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小説 空と海と(讃岐次郎の野望)

(2013年4月28日)

無気力で呆然自失の日々…

過去の落書きを纏めてみようかと

HDに保存されていたデータを開いてみた。


空海に挑戦した書きかけの草稿が見つかった。


その頃、意気込みは天を突くほどだった。

仏罰でも当たったのであろうか……

突然、人生の大事に見舞われた。

もう、小説などどうでもよいものとなって、放棄したのだった。


今更、続きは、もう書けない。

 若くはないし、気力もないのだから。

==========================

小説・讃岐次郎の野望

   『空と海と』


<はじめに>

 日本の歴史上、また、宗教上に巨大な足跡を残している空海という男を、私ごときが小説で描き出そうというのは、大それた考えかもしれない。「身の程知らず?」あるいは「罰当り?」

 実際、稚拙ともいえる私の小説技法と、語るにも足りない無知無学で、古今比類の無い最高学識の大天才と絶賛されている空海に挑むのは、正直言って自信が無い、と言うよりもその無謀さ加減に幻惑を感じてしまう。


 それなら、止めればよい。簡単な話しである。にも関わらず、私は書きたい。

 空海が人々に絶賛されているのを見るにつけ、私が空海という一人の生身の男を書かねばならないと思うのである。

 なぜなら、人々が抱く聖者空海の像と、実際とはあまりにも掛け離れているから。

 なに? 空海の実際? 一千二百年前の空海を私が実際に知っている? そんなはずはない。と読者は思われるだろう。私も、そう思う。それでも、私には分かるのである。実際の空海は、どのような人間であったのかが……。

 これは小説を書こうとする者の直感の才と言えばよいであろうか。


 見えて来るのである。今日残された空海に纏わる様々な資料を通して、そういう資料を残した男の実質が……。

 いくら空海を神仏と崇め、比類無き学識と才能を絶賛するために残された資料であろうと、人間を描くために知力を凝縮させていると見えてくる。私の目には、その資料で、神でも仏でもない人間空海が見えて来る。

 世間に空海賞讃が溢れれば溢れるほど、私は使命感を覚える。非力を省みず、私はキーボードの前に座る。


 少しでも資料を集めようとして図書館へ行ったときに、司馬遼太郎氏の「空海の風景」を見ることが出来た。その中で、私の見識を先取りした言葉があった。

 いわく

「…もし空海が大山師とすれば、日本史上類のない大山師にちがいないという側面が、このあたりにもほの見えるようでもある」(中公文庫判14P)


 力づけられもすれ、悔しくもあった。だが、司馬氏とは空海の追求が私とは大きく異なっている。やはり、私が取り組まなければ描き出せない空海がある。


 空海の全生涯まで描き出せるか否か、分からない。生活費を得るために一日二十四時間を二十五時間も取られてしまうという過酷な仕事に就いており、資料調査と執筆の時間が余りにも少ないからである。

 その内に、病に倒れて挫折することが予想される。私の小説『空と海』は、そのとき終了する。未完で終わることを覚悟しながら書き進めて行こうと思う。

 読者がいれば、幸いだが……。


  (1)

 「三つ子の魂百までも」と俗諺にも言われるように、幼少期に体得した情感は、その人間の一生を支配して行く。

 これは間違いなく真実である。後日、自我を形成して、自己の意志の元で考え行動したとしても、その考え行動する基は、実に三つ子の魂と言われる幼少期に植え付けられ育まれた第二本能とも呼ぶべき情動に他ならない。

 人は、自己の内部から吹き上げて来る情動を、社会生活を通じて体得した『常識』によって抑制する。

 時には理性と言われるもので鞭打ってまで自己抑制する。こうして、普通では三つ子の魂と言われるものは発展を押さえられる。

 自己の基となる魂を押さえつけては、天分の開花は望むべくもない。かくして、平凡な人生を送る大多数の凡庸な人間が出来上がる。


 もし、恥じることなく自己の情動を信じて考え行動すれば……。そこに優れた頭脳が備わっていれば、即ち天才が出現する。世の常ではない何物かを造り出して行くであろう。筆者はその一つの典型に空海を見る。


「真魚よ。お前は賢い。お前は都へ行くのや。お前は都でも、一番賢い人間になる。都で出世して、我が佐伯の族人ウカラを都へ導いてくれ。ゆくゆくは我らが天下を支配するのじゃ」


 空海の幼名は『真魚マオ』と言った。四国の讃岐を支配する佐伯善通の次男坊である。

 佐伯一門では、長男が後を継ぎ、次男は都へ出るのが習わしであった。

 善通の弟も都へ出ていた。皇太子の家庭教師を勤める阿刀大足がその人である。

 阿刀は真魚の母方の姓である。つまり、善通の弟大足は善通の妻の姉に婿入りしていた。

 次男に生まれた真魚も、大足の後を追って都へ行き、大足の築いた地盤を踏台に、さらにもう一段上に進み、都で権勢を振るう藤原一門をあわよくば追い落として、佐伯の天下を準備してくれる者になって欲しいのであった。

 親の贔屓目ではあったが、真魚は言葉を覚える前から、賢かった。


 真魚は親たちの褒めそやす言葉をまず最初に覚えた。

「真魚は賢い。真魚は都へ行く。真魚は都で一番の賢い者になる」


 およそ人間でありながら、人間ではないほどの頭脳や能力など存在するはずはない。しかし、空海はなぜか、人間ではないかのような評価を受ける。

 信じ難いような人間離れした才能と学識を、今日の人々でも賞讃する。神か仏と信仰するのでなければ、『大天才』とみなす。ま、天才と評する分は筆者も異存はない。しかし間違っても、神か仏と見做すことだけは慎もう。


