首元の飾り
突然足を止めたかと思えば、翔はそのまま微動だにせず硬直してしまった。その様子に、芽衣は少し見開いた目で瞬きをしながら首を傾げる。
(あれ、なんか変なこと聞いちゃったかな…)
少し前のめりになり動向を窺うが、目の前の背中に動く気配は見られない。
そうして急な沈黙に戸惑う芽衣の耳は、普段なら聞こえないような微かな風の音を拾っていて。
触れてはいけない話に触れてしまった気がして、だんだんと不安になってくる。
「……翔?大丈夫?」
後ろに組んだ手を忙しなく動かしながら、芽衣はおそるおそる尋ねる。
途端、目の前の頭がピクっと少し動く。そしてゆっくりと、怪訝な面持ちで翔がこちらを振り返った。
「…なんの話だ?」
「へっ?」
直後に耳に届いた言葉。しかしまるで理解できず、口をぽかんと開けたまま固まる芽衣。
(なんの話ってどういう……?)
「えっ、首に付けてるそれのことだけど……」
そう言いながら、芽衣は翔の首元を指さす。そこにはいつものチョーカーが、まるで主張するように飾られていた。
「俺は、そんなもの付けてはいないが」
「!?」
首を横から後ろにかけて右手で摩りながら、形のいい眉を顰めてこちらを凝視する翔。
『何を言っているんだお前は』とでも言いたげにじっと睨む様子は、まるで本当にチョーカーなど知らないと言外に訴えているようだった。
しかし。
(いやいや無理があるって!それで見えない方おかしいから!)
驚き言葉を失う芽衣の目には、否定する余地がないほどにはっきりと首元の線が見えている。
なぜ否定するのだろうか。
禁止されているアクセサリーの類だから?
それにしては目立ちすぎるそれは、むしろ見せつけているようにさえ思えてしまうのだが。
「流石にそれで誤魔化すのは無理だと思うよ?」
いくらなんでも、隠そうにも限度というものがあるだろう。
「……そう言われてもな」
しかし、対する翔は一向に認めようとはしない。そればかりか、眉間の皺が更に濃くなったように思えるのは果たして気のせいか。
「じゃあ他の人にも聞いて──っわ!?」
ガシッと、言い終わる前に芽衣の二の腕が掴まれる。
(!?)
瞠目し固まる彼女の前には、不機嫌の色を滲ませたままこちらをじっと見つめる翔の姿が。
(えっ、怒ってる…!?)
なおも言い募ろうとしたことに痺れを切らしたのだろうか。しかし、後悔したところでもう遅い。
「来い」
そう言い放った翔は前に向き直ると、芽衣の腕を掴んだまま引っ張るように歩き始めた。
「わわっ」
有無を言わさず歩かされる芽衣。しかし、いかんせん歩幅が合わないために自然と早足になりながら後を追う。
グイグイと引っ張る男性と、躓きながら引っ張られる少女。
そんな異様な雰囲気を纏った2人を、時折すれ違う通行人が目を大きく見開いて振り返る。ギョッとしたその視線が刺さるのを感じながら、芽衣はただ引き摺られるように歩くしかなかった。
(すっごい恥ずかしいんだけど!)
「あのさ、自分で付いてくからとりあえず離してくれないかな…」
しかしその願いも虚しく、無言のまま歩き続ける翔が、芽衣の腕を離すことはなかった。
そうして半ば強引に連れてこられたのは、車2台は入ることの出来そうな、歩道脇の少し開けた空き地だった。
不意に立ち止まったかと思えば、先ほどまで掴まれていた腕が解放される。そして振り向いた翔は、今度は芽衣の身体を固定するように彼女の両肩に手を置いた。
(なに!?)
痛みを感じるほど強く掴まれているわけではない。が、まるで芽衣をその場から逃さないとでも言うように、僅かな力は込められていた。
目線を合わせるように、翔は上体を少し前屈みに倒す。髪が触れそうなほどの距離に驚く芽衣をよそに、翔は真っ直ぐに目を見据えたまま口を開いた。
「お前、そのチョーカーの話を誰かにしたか?」
いつもより明らかに威圧感の増した翔の雰囲気に、無意識にごくりと唾を飲み込む。
(そういえば誰にも聞けてないな…)
ずっと肌身離さず付けているために、いつしか芽衣の中では当たり前の光景になっていた。
なおもこちらに鋭い視線を突き刺す翔に対し、答える代わりに首を左右に振る。
直後、肩を掴む両手から力が抜けると同時に手がそのまま離される。そして大きな息を吐いた翔は彼自身の首に手を当てると
「ならいい」
とだけ言い放った。
(なんか安心してる?)
