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「……これ、1日で終わるのか」


 自宅2階の空き部屋の前に着くなり、翔の顔が分かりやすく強張る。呆れを含んだその様子に苦笑いを溢しつつ、芽衣は本やら服やらで溢れかえった部屋の中に視線を移した。


(まあそうもなるよね……出来れば今日中に終わらせたいところ)

 家族全員の物置と化した部屋は、ベッドフレーム付近にかろうじて足の踏み場があるような状態。彼の言う通りに1日では終わらないかもしれないが、芽衣の目的は別にあるため最悪それでも構わない。


 それにしても、翔が自身の家にいるこの状況にいまいち実感が沸かない。呼んだのは紛れもなく自身であるというのに。


 わざわざ休日にここまで来てくれた翔はやはり『いい人』そのもので。この期に及んで彼が吸血鬼という仮説は誤りではないのかと、そんな都合のいい考えが顔を出す。

 優しい彼があんなことをするはずがない、間違っているのは自分なのだと。


 しかし、その考えは最早自身のエゴでしかない。


(疑うって、決めたんじゃん)

 この作戦で全てが証明出来るはず。なら、今はそれに向けてやるべきことをするだけ。

 

「ほんと貴重な休日に無給労働を強いるのは心苦しいんだけど……」

「仕方ないなあ。ジュース1本で手を打って差し上げましょう」

「1本でいいんだ」


 何本でも奢るよ、との言葉に「やったね」と満足に返した後、紗季が再び口を開く。


「それにしても……なんで急に模様替え?」

「……寝る部屋を変えれば、吸血鬼も襲ってこないんじゃないかと思って」


 言葉を紡ぎつつ、視線は無意識に翔の方へと縫い付けられる。

 この会話に、果たして食いつくだろうか。


 そうして、一瞬。


(……っあ)

 ほんの一瞬だけ、こちらを一瞥した彼と目が合った。

 が、それもすぐに逸らされる。


 そうして空き部屋に視線を戻した彼は、室内をぐるりと見渡しているようで。


 ──食いついた。


「あ、なるほどね!じゃあちゃんと手伝わなきゃ!」

「ありがと」

 一気にやる気を漲らせた紗季とは対照的に、芽衣の心をツキっと罪悪感が刺す。後で、ちゃんと謝ろう。

 そんな小さなもやを胸の奥に押し込みつつ、未だ部屋をまじまじと見続ける翔の横顔を視界に映した。


 この模様替えの真の目的。それは、翔にこの部屋を把握してもらうこと。

 吸血鬼の有力な候補である彼にわざわざ塩を送るような真似をするのにも理由があるのだが、ここで紗季に話してしまっては頭の切れる彼にバレてしまうかもしれない。


 上手くいったら、2人にネタバラシをしよう。

 訪れるか分からない未来のことを思い描きつつ、芽衣はとりあえず入り口付近の雑誌を手に取った。



「この本は?」

「こっちの段ボールにお願い」

「……なんだこれ、これどうするんだ」

「えっとね……」


 2人を家に招いてからどれくらい経っただろう。室内には仕分け用の段ボールがいくつも置かれる中、明らかに面積の広くなったフローリングが片付けの成果を如実に物語っている。

 1日で終わるのかと若干危惧していただけに、その進捗に思わず歓喜のため息が溢れた。


「あとはベッドメイキングすれば完成かも。2人ともありがと!」

「まだ早いよ〜、後もう少し残ってるんだし片付けちゃおう」


 そう言いつつ紗季が段ボールに手をかけた時不意に、耳に馴染んだメロディが遠くから部屋へと流れ込んできた。


「わ、もうお昼?」


 開放した窓から聞こえた12時の時報、作業を開始してから初めて時の流れを感じさせたそれに思わず驚く。まさか、もう1時間半も経っていたのか。


(ホンモノの無給労働だ……)

