最後の仮説
何故、翔はこの家の場所を知っている?
答えは簡単。
既に、ここへ来たことがあるから。
(っじゃあ、やっぱり)
──翔が、吸血鬼の正体?
「うそ、だよね……?」
以前疑念を抱いた時よりも明確な証拠をいざ目の前にしてしまえば、途端に実感が湧き上がってきて。
そうして次第に呼吸が苦しくなる中ふと脳裏に再生されたのは、翔の兄から今まで貰ったヒントとその答え。
あれらのヒントが正しいものだとすれば、吸血鬼は容姿の色を黒目黒髪に変えており、空腹のために欠席を繰り返す者。残念なことにそのどちらも、翔のものと一致してしまう。
そういえば以前、飢えたような吸血鬼を目の当たりにした日の前日。あの日の翔の青白い顔色は未だ瞼の裏に焼き付いて離れないが、彼の体調の悪さはまさか、飢えから来るものだったのだろうか。
「……あ、だから」
あの時翔が自身を先に帰らせた理由が、ようやく腑に落ちた。
空腹時に餌が目の前にいたら、誰だって理性的ではいられなくなるから。
だんだんと、パズルのピースが埋まっていく。
しかしここに来て初めて生まれたのは、これらのヒントを与えてくれた人物への疑問点。もしも和海の言っている吸血鬼が翔のことだとしたら何故、彼は翔の正体が危うくなるようなヒントを与えてくれたのだろうか。それも自身では思いつかないようなものを、タイミングよく。
あえて言葉を選ばないなら、まるで弟を売るような真似ばかり。
だがそれを深く考える余裕など、目眩すら覚え始めた今の芽衣には存在しなかった。
(そうだ、仮説っ)
思いついたままに勢いよく起き上がり床に足を下ろすと、数歩進んだ先にある机の横に置かれたリュックサックへ手を伸ばす。その中から取り出したのは、以前調査をする上で書き留めた仮説の書かれたルーズリーフ。
疑念を抱くたびそれらの仮説について追究しなかったのは『いい人』である翔が自身を騙すはずがないと、現実から無理矢理目を背け続けていたことの証左。
そんな浮き彫りになった事実を前に無意識で後退りをすれば、足をひっかけ体勢を崩すようにしてベッドに座り込む。そうして、芽衣は小刻みに震える文字へと視線を落とした。
これまでに立てた仮説は色々ある。
まず、『吸血鬼は月夜もしくは晴れた夜にしか姿を現さない』。今まで彼が現れた日の夜空にはどんな形であれ必ず月が浮かび上がっていたため、これは月夜が条件とみて間違いないだろう。『ある程度血を飲まなくても大丈夫』は、期間までは特定出来ないもののおそらく正解。仮説ではないものの、吸血鬼の小説をなぞるようにした翔の行動の数々も今考えれば辻褄が合う。
そうして、そこに追加した最後の仮説。
『吸血鬼の正体は、涼崎翔である』
(っ…)
カチッと、全てのピースが嵌った。
しかし考えるだけで息苦しさを覚える文言は、やっとの思いで蓋をした彼への感情を揺さぶる。あの優しい彼は、まさか全て作り物?
だがたとえ彼が今まで自身を騙し続けていたとしても、今更翔への想いが負の感情に変わることはないようで。
信じがたい事実を目の当たりにしても、この気持ちを諦めるにはもう手遅れなところまで来てしまっていた。
それにしても。
翔は一体どういうつもりで『調査』を提案してきたのだろう。わざわざ自身の正体を賭けてまで行ったこれに込められた意味は、果たしてどんなものなのか。
そして『調査』がどんな形であれ終了した後は、この関係はどうなってしまうのだろうか。
もしかして、もう会えなくなる?
