15話 サーカス!(後編)
公演最終日となる4日目の朝。
一人しか居ないメイドを戦力として駆り出した代償として、ルンドベリ邸の中は荒れていた。公演会場の仕事を終えてから、ナナリが出来る限り掃除や洗濯をしているがそれも限界である。
「今日は手伝わなくて良いわ。本業をお願い」
ほんのり目の下に隈を作ったアーネは、カリカリに焼いたベーコンを囓りながら、ふわふわと頭を揺らしている。目覚ましの紅茶を煎れていたナナリが、かしこまりましたとお辞儀で返した途端、満足したようにうたた寝に入ろうとしたので、慌てて声をかけて覚醒を促す。
「じゃあ、言ってくるわ。ナナも夕方には家事を切り上げて、打ち上げ会場に顔を出してね」
「はい」
フラフラと歩くアーネを心配そうに見送った後、気合いを入れて邸内の浄化を始めた。ベッドのシーツを剥ぎ、全力で洗って庭へ干し終えたら、次は縦横無尽にハタキを振るう。開け放った窓から冷気が押し寄せてくるが、我慢である。
床のホコリを退治し、窓枠のお肌を手入れする頃には10時を回っていた。
「あ、ズッキーニ!」
今晩は、アーネが好きなズッキーニをくり抜いてグラタン風にしたメインディッシュを作る予定だった。市場は昼を過ぎると極端に品数が少なくなってしまうので、なんとしても午前中に買い物を済ませなくてはならない。
急いで外套を羽織ると、大きな鍵束を買い物かごに投げ入れて掛け出した。
そうしてやってきた市場は、相も変わらず賑やかである。
雑多な品が所狭しと並べられ、活気のある呼び声が飛び交っていた。
ナナリがズッキーニを探して人の海をさまよっていると、馴染みになった露天の店主から次々と声を掛けられた。
「いよっ、今日も可愛いね。熟成ベーコンのブロックが入荷したけどどうよ」
「最近うちの娘がなぁ…お、青髪ちゃん。いーい茸が手には入ったぜ。もう絶品、最高、安くしとくぜ」
「甘味は入るところが別だよ、さあさあ買って行きな。ほら、青色ちゃんも一口試食してみな、とろけちゃうよこのプリン」
どれもこれも美味しそうなのが厄介だ。
数多の誘惑を振り切り、必要な食料だけを手際よく購入していく。ようやくズッキーニへとたどり着いた時には、すでに昼近くになっていた。
「珍しく今日は遅かったねぇ。悪いけど売り切れだよ」
新鮮な野菜が欲しい時にはいつも利用している青果市場の露天で、ガックリとうなだれるナナリへ、恰幅の良いおばちゃん店主が申し訳なさそうに言った。
「うぅ、失敗しました」
なんとなく脳内がズッキーニグラタンで埋め尽くされていたため、他の料理にするのも悔しかった。
「代わりに、これなんかどうだい」
「カボチャじゃないですか、全然違います!」
「何言ってんだい、ズッキーニはカボチャ属だよ。親戚みたいなもんさ」
「…にわかに信じられません」
ずっしりと重いカボチャに顔を近づけてみるが、どうやってもズッキーニと親戚であるようには見えない。いやしかし、もしかして器にするにはカボチャの方が向いているのではないか、とも思えてくる。
「あの、手のひらサイズの小さいカボチャなんて…ないですよね」
「あるよ」
駄目で元々と思って聞いてみたら、あっさりと出てきた。
本当に手のひらに乗るくらいのミニカボチャで、くり抜けばちょうどグラタンの器に使えそうだった。しばし食い入るようにミニカボチャを見つめ、そして決断した。
「コレ10個ください」
「あいよっ」
しかし、おばちゃん店主から手渡されたカボチャを手にした瞬間、ナナリの顔はひきつった。ミニとはいえカボチャの重量は一つ1ポンドはある。家事で鍛えられているとはいえ、乙女の細腕に10ポンドの重量は実に暴力的であった。
「ちょっと、持てんのかい?うちのガキを貸してやろうか」
「だ、だいじょうぶ、です、はい」
すでに必要な買い物は済ませたので、帰り道ぐらいは何とかなるだろうと考えての返事だったが、ナナリにしては甘い見通しであった。
†-†-†-†
「ということが、あったんです」
「それは、大へっ、くっ、くくっ」
「笑い事じゃないです」
「あははは」
ぷるぷる腕を振りながら説明するナナリの姿が楽しすぎて、アーネはこらえるのを諦めて笑い転げている。
一方のナナリはというと、両手に重量物を抱えて戻った後、ミニカボチャをくり貫きグラタンを詰めオーブンに突っ込んでから会場まで走ってきたので、疲労こんぱいである。
「大変だったわねぇ、ありがとう。そんな頑張り屋さんにプレゼントがあるみたいよ」
「プレゼントですか?」
「そう、私からじゃないけど、良い物らしいわ」
「はあ」
首を傾げるナナリの後ろでは、ハンスがリオネルの背中を思い切り叩いていた。
「痛ぇ!何すんだよ」
今日この日のために、ハンスは持ちうる全ての伝手を使ってリオネルの休憩時間を捻出した。代わりに引き受けた労働は思い出すだけでもうんざりするものだったが、いずれ倍にして返して貰う事を思えば、許容範囲内だ。
「うるさい、お前のことだろ。すっとぼけた顔してないで、さっさとポケットの中の物、渡してこい」
「え、え、何の事だか―」
「こっちは疲れて死にそうなんだ、下手な芝居はいいからさっさと行け」
狼狽えるリオネルの尻を蹴り、ナナリの方へと押しやる。当然アーネとも話はついているので、もめることは無いだろう。
(まったく世話が焼けるよ)
あわあわと公演チケットを取り出してナナリへ話しかける親友の後ろ姿を確認すると、ハンスは最後の梱包作業へと戻っていった。
†-†-†-†
「凄かったです、ライオンが大きくて。声が、地震みたいで」
「よかったわねえ」
「あと空中ブランコも凄く高くて、飛ぶんです空中で!」
「よく落ちないわよねぇ」
「そうなんです、あでも道化師がもっと素敵で―」
ナナリが興奮気味に報告をしていた。
おとなしいナナリが、ここまで饒舌になるのは極めて珍しい。アーネはまるで母親のような気持ちで楽しげに語るナナリの話を聞いていた。
(リオネル君も選択を誤ったわね)
この様子では、隣に座ったリオネルの存在は空気のように薄かったことだろう。まあ、こんなに喜ぶ姿をリアルタイムで見られたのだから文句があるとは思えない。
それよりもアーネにとって目下の興味は、目の前のグラタンである。
「それにしても、絶品だわ。このエビグラタン」
お世辞抜きで、これまで食べたグラタンの中でもトップクラスの味だった。
なによりも器がカボチャというのが良い。レシピを作ったら売れるかしら、などとぼんやり考えていたら完食してしまった。
もう少し食べたいなあと思って器をツツいている時に、はたと気がついた。
「ところでこれ、10個も買ったのよね。残りはどうするの」
「明日また違う料理に使うつもりです。あと2つはリオネルさんとハンスさんに、かぼちゃケーキでも贈ろうかと思うのですけど」
「いいんじゃない?泣いて喜ぶわよ」
そうですかと嬉しそうな笑顔を浮かべるナナリを見ていると、今度は『だが嫁にはやらん』と父親のような気持ちになるから不思議だった。




