俳優仲間
「にしてもお前、本当に自由人だな」
左目の色と異なる緑色の右目をくすんだ金髪で隠し、左半分の髪を後ろに流した男性が口を開く。その言葉を無言で受け流し辿り着いたリビングのドアをくぐれば、次に目に入ったのはテレビ前でくつろぐ袴姿の男性だった。
「あれ〜翔じゃん、久しぶり。サングラス似合ってるね」
そう翔に緩く声をかけたのは黒髪に青メッシュを入れ、少し長い髪を前で結わえた俳優の神奈成実。「脅されたから連れてきた」と言ってのけた金髪の男性はこの家の家主であり同じく俳優の石田龍。どちらも23歳で古くから翔と付き合いのある、言わば腐れ縁の友人だった。
「……」
成実を一瞥するだけで特に言葉を発さないまま、翔はダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。ポケットから携帯を取り出しテーブル上に置いたところで対面に腰を下ろした龍が何やら神妙な、言い換えれば怪訝そうな視線を寄越していることに気が付いた。
「グラサンかけてると怖いなお前」
ぽつりと、眉間に皺を寄せたままの龍が口を開く。
「……お前が顔を隠せって言ったんだろ」
「そりゃあ、ドラマの主演張るレベルの男が顔出して歩いていいわけねーだろ。あの涼崎翔だっていう自覚がないのか?」
そう言いつつサングラスを勝手に取られたかと思えば、「翔のそういう素直なところいいと思うよ」などと背筋が寒くなるようなセリフが横から聞こえてきた。
「やめろ」
「ごめんごめん。んで、休業してなにしてたか聞いていい?」
こちらを振り返ったままの成実が小首を傾げつつそう尋ねる。目の前からも興味津々な目線を向けられた翔は息を1つ吐くと渋々といった様子で口を開いた。
「……高校に行ってた」
「はあ!?」
「え?」
瞬間異なる声が重なって耳に届く。口をあんぐりと開けた龍から視線を横に移せば、そこには瞠目したままこちらを凝視する成実の姿が。
「高校っておま、そんな歳でもねーだろ。俺らより年上なのに」
「ちなみに名字は?なんて名乗ってたの?」
「?涼崎だが」
そう答えた途端はああと大きなため息を吐きながら龍が頭を抱えたのが視界の端に映った。
「流石に隠す気ゼロ過ぎるだろ。なんで芸名と同じ名前名乗るんだよ」
「……名字考えるの面倒だろ」
「いやいやいや、よくクラスメイトにバレなかったな」
心底呆れたとでも言いたげな視線を寄越され、翔はふいと顔を背ける。『涼崎』という本当に存在するか分からない名字も、たかがお遊びのために行くのだからと大して気に留めていなかった。いくら顔も名前も同じだからとはいえ同一人物だと気付いた人間はいないのではないか。
「高校ねえ……でも急に休んじゃうからびっくりしたよ」
「しかも俺と組んだドラマの後にすぐだもんな。嫌われたのかと思ったぜ」
話題に上ったのは、以前海斗が録画していた再放送のドラマ。そうして次の瞬間思い出されたのはそれを観ていたあの日、自身に向けて心配そうに手を伸ばした少女の姿だった。
──芽衣。
「……」
不意に蘇った茶髪の少女の姿にすぐさま目を瞑る。しかし次に真っ暗な瞼の裏に映ったのは、昨夜見た彼女の無と言ってもいい程の絶望の表情。ぎゅっと、眉間の皺が濃さを増した。
いつの間に、彼女は自身の中に居場所を作ってしまったのだろうか。
「ああ、あのドラマね。地毛金髪りゅーくんの貴重な黒髪だったし、一瞬誰か分かんなかったよ」
「なんだその呼び方。あとりゅーって呼ぶなよ『なるみ』」
「『しげざね』ね。何回言ったら覚えるのかなりゅーは」
そっくりそのままお前に返す、との顔を突き合わせた際に見られる見慣れたやりとり。その喧騒で記憶の中の少女の姿がぼやけたところで翔は緩く瞼を上げる。
「……このまま廃業しても構わないが」
「おいやめてくれよ、せっかく誘ったんだから。それに演技を学べるってお前も乗り気だったろ」
睨むような目つきと裏腹にそこまで強い口調ではないものの、心底そう思っての発言だということくらい分かる。
確かに生きる上で特に必要のないその誘いに乗ったのはより人間に溶け込むため。『調査』を始めたのは偶然だったが俳優業のおかげか安易に正体が露見することもなく、飢えさえも隠し通すことが出来た。
しかし本末転倒と言うべきか、今回に至るまで自身に辿り着けた者はただの一人もいなかった。永い生の退屈しのぎに始めたそれも、刺激がなければだんだんと飽きてくるわけで。
そんな時見つけたのだ。このチョーカーが見える、自身を楽しませてくれる存在を。
「翔は勉強しなくても十分だと思うけど。全部自然だし」
「たしかに時代劇の脇役もサマになってたし、恋愛モノだってキス寸止めなしだもんな。重宝されるわけだよ」
「……」
その言葉で不意に蘇ったのは昨夜の光景。月明かりが乱反射した茶色の瞳と、唇に触れた柔らかい感触。
今までならすんなりと行えた唇を重ねる行為も、芽衣以外の人間相手を想像しただけで不快感に襲われる程のものへと成り下がった。
それもこれも昨夜彼女の唇を衝動的に貪るまで感じなかった感情。彼女にとって自身が害だと解らせるために理性を持って行なったはずのそれだが、吸い込まれるように重ね合わせた2回目はまるで違う。
ただ、そうしたかった。
「……今後はもうやらないが」
「えっ」
吃驚したように色違いの目を見開いた龍を一瞥すると、翔は顎に手を当てつつ明後日の方へと視線を向ける。
もう1つ、最近になって気になり始めたことがある。
それは確実に甘さを帯びてきている芽衣の血の味について。
「……」
口の中で内頬を舐めてもあの味が乗ることはない。初めは他の人間と同じ味だったはずだが、一体いつからだろうか。
砂糖のような、ともすれば胸焼けを覚えそうになる程どろりとした濃い甘さを持つ血。しかし不思議と喉がそれを拒まずむしろ渇きさえ覚え始めるために、理性を働かせなければ彼女を全て奪ってしまいたくなる衝動に駆られる程。
最初は自身がおかしいのかと考えたが、味に変化を覚え始めた頃から吸血せずとも空腹を感じない期間が長くなりつつある。
ならば自身ではなく、芽衣がおかしいのだろうか?