 親の贔屓目で、親バカ丸出しの褒めちぎりは、当の子供をその気にさせる。

「真魚は賢い。真魚は都へ出て、都一の賢い者になる。都を佐伯族人ウカラの天下に変える」と、まるで念仏のように唱えているのであった。

 それを聞いて、親バカはいっそう感激する。


「真魚は仏の申し子であろう。これからは真魚と呼ばずに貴い物、貴物とうとものと呼ぼう」


 病膏肓に入る、とでも言うのであろう。今日であれば、賢いと言うよりも愚かと笑うところであるが、当時にあっては、真剣な話であった。

=====================

 学問を受ける子供など、支配階級の子弟に限られた。

 全く覚えようとしない子供は別として、煽てに乗って、そこそこに覚える子供を神童と呼べば、人はそれに文句は言わない。

 歩くもままならぬ子供が文字を書くと見れば、人は驚き、まさに神童に違いないと納得する。


 恐ろしいのはそうして煽てられ、褒めそやされて天狗に成った子供である。

 貶されて萎縮してしまえば、能力は必要以上に退化するのとは逆で、天狗になるほど褒めそやされていれば、持っている能力が、萎縮して退化する、ということだけはない。

 最大限度にまで発展するか否かは別として、そこそこの才能を示すようになる。空海もそれであった。


 一族の期待を担って、空海は優秀な家庭教師を付けられ、親かがり、教師かがりで教育を受けた。

 都へ撃って出るには、都の何人にも遜色の無い学識を準備しておかなければならない。そのためには、天皇になる者が幼少より専属の教師を付けて学ぶように、真魚にも優れた教師を付けておかねばならない、と親たちが考え、それを実行したのは至極当然と言うべきであろう。


 現に一族の一人、大足がそうして皇太子の養育がかりに成っている。それを手本として、真魚にも、天皇に負けないだけの教育を行なおうと、試みるのは自然であった。


 しかし、佐伯は皇族ではない。官位は従六位。讃岐の地にあってこそ最高権力者であったが、都へ出れば、極々下っ端である。空海がやがてその現実の前に切歯扼腕する日が来るのであるが、それは後日のこととして、少年時代の空海を、いましばらく追って見よう。

 後の空海の秘密は、すべて幼少期・少年期に隠されているのであるから。



(2)

 「賢い真魚」 「貴物」と、大人達から煽てられて天狗になっている真魚少年に、我慢のならない屈辱が一つあった。

 それは兄と喧嘩をすれば負けることであった。勉学では必死に取り組めば何とか年長の兄に遅れを取らずに済む。しかし、腕力ではいかに頑張っても叶わなかった。


 体力に勝る兄は勉学で真魚に遅れても、物の数には入れていなかった。大人達から依怙贔屓されて、煽てられている真魚に対しても、寛大な優越感を持っていた。


 それが真魚には悔しかった。自分の上に、自分を見おろす兄がいる。兄は優越感をもって自分を見ている。その立場をなんとかして逆転できないものか……。


 兄と一緒に唐語を唐人に学びながらも、真魚は兄を負かすことだけを考えていた。


「さて、孔子様の勉強はここまでといたしまして、もう一つ別の聖者のお話をいたしましょう」


 教師は書物を畳みながら表情をなごませた。日本語は正確であったが発音は怪しい。もう一人別の聖者……、


 その話はいつも漢語の難しい勉強のあとで、書物なしに行なわれた。真魚たちはただ、聞くだけの話であった。覚えたか否かの問いはなにもない。一番に喜んだのは兄であった。

 真魚は兄の喜ぶのをみて逆に、覚える必要のないもう一人の聖者の話を嫌った。


「真魚は唐語が好きじゃ」

 唐人教師の話を無視して、真魚は論語を黙読した。


「その方は、一つのパンを三千人に分けました。分けられた一切れは、おそらく指先につまむほどの小さな物になったことでしょう。ところがその小さな一切れのパンを食べただけで三千人の人々はお腹が一杯になりました」


「その方という方の名前は何じゃ?」

 兄が問う。真魚は知らぬ顔で論語をめくっている。


「厩でお生まれになられたので、厩の王子と我々は呼んでおります」

「その厩の王子の名前はなんじゃ」


 論語の勉強では何一つ問いかけをしない兄が、書物無しのもう一人の聖者の話では溌剌としていた。


「前にも申しましたように、我々はその方の話を聞き覚えているだけで、名前が分かりませぬ。厩の王子、または世なおしの救世主とのみ」


「名前の分からぬ者の話など信用ならぬ!」

 ずけっと言い放ったのは論語に目を通している真魚であった。


===================

「さよう。でありますから、こうして書物の勉強の終わったあとでお話しております」


「俺はその名前の分からぬ厩の王の話が好きじゃ。他にはどんなことがあった?」


 兄が話の続きを催促する。真魚は書物をたたむと座を立った。教師は真魚を見送って、後に残っている兄へ話した。


「その方はお釈迦様とはまるで正反対の方です。お釈迦様が正しい方であれば、その方は逆でありましょう。しかし、その方は言います。『貧しい者は幸いである。悲しむ者は幸いである。天国はそういう人たちのものである』と。また、こうも申されていたと言います。『富む者が天国に入るよりは、駱駝が針の穴を通るほうがやさしい』と。これは大変なことです。この聖者の話だと、まずお釈迦様が天国へ行けないことになります。お釈迦さまは王様の子で、幸せに満ち足りて生涯を終わったからです。天国とはそういう人の為のものではない、とその方は言われているのです」


