条件
「そういえば、今日月出てるね」
淡い光を灯す枕元のスタンドライトに照らされながら、芽衣はぼんやりと呟く。
閉め切られた窓を飾る、白く薄いレースカーテン。その向こうには紺色の宵闇に佇むかのように、丸に近づきつつある月が浮かんでいた。
そこから差しこむ月光が一筋、白い線となって部屋の壁を照らす。
『ほんとだ。……あれ、そういえば今日月の話してなかったっけ…?』
電話の向こうの声がだんだんと小さく、尻すぼみになって消えていく。どうやら、放課後の会議を思い出したようだ。
「まあ、あくまで『もしかしたら』の話だけどね」
口ではそう言うものの、視線は外を煌々と照らす歪な月に縫い付けられたままだった。
あの時、ふと考えついた『月が関係している』という仮説。今の所比較出来るような証拠はないが、なんとなく今もそんな気がしていた。
だが天候自体が関係していると言われれば、それを否定出来るような証拠もない。
なにせ吸血鬼が現れるのは、決まって『よく晴れた月夜』なのだから。
どちらも必要な条件なのか、それとも全くの偶然なのか。
(まあどちらにせよ、今日はその条件に当てはまるんだけどさ…)
「新月の時に来たら月は関係ないってことだよね。雨の日に来たら天気も関係ないけど」
『そういうことになるかな。でもほんと自衛するに越したことないからね?』
「そこは大丈夫。窓ちゃんと閉めて鍵もかけたし」
昨夜の出来事で、吸血鬼の存在を文字通り痛いほどに思い知った芽衣。自衛になるかは分からないが、窓に鍵をかけたのはせめてもの抵抗のつもりだった。
幽霊ならまだしも、相手は実体のある吸血鬼。流石に窓が閉まっていれば入っては来られないだろう。
(夜風に当たった方が寝やすいんだけどなあ…仕方ないね)
『それだけで大丈夫なもんかね』
電話越しに、紗季の不安げな様子が伝わる。しかし
「だいじょぶだいじょぶ。なんとかなるでしょ」
吸血鬼に対する畏怖の念が完全に消え去ったわけではない。が、弱気になっても良いことはないと考えた芽衣。
これもまた抵抗のつもりで、とことん強がろうと決めたのだ。
「ところでさ、考えたんだけど」
『ん?』
「やられっぱなしだと悔しいからさ、次に来たら一発反撃したいんだよね」
言いながら、片手で握り拳を作って掲げてみる。そこには恐怖に打ち勝ちたいという思いと、理不尽に襲われ続けていることに対する僅かな怒りが込められていた。
毎度毎度、かなりの恐怖と痛みを味わっている芽衣。せめてそれぐらいしなければ気が済まない。
『わあ物騒。ほんと小学校んときから負けず嫌いだよね』
電話の向こうから、先ほどよりも明るい声が聞こえる。
「そうかな」
『そうだよ。だって運動会でもなんでも、勝負事で負ければめちゃめちゃ悔しそうじゃん』
「あ〜、まあ確かに」
別に、積極的に勝ちに行っているわけではない。ただそれでも、負けを感じた時は確かに悔しく思うのが人間というもの。
(吸血鬼にしてやられてるのが悔しいから、こんなに反撃したいって思うのかも)
理不尽かつ一方的に襲われている状況は、芽衣にしてみれば『負け』なのかもしれない。
悔しい。その気持ちがバネになるからこそ、闘争心が沸々と湧き上がって来るのだろう。
「出来れば来ないで欲しいけど、もし来たらなんか出来るようにしないと」
『だね。なんかいい案あるの?』
「…あー」
しまったというような声をあげ、途端に黙り込んでしまう芽衣。
(…なんも考えてないや)
反撃したい、とは思っているものの、具体的な方法については何も考えていなかった。
「まあ、そのうち考えようかな。今ほら、テスト勉強もしなきゃだし」
楽観的にも思える考えだが、急いで捻り出したところでいい案が浮かぶとも思えない。
『吸血鬼に中間テストは関係ないんだからね』
それに対する紗季の返答は、至極真っ当なものだった。
「そうだよねえ…。っていうか、逆も然りだからちゃんと勉強しないと」
吸血鬼に襲われているなどという非日常的な体験は、芽衣が日常生活を送る上で考慮されることはない。
そのせいで勉強が出来なかったが仕方ない、とはならないのだ。
『確かにだよね。…あ、言い忘れてたんだけどさ。芽衣に非常に残念なお知らせです』
「えっ…なになに」
理不尽を噛み締めていた芽衣だが、紗季からそう告げられ途端に深刻な面持ちになる。
紗季自身に関するお知らせなのか、はたまた別のものなのか。
曖昧で内容が見えない言葉に、つい不安を煽られる。
しかし次に芽衣の耳に届いた声は、予想に反してずっと明るいものだった。
『テスト終わってすぐに高総体でさ。放課後ずっと部活詰まってるんだよね〜』
その言葉に「あっ」と驚声をあげる芽衣。自身にはあまり馴染みのないために、記憶からすっかり抜けていた。
「ごめんごめん!帰宅部だからすっかり忘れてた…忙しいのにほんとありがとね」
『いえいえ、終わっちゃえば部活の頻度も戻るし。それに正直、吸血鬼の調査ワクワクしてるんだよね』
自己都合に付き合わせてしまっていることに申し訳なく思う反面、どこまでも優しい親友に言い切れないほどの感謝を抱く。
「せっかく付き合ってもらってるんだもん。ちゃんと吸血鬼の正体暴かないと」
こうなったからには、何がなんでも成果を上げなければ顔向け出来ない。
