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月夜の恋路に

 そうして腕を引かれるままに辿り着いたのは一面に畳が敷かれた、自身の部屋の軽く2倍はありそうな広々とした部屋だった。文机が置かれているだけの殺風景とも言える内装だが、吹き込むそよ風と木の香りも相俟って時間がゆったりと流れているような感覚を覚える。


「来い」

「わっ」


 畳の上に寝転がった翔に腕を引かれバランスを崩す。衝撃を覚悟し思わず目をギュッと瞑るが、次に伝わった衝撃は予想していたものとはだいぶ違っていて。

 そうして頬にざらざらとしたものを感じながら恐る恐る目を開ければ、そこに飛び込んできたのは先ほどまでとは全てが90度反転した世界だった。


(ちょ、これ)

 視界の端に映る畳と、お腹に感じた固い腕の感触。

 瞬時に抱きしめられていることを悟った芽衣だったが、それに反応が追いつく前に翔は彼女の肩口に顔を寄せる。ふわふわとした髪のくすぐったさに身を捩ろうとすればすぐさま絡んできた足により動きを封じられてしまった。


「……抵抗ばかりしてないで、たまには受け入れろ」


 耳に直接注がれたのは、弱々しささえ感じられるそんな呟き。

 そうしてぎゅっと、まるで抱き枕を抱きしめるようにして彼の腕に力が籠った。先ほどよりも隙間なく密着した体温で苦しいほどの暑さを覚えるが、普段よりも言動が鈍いような彼を振り解く気にはなれないまま。


「お前を探して…疲れたんだ。寝せろ」

「え、なんかごめん。っていうか私のせい?」

「……お前じゃなかったら、俺は探しに来ていない」


(……なんか、珍しく素直?)

 どことなく、普段と違った一面を見ているような。そんな彼に言葉を探していれば


「……悪かったな。関係ないことに巻き込んで」


 と、不意に謝罪の言葉が耳朶を打った。それに瞠目したのち思わず回った腕をポンポンと軽く叩けば「なんだ」と、今度はいつもと同じぶっきらぼうな声が返ってくる。

 しかし側から見れば咎めるようなその呟きも、今ばかりはどこか甘えているようにも聞こえてきて。


「…よかったね、和海さんとお父さん仲直りできて」

「……ああ。お前がいたから、それに兄さんも、やっと」

「っ?」


 普段なら会話を終わらせていそうな彼だが、そんな予想も相俟って溢れ落ちたその言葉がやけに引っかかった。そうして急かすでもなく続きを待っていればぽつりと、再度低い声が紡がれ始める。


「……兄さんが父さんに憧れていたことくらい、分かってたんだ」

「え、あ、だから」


 再び脳裏に過ぎる、父の『和海は私を恨んでいる』という言葉を強く否定した翔の表情。珍しいほどに大きく見開かれた目は、未だ瞼の裏に鮮明に浮かび上がるほどで。

 そんな気付きをぼんやりと噛み締めていれば「それに」と、話題を続ける小さな声。 


「兄さんがお前にやたらと構うのも、俺の反応を、見るためだったんだろ」

「っ」

「図星だな。だから、関わると碌なことがないと言ったんだ」


 恐ろしいほどの洞察力を披露した彼に思わず言葉を失う。他者に興味がなさそうな振る舞いとは裏腹に相手の本質まで見抜いているような、そんな気さえした。


「……まあ、父さんと本当に仲直りとはいかねえだろうが」

「え、だって」


 少なくとも会話は出来ていたのだから、てっきりあの関係性が元々のものだと思っていた。

 しかし翔の言葉からしてどうやらまだ、完全な修復というわけではないらしい。


「200年は、それくらいの年月だ。だから、これから……」


 そう言いかけた言葉の続きは段々と小さくなり、ついには消え入ってしまった。その代わりに聞こえてきたのは規則正しい小さな呼吸音。

 つまり。


「え、翔、うそでしょ」

(この状態で寝ちゃったの!?)

 どうやらいつになく饒舌な彼は、意識が半分ぼんやりしていたらしい。

 そのまま絡んだ腕を剥がそうと試みたもののやはりと言うべきかびくともしない。それどころか更に力の籠った腕に苦笑いを溢しつつ、芽衣に出来ることは諦めることだけだった。


(動けば暑いし、どうしろと……)

 

 汗ばむ湿った空気の中誰に問うでもなく自問してみるが、そうこうしているうちに自身も眠気を覚え始めたらしい。

 確かにこの2日間で非現実的なことや翔の家の親子仲など、普段なら関わる機会さえないことをたくさん経験した。そのため芽衣の頭も少なからず疲労を覚えるのは当然のことで。


(っさっき起きた、ばっかりだし、眠く、は)

 そんな思考を最後に、気付けば芽衣も誘われるがままに深い眠りの世界へと落ちて行ったのだった。


 **


「あんまり気持ちよさそうに寝ていたので起こしませんでしたよ」

「芽衣ちゃん暑くなかった?」


 次に目が覚めた時には辺りはすっかり茜色を帯びつつ薄暗くなっていて。気温も幾分か下がった現在は、日の長さから察するにおそらく午後の6、7時といったところだろうか。


「暑かった、です」

 ずっと腕に抱かれていたためにカットソーが張り付いていて若干気持ち悪い。そんな感情も込めて抗議の視線を翔に送るものの、すっかり元の調子に戻った彼はそっぽを向いて我関せずとでも言いたげだった。


