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11話 ルンドベリの猫(中編)

 その日のルンドベリ包装店は朝から発注が殺到し、仕事は苛烈を極めていた。

 アーネの指先が魔法のような速さで動くと、巨大な包装紙が縦長の箱をくるくると包みこんでいく。ピシッと折れ曲がった角を確認し、すぐに次の品物へと手を伸ばしたところで、カウンターからナナリがひょこりと顔を出した。


 「あの、白猫の包装紙が残り40インチ切りました!」

 「バックヤードにロール何本残ってたっけ?」

 「2本です」

 「うーん、追加発注しても間に合わないかな。来る頃には…」

 「聖誕祭終わってますね」

 「在庫わずかの札を出して。残り1本になったらもう売り切れでいいわ」

 「はい」


 数日前から来客数が急増し、アーネ一人ではどうにもならなくなったので、急遽ナナリに手伝ってもらう事にした。この際、家が多少荒れたとしても目を瞑る事にした。


 当初は午前中だけ接客をお願いして、その間作業場で黙々と包装作業をしていたのだが、今日の忙しさは尋常ではなかった。

 家のことは一旦忘れて、フルタイムで働き詰めだ。


 大変なら臨時店員を雇えば良さそうなものだが、こんな一過性のブームの為に人を雇っていたらあっという間に店が潰れてしまう。その上ナナリが想像以上に有能なものだから、つい甘えてしまっていた。


 「3セットお買い上げで10ペンスになります。あ、はい大丈夫です。1シリングお預かりしましたので、タペンスのお返しになります」


 まず会計が丁寧で正確だ。大手の小売店でも会計時にあまり復唱する事はないが、実はこの声に出して伝える事が無用なトラブルを避ける最高の手段なのである。教えてもいないのになぜ出来るのか不思議だが、きっと例の『母親』とやらから教わったのだろう。


 (ほんと、できた母親よね。まるで将来何をするかわかっていて教え込んだみたい)


 アーネとしては感心することしきりであった。仮に自分が子供を授かったとしても、ここまでしっかり教育できる自信は無い。うんうんと頷きながら巾着風の包装を仕上げていると、再びナナリの声が聞こえて来た。


 「あの、はい。いえ、無理です」


 よしよし、出来ないことはちゃんと断ることもできる優秀な子だ、と満足顔で青い箱にリボンをかけていく。


 「それは、すみませんが、え?そんなことできません…」


 おや、なんだか様子がおかしいなと思ってひょいと作業場から顔を出して見ると、禿げあがった頭の身なりが良い紳士が必死にナナリを口説いていた。


 「何、心配する事はない。こう見えても誠実で通っておるからな、メイドに手を出すなんて不届きな事は断じてやらん。給料は3倍だそう、どうだ今すぐにでもウチに来んか」

 「堂々と引き抜きするとは良い度胸ね」

 「うわっ、アーネちゃん!おったのか」

 「私の店に、私が居て何がおかしいのよ」

 「ち」

 「…今、舌打ちしたわよね」


 商会連合会長のクリッタである。

 ルクスブルーの件で奥様に火遊びがバレてしばらく謹慎を食らっていたはずだが、いつの間にか放免されたらしい。それにしても、いい加減懲りないのだろうかと心配になる。


 「うちの子にちょっかい出すのは、止めて欲しいですね」

 「アーネちゃん、この子例のクッキー作る子じゃろ」

 「そうですけど?」

 「やはりか!よし5倍だそう、今の給料の5倍だぞ、どうだウチで働かんか」

 「お客様がお帰りです~」


 青筋を立ててにこやかに笑うアーネに恐れをなしたのか、ガックリと首を落として帰って行くクリッタを見送ると、これまでの疲労が一気に襲ってきた。


 「ナナ、ちょっとお休みする?」

 「はい、ドッと疲れちゃいましたね」


 店先に休憩中の札を立てると、ティータイムの準備を始めた。

 自分がやりますと主張するナナリを制して、暖房代わりに使っているコンロにヤカンを置いた。シュンシュンと音を立てる湯気を眺めている間に、ナナリは作業机にクロスを敷いてクッキーを並べていた。


