先客
(あの子、って)
その言葉で目の前の男性をまじまじと見つめてみる。本人かと見紛うほど和海によく似た顔立ちだが目元に薄く刻まれた皺、白髪の隙間から覗く右目を縦に走る傷跡のようなものは彼との相違点。
ならば双子だろうかとも考えたものの、今までの翔の言動を顧みるに兄は和海1人のみ。なら、この男性は
「翔の、お父さん……?」
気付けばそう口から溢れていた。すると男性は納得したようにふわりと微笑み「ああ、そういうことでしたか」と、柔和な相槌を紡ぐ。
「翔のご友人でしたか。それに和海を知っているのなら、おそらく海斗も知っていますね?」
「っはい、じゃあやっぱり」
「ええ、子供達がお世話になっているようで」
目尻を下げ笑顔を浮かべた彼を見て、同じ顔立ちでも表情によってここまで雰囲気が違うのかとぼんやり思う。
しかし彼らの父であるということはこの男性もまた吸血鬼なのだろう。そう思い至ったところで無意識に身体が強張るが、正座を崩さず距離を保ったままの男性から警戒するに値する雰囲気は伝わってこない。
「自己紹介がまだでしたね。誠泰と申します。お名前を伺っても?」
「あ、相田芽衣といいます……」
素敵な名前ですね、と返された言葉で幾分か力が抜ける。そうして解れた頭にふと浮かび上がった、とある違和感。
それは以前、和海が自己紹介をした時に覚えた違和感と同じもの。
(なんで翔以外は名字言わないんだろ?)
翔の名字が『涼崎』なのだから彼の家族も同じかあるいは家庭の事情で別なのか、どちらにしても名字自体はあるだろう。そう不思議に思いつつ首を傾げれば「どうかしましたか?」と言葉が落ちてくる。
しかし果たして、家庭内の事情を初対面の人物に対して聞いても良いものなのだろうか。
「何か気になることがあれば、遠慮せずに聞いていただいて構いませんよ」
「っあ……」
──『聞きたいことがあるなら、なんでも答えてあげるよ』
耳元で蘇った和海の低い声。それと似た声で同じことを紡いだ彼の父に対して、性格までもが似通った親子なのだろうと思わず感心した。
和海は言葉通りに質問に答えてくれたのだから、彼の父も答えてくれるかもしれない。そう思い直した芽衣の口はぽつりと、抱いた疑問を溢す。
「じゃあ……名字は、なんていうんですか?」
「……なるほど。人間は名字を持っているのでしたね」
(え)
名字が、ない?
瞬間ストンと、和海の自己紹介に対しての違和感が腑に落ちた。あの時彼は名字を名乗らなかったのではなく、初めから存在しないために名乗れなかったのだ。
「じゃあ、翔のあれは……」
「あの子は名乗っているのですね。まあ、名字は適当なものをあてがうことも可能ですから」
「……たしかに」
その言葉で、人間ではない以上それもそうかと納得する。確かに珍しい名字だとは思っていたが、あれは自分で考えたのだろうか。
(っていうか俳優の涼崎翔も名前一緒だし……参考にしたのかな)
こればかりは後で本人に聞いてみようと思い至るが、同時にまた会えるのだろうかという不安も湧き上がる。
それに一体、自身はいつまでここにいればいいのだろうか。一時的に隔離されているということは理解したが、期限までは明示されていない。
加えてそもそもの話、翔が自身をどう思っているのかはまるで分からないまま。
(でも、側にいるのは嫌じゃないって言ってたし)
「ここで座っていても足が痛くなるでしょう?立てますか?」
不意にスッと立ち上がった誠泰の声が落ちてくる。自然と視線を上方向に向ければ目の前に大きな手が差し出されているのが目に入り、そのままおずおずと手を取れば少しばかりひんやりとした体温がそこから伝わった。
それを支えに立ち上がれば、大きく開いた目線の差が再度縮まる。
「少し、場所を変えましょうか」
そうして後ろを付いて行く形で案内されたのは、新緑が目一杯に広がる縁側に面した部屋の中。その中央に置かれた木で作られた低いテーブル前に促されるまま座り、対面で誠泰もテーブル前に腰を下ろした。しかしなんとも不思議なこの状況に今更ながらソワソワしていれば「気を楽にしていただければ嬉しいです」と、どこまでも気遣いのできる大人の声が届く。
ところで、一つ気になったことがある。
それは和海のこんな発言について。
(親と仲良くないって言ってたけど、お父さんの方はそう思ってないっぽい?)