(誰のせいだと……)

「翔兄、ごめんなさいしなよ」

「なんで俺が」


 本気で分かっていないとでも言いたげな彼に思わずため息が溢れる。だが抱き枕代わりにされていたとはいえ、そんな状況を嫌だと感じなかった自身も相当翔に惚れているのだろうと呆れを覚えた。


「まだ明るいね。もうちょっと暗くなるまで待ってて」

「っ、はい。……っていうか、誰が連れてってくれるんですか?」


 そう尋ねた瞬間チッ、とどこからともなく舌打ちが聞こえた。音のした方を反射的に見やれば、そこにいたのはもちろん


「なんだ、俺じゃ不満か」

 

 と心底不機嫌そうなしかめ面を浮かべた翔だった。やはり彼が送ってくれるのだと安堵する反面緊張を覚えていれば「そんなに嫌なら寝ていろ。眠らせてやるから」と呆れたような声が届く。


(さっきまで寝てたし、流石に寝れないかも。っていうか)

「空は、一回飛んでみたいかも」

「……暴れねえって約束できるならな」

「どうだろうね。芽衣ちゃん初めてだし、変に動けば墜ちちゃうよ」


 そんな不穏な言葉にどきりと心臓が跳ねるが、それでも一生体験出来ないであろう空中散歩は経験してみたい。そう思いつつ翔を見上げていればはあ、とため息を吐くとともに彼は白黒の髪をくしゃりと乱す。


「ほんと甘いんだから。よかったね芽衣ちゃん、起きてていいって」

「え、あ、ありがとうございます」


(今ので分かっちゃうの?)

 流石の兄弟仲に呆気に取られていれば「翔兄だいぶ分かりやすいよね」と、揶揄うような海斗の声が追い打ちをかける。


「うるさい」

 そうして言葉の応酬を続けている間にも、夜は月の映えるまでに刻々と更けていった。




「これくらい暗ければ目立たないのでは?」

 その言葉で窓の外を見やれば、目に映ったのは夜空に飾られたか細い上弦の月。「ほんとだ、行けそうだね」と相槌を打った和海から隣の翔に視線を移せば、彼は準備とばかりに腕まくりをしていて。

 

 そうして、鮮血の双眸と視線がかち合った次の瞬間。


「わっ!?」

「暴れるなと言っただろ、落とすぞ」


 急に横抱きにされた驚きと羞恥で口をはくはくとさせていれば「乱暴はよくありませんよ」と穏やかな声が降ってきた。


「……してないだろ」

「なら、これ以上はやめてあげてくださいね」


(してるけどね……!?)


「まあ大丈夫でしょ。じゃあまたね、芽衣ちゃん」

「また近いうちに遊びに来てね!翔兄の家でもここでも、どっちでもいいよ!」


「うん、じゃあまた──わぶっ!?」

 ぐいと肩を強く抱かれ胸板に顔をぶつける。鼻先にジンジンと痛みを覚える芽衣などお構いなしに歩を進めた翔により、2人は夜空に輝く白光に向かって飛び出して行ったのだった。


 **


(っ、やっと着いた……)

 そうして長いようで短い空中散歩を体験した後、芽衣はようやく自宅へと辿りつくことが出来た。最も、空を飛んでいる間はずっと横抱きにされており翔の顔しか見えていなかったのだが。


(結構怖かったんだけど……しかも自宅(ここ)から割と遠かった……)

 今でも風の音が耳の中でこだまするほどに上空の怖さを身をもって体験した芽衣。しかしそれを上回るほどに感心したのはやはり、人一人を抱えて長い距離を移動した翔の体力だった。


「なんだ、自信があったんじゃねえのか」

「あったんだけどさ……。っていうかお風呂入るから、もう帰ってもらっても大丈夫だよ。送ってくれてありがと」


 壁掛け時計に目をやれば、針が指しているのは午後の10時半。

 流石に自身に対して丸一日を使わせたことに申し訳なさを感じながらそう声をかけるが、何故か一向に部屋の中から動こうとしない彼に首を傾げる。そうして、数瞬の後。


「……え」


 タオルケットを引きその上からどさりとベットに寝転がった翔に思わず声が漏れた。そのまま反射的に「帰んないの?」と問えば、彼は緩く目を伏せながら息を一つ吐き出す。


「帰ってほしいのか」

「そういう訳じゃないけど……」

「ならいいだろ」


(ええ……)

 最早慣れさえも覚え始めた強引さだが、彼が自分の意思を曲げないことくらい学習済みで。


「でも今日1日動いて疲れたんじゃ……」

「俺の勝手だろ。風呂入るなら早く入ってこい」


 どうやら帰る気は毛頭ないらしい。そんな彼の様子にますます困惑しそうな気持ちを抑えつつ「じゃあ、ちょっと行ってくるね」と、芽衣は普段通りに言葉を紡いで部屋を出た。


 しかし『好意を抱いている相手が自身の部屋に居座っている』というなんともよく分からない状況なことには変わりがなくて。加えて、何故か風呂上がりまでいてくれるらしい。

 

(まあ、本人がいいって言うなら)

 今まで翔に説かれ続けてきた『警戒心』という言葉。分かっていた気になっていたその言葉をやはり根本では認識出来ていなかったのだと、芽衣は後から思い知ることになる。


 

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