09話 ルクスブルー(後編)
目指したのはバー・カーである。
夜更けに少女が一人で立ち寄るような場所ではないのだが、そこは『ルクスブルー』である。
治安の点では何ら問題が無い、はずだ。
そろり、と扉をあけてのぞき見ると、ピアノの演奏が流れる中で2~3組の大人達がゆっくりと酒をたしなんでいるようだった。
カウンターへと視線を移すと、あのバーマンが静かにスコッチを注いでいるのが見えた。ホッと胸をなで下ろしてカウンターへと足を向けた。
夕方通りかかった時に作って貰ったピーチシードルに使われていたミント、それを分けて貰えないか交渉するつもりだった。
「あの、す―」
すみませんと声をかけようとした直後、背後からの大声に邪魔をされる。
「なんだ、アーネ嬢のところの子供じゃないか」
振り返ると、マグノリアと呼ばれた青年貴族が立っていた。漂ってくるアルコール臭から、相当酒が入っているのがわかる。
隣に侍らせた若い女性とは深い関係にあるのだろう、やたらと密着していた。しかしどうこう言う立場でもないので軽く会釈だけ返す。
あまり関わりたくなかったので、そのままカウンターに向かおうとしたのだが、グイと肩を掴まれた。
「ちょっと待て、お前に聞きたい事がある」
突然のことに硬直するナナリは、怖くて振り返る事もできなかった。隣の女性の視線が突き刺さってくるのがわかった。
「なによランドベルグ、あんた幼女趣味だったわけ?」
「馬鹿な。仮にそうだとしても、もっと見栄えの良いのを選ぶ」
「ま、そうよねぇ。地味~な服だし…どうせ平民よね」
「さあそれはどうかな。仮にもアーネ嬢と共に食事をするくらいだからな」
「ふうん、まあどっちでもいいけどぉ?」
派手な化粧と煌びやかな装飾品で着飾った不快な女性は、何が楽しいのか騒がしく声を張り上げながらマグノリアにしなだれかかっている。対するマグノリアは、一時の遊びと割り切っているのか、冷めた態度で返答にも慎重だった。
「まあどちらでもいい。お前、アーネ嬢と暮らしてるんだろう?色々聞きたい事がある」
「ねえ、アーネって誰。どういう関係なの」
「うるさいな、少しだまってろ。おい、まて逃げるな子供!」
こそりと脇から逃げようとしたナナリに向かって、マグノリアの手が伸びてくる。必死に逃れようと体を捻った時に運悪く列車がガタンと揺れた。
派手に転ぶナナリへと迫ってくるマグノリアの顔は、醜悪な怪物のように歪んで見えた。
恐怖のあまり堅く閉じた瞼に、ふと影が落ちた。
「お客様、もめ事は困ります」
柔かな声が聞こえて来た。
おそるおそる薄目を開けてみると、バーマンがナナリの正面に立ち、大きな背中の陰で『早く逃げなさい』と手を振っている。
わき目もふらず逃げ出した。
背後からもみ合うような大きな音が聞こえたが、振り返る勇気はなかった。
息を切らして駆け込んだ隣の車両で、最初に目に入った大きめな化粧室へと避難する。急いで扉を閉め、扉越しに物音を確認する。
どうやら追いかけてくる様子はないようだった。
「はあ…」
背中を扉に預けて長い安堵のため息を吐き出すと、意志に反してずるずると体がずり落ちていった。その時になってようやく、化粧室に先客がいることに気がつく。
「あらあら、どうしたの」
メープルシフォンクッキーをくれた老婦人だった。
あまりに怖い思いをした直後の優しい声に、おもわず涙腺が崩壊してしまう。
「私…」
「何か怖いことがあったのね、話してごらんなさい。おばあちゃんが、懲らしめてあげますからね」
静かに嗚咽を繰り返すナナリをそっと抱きしめた婦人は、自身のコンパートメントにナナリを招き入れるのだった。
†-†-†-†
「う-」
ノックの音で、アーネは重い頭を持ち上げる。
ベッドへ横になったのは良いが、変な姿勢で寝入ってしまったようで頭が痺れたように重かった。
「ナナ?」
「はい、お飲物を用意しました」
「ありがと」
ほどいた髪がばさりと顔にかかるのも気にせず、ベッドから起きあがった姿勢でぼーっとしていると、いつも通り爽やかなミントティーの香りが漂ってきた。
「んー」
まどろみの中でティーカップを受け取り、口を付けるとやはりいつも通りの味が鼻を抜けていく。
「あれ?」
そこでようやく違和感に気が付いた。
ここは『ルクスブルー』で、自宅では無いのに、何故いつものミントティーが出てくるのか。
