記憶
──なぜ、髪を伸ばしたのです?
「……それ聞くの」
まるで滑稽だとでも言いたげに眉を上げ笑いを溢した和海だが、わだかまりが解けたことによる安堵からかその雰囲気に今までの翳りは滲んでいない。それはやはり、初めて目にする彼の姿で。
そうしてぽつりと、緩く弧を描いた口が質問に対する答えを紡ぐ。
「母さんに言われたんだよ、顔が父さんにそっくりだって。なら髪を伸ばせばもっと似るでしょ?」
(……あれ)
先ほどの話の中で、和海は確かに『父の顔を見るのが嫌になるほど』と発言していた。しかし現在の彼は長い髪も相俟って、色以外は父親とほとんど瓜二つの容貌である矛盾。
そんな芽衣の抱いたものと同じ疑問を持ちながら、誠泰と翔は静かに和海の言葉を待っている。
「海斗はまだ小さかったからね。俺の我儘で家を出たんだし、形だけでも親代わりになりたかったんだ」
「っ……」
刹那、誠泰の切れ長の目が大きく見開かれたのが視界に映った。その表情は、どこか泣きそうにも見えて。
(……もしかして)
和海は、父に対して憧れのような感情を抱いているのではないか。
尊敬とやるせなさと、それが拗れた憎しみ。それらがぐちゃぐちゃに混ざったようなどこまでも複雑な感情を吐露した彼は達観していたような今までとは違い、人間のようにどこか近い存在に感じられた。
「ほんと長生きには不向きな感情ばっかりだね、人間みたい」
次に耳朶を打つ、芽衣の心を読んだ上での発言。はっと和海に視線を向ければ彼はそのまま立ち上がりこちらへと歩を進めてきた。そうして自身の目の前にいる翔の頭を2回ほど軽く叩き、次にこちらへと視線を寄越す。
「ごめんね芽衣ちゃん、ここまで巻き込むつもりはなかったんだけど」
「っ、いえ」
咄嗟にそう返せば「ほんと、芽衣ちゃんで良かった」と消えそうな呟きが溢れ落ちた。しかしその意味を問う前にぐいと肩を寄せられたかと思えば、次の瞬間には反対の肩にどんっと衝撃が走る。
「いっ!」
「おっと、ごめんごめん。そんなに威嚇しないでよ」
「……」
何が起こったのか分からないまま顔を上げれば心底不機嫌だとでも言いたげな鮮血の双眸が、じっと真っ直ぐに兄を映している光景が目に入った。以前公園でも似たような兄弟間の睨み合いが繰り広げられたが、前と違うのはこれがまるで戯れているように緩んだ雰囲気であること。
しかし翔は一向に自身の肩を離す気配がない。だんだんと苦しいくらいの暑さを覚える中、次に空気を揺らしたのは横から聞こえた低い声。
「和海、ひとつ聞いても?」
その言葉でふっと和海の視線が逸れる。しかしなおも手を解く気がないような翔に眉尻を下げつつ、芽衣も静かに誠泰の言葉の続きを待つ。
「貴方は、誰を失ったのですか?」
──『ああ、あの子も』
(……あ、だから『も』って)
誠泰の溢した呟きの続きが、ようやく理解できた気がした。
「……ああ、芽衣ちゃんが言ったんだね。残念だけど内緒だよ」
(……あれ?)
和海は誰よりも母を慕っていたと話にあったのだから、てっきり彼の母のことだと思っていた。が、どうやら違うらしい。とはいえ、緩く弧を描き続ける口元からそれ以上の言葉が紡がれる気配はなく。
それを察したように誠泰は緩く瞼を伏せ「まあいいです」と話を終わらせる。
「というか、せっかくなので海斗も呼んでください。あの子が私を覚えているかは分かりませんが」
「……どうだろうな」
(っ)
至近距離からいきなり降ってきた低い声。それにより自身がまだ翔に抱き寄せられていることを思い出した芽衣はぼっと火がついたように顔が熱くなった。そうしてそのまま抗議の視線を送るように彼を見上げるが、当の本人はどこ吹く風といった感じで。
「大体の場所は教えたから、俺は森の入り口まで迎えに行ってくるよ」
おそらく海斗に連絡したであろう携帯をポケットにしまい襖の外へと見えなくなった彼を見送りながら、芽衣は誰に言うでもなく助けを求めるのだった。
「お、とうさん?」
「ええ、会えて嬉しいですよ。大きくなったのですね」
「う、ん。久しぶり」
数刻の後現れたのは肩まで伸びた白髪と新緑のような瞳を持つ、まるで少年のように幼さの残る男性。やはり外見だけでは全く判別がつかないが、これが海斗の本来の姿だというのだから驚くしかない。
そんな海斗は最初こそ驚いた様子を見せていたものの、誠泰を前にしては兄2人とは違いどこかよそよそしい様子。それほど彼は親と過ごした時間がかなり短かったのだろうと察しがついた。
そんなぎこちない様子を見かねた和海がぽつりと、眉尻を下げながら言葉を溢す。
「……悪いことをしたね、ごめん海斗」
きっと、弟を親と引き離してしまった和海の紛れもない本心なのだろう。しかしそんな謝罪を聞いた海斗はといえば
「和兄が謝るとか怖いんだけど」
と、まるで化け物でも見たかのように怪訝そうな表情を浮かべながら言葉を吐き捨てる。その様子にふっと吹き出したのは誠泰と和海がほぼ同時だった。
(そっくりなんだなあ)
顔だけではなく性格まで同じような親子をぼうっと見ていれば「っていうか翔兄たちばっかりずるいね!?僕を除け者にするなんて」と頬を膨らませた海斗の姿が目に入った。その姿を可愛いと思ったのも一瞬、脳裏に過ぎる翔の年齢。
(翔が300歳なら、海斗くんだって絶対10代じゃないよなあ)
おそらく100は超えているのだろうと、もはや超常的な年齢を受け入れてしまったことに苦笑いが溢れた。そうして久しぶりに集った家族の団欒を見ていれば、自身がここにいるべきではないことも自ずと察しがついて。
「っあの、そろそろ帰っても大丈夫ですか……?」
しかしそう尋ねた次の瞬間場がしんと静まり返る。一気に向けれられた視線に狼狽えたのも束の間、先に声を発したのは自身をここへ連れてきた和海だった。
「……そうだね。翔が俺の言ったことを守れるなら」
(?)
