会いたい
(どこに行っちゃったんだろ)
気分転換の旅行、帰省など普段ならすんなり出てくる選択肢も『別れの挨拶』などと言われてしまえば、それがどんどんネガティブな方向に進むのも仕方のないことで。
──まさか、もう手遅れなのだろうか?
(っ)
ズキっと痛んだ胸を押さえて無意識に右へと視線を移すが、そこには無機質な扉が芽衣を拒絶するように佇んでいるだけ。ここに来てようやく痛感したのは、直接会うことが出来れば話せるという考えの甘さだった。
そうしてどんどんと下がった視線が自身のつま先を捉え続けること、数秒。
「ていうか涼崎の知り合いってことは、君ももしかして桜高の2年?」
「っえ?」
不意に聞こえた翔の苗字と高校名。咄嗟に顔を上げれば「あれ、違った?」と小首を傾げる男性が目に入った。
何故知っているのだろうかと、湧き上がってきた警戒心で身体が若干強張る。しかし何故、自身は彼に見覚えがあるのだろうか。
そうして記憶の糸を辿ることまた数秒。その先に浮かび上がった人物に、芽衣は思わず「あっ」と声を漏らした。
(もしかして)
「……立花、先輩?」
「おお、正解。びっくりした」
少しばかり目を丸くした彼の様子に、張り詰めた気がふっと抜ける。
芽衣は帰宅部のため3学年の先輩とはあまり関わりがないのだが、この立花という先輩については少しだけ覚えがあった。
入学したての頃、地毛証明書を提出するために職員室へ行った際に視界に入った広い背中。その先輩はどうやら装飾品を身につけていたために呼び出されていたらしいのだが、その時の先輩が目の前の立花先輩だった。
伸びた黒髪に両耳を飾るピアス穴等、何かと人目を引く容姿のため下級生の間でも有名人な彼とここで出くわすとは思ってもみなかったというのが正直なところ。
「涼崎は3年でも有名だから、女子がよく話してる」
「えっ」
初耳だった。確かに同級生の間でも顔立ちや無愛想な性格、頭の良さなどで割と有名人なのだが、まさか上級生にも名が知られていたとは。
「前もたまーに茶髪の女の子と帰ってるって話をしてたけど、多分君のことだよね」
「!」
俺も人のこと言えないけどその髪色目立つし、と付け加えられた言葉に少しの焦りが芽生える。
翔と一緒に下校している目撃情報はもちろん心当たりしかない。それはそうとして、先輩方の話題に上がっているという事実の方が芽衣にとっては落ち着かなかった。考えすぎだとは思うがまさか、目を付けられていたりはしないだろうか。
(まさかね……でもそう考えると怖いなあ)
「まあ涼崎とどうこうなりたいって訳じゃなさそうだし、心配しなくても大丈夫だよ」
そんな芽衣の心配を見透かしたような言葉が降ってくる。軽く言い放たれた言葉ではあったが彼がそう言うなら大丈夫なのだろうと、不思議とそんな気がした。
(意外と優しい人みたいだし)
そうして翔が不在だという情報を教えてくれた彼に礼を述べ、アパートを後にする。
(やっぱ電話しかないかあ……)
アスファルトからの照り返しを受けながら足を止めると、芽衣はポケットから携帯を取り出す。
会いに来たというのにおかしな話ではあるがこの期に及んでなお、彼に電話をかけるのが怖い。もし着信拒否をされていたら、自身のキャパシティを超える言葉を浴びせ続けられたら。
きっと、すぐには立ち直れないだろう。
だが、迷っていても問題は解決しないわけで。
(よし)
自身が傷つく前に手短に終わらせよう。きっと、彼もそこまで悪い人ではないはず。
心を決めて芽衣は歩道脇の空き地に足を踏み入れると電柱に寄りかかり、電話帳をスクロールして『涼崎翔』の文字を1回叩いた。
(えいっ)
一思いに勢いよく発信ボタンを押せば画面が呼び出し状態に切り替わる。続けて聞こえた呼び出し音に緊張と僅かな安堵を覚えるが、一向に通話時間が表示されないまま音だけが無情にも鳴り続ける。
「……まあ、嫌いな相手からの電話に出る方が珍しいよね」
そうして鳴り続けること5コール。これ以上鳴らしても出ないことを悟った芽衣は通話終了ボタンを押下すると大きなため息を1つ吐いた。
しかしここまで来て、そう簡単に諦められるはずがない。うーんと唸りを漏らしながら、芽衣は顎に手を当てつつしばし考える。
「あ」
不意に脳内に浮かんだ、とある人物の顔。画面を上にスクロールして見つけたその人物の名前を押下するのに、不思議と躊躇はなかった。
そして無機質な呼び出し音が続くこと、2コール。
『ん、あれ。芽衣ちゃん久しぶりだね』
「お久しぶりです」
僅か2コールで聞こえてきた翔の兄の声にほっと胸を撫で下ろせば『珍しい、どうかした?』と心地よく低い声が電話越しに聞こえてきた。
それに答えようとした、次の瞬間。
(──あ)
翔が吸血鬼なら彼の兄弟もまた、吸血鬼なのだろうか?
その考えが脳裏を掠めると同時に頭のてっぺんから冷めていき、言いかけた言葉が途端に喉に閊える。
『俺に、聞きたいことある?』
「えっ」
ドクっと心臓が跳ねる。脳内を占めるその疑念は膨らむ一方であり、聞きにくい話題だというのに意識していなければ思わず口からこぼれてしまいそうだった。
そうして沈黙が続くこと、また数秒。
「和海さん、もしかして」
──本当は吸血鬼だったりしますか?
