表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/63

お誘い

 ガラッと壊れそうなほどの音を立てて折れ戸が開かれる。


 その中には──


「誰も、いない」

 そう理解した瞬間はああと安堵のため息を吐きながら床へと座り込む。ゆっくりと見上げたクローゼットの中は普段と変わらない様子で気配も感じられない。室内にはここしか隠れられる所がないため、この部屋には既にいないと考えるのが妥当だろう。


(どろぼー、じゃないよね)

 落ち着きつつある頭にそんな考えが過ぎる。しかしいくらベランダがあるとはいえ、よほどの身体能力でなければ2階に入ることは難しいのではないか。  

 ならばやはり、掃き出し窓を開けたのは人ならざる者だと考えた方が良さそうだ。


 ベランダからこちらへ入ることなく引き返したのか、はたまた部屋に侵入してから出て行ったのか。

 今の芽衣にとって、それはどちらでもいい問題だった。


 吸血鬼はこの部屋の位置を知っているが、自身を探して家の中を歩き回ることはしない。今この時まで彼を目にしていないのがその証拠。

 そして自身の正確な居場所を知る術は彼にない。

 

 それはつまり、この部屋にいなければ襲われることはないということ。


(あ……)

 発見してしまった事実。そして幸いにも自宅の2階には物置となっている部屋があるため、そこを寝床にすれば逃れることが出来るかもしれない。

 機を窺って新たな作戦を立てることも可能だろう。


 今度こそ、彼の正体に近づくチャンス。

 へたり込んだ足に力が戻るのを感じながら、ぼんやりと先のことが思い描かれた。 


(よし)

 そうして立ち上がり背後のベッドまで足を運んだ芽衣だったが、今日ばかりはとても自室で寝ようとは思えなかった。


「……今日だけリビングで寝よ」

 またもそわそわと落ち着かない心地になりながらタオルケットを手に取ると、月明かりと夜風の入り口である窓を閉め鍵を掛ける。


(まあいつまでもリビングで寝るわけにいかないし、何か対策考えないと)


 そうしてこの事実が後に吸血鬼の正体を暴く鍵となることを、この時の芽衣は予想もしていなかった。


 **


「ほら、あと少しで休みに入るお前らへのプレゼントだ。受け取れ」

「そんなに手厚いものじゃなくていいです〜」


 ガヤガヤと賑わう日中の教室で夏休みの課題を配布しながら、「他の先生の課題はともかく俺のはちゃんとやってこい」などと冗談混じりの発言を繰り出している担任。それを受け項垂れる生徒もいれば、そよ風が吹き込む窓の外を見やって現実逃避に走る生徒もちらほらといるようだった。


 和海と電話をした日から1週はさんで次の週、金曜に終業式を控えた月曜日。


「先生は休みじゃないからな、お前らが羨ましいよ。特に涼崎(りょうざき)、フライング夏休みは良くないぞ」


 その言葉で、芽衣を含めた生徒達が翔へと視線を移す。僅かばかりの静寂に包まれた空気の中、気怠そうな彼はそれを意に介すことなく担任を真っ直ぐに見据え首を小さく縦に振る。


 そんな翔の背中をぼうっと見つめながら、芽衣の頭には先週1週間の出来事が思い出された。


 和海と電話をした次の週、今回は思い切って芽衣から声をかけたことにより吸血鬼の調査が再開された。そこで吸血鬼の白黒の髪色から、彼が普段人間に擬態しているのではないかという仮定までを話した。

 しかしあいにく先週の半分は翔が欠席したために時間は限られてしまい、それ以上の収穫は得られないままだったが。

 

 今思い返してみればあの時の自身はかなり浮かれていたように思う。いくら一時は翔のことを疑ったとはいえ、やはり会話すればどこかむず痒い気持ちになるのは確かであり、吸血鬼の情報を共有出来たという安心感もあったから。

 しかし翔はただ一言「なるほどな」と相槌を打つばかりで、その様子が驚いたものではないことくらい流石に分かってしまうわけで。


(やっぱ知ってたんじゃん……)


 頬杖をつきながら彼の背中に向かって独り言ちる。情報共有をしてくれない点においても怪しさ満点な翔だが、流石に言い出しっぺが吸血鬼であるなどとは思いたくない。あんなに『いい人』なのに。

 だからこそ『吸血鬼ではない』という明確な否定、それに伴う安堵を芽衣の心は無意識に欲していた。


 一度は疑った相手なのに、なぜこうも気を張らずに話すことが出来るのだろう。

 吸血鬼との関係を面と向かって切り出したおかげだろうか。


(ま、この調子で正体まで分かればいいけど)

 自身の知っている人か、あるいは全く知らない人か。そんな疑問がぼんやりと浮かぶ。

 その疑問から翔を除外し現実逃避をしていることに気が付かないまま、芽衣はただぼうっと彼の背中を見つめ続けていた。


 そして放課後。


「夏休み初日、なにか予定あるのか」


 いつものように机の前まで来るなりそう尋ねてきた翔。今までとは違う突然の質問に分かりやすく驚きつつ、咄嗟に「聞いてどうするの?」と若干冷たいような返答が口から溢れる。

 それに対し顔色一つ変えなかった彼だが、数瞬の後緩く目を瞑ると諦めたように口を開いた。


「……言っておくが、俺の意思で聞いてるわけじゃないからな。兄さんがお前に会いたいんだと」


「……え?」


 まるで苦虫を噛み潰したような表情でそう言い切った翔だが、対する芽衣は耳から入ってきた言葉に理解が追いつかない。

(和海さんが、私と?)