加えて空腹時以外で理性が本能に呑まれるあの感覚は、他の人間相手には経験することがなかったもの。生命維持行為である食事以外で他者を求めるのは生まれて初めてのことだった。
ならば、彼女が自身をおかしくしてしまったのだろう。
もし再び会うようなことがあれば、彼女が吸血鬼である自身を受け入れるのだとしたら、その時は一体どうなってしまうのだろうか。
──ヴヴッ、ヴーッ。
どうせ拒まれるのは分かりきっている。それに彼女を思い出しただけで、苛立ちにも似た解らない感情に苛まれてしまうのも事実で。
だから、会ってはならない。
「翔?携帯鳴ってんぞ」
「っ……」
ぼんやりとしていた意識を引き戻され我に返ると同時に、テーブル上のそれに視線を移す。しかしその振動も一瞬、切り替わったロック画面に表示された不在着信の文字。
「芽衣?女の子の名前?」
「……知らん」
目の前から身を乗り出した龍の口から音となった、彼女の名前。
1コールにも満たないうちに切ったところを見るに、おそらく掛けるつもりがなかったのだろう。今朝のそれだって無視したのに、本当に──
「……懲りないな」
気付けば、口からそう溢れていた。
「ん、お前のファンか何かか?」
「違う」
「じゃあ彼女か?…っては!?お前彼女いたの!?」
「りゅー1人でなにやってるの」
目の前で勝手に喧しくなったその姿に覚えたのは呆れと、ほんの少しの安堵。
「そんなんじゃない」
「へえ?翔が女の子と関わるの想像つかないね。どういう関係の子か聞いてもいい?」
「……向こうが一方的に好きだと言ってきた。だから俺は嫌いだと言ったんだ、面と向かってな」
「おま、好きだって言った相手にその仕打ちって……」
ありえねえ……とまるで化物を見るかのような視線が突き刺さる。
「……こうでもしないと、嫌いになってくれないだろ」
「嫌われたいのか?変なやつ。にしても傷ついただろうな、その子」
その言葉できゅっと、左胸の辺りに違和感を覚える。募る苛立ちと締め付けられるような不快感を振り切るように目を瞑れば、次に口から溢れたのは自身にも言い聞かせるような強い語気。
「俺には関係ない」
いつかのように右手が首に触れる。しかし直後聞こえてきた言葉に、翔は思わず目を見開いた。
「出た、お前の嘘ついてる時の癖」
「……は?」
ピタッと、無意識に首を摩っていた手が止まる。
「あれ翔、気付いてないんだ?誤魔化す時いつも右手で首摩ってるの」
「なんだそれ」
「自覚ないんだ、俺もりゅーも気付いてたけど。演技派でも癖まではどうにもならないか」
その言葉で自身の右手へと視線を落とす。なら、今までも無意識に摩っていたということだろうか。
「まあ深くは聞かねーけど、好きだって言われたんだろ?」
──好き、だったのに。
『だった』とわざわざ過去形にしたのなら、その思いもとっくに消え去っているはず。それを、自身は望んでいたはずなのに。
「好きでもないやつに電話できるほど、その子も暇じゃないと思うぜ。人間の時間は限られてるからな」
どくりと心臓が脈打つと共に何かが胸の中に落ちた。確かに自身と人間とでは時間というものの重さが明らかに違う。しかし。
「……好きなのは『高校生の涼崎翔』であって、俺じゃない」
「その高校生としてのお前も、全部演技だったのか?」
そう問われ、翔は無意識に拳を握り締める。
「少なくとも、本当の俺ではないからな」
そうだ、芽衣の同級生としての自身も俳優としての自身も、決して本物ではない。
所詮見てくれが同じなだけの化け物なのだから、この先も人間と相容れることはないのだろう。
だから、芽衣とはもう関わるべきではない。
そのために、突き放したというのに。
ヴヴッ、ヴーッ、ヴーッ。
「……」
「お、また電話か?」
不意に再度振動を始めたディスプレイに表示されたとある名前。見慣れたその名前に、翔は諦めたように息を一つ吐き出した。




