吸血鬼の行動
目の前からの無言の視線。そこにどんな感情が含まれているのか、芽衣には分からなかった。
不快だと言わんばかりの鋭さもなければ、呆れの色も窺えないような無感情に近いもの。
(あんまり見ないでよ…)
未だに突き刺さる視線を遮断するように、翔から顔を逸らしつつ自身の頬に片手を添える芽衣。そんな彼女に構わず紗季は続ける。
「あんまりはっきり言うと翔くん可哀想だよ」
(可哀想って…そんなことないと思うけど)
別に仲良くはないのだから、否定されたところで特に何も思わないだろう。
そう思い横目で翔を一瞥すると、彼はいつの間にかこちらから視線を外し、図書室の壁に設置してある本棚をぼうっと眺めていた。
「ほら〜、芽衣が否定しちゃうから翔くんあっち向いちゃった」
「紗季が変なこと言うからでしょ」
「え〜うちのせい?」
「だと思う」
相変わらず怖いもの知らずな親友の言葉を流しながら前に向き直ると、丁度本棚から視線を戻した翔と目が合う。
「話は終わったか?」
ゆっくりと背もたれに寄りかかりながら尋ねられ、芽衣は本来の目的から話が逸れていることに気付いた。
(そうだった、こんなこと話してる場合じゃなかった)
「紗季、今日は吸血鬼について調べるために来たんだから。忘れてないよね?」
「もちろん覚えてるよ」
紗季の返事で気を取りなおし、芽衣は自身のリュックサックからルーズリーフを取り出すと、ページを1枚破る。
そうしてペンを取り、1番上に『吸血鬼の行動』と表題を記した。
(吸血鬼について覚えていることを書いてこう)
だんだんと記憶が朧げになっているのか、最初のことはあまり思い出すことが出来ない。
しかしまだ、昨日の記憶だけははっきりとしていた。
「とりあえず今分かってるのは…吸血鬼が夜に現れることと、男の人ってことぐらいかな」
口に出しながら、情報を纏めようとペンを走らせる。しかし、
「どしたの芽衣、それだけ?」
「…うん」
「情報量ほぼ0じゃん」
たった2項目を書いたところで手が止まってしまった。
暖色が包む空間になんとも言えない空気が流れ、沈黙が訪れる。
(よく考えたら全然吸血鬼について知らないじゃん…)
あまりの進展のなさに退屈したのか、視界の端で翔が小さく欠伸をしたのが見えた。
早々に行き詰まってしまい、どうしたものかと考えを巡らせる。
(二次元でしか見たことないから本で調べる訳にもいかないし…あ、そうだ)
その頭にふと、吸血鬼の小説のことが思い出される。
まだ中盤までしか読み進められていないが、あらすじ程度なら頭に入っている。
「そうだ、小説も参考にしてみればいいんじゃない?」
舞台こそ中世ヨーロッパだが、夜な夜な少女の部屋に現れる男性の吸血鬼は、今の状況と共通している。
あくまでフィクションではあるものの、全く手がかりが無いよりはいいかもしれない。
「おお、確かに。そういえばどんな内容か聞けてなかったね」
そう言われ、芽衣は思い出しつつ小説の内容をかいつまんで説明することにした。
舞台と主人公のことに加え、その主人公も吸血鬼の正体を探っていることも。
「へえ…その主人公はなんで狙われたの?」
「そこまではまだ読めてなくてさ…。他と違う的なことが匂わせられてたような」
「じゃあ、芽衣も他とは違うとか?」
「まさか。至って普通だと思うけど」
小説の主人公とは違い、自身はどこにでもいるような普通の高校生。吸血鬼の目に留まる特徴があるとは思えない。
(なんで私?…いや、他にも狙われてる子がいて、私もそのうちの1人ってだけかもしれないし)
思ったほどの進展が得られず、思考がぐるぐると渦を巻く。
「はあ…」
吸血鬼の行動どころか特徴さえも掴めず、思わず大きなため息が溢れた。
「あんまり収穫ないねえ。というか芽衣、顔見てたりしないの?」
両手で頬杖をついた紗季がそう問いかける。
(顔かあ…)
思い出すようにうーんと唸りつつ、考えるように視線を彷徨わせた時だった。
不意に、前屈みになりながら片手で頬杖をつき、こちらをじっと見つめる翔と目が合う。
瞬きひとつしないその瞳は揺れることなく、真っ直ぐに芽衣を捉えていた。
「…?どうしたの翔」
「いや」
そう言いながらも、こちらを向いた視線が逸らされる気配はない。
射竦めるような視線に捉えられ、目を逸らすタイミングを逃してしまった。
「で、どうなの芽衣。見てないの?」
タイミングを見失い硬直する芽衣の耳に、回答を急かす紗季の声が届く。
それが契機となり自由を取り戻した芽衣は、弾かれたように視線をパッと紗季の方へ向ける。
(紗季ナイス!)
