見えないモノ
──『チョーカーね、本当は人間には見えないはずなんだよね』
「……え?」
ぴたりと、携帯を耳に当て続けたまま芽衣の動きが止まった。
そうして同じく停止した思考が彼の言葉を飲み込むことを拒む。見えない?チョーカーが?
そんなはずはない。あんなにも首元を飾る黒色が、人の目に入っていないはずがないのだから。
しかも、
(今、『人間には』って言った?)
『あげたのは俺だし、最初は普通のチョーカーだったんだけどね』
耳に流れ込んだ低い声が意識をぐいと引き戻す。
彼の言う『普通の』とはつまり、『見える』チョーカーということ。
『長いこと翔が着けてたせいか、いつの間にか見えないモノに変化しちゃったみたいでさ』
(そんなことあるの……?)
にわかには信じがたい彼の言葉を、それでもゆっくりと噛み砕く。和海の『人間には』という言葉から察するに、同じ吸血鬼である彼や海斗にはもちろん見えているということだろう。
しかしならば何故、人間であるはずの自身がそれを視認できるのだろうか。
『俺のネックレスは人間にも見えるんだけどね』
「え、同じ吸血鬼なのに、ですか?」
『うん、翔だけはちょっと特殊でさ』
(特殊……)
その単語が何を意味するのかは分からないが、和海の口調からしてそこまで悪いものというわけではないように聞こえる。
『波長が合えば見えることもあるみたいだけど、俺は初めて会ったかな』
そんなことをぼんやりと考えていた頭に届いた、聞き慣れない言葉。
「波長?」
『そうそう。お化けとかもチャンネルが合う人は視えるって言うし、そんな感じだと思ってくれていいよ』
(……私が?)
つまり自身は波長が合う側の人間だったということになるが、生まれてこの方幽霊などは目にしたことがない。あるいは、見えていても気が付いていなかっただけなのか。
しかし驚きの感情さえ奪うように紡がれる落ち着いた言葉の数々は、やはりすんなりと信じられるものではなかった。自身はどこにでもいるような人間であるはずなのだから、いきなり『見えないものが視える』などと言われてもピンと来ないのも当然のこと。
まさか、揶揄われているだけなのでは?
『まあ簡単に信じられる話じゃないだろうし、紗季ちゃんにでも聞いてごらん』
「っ」
疑念をぴたりと言い当てられ言葉に詰まる。しかし確かに第三者に確認してみれば、半信半疑な彼の話の真偽が分かるだろう。彼の言葉がそのまま嘘だとは思いたくないが、そう考えてしまうのも無理のないことで。
「ちょっと聞いてみます」
『それがいいよ。聞いたら、あとは翔と話すだけだね』
「っ……」
聞こえた名前にどくんと鼓動が跳ねる。衝撃的な話に意識を持って行かれていたために頭の片隅に押し込まれていた彼が鮮明に思い出され、芽衣は思わずきゅっと肩を縮こめた。
「和海さんのおかげです。ありがとうございました」
『どういたしまして。聞きたいことちゃんと聞けるといいね』
いくら違和感を覚える言動が多いとはいえ、こういうところは包容力のある大人なのだと認識させられる。そんな彼との電話を終え携帯を面前に持ってくると、芽衣はメッセージアプリを開き紗季へと言葉を打ち込んだ。
【吸血鬼の正体分かったよ。これ見たら連絡ちょーだい】
チョーカーのことを聞くのなら必然的に翔のことも明かさなければならない。自身でも受け入れるのに時間を要した事実を、親友は信じてくれるだろうか。
ヴヴッ。
【分かったの!?】
【うん、翔だった。それで聞きたいことがあるんだけど】
そう送信した、次の瞬間。
ヴヴッ、ヴーッ、ヴーッ。
(やっぱりそうなるよねえ……)
今日だけで聞き慣れてしまった振動音。久しぶりに感じるその名前に安堵とサプライズを実行する子供のような気持ちを覚えつつ応答ボタンを押下する。
そうして電話が繋がると、開口一番
『翔、って、あの翔くん!?』
という驚声が耳を貫く。その反応にどこか嬉しさを覚えつつ「そうそう、同級生の」と端的に答えれば『なんでそんな落ち着いてんの!?』と、未だ興奮冷めやらぬ声が届いた。
「というか、信じてくれるの?」
『えっ、うーん、ほんとに……でも芽衣が言うならそうなんだろうし……でもなあ……』
どうやら受け止めきれないままに信じようとしてくれているらしい。そんな親友の姿に心が温まるのを感じつつ「信じられないよね、ゆっくりでいいよ」と返すと、芽衣は更に話を続けようと言葉を紡ぐ。
「でさ、その翔のチョーカーの話なんだけど」
『……?うん』
話が切り替わったためか一瞬の間はあったものの、紗季の返事は話を肯定するもの。ならばやはり、他の人間にもチョーカーは見えているのではないか?
(やっぱりからかわれてんのかな……)
失礼だということは百も承知であるが、どこまでも穏やかな口調は一周回ってそんな妖しさを醸し出すもので。
やはり自身もまだまだ大人には敵わないのだと、改めて実感せざるを得なかった。
「いつも着けてるあれ、やっぱり見えてるよね」
『?いつも?』
「うん、毎日着けてるじゃん」
『……?』
(……あれ?)
