 「あの結果を見るとそうだったんじゃないの?」

 「そんな事ありませんよ」

 「え、誰っ?」

 

 突然見知らぬ声が聞こえて来たので、メイド達は跳び上がって驚いた。

 ナナリはニコリと笑って挨拶をする。

 

 「ああいう小細工は大嫌いな人ですから、間に合ってよかったです」

 「そ、そうなの?ってあなた、ああルンドベリ様のところのメイドね」

 「ナナリです」

 「そっか、よかったわぁ、私達もあの作戦には反対したんだけど…」

 「そうそう、やっぱりあの時サーカスに行くのは反対してよかったわよね」

 「結構苦労したのよね、あの日はケーキが…」

 

 メイド達はまた井戸端会議に花を咲かせようとしている。主人の夕食が終わるまでは彼女たちも夕食なので自由時間ではあるが、主人達の噂話などはあまり褒められた事ではない。

 ナナリの悪戯心がくすぐられた。

 スッと壁際に移動し、一度ゆっくりと空気を吸い込むと、カツンと靴で床を鳴らした。

 

 「あなた達っ」

 「はいぃっ!!すみませんっ」

 

 椅子を倒して一斉に立ち上がったメイド達は、直立不動であった。

 それは鬼よりも怖い女中頭、全てのメイド達の指揮監督人事管理を行う絶対の上司、鉄面皮メイループの声まさにそのものであった。


 彼女達の職場環境における唯一にして最大の問題、恐怖のメイド頭である。

 しかし、いつもなら直ぐに落ちてくるはずの叱咤の嵐がいつまでたってもやってこない。

 勇気あるメイドの一人が恐る恐る振り返ってみると、そこにはクックと笑いを堪えるナナリの姿があった。

 

 「コラ!」

 「何て声色を使うのよ、よりによって」

 「すみません」

 「驚かさないでよっ」

 「ねえ何で鉄面皮の事知ってるの」

 「えーとそれは」

 「やだ少し出ちゃった」

 「ちょっとやめてよ」

 

 メイド達に取り囲まれてワイキャイと騒いでいたら、突然空気が凍った。

 正確に言えば、一瞬にして全ての動きが止まったのだ。

 メイド達が静かに顔を上げたその先にいたのは、本物のメイループであった。

 

 「鉄面皮とは、どなたの事かしら」

 「ひいっ」

 

 メイド達が蜘蛛の子を散らすように去って行く中、ナナリは少し潤んだ瞳でメイループを見上げていた。

 その顔は怖れるというよりも、むしろ喜んでいるようだった。

 

 「貴女は、アーネ様のメイドですね。メイドとしての嗜みが少し欠けているようですが、スタンピード家に来た暁には私の元で厳しく指導させていただきますよ」

 

 手にした鞭のようなものを振り、冷徹な目で見下ろしてくる。

 メイド達はこの姿を見ただけで震え上がるのだが、ナナリは少し目を細めて懐かしむようにその姿を見ていた。

 

 「何ですか」

 「いえ、何でも。あ、クルトンは元気ですか?」

 

 その名前を聞いた時、初めて鉄面皮の表情が崩れるのを見た。

 猫のクルトンと遊ぶ時以外、メイループの表情が崩れるのを見た事は一度も無かったというのに。

 

 「なな、何故クルトンの事を!」

 「あ、心配しなくても大丈夫です。追い出されたりしませんよ。グラベル様は猫が大好きなはずですから」

 「そんなはずは―」

 「そうそう、それ鞭じゃなくて猫じゃらしなんですよね。ああ、クルトンに会いたいなあ…」

 「貴女、一体誰なの」

 「クルトン大事にしてあげて下さいね。あとメイドさん達は、恐怖じゃ縛れないですよ。彼女達に猫の事相談してみるといいかも?それじゃ」

 

 呆然とするメイループを残して、ナナリは廊下へと戻った。

 何だか不味い事を口走ったような気もするが、今はとにかく一人になりたかった。

 クルトンの名前を口にした途端、急に家族の事が恋しくなり、涙がこみ上げてきたのだ。

 

 (みんなに、会いたいなあ)

 

 誰に案内されるでもなく公邸の屋上へと辿り着くと壁にもたれ掛かかり、中空にうかぶ月を見上げた。


 懐からそっと懐中時計を取り出し、蓋を開ける。

 月明かりに照らされた針は、以前よりも明らかに速いペースで、未来へと向かって時を刻んでいた。


 (……順調、だ)


 アーネとグラベルが結ばれる。その道筋が、確かなものになった。

 自分の役目が、もうすぐ終わる。

 その証拠に、時計は帰るべき時へと、着実に近づいている。


 「……よかった」


 呟いた声は、安堵しているはずなのに、なぜか少しだけ震えていた


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