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『調査』

 身体を貫くような衝撃と、じわじわと込み上げてくる怖気(おぞけ)に全身の肌が粟立つ。

 生まれてこの方心霊現象などの『非現実』を体験したことがない芽衣にとって、目の前の現実はあまりに受け入れ難いものだった。

 それに加え、同時に別の事実も明るみになる。

(やっぱり本当だったんだ…最初から全部)

 昨夜の『非現実』が現実なのだとしたら、今まで見てきた『夢』も現実としか考えられない。

 たとえ痛みは夢の中のものだとしても、あの首に残った疼きは本物なのだから。


 そう考えた瞬間、まるでパズルのピースが嵌まるように全てが腑に落ちる。そして、

「本当は…最初から分かってた…?」

 見て見ぬふりをし続けた、とある真実に辿り着いた。

 

 強い衝撃を伴う体験をすると、人間は無意識にその記憶へ蓋をする。それは芽衣も例外ではなかった。

 吸血鬼という存在を信じることも忘却することも出来なかった芽衣の頭は、『現実』を記憶の底に押し込んだのだ。

 ただ、その記憶に『夢』という名前をつけて閉じ込めただけで。


(どれだけ信じられなくても、認めるしかないんだ)

 だんだんと落ち着きを取り戻した芽衣の肌に、食い込む爪の鋭い痛みが鮮明に表れる。

 はっと我に返り自分の体勢を見れば、両肩に爪の跡が残るほど強く抱きしめていた。

 極限まで怯えていた自分に、思わず苦笑いが溢れる。


「そうだ、翔に()()()をしないと」

 頭の中の霧が晴れれば、何をするべきかも見えてくる。この問題を解決するために必要なのは翔の協力しかない。希望の糸口に気付いた途端、目の前がパッと明るくなって見えた気がした。

 そうして無理矢理ながらも『非現実』を飲み込んだ芽衣の耳に、胸が早鐘を打つ音が届く。

 先ほどまでの暗い感情ではなく、むしろこれから起こることを予告するような光のように明るい音。

 その高鳴るような音を聞きながら、芽衣は勢いのまま朝の身支度を済ませて学校へと向かった。

 

 **


 気が付けば、淡い朝日が降り注ぐ通学路を走るように歩いていた。

 昨日のどんよりと曇った鈍色の空とは違い、青空は芽衣の胸中のように雲一つなく晴れ晴れとしている。

 絶望の反動から来る酔ってしまいそうな高揚感と少しの緊張を胸に、どんどんと次第に歩調が早まる芽衣。そうして気が付けば、風を切るように通学路を走っていた。

 

 実は提案を断ったあの日から、芽衣が翔と言葉を交わすことはなかった。そもそも会話をするような関係性ではなかったのだから、元通りになったと言うべきか。

 代わりに、2人の関係を何やら誤解しているような同級生(主に女子)からの尋問は止まなかったが。

 だが、どうしても翔には協力して貰わねばならない。たとえ声をかけることに勇気が必要であろうとも、同級生からの好奇の視線が痛いほどに突き刺さろうとも。


 昂り落ち着かない気持ちのまま、ただひたすらに学校を目指す。

 そうして走り、時に歩くことを繰り返して20分。ついに学校の正門が目の前に現れた。


(ふう…もう…着いちゃった)

 正門で立ち止まり、はあはあと肩を上下させ息をする。普段なら30分かかる道のりなのだから無理もない。

 誰が見ても疲れていることは明らかだが、自然と芽衣の口角は上がる。はやる気持ちを抑えながら、軽い足取りで校舎へと足を進めた。

 悩まされてきた問題を解き明かしたい、その思いに突き動かされながら。


 校舎に入り、誰もいない廊下を通り抜け階段を登る。まだほとんどの生徒が登校前であるために、辺りはしんと静まり返っていた。

 廊下の窓から吹くそよ風が芽衣の高揚感を和らげ、走って火照った身体を鎮める。

(とりあえず、翔が来るまで待とう)

 聞きたいことでも考えていよう、そう思いながら教室後方の扉を開け、教室に足を踏み入れた時だった。


「わっ!?」

 思わず声を上げ、目を見開いたままその場で固まる芽衣。そして信じられないとでも言うように、ある一点を凝視する。

 彼女の目に飛び込んできたのは、自然光だけが包む教室で既に自席に着き、伏せて眠っているような翔の姿だった。

(なんで!?いつもこの時間にはいないはずじゃ)

 普段ならいるはずのない人物を前に、芽衣の口からはえ、あ、と声にならない声が漏れていた。

 加えて教室にいるのは翔のみ。他の同級生さえ登校していないというのに、なぜ今日に限って。

 込み上げる違和感に、気が付けば首を傾げていた。


 数秒の間の後、驚声に反応した翔が気怠そうに顔をあげ、いつもの無表情でこちらを振り返る。

 そうして立ち尽くす芽衣を、彼女と視線を絡ませるように見つめていた。

「静かに」

 低く落ち着いた声は静かな教室に響き、外へと吸い込まれていく。

「あ、ごめん」

 図らずも、『翔と会話することに対する緊張』はこの短い応酬で(ほぐ)れていった。

 そして、その会話が契機となり我に返った芽衣は教室へ入ると、静かに引き戸を閉めた。

 