そう言葉を溢すはずだった口。しかし次にそこから紡がれたのは、自身でも全く予想外の言葉だった。
「翔がどこにいるか知ってますか?」
(!?)
すらすらと出てきた質問は芽衣の意思とは無関係なもの。我に返り咄嗟に口を押さえたものの電話の向こうからはしばしの沈黙が流れるだけで、それが何とも言えない不安を誘発した。
しかし、次の瞬間。
『っあははは!あ〜、そう来たか』
堪えきれずに吹き出したような様子で『本当予想つかなくて面白いね』と続けた和海。その言葉で顔がじわじわと熱を帯び始め、耳に当てた携帯が先ほどよりもひんやりしているのが感じられた。
『俺も最近連絡取ってなくてさ、分かんないんだよね。まあ俺が連絡すれば出るんじゃないかな』
やはり身内には敵わないということだろうか。などと考えていれば軽い口調で『俺が兄だからじゃないよ』と、いつかのように思考を見透かしたような発言が返ってきた。
(っ……)
今は確実に表情は見えていないはず。ならば何故、考えていることが分かったのだろうか。
そう思ったものの、彼の言動には湿った違和感が見え隠れするのは最早いつものこと。そんな彼に対し、芽衣は若干だが慣れ始めていた。
『あ、そうだ。答えにくかったら別に答えなくていいんだけどさ、1つ聞いてもいい?』
「っ?大丈夫です」
不意に真面目な声色で問いかけられ、しゃんと背筋が伸びる。
『翔に会えたとして、芽衣ちゃんは翔とどうなりたいのかな』
「……え」
一瞬、くらりと眩暈を覚えた。
確かに何故、自身は翔に会いたいのだろうか。会えたとしてその先に望むことは、一体何だったのだろうか。
問われるまで考えもしなかった未来のこと。その光景が全く思い描けないまま、心なしか目の前が薄暗くなった気がした。
「……わから、ないです」
気が付けば、そんな言葉がぽつりと溢れる。
『……そっか、ありがと。まあ、無性に会いたくなることもあるか』
だがそれ以上追求してこない彼に申し訳なさと安堵を抱いていれば、次に聞こえたのは一瞬の呼吸を奪う言葉。
『まあ、吸血鬼だって分かってからも会いたいって思ってくれるのは俺としても嬉しいけど』
「っ」
あまりにあっさりと言ってのけられたのは、昨夜暴いた翔の正体。
彼にその話でも聞いたのだろうか。でなければ、まるで当たり前のことを言うように弟の秘密を明かすことは出来ないはず。
『俺も海斗も吸血鬼でさ、騙したみたいになってごめんね』
「あ、やっぱり……。というか、和海さんが謝ることないですよ」
『はは、やっぱり優しいね』
続けて言い放たれた言葉もやはり、驚く暇を与えないほどにさらりと述べられる。人間驚きすぎると他人事のように冷静になれるのだと、この時改めて実感した。
『じゃあ時間置いて俺から電話してみるよ、もう切っても大丈夫?』
「大丈夫です、よろしくお願いします」
『ん、またね』
そうして通話を終了し、芽衣は携帯をお守りの入ったポケットに入れる。
兄である和海が連絡をとってくれるならこれ以上に心強いことはないが、どちらかと言えば翔は海斗と仲が良かったような気がしないでもない。
だが連絡を取っていないにも関わらずあそこまで自信があるのなら、もしかしたら居場所の見当がある程度ついているのだろうと思えばやはり心強かった。
(──あれ)
しかしここで、はたと気が付く。
翔と最近連絡を取っていないという言葉が事実なのだとしたら、昨夜から今日にかけても連絡を取り合ってはいないはず。
ならば何故、昨夜知ったばかりの翔の正体を知っている前提で口に出来たのか。
(っ……)
瞬間ぞわりと鳥肌が立った。汗ばむ陽気だというのに薄ら寒くなる身体を無意識に摩るが、そうしている間も彼の不思議な言動が頭から離れない。
流石に言動から思考を読むのとは訳が違う、重く湿った違和感。
「……吸血鬼だから、とか?」
だが、真っ赤な瞳をした吸血鬼からはそんな違和感を感じられなくて。なら、和海特有のものということになるが。
(分かんないし、やめよやめよ)
無理やりにでも納得しなければ延々と纏わりつくような空気。それを振り払うように芽衣はアスファルトを強く蹴ると、青空の下早足で家路を急いだ。
***
同日15時、東京のとあるマンションのエントランスにて。
サングラスで目元を隠した男がドア横の集合玄関機に部屋番号を打ち込みインターホンを鳴らす。数秒の後「はーい」と明るい声が機械から届いた。
「……俺だ。開けてくれ」
『新聞なら間に合ってまーす』
「帰る」
踵を返そうとすれば『待て待て開けるから』と焦った声が機械の向こうから聞こえた。その言葉通りすぐに開いたドアをくぐりエレベーターに乗ると、目的の階のボタンを軽く押す。
上昇するこの感覚を味わうのはいつぶりだろう。ぼんやりとそんなことを考えつつ目の前を見据えていれば、数秒もしないうちに明るい音とともにドアが開いた。
数歩進んだ突き当たりにある『石田』の表札が飾られた玄関。そのドア横のインターホンを鳴らせばすぐに『今開ける』との言葉が届いた。
そうしてガチャリと開いたドアから顔を覗かせた、金髪の見慣れた男性。
「よお、まあ入れよ吸血鬼くん」
揶揄うようなその言葉に促されるまま男──翔は部屋に足を踏み入れた。




