拝啓、誰かもわからない貴方へ
拝啓、誰かもわからない貴方へ
そんなタイトルをクリックすれば、数秒真っ暗な画面が続き、その後幼い声が再生される。
『あはは。なんだか、このタイトルだと手紙みたいですね。でもごめんなさい。動画なんです』
画面に、ベッドの上で上半身だけを起こした少女の姿が映される。その表情は優しげで、それが逆に少女を儚げに見せていた。
動画はやや不思議な画角で撮影されており、ベッドの横から少女の顔を見上げるような形だ。少女は優しげな微笑みを崩し、苦笑するような声を漏らした。
『本当は手紙にしようかなとも思ったんですけど、文字を書くのは大変だなって。こうやってのんびり話している方が性に合っているので、動画になっちゃいました』
まだ幼さを残す顔立ちの少女は中学生か、もしくは高校生か。そのくらいの年齢であることは間違いないだろう。彼女が首を傾げるたびに、黒く艶やかな長髪が揺れる。
『スマホで編集しているので、質素な動画になってしまうことをお許しください……では前置きはここまでにして、そろそろ本題に入らないとですね』
少女は目を瞑って深く息を吸う。そして、心を落ち着かせるようにゆっくりとそれを吐き出した。一拍置いて目を開け、語り始める。
『この動画は、ある人へ謝罪と、感謝を伝えるためのものなんです。ある人といっても一人かもしれないし、もっといっぱいいるかもしれないし、私自身よくわかっていないんですけど』
そうして真剣な顔をした彼女は、ゆっくりと事情を話していった。
曰く、事故の後遺症で重篤な健忘症を患ってしまったと。そのせいで何かふとした拍子に誰かとの記憶を取り戻しても、それが誰かわからなくて困っているのだと。
そしてお礼を言わないといけないこと、謝罪を伝えないといけないこと、それらが沢山あるのに、誰に伝えていいのかもわからないのが辛いのだという。
『だからこうして動画に取っておけば、巡り巡ってその誰かに伝わらないかなーと。馬鹿にされちゃうかもですけど、すごくいい案だと思ったんです』
そう言って微笑む彼女の様子は、どこか今にも壊れそうな、ひび割れたガラスを思わせた。しかしそんな儚げな様子を打ち消すように、彼女は両手をパチンと打ち合わせる。
『じゃあ、早速始めて行きましょう。顔も名前も思い出せないけど、なんだかすごく記憶の中に残っている人がいるんです』
『あの人には絶対に感謝を伝えておかないといけない気がして……。いつも記憶の中では私に良くしてくれたんです。ご飯を作ってくれたり、いっぱい頭を撫でてくれたり。たまに、一緒にどこか遠くへと行った気もします』
『すごく、大切な人のはずなんです。だって、思い出すたびに、こんなにも胸を締め付けられるのですから』
『たまに叱られたりもして、でも私が辛い時は抱きしめてくれたりもして。お母さんみたいだなとも思いました。でも、記憶の中のその人とお母さんは身長が全然違うし、なんとなく、別の人な気がするんです』
『いつもご飯を作ってくれて、ありがとう。いつも私のために頑張ってくれてありがとう。何度も迷惑を掛けてしまってごめんなさい』
『これだけは伝えたかったんです。不思議ですよね。名前も、顔もわからないのに思い出すのはその人のことばかりなんですよ。でもそれだけ近い人のはずなのに、私に会いに来る人の中には見当たらないし、なかなか言葉を伝えられなくて……』
『実際に会ったとしても、本当にその人が記憶の中の人なのかは、多分わからないんですけどね。ですので、こうして動画の中で話すことにしました』
『名前のわからない貴方。もしこの話に覚えがあったら、私に会いに来てね! いっぱいいっぱい感謝を伝えたいの!』
『あ、お母さんが来ちゃいました。今日の動画はここまでです。覚えていればまた明日も撮影します。ばいばい、またね』
その言葉を最後に、画面が暗転した。
最後に映った彼女の目元には、光を反射する何かが見えたような気がした。