父子の邂逅
「久しぶりですね、翔」
先ほどまでとは違う『父親』としての声色でそう言葉を紡いだ誠泰だったが、その瞳は変わらず穏やかに細められていて。しかし対する翔は鮮血の双眸を揺らすばかりで、いつものように上手く言葉を返すことが未だ出来ないようだった。
そうして風の音が包む沈黙を先に切り裂いたのは、言葉を絞り出した翔の方。
「っなんでだ、父さんはいないって」
「和海が言ったのでしょう?あの子が気付いていないだけです」
「っ、なら」
何かを口にしようとした翔だったがそれが言葉になる前に彼は口を引き結ぶ。言いたいことがありすぎて何も言えなくなっているような様を、芽衣はただ新鮮な気持ちで見つめていた。
あの翔も、このようになることがあるのかと。
「質問なら後で聞きましょう。冷める前に食べてください」
そう言いながらゆるりと瞼を伏せ膝を折り、誠泰はおにぎりの乗った皿をテーブルに置く。お盆を傍に置き「どうぞ」と勧められたそれは出来立ての温度を纏っており、芽衣は今更ながら思わず空腹を覚えた。
「いただきます」
「召し上がれ、ほら、翔も」
「……いただきます」
(わ、おいしい)
温かいおにぎりを一口頬張れば、丁度いい塩気を帯びた米が口の中で解れていく。手についた米粒もぺろりと平げ水を飲みながら翔を見やれば、彼は一口ばかりを口に含んだまま黙り込んでいた。
それほどまでに、会うのが久しぶりなのだろう。
そう思い至ると同時に何故そんなにも家に帰っていないのだろうと、純粋な疑問が湧き上がる。
(和海さんは親と仲良くないって言ってたけど、翔はそんなこと言ってなかったしなあ)
「ところで翔、彼女をここに放置したのはお前ですか?」
「……違う、兄さんだ」
「ああ、なるほど。あの子がここを選ぶはずがないと思っていましたが」
「同感だな」
先ほどとは打って変わってすらすらと進む会話。その光景に他人事ながらほっとしたのも束の間、聞こえてきたいまいちよく解らない会話に思わず首を傾げる。するとそれを見抜いたように誠泰が柔らかく、それでいて眉尻が下がった困り笑顔を浮かべた。
それは先ほど読心術について聞いた際に見せた、あの悲しげな笑顔と同じ。
(っ、なんか、聞いちゃいけないかな)
そう思ったものの話題の転換などが出来るわけでもなく、数瞬の後に誠泰は穏やかに言葉を紡ぐ。
「私は、あの子に恨まれていますから」
「っ違う!あれは父さんのせいじゃ」
珍しく声を荒げた翔は何かを必死に否定しようとしていて。しかし対する誠泰の表情はやはり困ったような、それでいて諦観したようなもの。
「助けられなかったのは事実ですから、仕方ありません」
「っ、母さんが死んだのは、父さんのせいじゃないだろ」
(え)
唐突に聞こえたそんな発言に言葉を失う。そんな様子を見て「また暗い話になりましたね、すみません」と柔らかい声が鼓膜を震わせた。
そういえば先ほどの会話の中で、翔の母は彼と同じ特異体質だと話にあった気がする。なら、翔も同じことになってしまうのだろうか。
「翔は、私の妻とは違う体質なのでご安心を。外見は一番似ていますが」
「っあ」
心の声に申し訳なさを覚えたまま、目線が自然と少し下がる。そんな様子を見かねたようにどこまでも穏やかな、それでいてどこか遠くを懐かしむように誠泰は言葉を紡ぐ。
「少し、昔話をしましょうか」
目線を上げればふわりと微笑んだ色違いの双眸と目が合う。そうしてぽつりぽつりと、彼は翔の母についての言葉を溢し始めた。
「私の妻は紬といいまして、特異体質にも関わらずそれはそれはお転婆な方でした」
「……お転婆?母さんが?」
「ええ。まあ、子供を授かってからは落ち着いた方になりましたから、それ以前の姿を知らないのも無理ありません」
まるで信じられないとでも言うように言葉を返した翔の言葉から察するに、彼の母はとても包容力のある方だったのではないか。
「私と最初に出会った時、彼女は桜の木から落ちてきたのですよ。近くで桜の花を見たかったようですが」
「……本当に」
「本当ですよ。和海が生まれた頃もまだ面影はありましたがね」
(木から落ちてくるって、相当活発だったんじゃ)
そんなことを思いながら翔を一瞥すれば、やはり彼は信じられないと言いたげに顎に手を当てるばかり。彼の反応を見るに初めて聞く話であることは明白だが、同時にこれまで母の話を聞く機会がなかったことに違和感を覚えた。
それこそ亡くなる前にでも、このような話をする機会があったのではないかと。
「兄さんは、その話知ってるのか」