 申し訳なさを全面に押し出しつつ『2人ともお昼までありがとう』と口にしかけた芽衣。しかし直後それを遮ったのは、階下からタイミングよく呼びかけた母の声だった。


「芽衣〜、お昼用意したから食べて〜。紗季ちゃんと男の子も」

「えっご飯ありなの!?」

 途端目をキラキラと輝かせ始めた紗季に対して、翔は無表情を崩さないまま「……飯」とだけ独り言を溢す。


(いらないって言われたりして)

 本音を言うなら、ここまで付き合わせてしまった以上昼食は食べてもらいたい。しかし彼の表情からは乗り気な様子も、ましてや嫌がる様子も窺うことが出来ないまま。

 加えて紗季の浮き足立つ様子が更に強いコントラストとなって、芽衣の小さな不安を助長させていく。

 

「……行かないのか」

 しかし数秒の後おもむろに立ち上がった翔はぶっきらぼうに、なおも座り込む自身へと声を降らせた。


「あ、行くよ」

 どうやら、昼ご飯は無駄にならずに済みそうだ。そんな彼の様子に嬉しさを覚えながら、芽衣は早歩きで彼の横を通り過ぎ階段へと足を運んだ。



 リビングに足を踏み入れれば、ちょうど母がキッチンで汁物を器によそっている姿が目に入った。近づいて「あとやるよ」と声を掛ければ「い〜から運んでって」との返事が返される。

 その言葉に礼を述べつつ、湯気の立つ豚汁を箸と一緒に一つづつテーブルへと運んでいく。


「はいこれ紗季の分」

「ありがと〜」

 4人用のテーブル、カウンターキッチン側に着席した紗季の前に器を並べれば不意に、彼女が母の方へと口を開く。


「芽衣ママは模様替えOKしたんですか?」

「もちろん。ダメって言ったところで聞く子じゃないし」

「言い方もっとあるでしょ……」

 これではただのワガママな子供みたいではないか、などと考えつつ紗季の対角線上に座る彼へと器を運べば「……どうも」と聞きなれない礼が聞こえた。


(えっ)

 思わずぎょっとして顔を見やれば一瞬不服そうにこちらを睨んだ後、彼もまた自身の母の方へ向かって言葉を紡ぐ。


「なんで模様替えするかの理由は、聞いてないんですか」

 

 低い声が耳朶を打った瞬間ひゅっと、喉元から首の後ろまでが凍りつく。視界の端では紗季も驚いた様子で彼を凝視しているのが分かるが、全く意に介さないとでも言いたげな彼は黙って母の回答を待っているようで。

 なぜ、わざわざ話題を広げるような真似をするのだろうか。


「ん〜、気分転換って言ってたよね?」

「そ、うだよ。正解」

「……そうですか」


 興味を失ったように視線を逸らした彼の呟きを、芽衣の耳は拾い上げる。もしかして、先ほどの反応に対する仕返しでもしたつもりだったのか。

(確かにビビった私も失礼だけどさ……)

 そんな彼に首を傾げつつおにぎりが6個乗った皿と取り皿をテーブルに運ぶと、芽衣は紗季の隣の椅子へと腰を下ろした。


「「「いただきます」」」

 挨拶をしておにぎりを2つ皿に取った時、不意に目の前に座る翔が不思議そうな面持ちで口を開く。


「そんなに食べるのか」

「ん?ああ、これね」

 母の作るおにぎりは2つ食べて丁度いいくらいの大きさであり、それを知っている紗季も同じく2つ取り分ける。「おかわりあるよ〜」との言葉に元気よく返事をする紗季に視線を移し、再度彼の取り皿へと視線を戻した。


 そこに取り分けられたおにぎりは1つのみ。「足りる?」と思わず尋ねればああ、と短い返事が聞こえた。よく見れば豚汁も量の少ないのを選んでいるようで、彼の身体つきから判断出来るものでもないだろうが、本当に足りるのだろうか。