「天国へ行けなければどうなるのじゃ?」

「地獄の火に焼かれるのでありましょう。そこのところはよく分かりませぬ」


 真魚は部屋を出て、戸の陰で話を聞いていた。鼻で笑った。大方、邪教の者であろう。お釈迦様を天国に入れぬ者と言い出す聖者など、邪悪に決まっている。真魚は父の善通に唐人教師を告訴してやろうと思った。


 佐伯善通は真魚の訴えを聞いて考えた。お釈迦様は王の子であるから貴い。万一、平民の出、奴隷の子であれば、たとえどのように優秀で聖理を語ろうと、そのような者が貴いはずはない。貴い者であれば、その証として、まず何よりも身分が貴いはず。人の上に立つ身分であってこそ、人を教え導く資格が身に付く。と言うことは、人の世の最高の地位に付いていることこそ、聖者の証明と言える。だからこそ、お釈迦様は王の子としてお生まれになった。それでよい。ところが、真魚が話伝えるもう一人の聖者は卑しくも厩で生まれたという。平民かあるいは奴隷か、決して王族ではない。そういういかがわしい者が、富む者は天国へ入れぬ、王の子である釈迦も然り、と言うているとすれば捨ててはおけない。危険思想を讃岐の王の子である真魚達に吹き込まれては一大事……。


 呼びつけられた唐人教師は、鷹揚に微笑んで答えた。

「厩の王子、御存知のように、この方にあやかって名前をつけれら、そして、大を成された聖者がお国にもおられる。そう、聖徳太子どの。仏教のように経文が伝わっておりませぬ。口から口へ伝承される話であるために、正確なことがわからず、私どもも悔しい思いをしております。探せばいずれは見つかるでしよう。お国の方まで心打たれているその方の伝承を、なんで危険という必要がありましょう。そういう方がかって人の世にいた、ということを心の隅にでも止めておくのは、咎にはなりますまい。よしんば邪悪であったとしても、伝承を耳にしたからといって、仏様が罰するとは思いませぬ。そうまで狭量ではないはず。また、逆にその方が真実であったとすれば、伝承を心にとめて置いたことが、功徳として取り扱われるでしょう」


 善通は諾いた。もっともであった。王の子としての真魚に、人の世に伝わる話の全てを教えておくことは、やがて都へ出て、あわよくば大和を制覇する上でも、都人に一歩も引けをとらないためにも、ぜひとも必要なことであった。


「真魚は賢いから、先生の話が理解できたであろう。心配せずに、先生の知っていることを全部学びとるがよい」

================


 真魚は、別のことを考えていた。

 まだ伝えられていない経文がある! 

 ひょっとすればそちらの方に、お釈迦様をひっくり返すほどの真実があるかもしれない。


 唐国のことは何でも知っているこの教師にさえ、まだ見たこともない経文があると言う。それを自分が手に入れれば、この教師を負かせるであろう。

 反対に自分がこの教師に教えてやろう。こやつは驚き呆れて平伏する。愉快であろう。誰も知らない経文をなんとか探し出せないものか……。



  (3)

「真魚、お前は賢いかもしれんが、少しのろいの。鈍臭いわ」

 真魚は考え込む癖がある。その分、行動が時として鈍くなる。それを兄が非難する。


「いつもの修験者が館様へ来ております」

 と召使に知らされ、兄は復習していた漢文の書物を一気呵成にたたみこんで真魚を急かす。

 修験者の怪奇談は兄弟にとっては何よりの楽しみであった。いつ訪ねて来るか分からない。もし、修験者が来れば必ず知らせよと、兄弟は召使に命じていたのである。


 兄は真魚を待たずに駆け出した。先に行く兄の後ろ姿を見て、真魚をふと思った。修験者の呪術を自分も身につければ、兄の足を払って倒してやるのだが……。

 その間に自分が先に行く。兄はどうしても自分に叶わない。勉強でも、喧嘩でも、何にしても、競争となれば、絶対に自分に勝てない! 愉快々々! 修験者の呪術が欲しい!


 遅れて館へ行くと、いつも訪ねて来る修験者の大きなドラ声が響きわたっていた。父もいた。郎党もいた。兄が頬杖をついて脇に座っていた。


「儂はこの目で見たのじゃ。先達がフワッと浮かんだ。腕をこのように広げてな……」

 修験者は両腕を一杯に開いて鳥が羽ばたくように動かした。

 真実味があった。嘘とは思えない迫力があった。館からも見えている捨身ヶ嶽で修験者の一人が修行の成果を試すために最後の捨身行を決行したと言うのである。


「それで先達さんは元に舞い戻られたのか?」

 父の善通が問う。

「舞い戻っては捨身の意味がない。フワッと浮かんで、ゆっくりと下に降りたのじゃ」


「ん、それで、御無事やったのか?」

「無事も無事。先達はついに黄泉と現とを自由に行き来する能力を身につけられた。厳しい修行の終着にたどりつかれた。儂らの目標はみなそこにある。生きる死ぬるの境を越えて、生きて死を見、死んで生きる自由自在の能力を身につけることにある」


 修験者の話は一々に迫力があった。真魚は感嘆した。捨身ヶ嶽から飛び降りてフワッと浮かんで地に降りた、という驚異的な出来ごともさることながら、修験者の話ぶりに心を打たれた。


「儂もあとすこしの修行を終えると、最後の捨身に挑んでみる。修行が足りなければ、儂の体と命を後達に捧げて、彼らの修行の補いに替える。決して無駄にはならない。修験者は己れの命を己れの物とは思わない。そこまで境地を達成した後でなければ、捨身の行には入れぬ」