「なんで?」
首を傾げるアーネの横で、ナナリは嬉しそうにしている。
「ねえ、なんでなんで?どうやってミントティー作ったの?これうちのミントよね?それよりなんでナナはエプロンしてるの?」
矢継ぎ早に質問してくるアーネに、ナナリは微笑み返す。
「よかったです。とっても優しい方に分けてもらったんですよ」
「そうなの、素敵ね。どちらにしても、元気がでるわぁ」
ナナリは、美味しい茶葉と共にドライミントを分けてくれた老婦人へのお返しも考えていた。大したものは用意できないが、趣味で作ったランプシェードを渡そうと思いアーネへ相談する。
「それで、お返しにこれを返そうと思うんですが、包装をお願いでき―」
「なにこれ!」
ガバっと飛び起きてランプシェードに飛びつく。
この時期、ランプシェードという商品は存在していない。
「え、何ってふつうのランプシェードで」
「なにそれ、どうやって使うの?」
食い気味のアーネに圧倒されながらも、作り方や用途を伝えていく。
「家にも作ってくれるなら、包装するわ」
「それは、もちろんですけど、ほんとに平凡な―」
「全然平凡じゃないわ!ま、作ってくれるなら何でもいいけど」
ニコニコしながら、ランプシェードをルクスブルーのテーブルナプキンで包みこんでいく。濃紺と白の二枚で丁寧にくるむと、赤のリボンでたくさんの花を作って華やかにラッピングをした。
「変に高級なラッピングするより、ナナっぽくて良いでしょ」
「はい!」
ナナリからしてみれば、自分が作った素人作品よりもアーネのラッピングのほうが何十倍も素晴らしい。
アーネには何度もお礼を伝え、ラッピングを自慢するかのように老婦人の元に届けに行くのだった。
そして後に、二人は老婦人の正体を知って頭を悩ませるのだった。
†-†-†-†
包装店が休みとなった、ある日の午後。
ガランガランと呼び鈴が鳴らされ、ナナリが裏の戸口を開けると、郵便配達員のリオネルが汗を拭きながら立っていた。
「あ、お疲れさまです」
「いえっ、仕事ですから。俺も嬉しいんでっ」
「ありがとうござい…ます?」
何が嬉しいのかわからなかったが、とりあえずナナリはお礼を言っておく事にした。
ここのところ、包装店が休みの日になると、手紙とともに決まって大きな荷物が配達される。
そして決まってリオネルがそれを運んでくるのだった。
「俺、運ぶの手伝おうか」
「だい、大丈夫です」
大きな箱に埋もれたナナリを心配してリオネルが声をかけるが、このくらいで手伝ってもらっていてはジェネラルメイドは務まらない。
丁重にお断りし、残念そうな顔をするリオネルにもう一度お礼を言ってから、ホールへと荷物を運んだ。
その時丁度、欠伸をしながらアーネが姿を現した。
「ふぁふ。ナーナ、おはよ」
「あ、おはようございます…いま片づけますのでっ」
「ちょっと、またなのっ!?」
ホールに積み上がった箱の山を前にして、アーネは若干引き気味に眺めていた。
「一体何をしたのよ、ナナ」
「いえ、心当たりは何も」
「ラブール商会と伝手ができるのは嬉しいんだけど」
箱に付けられたタグを指で摘みながら、横目でナナリを見つめる。
国内随一の規模を誇るラブール商会は、良質な茶葉の仕入れで有名な豪商である。商売を営む者であれば、商会とのコネクションは喉から手が出るほど欲しいものだ。
故に、アーネのような小さな小売店が相手にされるはずはないのだ。
「ルクスブルーで何があったの」
「いえ、ミントのお礼にあのランプシェードを渡しただけなですけど」
「ちょっと待って。それが…ミセス・ラブールだったってこと?」
「はい、多分そうだった、みたいです」
予想外の大物に、頭を抱えた。
ミセス・ラブールと呼ばれる創業主は、隠居しているが現在も絶大な影響力を持っていると聞いている。
下手な対応をすれば、アーネの包装店など簡単に吹き飛んでしまうだろう。
「ナナ」
「は、はい」
「頂いた服を着てお礼に伺うわよ。手紙を出します」
「はい」
「もう他に秘密はないわね」
「はひ」
裏返ってしまった返事は、深々とお辞儀をして誤魔化した。
実はまだ一つ隠し事があったのだが、とても言える雰囲気ではなかったので黙っていた。
胸に手をおしあて、『きっと、多分、恐らく、大丈夫』だと自分に言い聞かせるのだった。