「ええ。あの頃、お前はまだ幼かったので覚えていないのも仕方ありません」
(あ、なるほど)
そうして、ストンと腑に落ちた違和感を消化していた時。
ほんの一瞬だけ誠泰がより一層泣きそうな笑顔を浮かべたのを、芽衣はスローモーションのようにただぼんやりと見つめていた。
「……そんな彼女の特異体質は、人間の病に罹ってしまうというものだったのです」
「っ……」
懐かしむ声色から一転哀愁を含むそれに左胸がキュッと締められる。ゆっくりと穏やかに言葉を紡ぐ彼の笑顔は、どこか物憂げなものに見えて。
「大病を患うことはなかったのですが、海斗が生まれてすぐのことでした。彼女が当時の流行病に罹ってしまったのは」
「……」
「本来病になど罹患しない我々は、それを治す術を持っていない。そのため私は人間から医学を学んでいましたが、終に彼女を助けるまでには至らなかったのです」
「……っ」
じわりと左胸の締め付けが強くなる。会ったことのない者に対してここまでの感情が湧き上がるのはおそらく、誠泰があまりにも寂しげに笑うからだろう。
そうして彼が手を尽くしたであろうことは、翔が語気強く否定した『母を救えなかった』という言葉から痛いほど伝わってきて。
(っ、でもじゃあ)
そんな父を和海が恨んでいると言うのは、一体。
だがそれを聞くことなど、出来るはずもなく。
沈黙が支配する中、また木々の擦れる音が強く響いた気がした。
「ところで翔、よくここまで辿り着けましたね」
「……だいぶ迷ったがな」
まるで話題を変えるように軽くなった声色と、それに言葉を返す低い声。無意識に張り詰めていた呼吸をふうと吐いたのも束の間、翔の言葉を理解すると同時に首を傾げる。
(実家なのに道忘れるの?)
そんな質問が顔に書かれていたのだろう。こちらへと視線を移した彼がどこか呆れたように口を開く。
「200年。俺がこの家を出てからそれくらい経つ」
「……は!?」
今、なんと。
「翔今何歳なの……!?」
遅れて言葉を理解した思考から反射的に疑問が飛び出た。その言葉を受け「少し待っていてください」と腰を上げた誠泰が部屋を出る音を聞きながらも、瞠目した茶色の瞳は「知らん」と返答をした男を信じられないとばかりに凝視し続ける。
「お待たせしました」
ややあって部屋へと戻ってきた誠泰の手に握られた一冊の本。年季の入った和紙に刻まれた丁寧な文字は、おそらく彼のものなのだろう。
「生まれた年ですね。さて、1656年は今から何年前ですか?」
(え、1600って言った今)
全く現実的ではない数字に意識を持っていかれそうになる中、芽衣はなんとか計算を試みる。
現在は2018年。そこから1656年を引くと
(えーっと……)
「2、63……362歳!?」
「驚きすぎだ」
思わず素っ頓狂な声を上げた口を咄嗟に右手で覆う。
そうしている間にも、まるで当たり前だとでも言いたげに落とされた低い声を脳が理解することを拒む。てっきり同学年だとばかり思い込んでいた彼はやはり人間とは違う生き物なのだと、改めて思い知らされたような心地がした。
「これでもだいぶ若い方ですよ」
「え、え……?っていうかじゃあ誕生日いつ……?」
「忘れた」
「嘘でしょ……」
そうぽつりと呟けば再度誠泰が本へと目を落とし「ああ」と声を溢す。
「現在の暦で8月14日、丁度明日ですね。おめでとう」
「明日!?」
「うるさい」
目を伏せそっぽを向いてしまった彼は、どうやら明日で362歳になるらしい。そんな現実を飲み込み切れずにいた芽衣だったが
──トンッ
と、どこからか聞こえた襖の開く音で我に返った。ふと翔を見やれば彼もどこかへ視線を投げており聞き間違いではないようだが、対する誠泰は特に反応を見せない。
(あれ、聞こえてなかったのかな)
「そういえば紬を看取った時、実はもう一人そこにいたのですが」
不意に口を開いた誠泰だったが、その色違いの双眸が一瞬だけ鋭く襖を見やったのを芽衣は見逃さなかった。
「は、もう一人?」
「ええ、今来ますよ」
──トンッ
(え、来るって)
聞き間違いではないほどはっきりと耳に届く音は、確実にこちらへと近付いていて。
そうして、次の瞬間。
「か、──え」
開いた襖の向こうから飛び込んできたのは、ぴたりと動きを止めた和海の姿。その海の色を宿した双眸は裂けそうなほどに見開かれており、呼吸さえ止めた彼は呆然と立ち尽くすばかり。
「やっと会えましたね、和海」
ぽつりと溢れた言葉に滲む儚さは、木々の音に攫われ消えていく。
そうして翔を見やった時とは違う困り笑顔が、静かに狼狽する和海をただじっと見据えていた。