 話は難しくなった。捨身に成功した修験者はそのあと、どのような行をしたのであろうと、真魚も兄も次の話を期待するのだが、目の前の修験者は小難しい話に専念していた。父も、郎党も熱心に聞いていた。


「真魚はどう思う?」

 修験者が出かけたあと、兄が真魚をつかまえて問いかける。

===================


「真魚も鳥のように飛んでみたい」

「あの話、本真(ホンマ)と思うかと聞いているんや」

「本真や」

「お前、あまり賢くないな。あんな話、嘘や」

「嘘やない。嘘と言うのなら、兄じゃが今、ここに居ることも嘘や」

「……?」


 大人達から「賢い、賢い」と褒めそやされる一端が、こういう時に垣間見えた。


 真魚にとって、少しでも遣り込められることは、我慢がならないのである。屁理屈をこねてでも言い返す。その屁理屈には当然無理がある。その無理を押し通して、何とか屁理屈に辻褄を併せて行く。


 この場合、考えてみれば、兄の話が真実に違いない。断崖絶壁の捨身ヶ嶽から飛び降りて、鳥のようにフワフワと浮かんでゆっくりと着地したなどという話は眉唾ものに決まっている。

 それにも関わらず真実と思わせる修験者の話に、真魚は自分もそのような能力が欲しいと思うのだった。

 兄を驚かせてやりたい。人々の賞讃を浴びたい。

「賢い真魚」から、「凄い真魚」「真魚こそ神の申し子、仏の生れ変り」と、最大級の賛辞を受けたい!


 限度を知らない子供の利己的で傲慢な欲望が、その後も抑制されることなく持続して行った。欲望の大きさに比べて、現実の自分の力の微弱さに苛立ち、いっそう欲望が増幅される。それは大人達から期待される者に成りたいという子供の生命本能でもあったが……。



 (3) 真魚のライバル

 真魚達の家庭教師を勤める唐人は中国の高級官吏であった。

 日本から遣唐使船が来たときに、その接待役を勤めた。海の彼方、日の登る東の外れに、神の国があると、唐人は古老たちから聞かされていた。

 昔々、人を救いに神の国から使わされた方は十字架の磔にあったが、夜陰に乗じて助け出され、再び神の国、東の彼方へ去って行ったと聞いていた。


 唐人は倭国と呼ばれる日本へ行きたかった。だが、政府から許可は出ない。

 そこで、遣唐使船が日本へ引き上げようとしているとき、唐人は一大決意をした。日本の下っ端の官吏から内密に誘いを受けたのである。

 讃岐という土地の王様が子弟の養育に教師を求めていると。


 唐人はその話に乗った。正規の大和政府からの招請ではない。唐国の官吏でありながら、倭の国へ行くということなど、簡単なことでは許可されない。しかも、大和の中央政府の招聘ではなく、地方の王からの要請で、などということは、間違っても許可されるはずがない。従って官吏を辞職して内密の出国であった。一人で日本の船に乗った。

======================


 彼は(名前?…択 来東…)拓は、朝の間は佐伯の館で、二人の子供に中国の古典書物全般や、仏典などを教材にして唐語を教えた。


 正確な韻律を踏んだ文語体と、一方では日常の会話も仕込んだ。


 幸い讃岐の王、佐伯善通は唐語をある程度理解しており、子供達へも完璧な唐語の習得を期待していた。


 唐語こそ学問の基礎と信じていた。和語など、こと改めて学ぶ対象ではないと善通も言う。大和の都では、官吏の子弟は和歌を学び蹴鞠に興じている。その間に真魚達を徹底的に唐語で教育して、彼らとの差を付けさせると言うのであった。


 真魚達の教師、唐人の拓 来東は、昼からは自由時間である。拓はしばしば奴婢の住まいを訪ねた。


 貴き神の声を求めるのであれば、人の世の富貴な子弟ではなく、むしろ奴婢の家に求めよ、とは唐国にいたころ、古老からしばしば聞かされていた言葉である。


 唐国にいたころは全く関心がなかった。ところが、日本に渡ってからは、なぜか、古老の言葉を思い出す。


 日々、讃岐の王の子の傲慢さ、我が儘さ加減にときどき閉口させられるためかも知れなかった。


 彼らは頭がよい。教えたことは驚くほどよく覚える。だが、そこには求める神の気高さはなかった。富貴の子弟ではなく、むしろ奴婢の家に……。


 奴婢の子弟はおしなべて頭が悪い。教えても一向に覚えない。それでも、拓は奴婢の家を訪ねた。


 拓の来訪を喜ぶ一人の子供がいた。彼は病弱で始終風邪を引いたり、腹痛を起したりして、藁くずの中に寝ていることが多かった。奴婢の身分の上に、病弱……。人の世では全く救いの無い状態であった。


「心配しないでいい。人は死なないかぎり生きている。あなたも生きている。生きておれば人は人の世の中の出来事を知っていなければならない。私は毎日、佐伯の殿様の子供に唐国の言葉を教えている。あなたも覚えなさい。死なないでおれば、いずれは役に立つ」


 佐伯の子弟のような傲慢さは欠片もない。そのかわり、卑屈さがある。傲慢がよいのか、卑屈がよいのか、いづれも悪いとは言うても、人はしばしばいずれかに属してしまう。そのとき、人はいずれをより嫌うか……。


