『調査』終了
「……は」
吐息混じりの低い声を溢したのを最後に、顎から冷たい指先が離れていく。そして瞠目した鮮血の双眸は、今この状況が心底予想外だとでも言うように僅かに揺れていて。
「翔だよね?」
初めて露わになった吸血鬼の顔は、色こそ違えど確かに翔のもの。切れ長の目元も、通った鼻筋も、引結ばれた唇でさえも。あえて違うところを挙げるなら尖った耳と、色が明るくなったはずなのに冷めたように見える瞳くらいだろうか。
「……言っていることが分からねえな」
しかしどうやら、あくまでシラを切るつもりらしい。ならば。
「じゃあ聞くけどさ、なんでここの部屋分かったの?」
「……は?」
怪訝そうに聞き返す彼の顔は久しぶりに感情が漏れ出ている。そんなことをぼんやり考えるほどの余裕が、この時の芽衣にはまだ残っていた。
「私がこの部屋に移動したの知ってるのって、模様替え手伝ってくれた紗季と翔だけなんだよね」
吸血鬼は家の中を歩き回ることをしない、かつ自身の部屋の場所しか分からないはず。
だから、この部屋に迷わず来れたことがそのまま吸血鬼である証明になる。そんな罠の全容に気が付いたのか「……ああ、なるほどな」と、納得したような声色が降ってきた。
認めたも同然のその声が芽衣の左胸を締め付けることなど、彼は知る由もないのだろう。
「言い逃れは無駄か。いつから気付いていた」
「……最初は、チョーカーが同じだって気が付いた時だよ」
赤い瞳が、過去を思い出すように左へと逸れる。
チョーカーだけで決めつけるのは早計だと指摘されたあの日。あの時否定したのは正体がバレるのを恐れたためだとすれば納得がいく。
しかしあまり強い否定ではなかったことに別の理由も含まれている気がするのは、一体何故だろうか。
「確信したのは、翔の家に行った日」
「……何もおかしい点はなかったと記憶しているが」
どうやら本当に思い至る点がないようで、小首を傾げるその姿に少しばかり肩の力が抜ける。
「『あの距離を歩かせて』って言ったでしょ。その『あの距離』の部分が引っかかっちゃって」
「……ああ」
ここでようやく腑に落ちた様子の彼を見て、あれは言葉通りの気遣いだったのではと思い至る。しかし目の前にいるのは『いい人』ではなく、自身が追い続けた吸血鬼。
どちらも翔であるはずだが、どちらも違うのではないかという錯覚にさえ陥ってしまう。
「……前にも言ったが、随分と勘が良いんだな」
数瞬の後に降ってきたその言葉に乗せられていたのは、正体を暴いたことに対する賞賛でも感嘆でもない。
どこか嘲笑混じりの、それもどちらかといえば自嘲するような声色。
正体がバレたことに対する皮肉なのだろうと思ったが、それにしては彼の冷静さがやけに引っかかる。名を呼んだ時でさえ瞠目するだけで、大きく取り乱すことはなかったのだ。
何か、見落としている?
「この状況で考え事か。余裕だな」
はっと意識を引き戻されるがままに彼と視線を合わせれば、気のせいではなく明らかに冷めた瞳が見下ろしている。加えて先ほどから感じている違和感に思わず背筋が寒くなるのを感じつつ「ごめんね」と答えれば、続けて彼が口を開く。
「俺より、兄さんの方が怪しかったと思うが。あの人がそうだって考えには至らねえか」
次に耳に届いたのは、ほんの一瞬脳裏を掠めた考え。まさかそこを指摘されると思っていなかった驚きが動揺となって、芽衣の口から言葉を紡ぎ出す。
「思いついてはいた、けど……」
「けど、なんだ」
詰問口調になった翔を見上げていても、彼の余裕と違和感の正体が掴めない。ぼうっと絡んだ鮮血の瞳が答えを急かしているような気さえして、追い立てられるように口を開く。
「前に和海さんにくっついた時、煙草の匂いがしてたんだよね。でも翔からはしてなかったし」
背後から密着しただけで鼻を掠めた煙草の香りが、吸血鬼に正面から抱きすくめられた時は感じなかった。それこそが、和海が吸血鬼ではないと思った根拠。
「……くっついた、な」
しかしその答えは、予期せぬところで彼の地雷を踏んでしまったらしい。
心底不愉快とでも言いたげに歪められた彼の顔。それが伝染するように身体が強張るのを感じつつ、芽衣は彼にとある事実を伝えるためにあえて明るく口を開く。
どうして姿を変えられるのか、何故自身を狙ったのか、立てた仮説はどこまで合っているのか、聞きたいことは山ほどある。
しかしそれらを押し込めて口から紡がれたのは『調査』を提案してきた彼が、喉から手が出るほど欲しかったであろう事実。
「翔の言った通りに2ヶ月で正体暴けたよ。私の罠どうだった?」
そう口にした、次の瞬間。
「っ……ふは、ははははっ」
刹那、目の前の見慣れない光景に対する理解が一瞬遅れた。鋭く光る赤い瞳は睫毛で隠され、口元は楽しそうに愉悦を描く。
──あの翔が、笑っている?
