10話 ルンドベリの猫(前編)
一年を通して常に緩やかな時が流れるルンドベリ包装店に、唯一忙しくなる時期がやってきた。
聖誕祭という宗教的なイベントがあるこの12月は、大量のプレゼントやケーキが購入され、それに伴って包装の仕事も増大する。最近はお店の名前もジワジワと浸透してきたようで、ルンドベリのブランドを求めてやってくる顧客も多いせいか、殺人的な忙しさであった。
その紳士がやってきたのは、そんな目が回るような午前中の忙しさから解放され、遅めの昼食を取っている時だった。
熱々のアールグレイと時間が立ちすぎたパッサパサのサンドウィッチを頬張っていたアーネの耳に、カラリと来客を知らせる鐘の音が鳴り響いた。
「いらっしゃ―ぐっ!?」
紳士を見た瞬間、慌てて飲み込もうとしたサンドウィッチは、見事にアーネの喉を直撃しそのまま居座り続けた。
「えふっ、ぐ…」
「おい、大丈夫か」
入店したら店員が突然苦しんでいる、そんな状況に一瞬戸惑った紳士だったが、そこはレディーファーストが徹底しているお国柄か、すぐに立ち直って慌てて近寄ってくる。
だが、今のアーネにはそんな余裕はまるでない。
液体が必要なのだ。
急いでカップの液体を飲み干そうと、手を伸ばす。
中身は、こだわりの熱々アールグレイであるが。
「あちっ!」
思わず反射的に投げ捨てたカップは、流れるように紳士の方へと吸い込まれていった。
10分後、2軒隣のアウル洋服店から借りてきたカッターシャツとジャケットに着替えた紳士に紅茶を運ぶアーネの姿があった。
「このたびは本当に!」
「いや、こっちこそお昼時にすまなかった」
もう何度目になるかわからないやりとりだが、それでもアーネとしては謝り足りないと思っていた。
「本当に本当に、すみませんでした」
「いや、問題ない。火傷もないし、気にしなくていいよ」
自分の胸元を覗きながら苦笑している男はグラベル・スフォル・スタンピードという。年の頃は30前後、ガッチリした体つきをしていた。
無骨な顔とぶっきらぼうな話し方は、不機嫌というより生来のものらしいとわかった。
そして何より特徴的だったのが、その髪の色である。
(ナナリと同じオリオンブルーの髪…ううん、ちょっと濃いかな?瞳も青いところはナナリと違うのね)
「あの、失礼ですが綺麗な髪の色ですね」
「え?」
「いえ、珍しい色でしたので、ちょっと見とれてしまいました」
「あ、ああ。このあたりだと見かけない、かな」
以前気になって調べたことがあるが、オリオンブルーの髪は海を渡った大陸の北にある半島の小国でしか見られないらしい。そんな珍しい髪のお客様が突然現れたのだから、サンドイッチでむせてしまったのも仕方がないのだと、自分を納得させる。
ちょっと好みの顔であるとか、そういう事は関係無いと思う。
じいっと紳士を見つめ続けていたアーネだったが、ふと我に返る。
「それで本日はどのようなご用件で?」
「そうだ、忘れてた」
赤い顔でぼーっとアーネを見ていたグラベルが、慌てて足下の箱を手にする。一連の騒動ですっかり当初の目的を忘れていたようだった。
テーブルに乗せられた箱は飾り気のない白いもので、中には女性物の靴が入っていた。
「聖誕祭の贈り物なんだが、箱があまりに素っ気ない。もう少し飾ってもらえないかなと思っていたら、腕の良い包装家がいると、ある御婦人にこちらの店を紹介されたんだ」
「かしこまりました。贈る相手の方について、年齢や趣味など教えていただいても良いでしょうか」
「年齢?何故」
男は不思議そうに聞き返してくる。
「10代でしたら赤と緑で楽しくなるような包装をしますし、20代なら白黒で少し大人っぽい洒落たデザインに、30代なら落ち着いたシックな焦げ茶で…」
