03.目を覆いたくなる。
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先ほどの宙に浮かせる魔法とは、何もかもが違った。
彼女が扉に手をかざしたと思ったら、その手のひらから光があふれ出し、扉に向かったと思えば、鍵穴ができていくのだ。間近で見ていた僕は、まぶしさに思わず目をつむる。
目を細めながら覗けば、別の光が形を作り始め、鍵穴に入っていく。しばらくすると光は消えた。
そこに残ったのは紛れもない、鍵。
「すごい......」
「これは鍵穴のない扉を開錠する、召喚魔法の一種よ。扉に直接魔方陣を組んで開閉する方法もあるのだけど、私はあんまり得意じゃないわ」
同じ扉を開ける、という行動でも魔法の使い方はいくつもあるらしい。
やはり僕も魔法を使ってみたいな。
早く記憶が戻らないものか。
「さて、心の準備はいいかしら。危険かもしれないから、十分に警戒してね」
「分かりました」
いざ、部屋の外へ。
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重い扉の片方を二人がかりで押す。
少し開いたところで砂のようなものが部屋に入ってきた。その時点で少し嫌な予感はしたが、それはすぐ確信に変わる。目配せをし、勢いをつけて扉を開き切る。
一気に砂埃が舞い、目の前が白くなった。
落ち着いてから、ゆっくりと外の様子を観察する。
どうやらここは大きな建物らしく、左右に天井の高い広い廊下が長く続いている。
幸い、すぐに危険が迫ることはないようだった。しかし、あちこちが劣化しており、全体的にどこか薄暗い雰囲気だ。それに、砂が舞っていて遠くがよく見えない。
なにより、人の気配がしなかった。
「姉さん、これって......」
「あまりいい状況とは言えなさそうね。とりあえず、人を探しに行きましょう。建物の外にでればいるかもしれないわ」
恐る恐る廊下を出て右にまっすぐ進む。廊下はところどころ壁が崩れていて、長くいるのは危険そうだ。床にもヒビが入っている箇所がある。
それに、道の端々には黒いドロッとしたものが落ちている。
あれはなんなんだろう。
「これ、外はどうなっているんでしょう」
「あまり期待はできないわ」
「そう......ですよね」
ぽつぽつと会話を続けながら、歩く。
怖さを紛らわせるためなのかもしれない。
僕が聞けば、彼女は答えてくれる。
それが唯一心を安心させていた。
だって、今の僕にとってここは知らない世界で、いつ、なにがあるかもわからない危険な場所。
そんなところを歩いて、怖くないわけがなかった。
そうして下ばかり見て歩いていると、彼女が急に止まった。
思わずぶつかってしまう。
「わぷっ......急にどうしました、何か」
「静かに。何か近づいてきてるかもしれない......警戒して」
今までとは違う強い口調に思わず体がこおばる。
心を落ち着かせながら、あたりに注意を配る。すると、地面が少し揺れているのが伝わってきた。
どしん、どしん。
と、何やら音も聞こえる。
間違いない、何かがこちらに向かってきていた。
しかも、意外と早い。
「......逃げるわよ。飛んで!」
「待って、どうやって!姉さ――」
「なら走って!!すぐに!」
彼女が叫んだと同時に、砂埃の奥から振動の正体が見えた。黒くて丸くてドロッとした大きなもの。
それを見た瞬間、僕は全速力で駆け出した。
とにかく遠くへ逃げないと。その一心で。
何あれ何あれ何あれ!?
体は動いているが、頭は真っ白。あんなもの知らない。いや、覚えてないだけかもしれないが少なくとも動物ではなさそうだ。
いや、というか、魔物か。あれが。
混乱していて考えがまとまらない。あれがこの国を襲ったのか?
怖い。足に力が入る。
そうしてしばらく走り続けた。彼女が付いてきているかどうかも分からない。
だんだんと息が切れてきた。スピードも落ちてくる。
そんなとき、後ろから何者かに体をがしっとつかまれた。それはもうパニックだ。
体をよじらせてどうにか振りほどこうとしていると、聞きなれた声がした。
「落ち着いてエディ、私よ」
「え、あ、姉さん?」
彼女は僕を抱えて飛行していた。こちらのほうが早いと判断したのだろう。
僕は正体が姉だとわかると、脱力してされるがままになる。
走るのなんか比にならないほど早かった。
これがペガサスの能力、なのだろう。僕自身も持っているらしいが、感覚を思い出せない今、背中のこれは使い物にならない。つくづく無力さを感じる。
いくつかの角をまがり、そろそろ巻いたかと思ったとき、彼女が急ブレーキをかけるように上空で止まった。正面に目をやると、遠くに先ほどと同じようなシルエットが見える。
別の個体だ。この道は通れない。
そう思い方向を転換すれば、巻いたと思った魔物がもうすぐそばまで来ていた。
今いる場所には曲がる道がない。
いわゆる、挟み撃ちというやつだろう。
死ぬかもしれない。
漠然とした、そんな恐怖感がずっと体をこわばらせていたが、いよいよそれが現実味を帯びてきた。
彼女は僕をゆっくり地面におろすと、魔物に向かって手をかざした。
角が光っている。そして彼女の手から炎の塊が出現した。
「効いていない?どうして......」
何発か打ち込んだが、魔物はひるむことなく近づいてくる。
彼女は体制を整え、今度は突風をつくりだした。この風であれを押し返すつもりだろうか。
近くにいる僕が吹っ飛ばされそうなぐらいの風が吹く。
しかし、やはり奴らが止まることはなかった。
二方面から近づいてくる魔物に、彼女は交互に攻撃を与えていく。しかしそれは、彼女自身の体力を削っているだけのようにしか見えなかった。息を切らしながらも、手は止めない。それは、僕を守るため。
僕もなにか、なにかしないと。でも、何を? どうやって?
記憶喪失で、魔法は使えず、空も飛べない。
僕には、なにもできない。
両側から魔物が近づいてくる。
もうすぐぶつかる!
そのすんでのところで急に周りが光に包まれた。
思わず目をつむる。
「な、なに?!これ、どういう」
「わからないわ!気を付けて!」
キーン、と耳をつんざくような音が頭の中に響く。耳鳴りだろうか。
いったい何が起こっているというのだ。
魔物にぶつかる超直前だったが、そのような衝撃はいっこうに訪れない。
だんだんと、周りが熱くなっているように感じる。
なんというか、例えるなら、猛暑の日差しの下で突っ立っているような感覚だ。
もしかして、魔物の攻撃なのだろうか?
そうだとすれば、かなりまずい気がする。
だがまぶしすぎて、目を開けることも、顔を隠す手も退けられない。
しばらくの間。僕たちはその場に立ち尽くしていた。
魔物の攻撃というのは、どうやら杞憂だったらしい。
光が落ち着いてきたので、周りの様子を確認してみる。
「ちょっと待ってください。ここ、どこ?」
薄暗い廊下も黒い魔物もいない。そこに広がるのは、
鳥のさえずりが響きわたり、青々と葉が茂る、森だった。
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