 今日はオレンジの上にアーモンドを乗せたフロランタンと、サクサクほろほろのバタービスケットだ。

 このバタービスケットは、アーネのお気に入りだった。

 シンプルな味なので飽きがこないし、懐かしい感じがする。

 その香りと味を思い出しながら頬を緩ませていると、寒風が窓をガタガタと揺らした。


 「雪が降りませんように」


 ますます寒くなっていく外の様子をちらりと横目で見ながら、ティーポットへとお湯を注ぐ。

 高い所から落とした方が美味しい水になるのだが、肩口くらいからでも十分だ。

 ふんふんと鼻で歌いながら厚手のハンカチをパンッと広げてティーポットを包み込む。


 今日はフルリーフだから4分、黄金色が反射する真鍮製の砂時計をクルリとひっくり返す。お店で煎れる紅茶だから、こんなもので十分だろうと満足して振り返ると、目の前にナナリの顔があった。


 「わあぁっ!?」

 「す、すみません」


 危うくティーポットに激突するところだ。

 ドキドキと跳ねる心臓に手をあてて、一歩後ずさった。

 どうやら、ずっと見られていたらしい。


 「びっくりした、びっくりした」

 「あの、ごめんなさい。見とれてしまって」

 「え、何が?」


 その日のアフタヌーンティーは紅茶の入れ方講座となってしまった。それはもう熱心に聞いてくるので、アーネも楽しくなってしまい、教え方にも熱が入ってしまった。

 一段落してビスケットを食べている時、ナナリが煎れてくれる紅茶も十分美味しいのよと伝えたが、独学だから全然ダメなんですとしょぼくれていた。


 「珍しいわね、お母さまは教えてくれなかった?」

 「母は…その、いくつかの事柄については絶対に教えてくれなかったんです」

 「あらどうして?」

 「なんか『だって私が楽しめなくなるじゃない』って言うんです。よくわからない理由で。他の事は長女だから、何でもやりなさいって言うのに」


 ぷくっと膨らませた頬が、最近流行のマシュマロのようで美味しそうだ。


 「寝台列車も、絶対に乗せてくれなかったし、ガーデニングツールの工作とかもヒミツだって…なんか基準が良くわからないんです」

 「ふうん、でもおかげで私は楽しめたわ」


 再び膨れたナナリの頬をつついてから、包装作業を再開するのだった。



 †-†-†-†



 聖誕祭前の狂ったような忙しさも、前夜にはすっかり落ち着きを取り戻していた。

 注文を受けたプレゼント達は全て美しく包装され、それぞれの家庭でひっそりと夜の出番を待っていることだろう。


 「ん?」


 吹き付ける風の音が誘う「うたた寝の世界」から逃れようと欠伸をかみ殺していた時だった。店の外から店内を覗き込んでいる一人の女性が視界に入った。


 大きめの帽子でよく見えないが、十代後半ぐらいで高そうなコートを着ているところから良家のお嬢さんだろうと当たりを付けた。

 ここ最近店の知名度が上がったのか、時々身分を隠した貴族の子女が訪れる事があるのだが、皆一様に店先でウロウロと店内をのぞき込む。庶民が訪れるような店に気軽に入るのは恥ずかしいのだろう。


 やがて決心したように店に入ってくると、女性は珍しそうにグルリと店内を見回した。


 「いらっしゃいませ」


 声をかけたアーネと向き直った女性の間で視線がぶつかった。

 それこそ穴が空くのではないかというほど真剣な顔で見つめられ、さすがに居心地が悪くなりはじめた時、突然女性が口を開いた。


 「離婚歴とか」

 「は?」


 唐突な質問に、アーネの思考は一瞬停止した。


 「ご結婚された事はございます?」

 「い、いえ?」

 「そうですか」

 「そうですね」

 

 暫く沈黙が続き、唐突に質問が再開する。

 だが一旦間があったせいか、アーネもペースを取り戻しつつあった。

 

 「好きな食べ物をおうかがいしても」

 「ナナリのクッキーかしら」

 「それはお店の名前?」

 「うちのメイドの名前ですけど」

 「そうですか」

 「そうなんです」

 

