【番外編】旧友
「じゃあ、ちょっと出てくるよ」
そう言い残し、芽衣を連れてきた自室のドアを閉めた和海。5年ほどぶりに帰ってきた生家はやはり何も変わっておらず、朽ちることのないこの場所に対して思わず苦笑いが溢れる。
本来ならば翔がここへ来るまで彼女といるつもりだったが、事情が変わった。
そうして玄関へと足を進めた和海の脳裏に浮かび続ける、とある一人の男性。300年前に行方をくらませたその彼が、なんとなくこの近くに帰ってきている気がする。
「ほんと、今までどこにいたんだか」
そんな予感に導かれるまま、和海は自然と駆け出した足で宵闇へと消えていった。
**
生家の付近に流れる渓流はそのまま湖畔へと続いており、鬱蒼と茂る木々から時折見える蛍だけが自然を照らす。その光と夜目を頼りに前へ前へと進んだ足が凪いだ水辺で止まった時、その青い瞳が移したのは脳裏に浮かび続けた男の姿だった。
「っ、ほんとにいた」
その言葉で草に胡座をかき湖畔を眺めていた男性が振り返る。木の幹を思わせる深く艶のある茶色の短髪が夜風に乗って靡く中、彼は唇を引き結んだまま和海を見やった。
「久しぶりだね、玲桜」
途端さあっと、風が一層強くなる。
そうして見え隠れする青い瞳が見据えるのは、桃色から紫へと鮮やかに濃くなる混色の瞳。
「久しいな。何故、俺がここにいると分かったんだ」
「ん、勘」
まるで顔色一つ変えずに言葉を紡いだのは、和海の旧友である夜月玲桜。実は彼らの言葉通りこれが久しぶりの再会となる。
それこそ、人間では計り知れないほどの永い時間。
「300年振りだというのに、存外冷静だな」
「そう見える?心でも読んでみたらどうかな」
いつもの笑みを浮かべ口調こそ明るいものの、玲桜が見据え続ける和海は珍しく肩を上下させていて。「走るってこんなに疲れるんだ」と呟きながら、そのまま歩を進めた和海は旧友の隣に腰を下ろした。
「……300年は、貴様ら純血にとっては刹那だろうな」
「それは玲桜も同じでしょ。それより純血って呼ぶのやめてよ」
「事実だろう。俺みたいな混ざり物より優れて──」
「玲桜」
ぴしゃりと言葉を遮ったまま、黙って玲桜の瞳を捉え続ける真剣な眼差し。それに居心地悪くなったのかふいと顔を逸らせば
「こっち見て」
と、和海の左手が彼の両頬を掴んだ。いつもの笑顔など微塵も見えない、怒りのような感情さえ滲んだその表情。
「お前が家を出ていく前も言っただろ、純血だろうが混血だろうが関係ないって」
「……分かっている」
僅かに動いた口元がきまり悪そうな言葉を紡ぐが、それはやはりどこまでも沈んでいた。
──遡ること300年と少し。和海の友人である玲桜は、和海の生家に居候していた時期があった。
吸血鬼の父に人間の母を持つ混血の彼は外見こそ人間寄りだが稀有な色の瞳、人間ならば大事に至る怪我もすぐに治ってしまうことなど中身は化け物そのもの。
そんなどっちつかずの存在でありながら物心つく以前の彼がぼんやりと理解できるほど、玲桜の両親は彼に多大な愛情を注いでいた。
しかし、玲桜が生まれてから50年にも満たないとある冬のこと。
彼の母親には確実に『別れ』が近付いていた。
外見や自我がまだ幼い玲桜や若い姿で時が止まった父とは違い、人間である母は確実に死へと近づいていて。物事の分別がようやくつき始めた彼にとって『老い』も『死』も理解こそ出来ていなかったものの、母がいなくなるということだけはどこかで分かっていたのかもしれない。
そうして雪の降り頻る晩に、玲桜の母は息を引き取った。
寿命だと、父は泣いていた。
そうして更に50年の月日が経ち、玲桜の身体がようやく成長を止めた頃。
父は、自ら喉元に刃物を突き立てて命を絶った。
「これでようやく、あの人のところに」
そう言い残してこの世を去った彼が遺していったのは『読心術』という、どこまでも皮肉な贈り物だけ。
父は、自身が独りで生きていけるようになるまで待っていたのだ。
人間と吸血鬼。種族も寿命も異なる者たちに芽生えた愛情は何も生むことはないのだと、この時初めて理解した。
そうして行く当てもないまま、玲桜は人目に触れない森の中を彷徨った。