(っ、やだなあ……)
想像しただけで、目の前がぼんやりと滲む。
だが、彼の望みは『吸血鬼の正体を暴くこと』に他ならない。たとえそれが自分自身のことだったとして、それを折り込んだ上で『調査』を提案してきたのではないのか。
提案者が疑われることはないという絶対的な自信を持って言い出したのなら、かなり悪趣味と言える。
しかしそんなこと、最早どうだっていい。
今まで、その正体に迫れた者が誰一人としていないのなら。
(っ私が、翔が吸血鬼だっていうのを証明すればいいんでしょ)
「……よし」
自身の中に芽生えた一種の使命感。彼の望みに応えるためなら、今だけはこの胸の苦しさからも目を背けよう。
そしてそれを実現させるためには、やはり何か作戦を立てなければいけない。
以前敢行した反撃は無念にも失敗に終わったのだから、正面から行くのは得策ではない。
なら、奇襲という形ならどうだろうか。
例えば別の部屋で彼が来るのを待ち伏せる、とか。
(──あ)
ここでふと思い出したのは、2週間前に意図せず回避した吸血鬼の侵入について。
あの時学んだのは、吸血鬼は家の中を歩き回ることはないということ。つまり別の部屋に移ることさえ出来れば、彼は自身を見つけることが出来ないはず。
そして2階にある空き部屋には、幸いなことに自室と同じくベランダが付いている。
この事実を使って、何か作戦を立てることは可能だろうか。そうして目を瞑り、他の音さえ聞こえないほどに頭を回転させたところでふと、
「……あ、そうだ」
いいことを思いついた。
これなら確実に、彼が吸血鬼かどうかの証明が出来る。
そうしてとある策が浮かんだまま、芽衣の指先はまず紗季に対してメッセージを打ち始めた。
【来週でどこか暇な日ある?】
そんなメッセージを送ればすぐに【水曜日なら空いてるよ】との返信が携帯を震わせる。それを受け紗季に自宅まで来てくれないかと打診した後、翔にも同様に空いている日を確認するメッセージを送った。
高揚感にも似た感情にそわそわしているとすぐ、返信を知らせる通知音が耳に届く。
【いつでも】
そんな短い文言が実に彼らしい。思わず浮かんだ笑みは、目から一筋の雫を溢れさせる。
【じゃあ、来週の水曜日うちに来てくれない?紗季もいるよ】
耳元で心臓がうるさいくらいに音を立てる。そんな錯覚を覚えるほどに緊張しているのは、以前同じ提案を断られたことがあるから。
それに加え返信が先ほどよりも遅い。長く感じられる1秒1秒が、断られるのではないかという不安を増長させていく。
【分かった】
少しばかりの時間を置いて返ってきたのはそんな一言。途端大きく息を吐き出せば、身体から緩く力が抜けていった。
これで、役者は揃った。
(これで、やっと)
ズキっと痛む左胸を無視するようにベッドに背を預ければ、短時間で頭を回転させた代償でだんだんと瞼が下りてくる。ぼやける意識でスタンドライトに手を伸ばし明かりを落とせば、紺碧の空間を満たすのは白い月明かりだけ。
吸血鬼が現れる時の空間の色はいつもこうだと過ぎったのを最後に、芽衣はゆっくりと意識を沈ませた。
その夜、久しぶりに夢を見た。
いつもは現実のものとして体験している、吸血鬼が自身を組み敷く夢。
まだ彼の存在が架空の存在だと信じていた頃は、夢で片付けていた記憶。
しかし空いた窓から落ちる影も、落ち着いた息遣いも、全て実際に体験したことのあるもので。
ゆっくりと、牙が柔肌に沈む。痛みなど感じさせないそれに身を預けていれば不意に、顔を上げた彼と目が合った。
まるで鮮血のような色を帯びた双眸に射抜かれ、ぼんやりとした意識の中でも呼吸を忘れる。
しかし月光に照らされた吸血鬼の顔だけは、間違いなく翔のものだったような気がした。
**
「んで模様替えにきた訳だけども……流石に物多くない?」
迎えた水曜、芽衣の自宅の2階にある物置部屋と化した部屋の前で紗季は呟く。それを受けた芽衣は「だよね〜」と苦笑するばかり。
「でもこれ片付けちゃいたいんだよね〜」
今日2人を呼び出した名目は自宅の空き部屋の模様替え。自室以外で過ごすという作戦の基盤作りのため、どうしても協力者が必要だった。
本来なら両親に手伝ってもらうのだが、わざわざ呼び出したのにはちょっとした理由があって。
「せっかくの休みにごめんね」
「いーよいーよ、たまには宿題の息抜きもしたいし」
「そう言ってくれると助かる、ほんとありがと」
いいってことよ〜と言いつつ室内に向けられた紗季の視線を追えば、ちょうど10時半を指した文字盤が目に映った。
「翔くんも呼んだんでしょ?」
「ん。一応住所送ったつもりなんだけど、迷ってるのかな」
なんて、本当はそんなことないと分かっているのに。当たり障りのない言葉に納得したような紗季に内心申し訳ないと思いつつも、敵を騙すにはまず味方から。
今回の模様替えには、彼の存在がどうしても不可欠なのだ。
しかしどこから手をつけよう、などと考えていれば不意にピンポーンと来客を知らせるチャイムが耳に届く。「来たんじゃない?」との言葉を受け階段を数段降りれば、ちょうど玄関の扉を開ける母が目に入った。
そうして眩しい陽光と共に視界に飛び込んできたのは、数日ぶりに会う翔の姿。途端「わっイケメン」と面と向かって言い切った母に対し思わず頭を抱える。
「芽衣〜、彼氏くん?来てるよ〜」
「違うから!」
頼むから、本人のすぐ目の前で口に出すことだけはやめてほしい。しかしそんな願いも虚しく、家に入るよう促した母にはその願いは届いていないようで。
「相変わらずマイペースなんだから……」
しかし、翔は特に反論する様子もなく。
和海が似たようなことを言った時もそうだが何故、彼は明確に否定してくれないのか。
「……お邪魔します」
一歩、我が家に足を踏み入れた彼を見て我に返る。途端ぱちりと合った視線を逸らすこともできないまま、芽衣は翔を2階へと案内した。