内心礼を言いつつ、口は問いに対する答えを紡ぐ。
「うーん、実は月の逆光でよく見えてなくて…」
吸血鬼が現れる夜は、いつも月光が部屋を照らしてくれていた。それにより動きやすいのも事実だが、相手の表情が一切見えないのも事実。
(良し悪しって感じだよね…)
「そっかあ、残念」
紗季の落胆する声を聞きながら、芽衣はなんとなく翔を見やった。
しかし彼は興味を失ったとばかりに椅子に寄りかかり、視線を明後日の方向に向けている。
(翔はなんか意見とかないのかな)
この調査を提案してきたのは翔だが、今のところ積極的に吸血鬼の正体を暴こうとする姿勢は見られない。
むしろ、試行錯誤する様子を傍観しているような。
「翔は吸血鬼見たことあるんでしょ?特徴とか覚えてないの?」
どこか腑に落ちないモヤモヤを抱えながら尋ねれば、彼は小さく欠伸をしながらゆっくりとこちらに視線を戻す。
「あまり覚えてはいないな。最近見たお前の方が覚えてるんじゃないのか?」
そう言われてしまっては取りつく島もない。本当に正体を探る気があるのだろうか。
(まあ確かに昨日見たけどさ…いっつも月が出てること以外思い浮か──)
「…月?」
先程は気にも止めなかったが、不意に脳裏に引っかかった言葉。それが脊髄反射でそのまま口を突く。
「え?」
「月じゃない?吸血鬼の特徴」
突然降ってきた考えに、要領を得ないまま言葉だけが滑り落ちていく。
よく考えれば、吸血鬼が現れた夜は毎回天気の良い月夜だった。それは昨日も例外ではない。
実際、ここ最近の雨模様の日には現れていなかったのだから、もしかしたら月が何か関係しているのではないか。
「さっき『いつも部屋が明るかった』って言ったじゃん。それってさ、月夜にしか来てないってことだよね」
そう言いながらペンを取ると、紙に『月?』とだけメモをする。
「ああ確かに!でもさ、ただ単に天気が良いからってことはないかな」
「どうだろ。今まで晴れてる日にしか来てないと思うから、天気だけが関係してるのかも」
紗季の意見を受けて、紙に『天気かも』と追加で書き添える。
「あとは現れる時間帯と、月が関係あるんだとしたら──」
「芽衣、少しいいか」
いきなり呼びかけられ、それまで考えていたことが煙のように消えていく。
慌ててノートに書き留めようとしたが時すでに遅く、先ほどまで何について考えていたかすら思い出せなくなってしまった。
(あちゃー、モヤモヤするね)
すっきりとせず胸につかえが残る中、芽衣は声の主である翔の方を見やる。
「熱中しているところ悪いが、そろそろ帰った方が良さそうだ」
そう言いながら入り口に視線を向ける翔。導かれるようにそちらを見れば、何人かの生徒が図書室に足を踏み入れているところだった。
「図書室に来る人も珍しいね。なんかあるのかな」
同じく入り口を見ながら、紗季が不思議そうに呟く。
「来週の中間テストの勉強じゃない?」
何の気なしにそう答えれば、「えっ!?」と大きな返事が返ってくる。入り口の生徒が驚いた表情でこちらを振り返るのが分かった。
「ちょっと待ってやばいじゃん勉強しないと!」
急に慌て始める紗季。反応から察するに、どうやらテストの存在を知らなかったようだ。
「中間終わるまでは調査もお預けかなあ」
その様子を横目に伸びをしながら口を開けば、カバンを勢いよく持ち上げた紗季が
「とりあえず暫くは自衛しなよ!天気のいい日は特に!」
と言いながら立ち上がり、入り口方向に向けて歩き出そうとしていた。
**
図書室を出た後、紗季は「勉強しないと!芽衣ごめん先帰る!」と言い残し走って帰っていった。テストが近づいた時に見られるお馴染みの光景に、思わず笑いながら肩を竦める。
「じゃあ、私たちも帰ろっか」
紗季の背中を見送った後、隣に立つ翔にそう促す。
「ああ」
短い返事をしたかと思えば、芽衣より先に翔が歩き出す。数歩遅れてその後ろを付いて行く形で、2人は西陽が差し込む校舎を後にした。
校舎から正門までの道中、芽衣は周囲の視線がこちらを向いていることに気が付いた。目を凝らして確認すれば、それはほとんどが同級生からの好奇の視線。
おそらく翔と一緒にいることに対してのものであろうが、自身も巻き込んだその視線に晒され続けるのは居た堪れなかった。
(今日は何かと視線感じるなあ…どうしたものか)
「翔って家どっちなの?」
周囲からの纏わりつく視線を意識しないよう、少し早足になりながら咄嗟に考えついた疑問を口にする。
「出て左」
「あっほんと?私もそっちなんだよね」
思わぬ偶然に驚くが、正門を出てからも暫くはこの視線に晒されるのかと、意図せず小さなため息が溢れる。
(せめて、少し距離を取ろうかな)
早足だった歩調を緩めて翔との間に距離を空け、目線を若干下方向に落とす。そうして周囲が目に入らないよう、前方のアスファルトを見ながら歩き続けた。
正門を抜け、ようやく学生ではない通行人が増えてきた頃。好奇の視線から解放された芽衣が顔を上げるとふと、前を歩く翔に転校初日の姿が重なった。
あの時気にかかった、首元に主張するように飾られた黒く太いチョーカー。しかし、誰かに指摘されたところをただの一度も見たことがない。
(転校初日からずっと聞きたかったんだよね)
正直、聞ける日が来るとは思っていなかった。会話をする仲になるとは思いもしなかったのだから。
しかし折角機会が巡ってきたのだ、思い切って今聞いてしまおう。
「ずっと気になってたんだけどさ」
芽衣が切り出すと、翔は歩きながら横顔だけをこちらに向けた。そして直ぐに視線を前に戻す。
(ただでさえ口数少ないのに答えてくれるのかな…無視されたりして)
一抹の不安が脳裏を過るが、すぐに好奇心に覆われて消えていく。
そして勢いのまま、芽衣は言葉を続ける。
「翔のそのチョーカー、なんで付けてるのかなって思って。なんか理由あったりするの?」
首を傾げつつ問いかけた途端。
ピタッと、まるで電池が切れた機械のように、それまで一定のペースだった翔の歩みが止まった。