それほどまでに聞かれたくない話題だったのだろうか。
「誰にも話してないけど…やっぱり付けてるよね?」
存在自体を否定されたものの、明らかに見えているそれがどうしても気になってしまう。
観念したかのように翔は目を緩く閉じ、小さな息を吐く。そして首の後ろをさすりながら
「…ああ、付けてるぞ」
と、先ほどとは真反対の事実を述べた。
「だよね!?なんで付けてるの?っていうかなんで誰も言わないの?」
一度否定した割にはあっさりと認めた翔に拍子抜けしながらも、口は疑問を投げかけることをやめない。
「事情があってな。…教師には説明してあるから言われないだけだ。同級生は知らん」
(あっなるほど!)
ここで、芽衣の抱いた疑問の点と点が繋がった。
もしかすれば、同級生が幾度となく翔へ声をかけようとしていたのは、チョーカーについて質問する目的もあったのではないか。
そして同級生は指摘しなかったのではなく、指摘出来なかったのだ。皆悉く声かけに失敗していた事実がそれを物語っている。
加えて担任にも事情を話しているのなら、他の教師からの疑念の声が無かったことにも納得がいく。
『なんで付けているのか』に対しての明確な答えは得られなかったが、あえて濁したということは言いたくないのだろう。
(めちゃめちゃ気になるけど、あんまりしつこいのも嫌だよね)
せっかく答えてくれたのだ、チョーカーについてはこれで満足しよう。
だが、芽衣にはまだ疑問が残っている。
「さっき、なんで付けてないって誤魔化したの?」
明らかに嘘だと分かる主張をしたのは一体何故なのか。小首を傾げながら尋ねれば、翔はおもむろに自身の顎に片手をあて、目線を斜め下に落として黙り込む。
「…なんでだろうな」
(えっ)
目線を落としたままに、翔はそう呟いた。
「自分でも分かんないってこと?」
問い掛ければ、翔は感情の宿らない瞳でこちらを見つめる。
「ああ。悪いな」
まるで、『この話は終わりだ』とばかりに翔は感情の乗らない謝罪をした。
無表情でこちらを見つめる彼を前に、流石の芽衣もそれ以上は何も聞けなかった。
「だが、これについて誰にも言っていないのが幸いだな」
数秒の沈黙を破るかのように、翔の低い声が耳に届く。
目の前の雰囲気が少し和らいだ気がして、芽衣はほっと安堵した。
それにしても何故、『幸い』なのか。
「言えばお前、確実に変な奴だと思われるぞ」
「変な奴って…」
(そこまで言う?)
皆が言わないことをわざわざ指摘することが、果たして『変なやつ』なのだろうか?
「頭のおかしい奴だと思われたくないなら、そのまま誰にも言うなよ」
言い過ぎだろうとは思ったものの、なぜか翔の言葉には反論を許さない雰囲気が滲んでいる。
それに皆気づいているのなら、あえて今更言う必要もないだろう。
そうやって芽衣は、以前と同じく自分を無理やり納得させる道を選んだ。
兎にも角にも、1ヶ月半の疑問と吸血鬼に対する悩みが少しばかり解消された芽衣の心は、今朝よりも確実に軽くなっていた。
**
『えっ!翔くんと一緒に帰ったってこと?放課後デートじゃん』
「違います」
その日の夜、寝支度を整えた芽衣の元に紗季から着信があった。どうやら、自分が急いで帰った後のことが気になったらしい。
「たまたま帰る方向が同じだっただけだよ」
『またまた〜、照れなくてもいいって』
「照れてないし」
この親友は、是が非でもデートということにしたいらしい。これがお年頃というやつなのだろうか。
だが今まで人を好きになったことのない芽衣には、あまりピンと来ていないようだった。
『いや〜、いいねえ』
電話越しでもニヤニヤとした顔が見えるような声色。おそらく、ありもしない想像を膨らませているのだろう。
その声を聞き、このままでは押し問答が延々続くことを察知した芽衣。何か別の話題がないかと考えを巡らせる。
そして何の気なしに窓の外を見やった時。ふと、今夜が月夜であることに気がついた。
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