俳優の『涼崎翔』
ピリピリと張り詰めた空気を裂くように響いた翔のフルネーム。それを不思議に思ってテレビを見やれば、紗季たちが食い入るように観ていたのは俳優『涼崎翔』と別の俳優がW主演を務める単発ドラマの再放送。
(あ、これ先月見た)
『涼崎翔』はドラマ、映画の出演本数こそ少ないもののそこそこの知名度を誇っている23歳の俳優。しかし、なにぶん現在休業中。
そんな彼の切れ長の黒い瞳や雰囲気は、どことなく同姓同名の翔に似ているものがある。
……というか髪型が違うため分かりにくかったが、よく見ればどことなく翔にそっくりな気が。
「……翔、年齢サバ読んでたりしない?」
答えなど分かりきった疑問が口から溢れ落ちる。「なに言ってんの芽衣〜」と紗季の茶化す声で言わんとしたことが翔にも伝わったらしく、とても分かりやすく顰められた顔が視界に映る。
(別人なことくらい分かってるし)
いくら名前が同じで顔が似ていようとも、16歳と23歳はどう考えても同一人物ではないだろう。目の前の翔がわざわざ年齢を誤魔化して転校してくる意味も特にない訳で。
そうして考え込む芽衣になおも彼の視線が突き刺さる。とうとう居た堪れなくなり誤魔化すようにテレビに視線を移した時ふと、今まで気にも留めていなかったとある場所へ視線が縫い付けられた。
──それは俳優の『涼崎翔』の首元に飾られた、見覚えのある黒いチョーカー。
「え」
無意識にそんな声が漏れる。なおもこちらを射竦めている彼に半ば無意識に視線を戻せば、やはりその首元に飾られているのはいつもの黒。テレビの中の彼は役柄上付けているのかもしれないが、だとしても既視感のありすぎるそれは無関係で済ませられそうにないくらいそっくりなもの。
名前も一緒、容姿も似ていて同じ首飾りをつけている。
偶然にしては、あまりにも出来過ぎているのではないだろうか。
(え、本人じゃないよね?)
首元から視線を上に移動させれば、こちらを鋭く見据える漆黒と視線がかち合う。しかし今度はその視線の意味に気が付かなかったようで、翔はこちらから視線を緩く外すといつかのように右手で首元を摩った。
「海斗くんもこういうドラマ見るんだね〜」
そんな呑気な声が紗季の口から聞こえる。まるで、両者の首に飾られたチョーカーなど気にも留めていないかのように。
(こんなに気になるの私だけ?)
「翔兄と名前同じだから、なんとなく気になっちゃって」
翔と関わって日が浅かった頃に放送されたこのドラマ。あの頃は気にならなかったが、おそらく関わりが増えた今の状態であれば名前を聞いただけで心臓が煩くなっていたことだろう。
だがあのチョーカーの存在に気が付いてしまった以上、そちらに気を取られてしまうのは必然で。
(しかもさ、翔のと似てるってことは吸血鬼のチョーカーとも似てるってことでしょ?)
