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【番外編】ある日の兄弟

芽衣と翔が出会う5年前、2013年のお話。

「なんだ(かい)、本を読むことができたのか」

「ちょっと失礼すぎない?流石に泣くんだけど」


 そんなやり取りが飛び交う東京のとあるアパートの一室。最低限の家具が置かれたリビングのソファーに腰掛ける海斗に言葉を投げ掛ければ、垂れ気味の緑の瞳が兄である翔を不服そうに見やった。

 その彼が手にしている、とある一冊の小説。


「……なんの本なんだ、それ」

「ん〜、吸血鬼の本。最近出たばっかりなんだよ」


 瞬間漆黒の瞳が不思議そうに、それでいて怪訝そうに細められた。眉間に皺を寄せる兄を一瞥し「どんな表情なのそれ」と言葉を返した弟が再度文字へと視線を落とす。


「ほら、作品によって吸血鬼って特徴が違うからさ。僕らとどう違うのか興味あるじゃん」

「……そうか」

 

 そうして小説から興味をなくしたように翔が視線を逸らせば、ちょっかいをかけるように海斗が解説を始める。


「これねー、吸血鬼の正体を探っていく話なんだよ」

「……ああ」

「ちなみに今のところ僕らと似てるのは『催眠術が使える』ことくらいかな」


 弟のマイペースさに巻き込まれつつ特に突き放す様子も見せないまま、翔は黙ってラグの上へと腰を下ろす。「ソファー座ればいいのに」と間髪入れずに声がかかったが、その座っている張本人が寝転がるような体勢のため家主()が入り込めるスペースがないのだ。


「……わざと言ってるだろ」

「ん〜?催眠術でも使ってどかしてみれば」

「いいのか?」


 そう告げ立ち上がろうと身体を動かしたところで「やっぱナシで!」と、慌てて制止する声が部屋に響く。


「なに命令されるか分かったもんじゃないから!」

「なら最初から言うな」

「ごめ〜ん。っていうか人間状態だと使えないじゃん。びびって損した」

 そんな全く反省していない声色が空気に融けたところではあ、と小さなため息が後を追った。



 ところで、翔たち吸血鬼が使うことの出来る一種の『催眠術』。

 それは相手に言葉を聞かせるだけでその指示通りに動かすことが出来るというもの。しかし効果はそれほど長続きしないことに加え、『目を閉じろ』や『眠れ』など単純な文言しか聞かせることが出来ない。

 それでも人間化のように体力を使わないために汎用性は大変高く、翔含めた兄弟たちはそれを重宝していた。



「お詫びにこれ貸してあげるから」

「いらん。所詮創作だろ」

「そうだけどさあ、面白いじゃんこういうの。僕らがまるで作り物みたいで。あ、作り物といえば」


 翔兄俳優やってるんだもんね?


 その言葉でぴたりと翔の動きが止まった。割と最近始めたにも関わらずなんで知っているんだと言いたげな視線を弟に向ければ「テレビ見たもん」と簡潔な返答がなされる。


「人前で演技とかあんまりやらなさそうなのに、なんで俳優なの」

「……いいだろ」


 どこかきまり悪そうな低い声を溢したかと思えば、翔はそのまま窓の方へと視線を逸らしてしまった。表情こそいつもの仏頂面だが、その右手が意味もなく首元を摩っているあたりよほど触れられたくない話題とみえる。

 それを知ってか知らずか、おそらく知った上で海斗はさらに言葉を続ける。


「まあ翔兄演技上手いもんね〜」

「……演技なんてしてない」

「え?じゃあ人間の時と吸血鬼の時で口調変わるの何あれ。演技じゃないの?」

「……?」


 まるでピンと来ていないような訝しげな視線が向けられた直後うっそでしょ、と海斗から驚声が飛び出た。緑色の瞳が怪物でも見たかのように見開かれ、開いた口が塞がらない。


「翔兄さ、人間の時『してない』って言うじゃん。昔から『してねえ』って言うのに」

「……そうなのか」


 全くの無意識で口調を切り替えていたことを、翔はこの時ようやく自覚した。それほどまでに長い間『人間』と『吸血鬼』の顔を使い分けて生きてきたのだ。

 そうしてなんとなく腑に落ちたような、そうでもないような。そんな様子の兄に呆れたような表情を見せつつ、海斗はまた小説に目を落としながら口を開く。


「でもこの吸血鬼も迂闊なんだよね。なんでわざわざ正体明かそうとするかな」



 その言葉が耳に届いた瞬間、翔の頭にとある妙案が浮かんだ。それは永い生を持て余し退屈している自身を、もしかしたら楽しませてくれるかもしれないもの。


 ──『吸血鬼』の正体が自身だと露見しないよう、それでいてその正体を探る自作自演。相手の反応や勘によっては、退屈しのぎ程度の刺激にはなるだろう。


 夜間でも人間化が行える上に体力も使わない自身であれば、共に正体を探る『演技』の幅も広がる。

 


「海、その本貸してくれ」

「お!読む気になった?」

「……ああ」


 参考程度に読み進めてみようと翔は弟から小説を受け取り、ソファーの上に置く。「読まないの?」と不思議そうな声に「後で読む」と返答すれば海斗が満足げに目を細めた。

 そんな弟をソファーの隅に押しやりそこに腰掛ければ、細められた緑が不服さを滲ませたものに早変わりする。しかしそんなことお構いなしとばかりに、翔は正面を向いたまま口を開いた。


「そういえば、兄さんはお前のところにいるのか?」

「まあいるっちゃいるんだけどさ、たまに出掛けてるよ。どこかは知らないけど」

「……そうか。俺も、近いうちに一度帰るか」


 そう呟きつつ先ほど置いた小説を手に取った翔。そのまま黙々と目を通していれば「意外と熱心だね」との茶化す声が横から届いた。

 そんな、とある日のとある兄弟の日常。


 

 そうして何度か繰り返し、手応えが感じられないままに終わらせようとしていた『調査』。

 そんな中、ついに翔は同じ小説を読んでいたとある少女と出会ったのだ。


 終



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