ほっとしたのも束の間、なんだか話が噛み合っていないような。
そんな歯切れの悪さが不気味な湿気となって足元から這い上がる。そうして次に、紗季の口から飛び出した言葉。
『そんなの、着けてなくない?』
(っえ)
瞬間周囲の時が止まった。そんな錯覚を覚えつつ、無意識のうちに止まった呼吸をか細く再開する。
まさか、本当に見えていないのか……?
「え、学校に着けてってる黒いあれだよ?」
『見たことないよ?』
「……嘘でしょ……」
ガラガラと音を立てて何かが崩れ落ちる。
そしてここでようやく腑に落ちたのは、誰も彼のチョーカーを指摘しなかった違和感に対する本当の答え。
彼の威圧感に負けて指摘出来なかったとばかり思い込んでいたそれは、最初から誰の目にも見えていなかったのだ。
(じゃあ、和海さんの言ってたことって……)
16年間生きてきて、ただの一度だって自身を『特殊な人間』だと思ったことはない。そんな根底が、まさか揺らぐことになるとは。
──『翔だけはちょっと特殊でさ』
その言葉が、何故か耳奥で響いたような気がした。
「ごめん変なこと聞いて、忘れていいよ」
『大丈夫だよ、でもいきなりなんで?』
数秒かけて我に返り言葉を紡げばそんな質問が返ってくる。吸血鬼の正体といいチョーカーといい信じられないことばかりではあるが、そんな事実をまだ信じてくれるのだろうか。
「翔のチョーカー、人間には見えないものだって和海さんが言ってたから」
『……え、待ってじゃあほんとに着けてるってこと?』
「みたい。前に本人にも確認してるから見間違いではないと思うんだけど……」
『ええ……』と言葉にならない声が電話口から届く。無理もないその反応に眉尻を下げていれば数秒間を置いて
『芽衣も吸血鬼?』
と、どこか気の抜けるような言葉が聞こえた。思わずふふ、と小さく笑みを溢せば『な〜に笑ってんのさ』と、いつもの紗季の声が続く。
「まさか、両親共に人間です」
『あはは、だよね。でも不思議な話かも。芽衣には視えるんだもんね?』
「信じてくれるだけで嬉しいよ。私も信じられないし」
『そりゃあ、芽衣の冗談と毛色が違うから』
どうやら信じてくれるポイントは『冗談の種類』らしい。そんな彼女らしい観点に自然と口角が上がりつつ、見えないものが視えているという事実をゆっくり飲み込む。
(まあ、色々信じられないけどほんとのことなんだもんね。それにさ)
なにはともあれあと5日もすれば翔に会うことが出来る。その嬉しさも同時に噛み締めながら、芽衣は弧を描き続ける口元を片手で覆った。
**
「えっ、旅行?」
次の日の朝、母から告げられた旅行計画。
「そ、お盆休みに行こうと思って。家族旅行なんて久しぶりでしょ?」
聞けば12日の午前に出発し14日の夕方には帰ってくる予定とのこと。お盆休み本番はどこも混むから、という考えらしく、隣では父が早速近隣地方のガイド雑誌を広げているところだった。
「旅行かあ……」
しかしどうしても、翔が指定した12日の夜と被ってしまう。せっかくの家族旅行なのにと罪悪感を抱きつつ「留守番って選択肢は……?」と意を決して口を開けば、
「なんだ芽衣、何か予定でもあるのか?」
と、雑誌から顔を上げた父の声が届く。まさか正直に答えるわけにもいかずまあ、と濁した返事をすれば「うーん」と母の声が続けて聞こえた。
本音を言うなら、たまの家族旅行にはもちろん行きたい。しかしそれと同じくらい翔にも会いたい。
「友達と遊ぶ約束しててさ、どうしても日程合わないんだよね」
「……確かに断ればお友達に悪いし……そうねえ」
言いつつ渋っていた様子の母だったが、少しの間を置いて「仕方ないわね」と紡がれた弱い言葉。思わず胸がキュッとなったが、芽衣はそれでも明るくしようと口を開く。
「たまには夫婦でゆっくりしてきなよ」
「寂しいわねえ、まあ、別に休み以外でも旅行は行けるけど……」
「芽衣がそう言うなら仕方ないか。決めたことは曲げないだろうから」
ごめんね、と心の中で呟いていれば「じゃあ、今回は夫婦旅行にするわ」と納得してくれたように幾分か軽くなった声が届いた。そんな光景にほっと胸を撫で下ろす。
「でも芽衣、ご飯どうするの?」
「適当に食べるから大丈夫。それにもう高2だよ、心配いらないって」
特に外出の予定もなくお金を使う場面もないのだから、食事は家にあるものかコンビニでなんとかなるだろう。
そんなことを考えていれば「それと」と、母が続けて口を開く。
「いつも窓あけて寝てるでしょ。夜雨降ることもあるんだから部屋濡らさないようにね」
「分かってるよ、だいじょぶだいじょぶ」
「ほんとに分かってるのやら……」
旅行の代わりに翔に会えるという嬉しさで、つい話半分に聞いてしまう。
この選択が後にあのようなことを引き起こすなど、この時の芽衣は知る由もなかったのだ。