 どうやら彼女は一度に多くの事柄を処理出来ないらしい。

 この沈黙はきっと脳内の思考整理に必要なのだろう。

 なかなか面白い人だ。

 

 「それはそうと、現在お付き合いのある特定の男性はいますか」

 「いませんね」

 「気になる方とか」

 「残念ながら」

 「そうですか」

 「そのようですわ」

 

 どんどんプライベートに突っ込んでくる質問に苦笑しながらも、丁寧に答えていく。

 というのもすぐに彼女の正体がわかったからだ。

 隠していても、ちらりと見えるそれから容易に判断できてしまう。


 「そんなに心配しなくても、グラベルさんを横取りしたりしませんよ」

 「えっ、なな、なんで横取り!?っていうか何でわかっ…」

 「だって、黒猫パッケージをプレゼントされた彼女さんでしょ?」

 「かっ」

 

 口を開けたまま硬直する女性は、オリオンブルーの髪をチラリと覗かせていたのだ。

 自分より年下であろう事は間違いないが、色白でシャープな顔立ちをしているせいか大人びて見える。

 

 

 (敵情視察ってところかしら)

 

 汚してしまったスーツを商品を取りに来てからは、結構な頻度でグラベルが来店している。そして馴染みになってみると、案外気さくな男性だとわかった。

 先日も、試供品で貰ったという高価なワインのラベルに書かれた建築物にまつわる逸話で、1時間も話し込んでしまった。


 それが彼女さんには面白くなかったのだろうと反省し、女性に謝ろうとした矢先、店の扉が勢い良く開けられた。

 

 「シエラぁ!」

 「げ」


 シエラと呼ばれた目の前の女性は、振り返った途端苦虫を噛み潰したような顔でうめいた。その彼女の元へズンズンと突き進んでくるのは、もはや馴染み客となったグラベルだ。


 「あらグラベルさん、いらっしゃい」

 「ルンドベリさん申し訳ない、コレが何か失礼な事をしませんでしたか」

 「『コレ』はない、『コレ』は酷すぎる」

 「いてぇなっ」


 シエラは猛抗議とともに、ガッチリと後ろから首に回された図太い腕に噛みついている。アーネは、微笑ましい光景だなあと口元を押さえつつ、いつもの世間話のつもりでグラベルに話しかけた。


 「可愛らしい彼女さんですね」

 「は?」


 その言葉を聞いた瞬間、グラベルとシエラの動きが止まった。

 ギギギと音がしそうな程ぎこちない動きで、グラベルの顔がアーネへと向けられる。


 (あ、あれ?何か変な事言ったかしら)