そこから和海と出会うまでの記憶は正直朧げなもの。彷徨の中見た光景も、どうやって命を繋ぎ止めていたのかも分からない。
気付けば和海の両親と彼が暮らす家へと招かれ、気付けば共に暮らしていた。両親をまだ心身が成熟しきっていない時に失った彼にとって、年が近い和海のいる場所はまさに『居場所』だった。
性格も口調も堅苦しさを与えるようなものだったが、それでも和海のペースに巻き込まれるかの如く引っ張られ、彼の両親はそれを優しく見守る。和海たちにとっても玲桜は大事な家族だったのだ。
そしてそんな日々も、玲桜にとっては内心悪くないもの。
柔らかい春が過ぎ、青空が焼きつく夏が過ぎ、哀愁を覚える秋が過ぎ、全てが静まり返る冬が来る。
何年、何十年と繰り返した四季が、いつしか玲桜にとっての当たり前になろうとしていた頃。
そんな桜のように淡い幸せも、やはり長くは続かなかった。
「和海、弟ができるのよ」
母の言葉で和海の父はこの世の幸せをかき集めたような笑顔を溢し、和海も分かりにくかったものの内心喜んでいるようで。しかしそんな輪の中玲桜だけは、いつもの真顔を崩さない。
──純血が増えるのであれば、混血である自身に居場所はない。
常に心のどこかに居座り続けた血筋への劣等感。彼らと暮らしていたときは頭に過ぎることも稀だったそれが、和海の弟という言葉で一気に顔を出してしまった。
どちらにも成りきれない半端者。もしかしたら和海たちも、そんな自身をどこか憐れむような、それでいて区別するように接しているのかも知れない。
考えすぎなことは分かっている。彼らがそんなことを気にするような人たちでもないことも。
しかしそれでも、煮え切った劣等感は押し込めて融かすにはあまりにも肥大化し過ぎていた。身近にいたからこそ、どうしても比べてしまった。
そうして新月の晩、弟が生まれる前に玲桜は世話になった家を人知れず去っていったのだ。
もちろん和海たちは彼の身を案じたが、戻ってくることは終ぞなく。
それでも懐かしむために300年ぶりに訪れたこの地で、彼は旧友と再会したのだ。
「なんで出て行ったのかは大体分かってるから、別に言わなくてもいいよ」
「……あんなに、よくしてくれたというのに。悪いことをした」
「そこはいいよ、でも玲桜が自分を卑下するのだけは許せないな。俺はお前の劣等感なんて理解したくてもできないし、苦しいのも言葉でしか分かんないけどさ」
それでも、お前は確かに俺たちの家族だったんだよ。
「っ、そうか」
瞬間真顔を保っていた顔が僅かに歪む。そこから滲むのは後悔と懐古、そして旧友に再会することの出来た無自覚の嬉しさ。
しかしすぐに平静を取り戻した彼は和海に向かって言葉を紡ぐ。
「それより何故読心術が出てきたのかと思ったが、貴様も誰かを失ったのか」
「俺は、まあ、色々と」
「……まさか、母親か?」
その言葉が音になった途端和海の纏う雰囲気が僅かに変わった。それを察することが出来ないほど、玲桜も鈍感ではない。
「っ……、いや、俺は違うよ」
苦しげな感情がほんの一瞬だけ滲んだものの、すぐにいつもの笑顔で覆い尽くされてしまった。その表情から察したようにそれ以上の言及をやめた玲桜は目の前に広がる湖畔に視線を移し、ぼんやりと言葉を溢す。
「貴様の父親にも母親にも世話になったな。弟も、もう成長したのだろう?」
「……ああ。その弟の下にも、もう一人できたんだよ」
「賑やかな家族だな」
目元をほんの少しだけ柔らかくしながら玲桜は言葉を紡ぐ。そんな様子に笑みを溢しながら、和海も広がる湖に目を移した。
「もう母さんもいないけど、たまには遊びに来てよ」
「……考える。紬さんの墓がもしあるのなら、後で案内してくれ」
「もちろん。母さんも喜ぶよ」
細く浮かんだ月の下、2人は思い思いに言葉を交わし続ける。今までの300年を埋めるまでには至らないかも知れないそれも、彼らにとっては気を張ることのないかけがえのない時間だった。
そんな談笑は、実に夜明けまで続いた。
そうして300年ぶりに旧友と再会した和海。
しかし日が登った後、彼は200年越しにとある男と苦い再会を果たすこととなる。
終




