01.夢のような空間だった。
ゆっくりと時間が流れている。
ここは......夢だろうか。
(......絶対に......どうか......)
誰かの声が聞こえる。
柔らかく、あたたかい声。けれど、言葉の輪郭が曖昧でうまく掴めない。
(......たとえ......としても......)
必死に耳を澄ませようとしても、まぶたの裏が重たい。
答えはすぐそこにあるのに、夢の奥底に沈んでいく。
(......きっと......)
――もう、起きなければ。
なぜか、そう思った。
意識が引き戻されていく時、誰かに呼ばれたような気がした。
ー
は、と目を覚ます。そこには見知らぬ天井があった。
夢の名残はあるけれど、内容はもう思い出せない。
頭のなかがぼんやりしている。
「ここは、どこだろう」
つぶやいた自分の声が、少し響いて、やけに大きく聞こえる。
部屋の中は静まり返っていて、外の音もない。
時が止まっているように感じた。
周りを見渡す。
壁一面を覆う大きな窓は曇っていて、光は差し込むものの、外の様子はわからない。ただ、白いレースのカーテンが静かに揺らいでいる。
隙間風だろうか。
ほかには、窓と同じくらい大きな扉、これまた壁を覆うような大きさの肖像画、
いくつもの布が折り重なった大きなベッド。
小人にでもなったかのような感覚になる。
しかしながら恐怖感はなく、部屋全体には、どこかあたたかさが漂っていた。
オレンジ、ピンク、むらさき。
夕暮れのような色で統一されたこの空間は、覚えがないはずなのに、不思議と心地が良かった。外は見えずとも、今ここは黄昏時だと、錯覚するほどに。
頭がはっきりしてくるほど、自分に置かれている状況がつかめなくなっていく。
しかし、このままじっとしているのも落ち着かない。
まずは、情報を集めよう――そう思い、正面の大きな扉に近づいてみる。
離れているときからでも伝わっていたが、寄れば見上げるほどの大きさ。
両手で押してもびくともしなかった。
「......まあ、そう簡単にはいかないよね」
鍵穴らしきものも見当たらない。不思議な仕組みなのか、単に力不足なのか。
今の自分には手段がないため、他を探すことにした。
そうして、振り返ったとき――心臓が止まりそうになる。
先ほどまで穏やかな空間だったものが、一気に凍り付いたように感じた。
自分が目覚めたベッドに、誰かがいたのだ。
鳥肌がぶわぁと立つのを、腕をさすって抑えながら、おそるおそる近づく。
少女が横たわっている。
「......生きてる、よね?」
近づいて耳を澄ますと、静かに寝息が聞こえた。
気づかぬうちに止めてしまっていた息を、思い切り吐き出す。
よかった。
危険ではなさそうだし、万が一にも死体と二人きり♡なんて、勘弁願いたい。
あたらめて、その少女の姿を観察する。
どこかの民族のような、白い衣装を身にまとっている。
背中まで伸びる長い髪。色も、この部屋と同じ、夕暮れのようなグラデーションだ。
そして何より気になるのが、額から生える一本の角。
よくみれば、頭の上に動物の耳のようなものもついている。
彼女はいったい、何者なんだろう。
さらに、背中には翼も生えていた。
......キメラか? 情報量が多すぎる。
少女を起こそうか迷っていると、視界の端で何かがきらりと光った。
視線をたどると、少女の頬に残る涙の跡に気づく。
その瞬間、なぜか胸の奥がざわついた。
何かに急かされているような、置いていかれてしまいそうな、そんな感覚。
「っ、ごめんなさい」
気づけば、謝っていた。
ただ漠然と、彼女の涙に自分が関係している気がしたのだ。
もちろん覚えはないし、彼女が誰なのかも知らない。
それでも、なぜかそう感じてしまう。
ー
その後、少女を起こそうとしたが反応がなかったため、ほかの場所を探すことにする。
壁に掛けられた、大きな肖像画。これは近づくより、遠くからのほうが見やすい。
額縁の装飾は豪華だが、年月が経っているのか、少しくすんでいる。
それには、四人の人物が描かれていた。
月のような白い瞳と衣装をまとう、紺色の肌と髪をした女性。
白い肌と髪に赤い瞳、頬には太陽のような模様のペイントがある男性。
そして、その手前には子供が二人。
紺色の肌に銀髪の少年。片目が髪で少し隠れている。
ピンク色の肌と、夕暮れの空を思わせる、グラデーションの髪色をした少女。
二人とも、同じピンク色の瞳だ。
親の両の目を継いだのだろう。
「この人って......」
そこで眠っている少女と、絵の中の少女は同じ姿をしていた。
なら、ここは彼女の部屋だと考えるのが普通だ。
そんな場所になぜ自分がいるのか、謎は深まるばかり。
ほかに手掛かりはないかと、絵の周囲に目を配る。
その時、ちょうど肖像画の下に置かれていた机......の上にある鏡が目に入った。
映っているのは、自分だ。
紺の肌に、銀色の髪。そして、ピンク色の瞳。
「あの、少年......」
自分は絵の中の少年と、瓜二つだった。
でも、それが自分だと思うには、あまりにも実感がなさすぎる。
鏡に映る姿も、肖像画の少年も、記憶にはない。
何か、大切なことを忘れている――
「“僕”はいったい、誰?」
もう、少女を起こすしかない。
この答えを知りたくて、知りたくて。
他を調べている余裕なんてなかった。
「すみません、起きてください。お願いします」
そっと肩に手を添え、少し揺さぶりながら声をかける。
少女は寝息こそ立てているものの、全く動かなかった。
それでも根気よく続ける。起きてもらわないと、困る。
「んん......」
少女は少し身じろぎをすると、顔をゆがませ、目を開けた。
「えっと」
起こしたのはいいが、何を話せばいいのか分からない。
先ほどの勢いはどこへ行ってしまったのだろう。
紡ぐ言葉を決めかねていると、少女はふわりと微笑んだ。
「あら、どうしたのエディ。もしかして、寝ぼけてる?」
「エディ?」
彼女は、僕をそう呼んだ。けれど、聞いたことのない響き。
少なくとも、彼女は僕を知っているということが分かった。
「貴方は、僕の知り合いですか?」
そうたずねると、彼女は目を見開いた。
きっと、彼女が知っている僕は、そんなことを言わないのだろう。
そりゃあそうか。
そして次の瞬間、少女の顔からふっと微笑みが消える。
どころか徐々に青くなり、肩を落とした。
「これは......失敗したわね」
「え?」
ぽつりとつぶやいた、小さな声だった。
けれど、静かなこの部屋には響き渡り、僕の元にも届いた。
失敗。
なにが? 僕が? 何か間違えたのだろうか? 何を?
その言葉の重さは、胸の奥に突き刺さり、どっと不安が押し寄せる。
なにか、僕のすべてをひっくり返してしまいそうな、そんな感覚だった。
お読みいただきありがとうございます。第一章完結まで、毎日投稿いたします。よろしければ、明日もまた見に来ていただけたら幸いです!
玄狐りこ