「意外と少食なんだね?」

「……意外ってなんだ」


 特段痩せすぎているわけではないのだから、てっきりもっと食べていると思ったのに。余計なお世話だと思いつつも、彼を見ながらおにぎりを口に運ぶ。


(……翔がなにか食べてるとこ初めて見たかも)

 ふと、そんなことに気が付いた。

 翔はいつも昼休みになると決まって姿を消していたため、口に物を運ぶ光景は違和感を覚えるほどに珍しいもの。そういえば以前家へ招かれた時も、彼は最後までお菓子に手を付けていなかったような。


「……俺の顔に、何かついてるか」

 気付けば漆黒の双眸が視界に映っていることに気が付き、芽衣は反射的に視線を下へ落とした。『食事』という人間なら当たり前の行為を、まさか不思議な面持ちで見られるなどとは思わなかっただろう。


 しかしこれは、あくまで彼が『人間』だとするならばの話で。


(……あ)

 ──『吸血鬼ってさ、ご飯とか食べるのかな』


 ふと脳内で再生されたのは、いつかの昼休みに交わした紗季との会話。もし仮説通りに、彼が吸血鬼だとするなら。


(血が主食だから、ご飯はあんまり食べない……?)


 呼吸を無意識に止めながら前へと視線を戻すが、豚汁の具を口に運ぶ彼と目が合うことはなく。 

 黙々と箸を進める彼は、もしかしたら『食事』という行為そのものをあまりしたことがないのではないか。そんな仮説が証明されてしまったのだとぼんやり理解しつつ、芽衣の箸は一向に止まったままだった。



「ご飯食べたら食後の運動といきますか」


 そんな明るい声で我に返る。見れば、紗季の取り皿からはいつの間にかおにぎりが消えていて。続けて翔へと視線を戻せば、底の見えた豚汁の器が目に入った。

 どうやら、1番遅くなってしまったのは自身らしい。


「いつも早いのに珍し〜、翔くんのこと見過ぎじゃない?」

「ちょっ……」


 ちゃっかり落とされた爆弾発言はあながち間違ってはいないのだが、紗季の含ませた意味は別のものだと断言出来る。そんな彼女に抗議の視線を送っていれば「ご馳走様」と、耳に馴染んだ声が発した聞きなれない言葉を鼓膜が拾った。


「……早く食べ終われ」


 そう言い捨てた彼は、食器一式をキッチンへと運ぶために手早くまとめているようで。

 今日は、彼の見慣れない一面を何度も目にした気がする。そんな彼を疑う苦しさから目を背けるようにして、芽衣は残っていた昼ご飯を一気に喉へと流し込んだ。


 **


『新居の住み心地ど〜?』 


 月明かりが照らす23時。あえて開放した窓から吹き込む風を受けつつ、芽衣は電話を繋いだ携帯を耳に押し当てる。


「自分の部屋とあんまり変わんないかも。ほんっと手伝ってくれてありがとね」

『いえいえ〜』


 いつもの部屋ではなく、新しく開拓した部屋で迎える初めての夜。自室よりも月明かりが強く差し込むベランダや段ボールしかインテリアのない部屋が、冴えた目にはとても新鮮に映っていて。


(せっかく手伝ってもらったんだし、上手くいけばいいけど……)


 片付けの最中、翔がベランダを何度が覗き込んでいた光景がふと脳裏に蘇る。それは見事に芽衣の想定していた行動そのもの。

 罠の基盤が着々と出来上がっていることに対し、嬉しさと寂しさが綯い交ぜになったような不思議な感情が迫り上がった。


「部屋変わったからってまあまあ緊張してるし、電話してくれるのめちゃめちゃ助かるよ」


 もしかしたら寂しさの方が、若干勝っているような。

 心の中にまで吹き付ける風を無視するようにして、芽衣は電話口へと言葉を紡いだ。




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