なぜ似たようなアクセサリーをつけた人物が、自身の知るかぎりで3人もいるのだろう。
ぐるぐると終わりのない思考。それに呑まれかける寸前「へえ」と、右耳を低い声が打った。
「休業してても再放送されるなんて、やっぱり有名だね」
感心したような和海の声に、それまで渦を巻いていた思考が掬い上げられる。一度途切れてしまったそれを今すぐに再考することは芽衣にとって難しく思えたため、とりあえず家に持ち帰ろうと頭の片隅に移動させる。
我ながら切り替えが早いと感心しつつもまだ尾を引く思考。それに意識を向けないようにと、芽衣は俳優の話題へ強引に頭を切り替える。
(確かに、知ってる人多いくらいには有名だし)
「演技すごいナチュラルだって評判ですもんね」
そう口にしながら、芽衣の脳裏には彼の出演するドラマを見漁った同級生の話が思い出された。曰く、どんな役柄でもまるで過去に経験したことがあるかのような芝居をするそうな。
ちなみに1本だけ時代劇の脇役として出演していたこともあるそうだが、主演を張る俳優とは思えないくらいに役が馴染んでいたとのことでSNS上では「人生3周目」などと持て囃されていたらしい。
「彼、演技派だから」
ふと紡がれた、感心したような声色。
声の主である和海へ視線を戻せば、まるで楽しいとでも言いたげにホクロが飾る口元が弧を描いている。そんな兄の視線は、同じ名前の弟へと向けられているようで。
対する翔は名前被りを揶揄されることに慣れているのか、いつの間にか据わった目で窓の外をぼうっと眺めていた。
(名前同じだとこういう苦労もあるんだ……)
「翔も演技してみたらいいのに。案外売れるかもよ」
「……」
なおも続くからかいにどうやら嫌気が差したらしい翔。兄を一瞥した後おもむろに立ち上がると、ドア付近の棚に置きっぱなしだった飲み物を手に取りこちらへと差し出してきた。
その手に握られていたのは、シュワシュワと弾ける甘いオレンジのサイダー。
「飲めるか」
「え、いいの?」
「……飲めるなら早く取れ」
そんな催促に「ありがと」と言いながら受け取れば、彼はもう一本同じサイダーを紗季側のローテーブルに置く。
「あれ翔兄、僕のは?」
置かれたサイダーから翔へと視線をスライドした海斗がそう問えば「無いに決まってるだろ」と、至極ぶっきらぼうな声が返される。
「俺のもなさそうだね」
「自分で買ってきてくれ」
薄情だなあ、などと非難する声が兄と弟の両方から上がる。そんな光景に思わず笑みを溢しながらペットボトルを手に取った時ふと、芽衣は自身が持ってきたお土産の存在を思い出した。
「あ、そうだ。これよかったら食べてよ」
そう口にしながら自身のカバンに手を伸ばし、中から袋詰めのお菓子を取り出す。無難にスナック菓子を選んだつもりだが果たして口に合うだろうかと、若干の心配を覚えつつ袋を広げようとした、その時。
「いたっ」
ピリッと人差し指に走った僅かな痛み。思わず声を上げれば「大丈夫?」と右隣の和海から心配そうな声がかかる。
「大丈夫です、ちょっと切れちゃっただけで……」
そう言いながら目線を落とせばぷっくりと膨らんだ血溜まりが目に飛び込んできた。どうやら思ったより深く切れたらしく、ツンとした鉄の匂いが鼻を掠める。
「深く切れたみたいだね。ティッシュで押さえてあげるから手貸してごらん」
「あ、いえ、そこまでしてもらうわけには……」
「いいからいいから」
既にティッシュを手に構えた和海の提案を遠慮こそしたものの、このままでは堂々巡りになってしまう。そう悟った芽衣はおずおずと切れた左手を差し出した。
そうして和海の顔に目線を上げた、ほんの一瞬。
「……ん?」
そんな声と共に見間違いにも思える一瞬だけ、彼の眉根に皺が寄せられる。しかし次の瞬間にはいつもの表情に戻ったようで、パチパチと瞬きをしてもその表情に変化は見られない。
(深く切れすぎたとか……!?)
「ん、ああ。大丈夫、見ての通りちょっと切れただけだから」
(うわっ)
心の声と会話した和海に対し、思ったことが顔に出過ぎているのではないかと今更ながらに心配になった芽衣。「はい、止まったよ」との声に反応して我に返れば、血のついたティッシュをゴミ箱に捨てている姿が目に映った。
「すみません本当に」
「大丈夫だよ、本当は絆創膏があればいいんだけど…おっと」
言いかけた言葉を遮る声とともに、和海の目線が自身の後ろへと移動する。
その目線を追うように振り返れば、そこにいたのはローテーブルに突っ伏すように姿勢を崩し、握り拳に青筋を浮かべた翔の姿。
「えっ大丈夫!?」
芽衣のそんな声に反応してテレビに見入っていた紗季と海斗も振り返る。「翔くん!?」と声を上げた紗季の横では、海斗が心配そうに眉尻を下げて兄を見守っている。
「……」
数秒の後片手で支えるようにして、ゆっくりと顔を持ち上げた翔。「心配いらないよ」と後ろから声が掛かるが、血管の浮かび上がった手で顔を抑える彼はどう見ても具合が悪そうだ。
そうして思わず左手を差し伸べた、次の瞬間。
「っ!」
パシッと乾いた音を立てて、気付けば伸ばしかけた手が払われていた。