 拓の場合は一種のバランス感覚であった。やりきれないほどの傲慢且つ我が儘な王の子に対するもう一方の存在へ安らぎを求める。


 両者は競合するにも境遇が異なりすぎて、勝負にならない。それでも、館の子供の話をしては、負けないように覚えよと促した。


 奴婢には全く不用の学問であるにも関わらず……。唐人の拓は理由の分からないまま奴婢の子供に自分の知識を分けていた。

=====================

  奴婢の子供は、…?名前?…沢は彼を「秋田 真聖(マサト)」と名付けた。


 秋田というのは、折しも秋の刈り入れ時で、人々は田へ出払い、彼の座する所から、黄金色に光り輝く田が一面に見渡せたからでる。


 病弱な真聖は、自分が皆と同じように作業の出来ないのを悔しがっていた。


「真聖、神様は一人一人にタラントをお与えになっています。皆さんと同じように働けないからといって、悔やむことはありません。皆さんと同じようで無いということは、皆さんとは別のタラント(能力)を持っている、ということです。皆さんが働いているその間に、真聖に出来ることは、なにがありますか? 今、私がここにいます。私の知識を受け継ぐことが出来ます。働いている人たちには、その機会がありません」


 真聖は目を輝かせた。

「わ〜も、学びたい。佐伯の王子達に負けないように学びたい」


 学ぶ決意をしてからは、真聖は日を追って記憶力が付いてきた。はじめは覚えた、と自信を見せたその端から、思い出せなくなっていたが、半年、一年と日を重ねるごとに、確かな記憶と推察力を身に付けていった。


 沢は思った。

 佐伯の我が儘な王子達より優れているのかも……


 しかし、沢にはエリート官僚として身に付けた学識より他には、伝授するものを持っていなかった。


「沢さまは、お釈迦様とは違う別の聖者のお話で、ただ一つの神と信じる唯一神は、人の作った絵や像には宿っていないから、そういう像を拝むのはいけない、と斥けているという話でしたね。それは、ただ、そういう慣わしだけから来たものですか?」


 真聖は、ついにこのような質問をするようになっていた。


「私も、詳しくは知りません。ただそう伝え聞いているだけです。真聖は、何か感じますか?」


 わずかな言葉と伝聞でも、優れた者は、その奥義を感じ取る。現代の言葉で言えば「インスピレーション」

 その当時には、「感じる」という表現であった。


「わ〜も分からないけれど、もし、それが正しいとすれば、神の宿って居ない像を拝んでいると、本当の真実の、正しい道から外れて、別の世界へ引き込まれて行くのではないかと……。それは大変、大きな間違いの世界へ入ってしまう危ない陥穽、つまり落とし穴であるから、なのではと……」


「そうですか」


「仮に、ですけれど、そういう別の真実があるとすれば、仏様の像を拝んでいる今の偉い人たちの道は、真実から離れて行くのかも、と思ったのです」


「そうすると、我々は間違った道を進んで居るのかもしれないですね。真聖は凄いですよ。是非ともまだ見つからない教典が欲しいですが……」


「でも、教本がなくても、耳を澄ませて、よく考えると分かるのではないでしょうか?」


 沢は驚いた。この子は既成思想を踏み台にして、それを越えようとしている。


 もともと、何も無い所から始まったから、その考えは、、あるいは神の真実へ直接辿り着けるかも……。


「真聖は凄いです。でも、あなたの話を発展させると、これは大変、危ないかも……。滅多には、人には言わない方がいいかも、です」

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次回へ

草稿は、次回まで。 ということは、次回で終わる?

  (4)

 佐伯の師弟へは、教えることは一通り教え終わった。しかし、それはあくまでも知識だけの話であり、沢 (タク) にしても、知識に留まらずに蓄積するものがあった。


 しかし、これは佐伯の輩たちに語るわけにはいかない智恵の深奥とでもいうものである。


 真魚は胸を張って傲然と言った。

「儂は唐人教師の知識は総て知り尽くした。もう、学べるものはあの教師には無い。かくなる上は、都へ行こう」


 真魚は成長すると、ますます、不遜な男に成っていた。


 善通は真魚に、有り余るほどの路銀を持たせて、送り出した。


「必ず、都で一番の学者と成れ。そのために必要な資金はいくらでも送る。我が佐伯一族は、やがてはこの倭の国総てを支配する。大足に続いて、都へ入れ。そして、大和朝廷を征服するのだ」


 沢も笑顔で真魚を見送った。唐の国では、昔から力のある部族が全国支配を達成する。犯してはならない神聖など存在しない。佐伯一族が都の征服を意図しているのも、力のある者の自然な成り行きとみていた。それを善通にも話したし、真魚たちにも話していた。



 真魚が旅立っておよそ一年ほど過ぎたころに、真聖は自分も都へ行きたいと言い出した。


「いいでしょう。真聖も行きなさい。体も随分達者に成った。いま、旅へ出ることは、あなたの体を一層強く鍛えるためにも意味があります」


 秋田真聖は、目標に佐伯真魚を眼中に捉えていた。まだ会ったことの無い学びのライバル。彼が向かった奈良の都へ一年遅れで辿り着いた。



  <メモ1>

真聖と真魚の出会い。

真魚は空海と名前を自ら改め、官吏の学問所に入る。

真聖は乞食僧として各所の寺院で書物を読み漁る。


空海が官吏の出世を諦めて、僧侶に成ろうとする。そこで真聖と出会う。

 ふたりは、最初、真魚が学生のときに、奈良の町で出会う。同郷であり、同じ沢来東に学んだとわかり、空海も胸襟を開く。

二人して、未来を語り合う。

真聖は仏教とは別の真実を突き止め、世の中の思想を一変させたいと。

空海は、腐った大和朝廷を打ち破り、天下を覆したいと。

しかし、親父の兵力では大和には立ち向かい出来ない。そこで、僧侶に成って頂上作戦を実行するのだと、熱く語る。


真聖から日本に未招来の教典が必ずあると、知らされ、着目する。

その教典は何か、空海と真聖で、既に伝わっている膨大な教典を二人かかりで虱潰しに調べ始める。


空海が一人で全教典を読み解いたのではない。優秀な真聖の助けがあった。しかし、後に、空海は「明けの明星が我が口より入り来たりて、膨大な教典を一気に読むことが出来た」、とホラを吹く。