『うちも知りたいから是非よろしく!頼んだよ!』
「任せて…って言いたいところだけど、いつ来るかだよね」
相手は神出鬼没の吸血鬼。月も天候も、あくまで仮説にしか過ぎないのだ。
それでも、せっかく立てたたった1つの仮説は信じてみたい。
「とりあえず、晴れて月の出てる日は要注意で、もし来た時のために反撃を考えとく。こんな感じかな」
『だね。今日も条件当てはまってるんだから気をつけて』
「分かった。何から何までありがとね」
礼を述べた芽衣は、伸びをしてから壁に背を預けて大きく息を吐く。
その後は軽い雑談をし、だんだんと眠気を覚えた2人。
もう一度礼を述べ電話が終了した後、芽衣は枕元のスタンドライトを消して眠りに就いた。
いつの間にか、『襲われないこと』から『吸血鬼の正体を暴くこと』に目的が変わっていた芽衣。
依然恐怖は感じているものの、気が付けば好奇心の方が大きく膨らんでいた。
**
「ん〜っ、終わったあ」
ざわざわとする放課後の教室で、芽衣は大きく伸びをしながら呟く。
会議から1週間後の金曜日のこと。この日は中間テストの最終日だった。
「芽衣お疲れ〜!!」
持っている鞄をブンブンと振り回しそうな程テンションの高い紗季が、満面の笑みを浮かべてこちらへ近づいてくる。
「お疲れお疲れ。やっと終わったねえ」
そう答えた芽衣の口角もまた、解放感と安心感により自然と上を向いていた。
「っていうか紗季これから部活だもんね。ほんっと忙しいのにごめんね」
「あ〜も〜!謝らないの!大丈夫だから!」
気付けば謝罪の言葉を口にすることを窘められ、芽衣は眉尻を下げて頷く。
(確かに、あんま謝られるのも鬱陶しいよね。大丈夫って言ってくれてるし信じよ)
「じゃあうちもう行くから!高総体終わったらまた調査しよ!!」
言い終わるや否や、紗季は急いで教室を出て行った。その背中を見送り、芽衣も帰り支度を始める。
(そういえば、あれから1回も吸血鬼見てないな…)
1人になった芽衣の脳裏にふと、そんな考えが過ぎる。
あの日、もしかしたら現れるかもと思いながらも眠りに就いた芽衣。
しかし彼女の予想に反し、それから1週間もの間、彼が現れることはなかった。
(まあ、良いことではあるんだろうけどさ)
「芽衣」
突然名前を呼ばれ、反射的に顔をあげる。その目線の先には、自席からこちらへと歩みを進めて来る翔の姿が。
まるで、1人になるタイミングを見計らって行動しているかのようだった。
テスト期間中で調査が出来ない間も、芽衣は翔と何度が言葉を交わしていた。が、いかんせん共通の話題が吸血鬼しかないことに加え、教室でそれを話すのは憚られる。
そのため必然的に会話の回数は少なく、そして短くなっていた。
「今日は調査が出来そうにない」
芽衣の前に立つなり、手短にそう告げる。
翔の口数が少ないのはいつものこと。しかし彼と目を合わせた時、芽衣は別のとあることに気が付いた。
(なんか、顔色悪くない?)
元々が色白なことに加え、最近あまり顔を合わせていないためにそう感じるだけかもしれない。
しかし、そうだとしてもかなり青白いような。
「それは構わないけど…もしかして具合悪い?」
「…いや」
そう答えてはいるが、よく見れば目の下にクマらしき色もうっすらと見えている。
(大丈夫なのかな)
「早く帰った方よさそうだね」
先ほどの様子を見るに、まだ足取りはしっかりとしているようだ。
なら、すぐにでも帰った方が楽なのではないか。
そう思いつつ顔を覗き込んでいると、視線を逸らすように翔は顔を背ける。
「…少し休んでから帰る。だから、お前ももう帰れ」
話している間も具合が悪いのを抑えているのか、彼は額に手を当てつつもう片方の手で追い払うようなジェスチャーをする。
(確かに、ちょっと休んでから帰った方が安全かも)
それもそうかと思い直し、目の前の翔を気遣うように見やる。
そうしている間もどんどん悪化しているようで、額に当てた手の甲には青い血管が浮き出ていた。
「じゃあ、私はもう行くけど、気を付けて帰ってね」
「…ああ」
短く返事をした翔は踵を返し、自席へと戻っていった。
翔に言われるがまま校舎を後にし、賑やかな声を聞きながら帰路に着く芽衣。
時折後ろを振り返りつつ歩くが、翔が出てくる様子はなかった。
そうして歩いているとふと、目の前に幾つかの人だかりが形成されているのが目に入った。近づくにつれ、そのほとんどが女子生徒で構成されていることも把握した。
(なんだろ?)
好奇心に動かされるまま、人だかりの隙間から皆の視線の先を追う。
その視線はどれもが正門に向けられており、更にそこにも数名の人だかりが出来ていた。視線の先に形成された集団はこちらよりも一層賑やかであり、女子生徒の楽しそうにはしゃぐ声が聞こえてくる。
何事だろうと目を細め遠目で見えたのは、その中心に背の高い男性らしき人物が2名いることのみ。
(誰かの知り合いか、OBとかかな。まあ私には関係ないけどさ)
流石にその集団に加わる気にはならなかった芽衣。
とりあえず人が集まっている理由は理解できたため、その横を通り抜けてのんびり帰ろうとした。
正門に差し掛かり、集団を横目で一瞥したその時。
「相田芽衣ちゃん」
不意に聞き慣れない声で名前を呼ばれ、芽衣は思わず立ち止まった。