(……え)
以前公園で見た笑顔よりも少年らしく笑う彼は、まるで伝えた事実が楽しいとでも言うように声を上げていて。
しかしそれも一瞬、すぐに眉を上げた意地の悪い笑顔へと形を変えた。動揺が完全に消え去ったその姿に違和感が加速する。
「お前は『1ヶ月で正体を暴いてみせる』と言っただろ」
「っ」
それは確かに、以前公園で彼に宣言した言葉。まさか、今の今まで覚えていたのか。
「……時間切れだな」
瞬間笑顔が抜け落ちいつもの無表情に戻る。それを視認した途端、脳内に警鐘が鳴り響いた。
まずい。何かは分からないが、そう直感した。
そのまま咄嗟に身体を横に捻ろうとするものの、大きな手が両肩を押さえつける。力は込められていないはずのそれさえ、芽衣には解くことが出来なかった。
「遅えよ。今更逃げられると思うな」
冷たく言い切られたその言葉は逃げようとする意思を奪うには十分に足りるもの。大きく揺れる茶の瞳が翔の顔を捉え続けていれば、おもむろに形の良い唇が開く。
「……お前を、遊び相手に選んで正解だったな」
「……っえ?」
今、なんと言った?
「遊び相手って、どういう」
震える声を絞り出せば、ほんの一瞬だけ鮮血の双眸が細められる。まるで、こちらを弄んでいるかのように。
「俺が、わざわざ『調査』を提案した理由はなんだと思う」
その問いは、まさに腑に落ちなかった部分そのもの。
吸血鬼である彼が、危険を冒してまでその正体を賭す意味が分からない。そんな疑問がまた、表情に出てしまっていたのだろう。
肩を抑えつけている右手が手首を支点にしたままトントンと、思案するように軽く芽衣の肌を叩く。
「今までの調査が『ゲーム』だと言ったら、お前はどんな表情をするんだ?」
「……は」
瞬間さあっと顔から血の気が一気に引いた。同時に悟ったのは、違和感を感じていた彼の余裕の正体。
翔にとって『調査』を提案したあの日から今この時まで、自身と過ごした全ての行動は娯楽、ゲームでしかなかったのだ。
自身の正体というコインを賭けてそれを他者に暴かせるという、なんともスリル満点の悪趣味な遊び。露見しそうになることさえゲームの一環だからこそ、彼は大きな動揺を見せなかったのだ。
「う、そでしょ」
彼に問うでもなく、そんな本音が口から溢れ落ちる。しかしこちらを射竦める彼の表情は、冗談を言っているようには到底思えなかった。
じわじわと思考の浅瀬に浮かび上がった言葉が、堰を切ったようにして溢れ始める。
「なんで、『調査』なんか」
「……ただ生きているだけだと、どうしても退屈なんだ」
「退屈って……じゃあ、同じことを何回もしてたのも」
「目的を達成出来てねえんだ。続けて当然だろ」
今までの時間は、彼にとって暇つぶし以上でも以下でもなかったようで。
そんな信じがたい事実を滔々と並べるこの男は、一体誰なのだろうか。
「……ところで、お前も詰めが甘いと思わねえか」
「っ……?」
突然投げかけられた疑問に瞬きを繰り返せば、両肩が明らかな質量によりベッドに沈んだ。
「!?」
「この部屋に来た時点で、俺が吸血鬼の正体だと分かる罠なら」
一度言葉を区切った彼の口元から覗く、白くて鋭い牙。
「お前は、この部屋にいねえ方がよかっただろ」
(あ)
彼の言う通り。そう悟った時には、もう手遅れだった。