「いや、わかった。22歳だったと思う」
自分にはついていけない世界だと思ったのだろう。グラベルは早々に理解することを放棄していた。
贈る相手は22歳の女性、社交的で物怖じしないアクティブな性格。花柄やフリルなどは嫌いで、シャープで洗練されたデザインが好みだとか。
なかなか魅力的な女性を捕まえたものだと、心の中でグラベルの手腕を賞賛しつつ預かり伝票を渡す。
「では明日、クリーニングしたシャツと一緒にお引き渡しで良いでしょうか」
「ああ、すまない。代金は当日払いで良いかな」
「いえ、ご迷惑をかけましたし今回は無料で―」
「ダメだ」
「え」
「いや、その。ソレとコレとはまた別だ。とにかく、代金は後日必ず払う。また来る」
「あ、はい」
ものすごい剣幕で迫られたので、思わず返事をしてしまった。
アーネは、しっかりと注文書を受け取って帰って行くグラベルの姿を、呆然と見送っていた。
「何だったのかしら」
だが一風変わった男ではあっても、顧客である以上注文はしっかりとこなさなくてはならない。スイッチをお仕事モードに切り替えると、箱を持って店の奥へと消えていった。
†-†-†-†
「なんかこう、しっくり来ないのよね」
「お口に合いませんでしたか?」
「ああ、そうじゃないの」
ナナリの料理が口に合わなかった事など一度もない。
大ざっぱで適当な味付けが多いこの国の料理と違い、下味からきちんと考えて作ってあるので、本当に味わい深い。それはファッションと料理にうるさい、とある他国の料理を思わせる。
「今日、ちょっと珍しいお客様がいらしたんだけど、お願いされた包装の出来が上手くいかなくて…ああ、そういえばナナと同じ国の人かしら?」
「私とですか」
「髪の色がナナと同じオリオンブルーだったのよ、珍しいわよね」
そう言ってあらためて髪を見つめる。
同じオリオンブルーだが、ナナリの髪はグラベルよりわずかに淡く、灰色っぽい銀の輝きが含まれている不思議な色だった。
「その方」
「ん?」
「どんな様子でしたか」
「そうねえ」
珍しくナナリから興味を持ってきたので、昼間の出来事を詳しく話した。
特にグラベルの服装や容姿に食いついてきたのは、同郷だと思ったからだろうか。
「とまあそんな感じで。大人っぽいモノクロのストライプにしようかと思うんだけどなんかピンとこないのよねぇ」
一通り話し終わり、紅茶を口にしていると自然とため息が漏れてしまった。
「あの」
「ん?」
「ね、猫とかどうでしょうか」
ナナリは意を決して進言してみました、といった感じでスカートの裾を握っている。
「子供っぽいって思われないかしら。結構大人びた子みたいなのよね」
「大丈夫です、猫大好きですから!」
「どうしてわかるの?」
「え?あ、あの。えっと、私の国では猫好きが多いんです」
「ふうん」
こりゃ何かあるなぁと思いつつ、ピンポイントで猫を入れるのは悪くない案だとアイデアを巡らせた。素材は長持ちする布に変更して、淡いベージュ地の中央上よりに黒い猫のシルエット、それから店のロゴタイプ。いっそバッグにしてしまうのも良いかもしれない
「なんか、いけるかもしれないわ!」
ナナリにデザイン用の紙とペンを持って来てもらい、猛然とデザインを描きつけていく。そうして大まかなレイアウトが出来上がる頃にはもう、空が白み始めていた。
集中する主人の横で、甲斐甲斐しくサポートするナナリだったが、少しだけ心がざわついていた。
(その紳士って、やっぱりそういう事だよね?)
ここが、ターニングポイントだ。
ナナリはぐッと拳を握りしめて、追加のアールグレイを注ぐのだった。