ようやく、空海は未招来の教典が掴めた。空海はそれを自分で書こうと思った。だが、真聖に注意された。

「書いてもいい。でも真魚が書いたのでは、誰も有り難がらない。書いても、それは唐から招来した教本としなければ、有り難味は出ない」と。



このあとぐらいに、真魚は幼名を改め、「空海」と名乗る?


折しも、遣唐使船の話が伝わる。

空海は讃岐の親父に好機到来、 千載一遇のチャンス!

有りっ丈の資金を送れと要求する。


その資金の一部で、役人を買収して、遣唐使船の修行僧に加えて貰う。

唐に渡れば、なにをするのか、既に計画は出来上がっていた。



<メモ2>

 官吏を諦め、真魚は人間の生き様を見極めようと、各地を歩き回った。

 動物と大して変わらないと見た。その土地その土地で、工夫された生活様式、慣習があった。しかし、基本的に生きるための最大の喜びと励みは、男女の抱合であった。


 ある村には、他とは違った慣習に耳目を欹てた。

==========================

草稿・終章 2 へ続く


御大師様信仰の方には、申し訳ありません。

空海を一人の人間として見据え、その人間が、どうして超人的な「空海」になったのか、それを探っています。

従って、以下は、人間くさい一人の男として、現れてきます。

未完成の小説の(草稿の一部です)

信仰を維持されたい方は、読まれないのがいいと存じます。

================

 その村は徹底した女系で構成されていた。


 家は女が受け継ぎ守るものと定められていた。それが当然の生き様として、誰も疑っていなかった。


 したがって家族に女児が無く、そのままでは「家」は消滅する。


 無くなっても悔やまれるほどの財産も無ければ、どうでも良いものだが、それでは自分たちの血筋が世の中に残らない、と真剣であった。


 夫婦で女児が無ければ、他家から養女を迎えても良さそうなものだが、出来ることなら、母から娘、娘から女児へと繋いで行かなければと意味がないと、村の女たちはいう。


 そこで編み出されたのあろう。


 村には子授け神の社が祀られていた。婿を入れて二年、ないし五年、女児が生まれなければ、娘は子授け神事を願い出るのでる。


 真魚も参加した。というのも、神事が行われる時は、我と思わん男は誰でも、形ばかりの玉串を納めれば、子授け神の化身として参加できるのである。


 神事は猥褻ではなかった。そもそも、男女の交合を猥褻とみなすのは後世のことであり、原始的な人々の集落にあっては、猥褻と卑下する心情は有り得なかった。


 子授けを願い出た家の跡取り女は、七夜の間、神室に籠もるのでる。


 そして「授け台」に俯せに寝る。臀部を台の淵に出して、神を迎え入れるのである。


 真魚が行ってみると、老婆の巫女が、玉串納付を要求した。それを納めると、籤札を差し出し、一本引け、という。


 引いてみると、なにやら印が書かれていた。


「お前は運がいい。普通なら順番待ちだが、一番籤を引いた。待たなくて良い。今すぐ授け神の印を与える故に、行って子授けに励め」


 神室へ入ってみると、小さな明かりの炎が揺れる中、ほどよい高さの台の上に、おそらく村では最高の美しい織物と思われる布に包まれた人らしい物が横たわっていた。


 台の淵からは足らしき物が下がっていた。真魚はどうしたものか、見当が付かずにそのまま立ち尽くしていると、後ろから老婆巫女がいう


「何しとるんじゃ。その布をめくれ。次の神願いが来ておる。早く授けろ」

 

 台から下がっている布をめくると、なまめかしい二本の足が現れた。続いて、美しく盛り上がった女の尻が……。


 さらに布を捲ろうとすると、布は腰の所で縛られていて、それ以上は捲れなかった。


 真魚も精力盛んな青年である。目の前に肉感豊かな女体を見ては、我慢のできる筈がかった。


 臀部を両手で開いて、あとは無我夢中であった。

 なんという快さ。


 女の胸に衣類越しに手を回すと、柔らかい乳房が有った。懐かしい慕情に幻惑を覚えた。

 

 七夜の儀式が終わると、女は平常の生活に戻る。身籠もっていれば、神からの子授けであったと、祝杯を挙げる。女児であれば、それで終わるが、もし、身籠もらなかったり、男児であったりすれば、再度、子授け神事を願い出るのである。


「男は悔しいのでは?」

 真魚が尋ねると

「元々、男に種が無かったのだし、男種しか無いのだから仕方が無い。それと男も子授け神として、他の女の時に行くのだから、なにも悔やむことはない」


「子種がないと分かっていても?」

「神事のときは、男なら誰でも玉串を納めれば神になれる。女房には種なしでも、神事では種が出るかもしれない。それを区別することは誰にも出来ない」


 真魚は三回、参加した。その女はどこの誰かは明かされない。


「儂も知らぬ。願い出た女は、誰でも神受け、子授けが出来る。儂は日取りを決めてやるだけ。後は自分で神台に寝る。未明には帰っている。そして夜、再びそこに寝る。それだけのことだ」