芽衣にはいまいち理解の及ばない発言。しかしそれを受けた翔は黙って兄を見据えると
「……まだだ」
とだけ短い言葉を溢した。「だろうね」と言葉を返した和海は何かを見通しているようだが、芽衣には全く全容が見えない。
「翔とちょっとした約束をしたんだけど、芽衣ちゃんは気にしなくていいよ。それより今帰るのはやめといた方がいいんじゃないかな」
「ああ。夜になるまで待て。その格好で出歩くつもりか」
そう言われ改めて自身の格好を見下ろす。五部袖ほどのカットソーに丈の短いハーフパンツを寝巻きに使っているため、確かに外を出歩くには少々不向きな格好だろう。
……と、いうか。
(っていうか私どうやってここまで連れてこられたの?)
いくら真夜中とはいえ、人を担いでいたりなんかしたらとても目立つだろうに。
「まあこんなに明るいと空飛べないからね〜。芽衣さんもうちょっとここにいればいいよ」
「……え?」
さらりととんでもない発言が聞こえた気がする。空を、飛ぶ?
「え、今なんて」
無意識にそう溢せば途端はあと男のため息が聞こえた。そうして音の方向を見やれば、まるで呆れたような目でこちらを見下ろす翔と目が合う。
「……俺がどうやってベランダに立てたと思ってるんだ」
「……確かに?」
そういえば今まで深く考えたことはなかったが、確かに道具もなしに2階の自室に来るのは難しいはず。そんな芽衣の静かな驚きを見透かしたように今度は和海が言葉を紡ぐ。
「まあ飛ぶっていうより空中散歩が的確かな、バランス崩すと墜ちるけど。だから芽衣ちゃんには眠っててもらったんだけどね」
「え……っていうかじゃあ鳥みたいなのとは違う、ってことですか?」
「そうだねえ。まあほら、吸血鬼の始祖はコウモリ、なんていう説もあるからね。あいつらは羽生えてるけど」
(……そんなもん?)
納得出来るような、出来ないような。しかし何はともあれ『空を飛ぶことが出来る』ということだけは事実らしい。加えてどうやら自身は空中を経由してここまで連れてこられたことに驚く反面、ファンタジーのようだと胸が高鳴りもしていて。
「でもあれ疲れるんだよね。僕あんまりやりたくない」
「え、そうなの?」
「うん。まあ飛んでみれば分かるけど、あれほど体力使う動きないと思うんだ。少なくとも僕は人を抱っこしながらは無理」
そう言いつつ眉を顰め手を振る彼を見ていれば、空中散歩だけでもかなりの重労働だということがひしひしと伝わってくる。
(じゃあ翔って、実はだいぶすごいんじゃ……)
いつも無表情でやる気の感じられない彼だが、意外と体力があるらしい。そう思いながら無意識に彼を見やれば
「……どうせ失礼なことでも考えてるんだろ」
と見透かしたような言葉が降ってきた。どきりと心臓が跳ねたのも一瞬、翔はおもむろに立ち上がると「じゃあ、あとは3人で仲良くやってくれ。俺は部屋で寝る」と言い捨てそのまま芽衣の二の腕を引っ張り上げた。
「えっ、ちょっ」
強制的に立たされたことに驚いていれば「おや」と穏やかな声が耳朶を打つ。咄嗟に助けを求めるようにしてそちらを見やったものの、どうやら座っている3名は翔を止める気がないらしい。
「あまり手荒なことはするものではありませんよ」
「……しない」
「ならいいのですが」
そうして短い会話を終えた翔は襖の方に身体を向け足を踏み出す。歩幅の違いでバランスを崩しそうになりながら、芽衣はズルズルと翔の部屋へと連れて行かれたのだった。