「えっ、この前……あ」

 そういえば先日和海と電話したのを翔は知らないのだった。それに気付き慌てて口を噤んだ自身に(いぶか)しげな視線を向け、次の瞬間何かを思い出したように舌打ちをした彼。

 また何か言われるかもしれない、そう覚悟した芽衣だったが予想に反してこの話題が追及されることはなかった。


 ──『近いうちにまた会うことになる』

 ふと、脳裏に和海の声が蘇る。このことを示唆していたのだろうか。


「そこでだ。もし土曜日に予定が何もないのなら俺の家に来い、紗季も連れてな」

「えっ」


 ……今、なんと言った?俺の家?

 つまり、彼が一人暮らししているアパートに?


(えっ、なん、え?)

 途端に渋滞を起こした脳内。そこでまともに言葉の処理が出来るわけもなく、肝心なことを聞こうとした口は

「……なんで紗季?」

 と、まるで的外れな質問を紡ぐことしか出来なかった。それに対しありえないとでも言いたげに眉を顰めた彼からの返答は、


「女1人で来させるわけないだろ」

 

 当たり前だ、と付け足した彼に対し頭の中に今度は「?」が浮かぶ。


「まあ、確かに緊張はしそうだけど……」

 そう口にした瞬間目の前の男が珍しく右手で頭を抱えた。何か、間違ったことを言っただろうか。


「……お前って奴は、警戒心を持てと何度言わせるんだ。それに紗季がいれば安心だろ。いいから連れてこい」


 やれやれとでも言いたげにため息をつきながら、視線を外してそう言い切られる。

 どうやら翔は、どうしても紗季を連れてきてほしいらしい。連れて行くのは別に構わないのだが、彼の口から何度も名前が出てくるとどこか不思議な気持ちになってしまう。


(今までそんなに名前呼んでなかったじゃん……?)

 ツキっと、心の奥底を小さな棘が刺した気がした。


「……和海さんが私と話したがってるってのは分かったけど、翔はもしかして紗季と話したいの?」


 胸中に芽生えた正体の分からないモヤモヤ。それをかき消すように彼から緩く視線を外し、からかい混じりにそう言ってみせる、が


「……は?」


(あ、やべ)

 地を這うような低い声ですぐに後悔した。反射的に彼の顔をみれば射殺さんばかりの眼光が真っ直ぐこちらを捉えている。

 どうやら返答を誤ったようだ。


 そうして心地の悪い静寂が場を支配する。翔の一挙手一投足で容易に心がかき乱される芽衣がその空気に耐えられるはずもなく。


「……ごめん、ちゃんと連れてくから」

 

 何を間違えたのかは分からない。しかし言われた通りにするのが得策と悟り返事をするとすぐに視線を落とし、止まっていた帰り支度に取り掛かろうとした。


 しかし。


「待て。何か誤解してるだろ」


 パシッと、手首が彼の大きな手によって掴まれる。


(!?)


「男の家にお前1人で来て何かあったらどうするんだ。女2人で来た方が気が楽だろ」

 もう片方の手を机につき、こちらへ重心をかけながらそう口にした翔。だがいきなり触れた体温に混乱する芽衣には彼の言わんとすることがいまいち伝わらない。

 まさかとは思うが、自身相手に変な気でも起こす可能性があるのだろうか。


(いやまさか……)


「……っ、別に何もないでしょ?」

 どこか冷静さを取り戻した頭で情報を飲み込み、それでいて会話を繋げようとそう口にする。


「少なくとも俺はそのつもりだ。だが何かあってからじゃ遅いんだ、分かったか」

「なにかって……」

「いいから。黙って連れてこい」


(っ……)

 有無を言わせない気迫、それに圧されるような形で気が付けば「分かった」と口が勝手に言葉を紡ぐ。その返事を聞いた彼は満足したように手首を解放すると


「それでいい」  


 と告げ踵を返し、自席へと戻っていった。


 そんな彼の後ろ姿を見ながら、芽衣は確実に早くなった鼓動の音を聞いていた。

 先ほど掴まれた感覚がじわりと残る手首を見つめながら、どうしようもなく顔が熱くなってしまう。


(……土曜日かあ)

 口角が緩く上がるのを抑えきれないまま、暖色の感情がじわじわと胸を満たす。

 彼の家にお邪魔出来ることに加え吸血鬼に関する何らかのヒント、あるいは翔と吸血鬼の関係を否定する言葉が得られるかもしれない。


 今夜、紗季に今週土曜の予定を聞いてみよう。

 浮き足立つような心地を覚えながら、芽衣は止まっていた帰り支度を手早く再開した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