 「なん、ですって」

 「え?」

 「いま、なんと、言いました?」

 「いや、可愛い彼女さんだと…」

 「シ・エ・ラぁ」


 ギロリと視線を向けた先で、シエラはブンブンと必死に首を振っていた。

 なりふり構わず涙目で全力否定するその姿を見たアーネは、天啓にうたれたように、両手を叩く。


 「あ!ご免なさい、お二人は秘密のお付き合いだったんですね」

 「はあ!?ルンドベリさん何を―」

 「お客さまのプライベートなのに、私ったらごめんなさい」


 微笑む姿にクラクラしているグラベルに、横から蹴りを入れてシエラはカウンターへと詰め寄る。


 「ちょ、ちょっとまって、あのねお義姉さん」

 「おいっシエラ、『お義姉さん』じゃないだろ」

 「バカ、そんな事言ってる場合じゃないでしょ」


 突然横から割って入ったグラベルとシエラが言い争いをしている。キョトンとするアーネだったが、すぐにコロコロと笑いながら手の平を振った。


 「もう24ですから、お姉さんであってますよ」

 「や、コイツのはそいういう意味じゃなく―」

 「聞いてください、私達はですね―」


 アーネの言葉へかぶせるように二人が同時にしゃべり始めた時、店の鈴がカラリと来客を知らせた。

 慌てた声で店に飛び込んできたのは、真っ赤なコートを着て白い髭を生やした商会連合会長のクリッタだった。

 大変じゃ、大変じゃと言いながら大小様々な箱をカウンターの上にぶちまける。


 「アーネちゃん、すまんが超特急で14個包装頼む。ロングパークの孤児院を忘れとった!」

 「クリッタさん、孤児院回りすぎなんですよ。次でいくつ目ですか」

 「はて、8か9か覚えておらん」


 もう年なんですからほどほどにしたらどうですかと諫めると、年寄りの生き甲斐を奪うつもりかと怒られた。

 そんな話している間にもアーネの手は止まらない。プレゼントを渡す相手の年齢や性別を聞きつつ、一つずつ丁寧に包装紙を選び、包み込んでいく。出来上がったプレゼントを入れる緑色の袋には、すっかり有名になった猫のマークがワンポイントで入っていた。

 

 「あ、それ」


 仕事の邪魔をしないように黙って横で見ていたシエラだったが、大好きなエンブレムを見つけ、思わず声を出してしまった。身を乗り出してのぞき込む姿を見たアーネは、危ないですよと注意しながらもニコニコ笑っている。


 「気がつきました? シエラさんの猫ですよ」

 「あ、やっぱり!わあ、やっぱり可愛いですね」

 「シエラさんのはオリジナルだから、少し特別ですけど」

 「そうなの!?」

 「あれは刺繍だったでしょう」

 「う、うん」

 「これは大量生産ですからプリントなんですよ。でもすごく人気で、品薄なんです」


 なるほどよく見れば、猫のポーズも少し違っている。まじまじと見比べて、シエラは恍惚の表情を浮かべた。彼女の持っているオリジナルは小首を傾げていて、愛らしさが数段上である。


 「私のが、一番なんだ」


 うるうると目を煌めかせ、違う世界へと旅立ったシエラをよそに、手際よく包装作業は進められ、30分もかからず全てのプレゼントが仕上がった。その場で落ち着きなく足踏みしていたクリッタが、奪うように大袋へと詰め込んでいく。


 「すまん、代金は明日でいいかな」

 「明日は休みますから、明後日で良いですよ」

 「悪いの」


 挨拶もそこそこに、年老いた孤児院のヒーローは飛び出していった。

 突然の嵐のような忙しさも一段落つき、お茶でも煎れましょうかとアーネが微笑んだ時、シエラの脳細胞はこれまでになくフル稼働していた。


 アーネは恐ろしく有能だ。仕事が出来て自立している女性は現実を良く知っている。恋や結婚に甘い幻想を抱いてはいないのだ。平凡な駆け引きでは、グラベルの恋が成就する可能性は低い。

 では、どうすべきか。

 ここは勘違いを利用して、恋心を煽るしかあるまい、と結論づけた。


 「あ、私も手伝います」


 多少強引にお茶の準備を手伝いつつ、シエラは一計を案じることにした。。

 給湯場で行う事といえば、そう、女子の密談である。


 「まあ、そんなに遠くに一年間も留学ですか」

 「そうなんです。それで私がいないと、あ…グラベルが寂しがると思うんですよね。あのナリで凄く寂しがり屋なんです」

 「まあ」


 噂になっている当人は、居心地悪そうにキョロキョロと店内を見渡している。

 30年間恋など無縁だった不器用な兄が、初めて出会った運命の人なのだ。シエラとしても全力で応援するつもりだった。


 「それで、大変勝手で申し訳ないんですが、ときどきグラベルの我が儘に付き合ってもらいたいんです。お茶とか、劇とか、食事とか」

 「はあ」

 「とりあえず、明日食事をお願いできませんか」

 「はあ、明日は…え、ちょっと明日はマズくないですか!?」


 明日は恋人や家族にとって特別な日である。

 そんな時に彼女がいる男性と一緒に食事をするのはマズかろうと、さすがにアーネも首を振って断ってくるが、強引に押し切ることにした。


 「私もう明日には居ないんです。多分グラベルは独りだと食事も取らないで、仕事して寂しく過ごす事になっちゃいます。この通り、この通りですからお願いします」

 「あの、え…ええーっ?」


 生来押しに弱いアーネは、こうしてズルズルとシエラの策略へと引きずりこまれていくことになるのだった。

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