 入り口付近の自席にリュックサックを置き、緊張と興奮入り混じった感情を落ち着かせるように大きな息を()く。高鳴る鼓動を聞きながら、こちらを見続ける翔の元へ少し重い足取りで歩き出す。

 そうして彼の斜め後ろで立ち止まると、開口一番

「この前の話だけど…」

 と切り出した。一度断った提案を持ち出す気まずさから、つい言葉に詰まる。


「気は変わったか?」

 対する翔は特に何も聞かず、ただ一言だけ尋ねた。まるで、すべて分かっているかのように。

 その言葉と態度に、またも言葉に出来ない違和感を覚える。目の前の男は、どこまでも違和感だらけだった。

 同時に、この違和感は答えが出ないものだということも悟った。考え始めればキリがないのだ。

 

「どうした」

 問いかけられ、芽衣は意識を引き戻される。目線の先には、あたかも回答を急かすようにこちらを見上げる翔の姿が。

「ううん、なんでもない」

「そうか。で、どうなんだ」

 鋭い目が「早くしろ」と訴えている。急かされ気圧された芽衣は大きく息を吸い、意を決して言葉を紡ぐ。


「吸血鬼のことについて知りたい。だから、協力してほしい」

 言い終えるが早いか、自然と顔が横を向く。

(もし断られたらどうしよう…)


 そんな芽衣を見つめながら、不意に翔の目がスッと、昏い光を宿して笑うように細められる。

 それはまるで、悪巧みを考える少年のような眼差し。


 だが、きまりの悪さ故に顔を背けた芽衣が、その目に気が付くことはなかった。


「そうか、分かった。なら今日から始めるぞ」

 その言葉を聞き、芽衣の瞳が輝きを帯びる。そして再び翔と視線を合わせると

「ありがと!」

 と、無邪気で明るい、無垢な子供のような笑顔で返した。


(あ、そうだ)

 とあることを思いついた芽衣は、嬉しさの勢いのまま翔に対して切り出す。

「あ、それと、1つお願いしたいことがあって…」


 その後、芽衣のとある希望を聞いた翔は、渋々ながらも承諾することとなる。


 ──こうして、不思議で奇妙な『調査』が幕を開けた。


 **


 放課後、前回同様密談のために図書室へと向かう芽衣と翔。

 しかし前回と違うのは、そこに紗季も加わっていること。


 

 あの時、芽衣がした『お願い』。それは調査に紗季を加えることだった。

 芽衣はただ、人が増えた方が意見が沢山出ると思っての提案だったのだが、

「吸血鬼の話なんて、信じると思うのか?」

 そう一蹴されてしまった。


(確かにそうだけど、でも)

 それでも、2人より3人の方が心強いと考えた芽衣は半ば強引に翔を説得。

 押しに負けたのか、はたまた面倒だと思ったのか。押し問答の末に、いかにも不本意といった様子で翔はその提案を受け入れたのだった。



 暖色が包む静かな図書室に入り、一番奥の机を目指す。

 そうして荷物を下ろし席に着くなり、こちらを凝視する紗季が口を開いた。

「もー芽衣!夢の話が現実だとか言われてどれだけ驚いたか分かる!?」

「ごめんごめん。私も本当に夢だとしか思わなくて…。ていうか紗季、こんな話本当に信じてくれるの?」

「まあ、芽衣がこんな冗談言う子じゃないことくらい分かってるし」

 自身でも飲み込むのに時間がかかった現実を、この親友は簡単に信じてくれようとしている。その事実に、思わず目頭が熱くなる。

「おわっ!芽衣泣く?泣いちゃう?」

 どう考えても煽っているようなその言葉に、涙が引っ込み笑いが溢れる。

 和ませようとしてくれたのだろう、そう思った。


「泣かなかったか〜残念。というかそれよりさ」

 ちらり、と2人と向かい合って座る翔を一瞥する紗季。そして隣の芽衣に視線を戻す。

「いつの間にこんなに仲良くなったわけ?」

(えっ)

 突然の問いかけに、思わず視線が泳ぐ。

 冷静に考えてみれば、現状翔と会話らしい会話をしたことがあるのは芽衣のみ。彼が普段口を開かない事実も相まって、側から見れば仲が良いように見えるのも無理はないのかもしれない。

 しかし、芽衣とてまともに言葉を交わしたのはつい4日前のこと。


「仲良いって程じゃ…」

 反射的にそう答えながら、大して会話もしていないのにと、申し訳なさを含んだ視線を翔に送る。

 しかし、当の本人は頬杖をつきながらこちらと目を合わせてくるだけであり、特に否定も肯定もしなかった。

(…否定してくれた方がまだありがたいんだけど)

 視線に耐えられずふいっと、顔を背けて横を向く芽衣。

 どこか居心地の悪い感情とは裏腹に、感情を読み取らせない翔の視線は、ただただ芽衣に注がれていた。



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