 村の女たちの話から分かったのだが、女は一度、その神事を受けると病み付きに成るという。

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以下、次回、へ

空海が編み出した「胎蔵界」の秘密が明かされます。

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「男の顔を見ないですむでしょ。男の顔て、みんな不細工だし見苦しいしね。それを見ないですむのよ。だから、心から酔えるのね。そして、何人も続けて来て貰ったときには、もうもうこの世の天国」


「そりゃ、最初は怖いよ。どうなるのかと、不安で一杯。でも、一人すめば、後は平気。さあいらっしゃい、もっといらっしゃい、て感じね」


「一夜だけでなく、七夜ていうのがたまらないね」

「授かった子が、男の子だったときは、しめた、て思った。また子授けが受けられる」


「困るのは寒い時よ。足が冷えちゃって。それで足を反らせたりして精一杯運動するのよ。そうすると神様はいっそう喜ぶのね。でも、終わった後、布団を掛けてくれればいいのだけど、ほったらかしにするのがいるのよ。すぐに次の神さまがきて来れればいいけれど、来ないときには私も眠ってしまうでしょう。そして足が凍えてたまらないの」


 などなど……


 土地によっては、月に一度、集会を開いて、飲食したあと、神踊りと称して、男女誰とでも好きなだけ交合したり、また、女宅にはだれでも、夜半、忍び込んでも良い、と言うところもあったりした。


 どこの土地でも、形は変われど、男女の抱合こそは、人間の生きる喜びと希望であった。


 それがあればこそ、日々の重労働にも嬉々として励み耐え得ているのであった。

 そして、子供達もまだ機能しない男を突き出し、笑い楽しんでいた。

 生命の本源を見たのであった。



 後に、胎蔵界、と称して、教典で説かれる世界と並べたのは、空海の内に蠢く情動の処理であった。


 そして、胎蔵界を金剛界よりも上位と設定した。


 曼荼羅に描かせた艶めかしさ、それこそ性衝動の姿であり、女体を求めずにはおれない生命の疼きを昇華させたのに他ならない。


 人間の真実な姿に迫っていたと言える。しかし、空海には世俗の野望が、三つ子の魂として植え付けられたところの、天下制覇の欲望が根付いていた。



(メモ 4)

 野心家の空海は、官吏から頂上を極められなかったことに耐えられない内憤を抱いていた。このままで終わるものか。


 のぼせた権力者達が何に弱いのか、それを空海は見抜いていた。


 それは民衆にも共通したもので、人間の認知不能な架空の霊力への畏怖である。呪術とも魔力とも、怨霊ともいわれ、その働きを予知して、災いを回避することこそ、彼らの最大の関心事で有った。そして、それは何人も達成できないものであった。


 空海はここに目をつけた。

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以下、次回へ

 不可能なことを達成出来ると信じた修験者たち。彼らの妄想・幻想を人々は崇め敬服していた。


 それを少年時代に見ていた。自分もその能力を欲した。

 しかし、何十年も月日を費やして、荒行をやるほど愚かではない。


 空海はその逆手を取ることを考えた。自分が超能力の霊力を得た特別な者であることを吹聴することに努めたのである。


 架空の龍や仏、死んだ者の恨み、呪いなど、それらへの怖れや敬いを利用することにした。


 それを尤もらしく見せるために、威厳をもって語り、心底から自分がその霊能者で有ると信じ込んで演技するのだ。


 龍神の利用は、もっとも容易い。天空を観察したところ、太陽こそ最大の存在と見て、諸仏の頂点に大日を据えた。既存の教典に記された諸仏・諸菩薩の世界を金剛界の世界と描き挙げ、生命の情動を胎蔵界と設定して、荘厳に並べ立てた。


 空理空論の既存の思想では人間は生きて行けない。儒教、道教然り。また空海自身が若気の至りで持ち上げた所の仏教の世界も然り。


……これは真聖からの示唆で気付いた。仏教こそ妄想の塊であり、それを頼る縁 (ヨスガ) にしては、人々は必ず不幸に陥ると……


 妄想や空論では無い。それだけで人間は生きて行けない。生きるためには食わねばならない。何よりも男と女が交合しなければ、人間は、、いな、諸々の生き物は存在できなくなる。


 ぎりぎりまで考え抜いて、一度は信じた仏の世界を否定した。乗り越えた。


 生きとし生ける現実の世界を尊ばねばならない。それを表現しよう。それを既成仏教の世界と並列して、貴族も平民も総ての者たちに信仰され崇められるものとしよう。


 まさに、天才である。


 ここに着目出来たのは、空海が三つ子の魂として持っていたところの野心から生まれたものに他ならない。


 ただ、頭が良いだけでは、ここまで辿り着けはしない。支えとなる野心があればこそであり、その凄まじい思索と探求心の元で、拓き出したのである。


 ある一面では空海よりも優れていて、空海よりも真実に辿り着いていた真聖でも、ここには至れなかった。野心が無かったからであり、空海のように支援する有力者がいなかったからである。


 野心家の空海にしか、既成仏教を金剛界と一括して、真聖から掲示を受け、着眼した胎蔵界をもう一方に構築して仏教の総括宗教、つまり真言宗を発案することは、例え空海を上回る聡明な者でも、それは出来なかった。