事実、三兄弟の名前をすらすらと述べたところや和海の名前を聞いても平然としているあたり、どうやらこの親子の認識にはかなりの温度差があるらしい。
それに『親』というのは、父と母どちらのことなのだろうか。
(……あれ、そういえば翔のお母さんは?)
「どうかしましたか?」
ピクリと肩が跳ねる。我に返り彷徨わせていた視線を目の前へと戻せば、青と緑の双眸がこちらをじっと見据えているのが目に入った。そういえば和海曰く海斗は緑色の瞳を持っているらしいが、だとするなら翔だけが父と似通ったポイントがないことになる。
「……あの子は、母親に似たのです」
「っ!?」
喉が少しばかり詰まる。最早慣れさえも覚え始めた思考を読まれる感覚に思わず
「和海さんと同じ……?」
と呟けば一瞬瞳が大きく見開かれ、「ああ、あの子も」と小さい呟きが溢れ落ちた。だが和海は思考のほとんどを読んでいたのに対し、誠泰が読んだのはおそらく今が初めて。
そんな考えを見透かしたようにゆるりと瞼が細められる。
「私は極力読心はしないようにしているのです。お互いにあまり気分の良いものではないでしょうから」
(……なるほど)
確かに思考が読めてしまうということは、その相手の隠した本心までをも見透かせてしまうということ。知りたくない心の声は時として読む側の害にもなってしまうのだろう。
そう考えていた時ふと、芽衣の脳内に素朴な疑問が湧き上がる。
「なんで、心が読めるんですか?」
ぽつりとそう尋ねれば穏やかな笑みが一転、眉尻を下げ困惑を含んだ笑顔に変わった。聞いてはいけないことだったのかと即座に取り消そうとしたが「そうですね……」と、どこか言いにくそうな声が落ちたことでタイミングを失ってしまった。
(あ……分かんないかもだし、困らせちゃったなあ)
和海の話によれば翔は心を読むことが出来ない。しかし彼の兄と父が出来るということは、例えば年齢など何かしら自覚のないきっかけで読めるようになった可能性もある。
ならば、分からないのも当然だろう。
そう、思ったのも束の間。
「はっきりしたことは分かっていないのですが、先人たちの遺した記述から分かったことが一つだけあります」
改まった様な声を紡ぐ彼は依然として笑顔を浮かべているものの、そこに見え隠れするのはどこか寂しさを含んだような感情。
そうして風の音だけが耳に届く空間で続きを待つ中、次に紡がれた言葉でその表情の意味を察した。
「愛する者を失うことで身に付くらしいのです。本当に心を知りたい相手を失くしてからなんて、なんとも皮肉なものですが」
(っ……)
哀愁を帯びた物悲しげな笑顔が映る。その表情は、この家のことを口にした際一瞬だけ見えた和海のものとよく似ていて。
そしてそれが本当だとすれば和海も彼の父も、誰かを失ってしまった経験があるということになるわけだが。
(……あ)
瞬間脳裏に浮上した、先ほど覚えた疑問。翔の父である彼はこの家にいるというのに、母の姿が見当たらない。
ならば、まさか。
「私の場合、それは妻でした」
「っ」
さあっと一際強い風が吹く。凪いだように言葉を紡ぎ続けた誠泰の、心の中を表すように。
(じゃあやっぱり、翔のお母さんは、もう)
当たり前と言ってしまえばそれまでだが、今まで翔の口からそんな話は一度も聞いたことがなかった。彼についてまだ何も知らないことを痛感すると同時にキュッと、左胸が締め付けられる感覚がする。
それはおそらくこちらと目を合わせながらもどこか遠くを見て懐かしむ誠泰の、吸い込まれるような儚さのせいだろう。
「翔と同じく特異体質の方で、遅かれ早かれいなくなることは分かりきっていたのですが」
「……寂しい、ですね」
「ええ、とても。ですが良い思い出もたくさんありましたので」
ふわりと穏やかに微笑んだ彼が茶色の瞳に映る。まるで気を遣わせないようにトーンの上がった声に、これ以上この話題について言及することなど芽衣には出来なかった。
(言わせちゃったけど、思い出したくなかったんじゃないかな……)
そうして俯きがちに視線を逸らせば、再度湿り気を帯びた夏の風が頬を撫でる。
木々の擦れ合う音だけが辺りを包む中、少しばかりの沈黙が訪れた。