 一人、讃岐の王である佐伯一門の支えを得ていた空海の野心が実らせた世界であった。



「わ〜の見るところ、教典のほとんどは、後世の者たちが、我れ釈尊からかく聞きたり、と釈尊を利用して書き記したもので、法華経など、その最たるもの」


 と、真聖からも聞かされていた。黙って聞きながら、その発想を手掛かりに大日教と胎蔵界と、真言密教とを考え出したのである。

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以下、下書きメモ 続く

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 空海にとって、聖徒の意見と発想こそ有意義で有った。日本に未だ伝えられていない教典。それを何十年も掛けて、中国や天竺を探し回るような馬鹿らしいことは出来ない。


 既に伝えられている教本に欠けている物を見つけ出し、それを自分で書けば良いのだ。そして、その創作教典を中国から、しかるべき高僧より伝授されたと言えば良い。そのくらいの教本など簡単に書ける、と自負していた。


 渡唐の段取りが付いた時には、その痛快な構想が出来上がっていた。


 修行僧は20年の勉学が義務であったが、空海は最初から、早めに切り上げて帰国する腹であった。


 「20年も掛かったのでは、儂の霊力が誇示できなくなる。我が秘密金剛胎蔵霊力を顕現せしめるには、早いほど良い。


 不思議の霊験を示してくれよう。予言も良い。当たる確率は半々。時期を見計らい、期限を延ばせば、ほとんどは当たるであろう。


 例えば日照りの時に、降雨祈祷を行う。その時期を見計らえば、必ず雨は降り出す。それを我が霊力、法力と言うのだ。


 勿体ぶって厳かに祭壇を築かせ神妙に執り行えば、愚かな民衆や権力者達は、我を信じ崇めるであろう。捨身ヶ嶽で超能力を会得して飛び降りたという、あのときのあの迫真の演技。


 あの愚かしさを誰も疑わなかった。愚明の輩は、不可能な出来事を期待している。儂がそれを実現して見せよう」



「わ〜は、今までの教典に書かれているものとは、何か別の真実があると、思える。唐国へ行けば、是非、それを探って欲しい。今の仏教では、やりきれないほど、不愉快だ」


 真聖は何を期待しているのだろう。空海は既に、真聖から掲示を受けるものはない、と見極めていた。教典調べに協力はしてくれたが、それも、すでに利用価値はなくなった。


 例え、仏教とは別の思想を窺わせるものが有ったとしても、それは必要の無いもの。おそらく、自分の掴み取った世界よりも上のものなど、有ろう筈がない。


「わ〜も、唐国へ行きたい。体が強ければ、水夫としてでも舟に乗るのだが……」


 お前の役目は、もう終わったのだ。所詮、病弱な人間の限界というものだ。儂の協力が出来たというのが、お前の今生でのせめてもの果報だ。唐から帰れば、もうお前に会うことも無い。



 空海の渡唐は、既に知られているように、二年間であった。シナリオ通りに事を運ばせた。財力にものを言わせて、帰国後の真言宗発足に必要な物を買い集めた。特に力を入れていたのは、法具であった。加持祈祷を貴族達に執り行うためには、道具立ては多いほどよい。


 日本にはまだ招来されていないと思われる教典も買い集めた。中には、幾ら探しても見つからない物があった。それは、自分で執筆しよう。御招来目録には、帰国後に書き上げる予定の教本も連ねた。例えば“理趣教”である。

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 以下、次回、草稿最終回へ


 招来目録、天皇へ差し出すための目録は「御招来目録」と「御」の字を付けて、一般の目録とは区別する。


 なにしろ、天皇は特別なのである。仏が人間界に人の姿として化身したとも解釈されるし、または、永劫に修行を続けて、いよいよ人間界、生命界から不死不老の超越世界へ進まれる最後の有情世界の一時の姿とも称される。


 従って、何事にも最大級の敬語と崇拝を示し、他者とは区別されなければならない。


 その天皇へ提出する目録。目のある者なら、必ず驚くであろうと空海は信じた。そして天皇へ謁見し、さらには、天皇を我が手で灌頂してやる……。


 つまり、自分は天皇よりも上の地位を、そこで示す事に成る。そして、貴族達が切望している加持祈祷を執り行い、真言宗を立ち上げる。



 空海は父、佐伯善通の期待を、その額面の通りには実現しなかった。大和朝廷を乗っ取り、天皇の地位を横取りする、必要なら奈良の都へ武力侵攻してもよい、という野心であったが、空海は権力の地位は長くは続かず、いずれ、他者により略奪される、と、教師の沢来唐から吹き込まれていた。


 故に、力があれば、大和を征服しても良し、躊躇することはいらない、と……。


 その野心は、権力奪取では無く、思想と宗教でこの日本を、民衆を、権力者達を支配してやろうと、若干の方向修正をしたのである。



 佐伯の親父にも言い含めた。

「我らが天皇を奪えば、それが前例となり、いずれ最高地位から落とされる日が来る。絶大な信仰の為の宗教を起こせば、その地位を力で倒すことは出来ない。時の天皇も、武門の覇者も神仏の前に平伏す。我ら佐伯の一族が、この新しい威力のある宗教、真言密教の継承者として、儂の死後も支えてくれれば、これすなわち、佐伯一族が、この日本を支配したのと同じ事に成る」


 善通は頷いた。

「さすがに真魚、貴者。儂が期待していたように、凄い人間に成った。よし、協力しよう。必要な資金は、我が佐伯の財力の総てをはたいてでも、支援しよう」


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草稿、この当たりで終了。

派生的作品として「真説・かぐや姫」あり。

  空海と秋田の対決。



乾坤一擲、満を持しての執筆開始だった。

ところが・・・・・

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