衝撃の告白
──今、翔から話しかけてきた?
しかも聞き間違いだろうか。お前『も』?
それはつまり、彼もこの小説を読んでいるということだろうか?
彼が自分から言葉を発した事実とその内容に、まるで理解が追いつかず固まる芽衣と紗季。
それもそのはず。彼が転校して来て1ヶ月半が経つが、いつも必要最低限の会話をしている姿しか見たことがなかったのだ。芽衣も二言三言、学校に関する会話をしたことのある程度。
同級生が話しかけようと近づいているところも見たことがある。が、みな雰囲気に気圧されては悉く失敗に終わっていた。そのため趣味嗜好を知っている者も、彼の声を聞き慣れている者も存在しない。
状況は理解できても内容が頭に入ってこない。そう思いつつ、先に沈黙を破ったのは芽衣だった。
「え、翔もこの本読んでるってこと?これ?この本?」
疑問がそのまま口を突いて投げかけられる。
「ああ」
対する翔は表情ひとつ変えず、視線のみを芽衣の方に向けたまま短く答えた。
しかし、回答を得ることはできたものの疑問は止まらない。
「これ?本当に?」
「くどいぞ。そうだって言っているだろ」
「でも、これ女性向けじゃない?」
「男が読んだら駄目な理由でもあるのか」
「そりゃあないけどさ…」
吸血鬼ものを嗜む同級生がいるのか。
にわかには信じられず、何度も確認してしまう。
そして答えを得るほど、全てが謎に包まれた彼の一部を覗き見たような気がした。
「でも男子がこれ読むの珍しいんじゃない?買ったの?」
せっかくなので少し踏み込んだ質問をしてみる芽衣。そして返ってきたのは、至ってシンプルな回答。
「貰った」
誰から?と聞くよりも先に、紗季が
「おっと、それじゃそろそろ戻るとしますか」
と、教室後方の扉を見ながら言葉を発する。見れば、紗季が拝借している席の主が登校して来たところだった。
もうそんな時間かと時計を見やれば、だんだん生徒が増える時間帯を示している。
「またあとで夢の話詳しく聞かせてね」
そう言った紗季が自席に戻ったのを見届けた後、芽衣の背後から動こうとしない翔へ視線を送る。
てっきり、紗季が戻ったタイミングで自席に戻ると思ったのだが。
「そういえば、さっきはカバー拾ってくれてありがと」
それに対しては、またも「ああ」と短い返事が返ってくる。しかし動く気配は見られない。
まだ何か用があるのだろうか。そう思い首を傾げると、芽衣と視線を絡ませた翔が言葉を発する。
「さっき『夢の話』と言っていたな。もしかして、吸血鬼の夢か?」
…え?
ドクン、と心臓が大きく脈打つ。
一瞬何を言われたのか解らなかった。しかし、芽衣の耳は確かに『吸血鬼』という単語を拾っている。
何故分かったのか。先ほどの話が聞こえていた?
しかし話し始めた時、翔は教室内に居なかったように思う。それとも、周りをよく見ていなかっただけか。
一瞬にして頭の中が疑問でいっぱいになるが、絡んだ彼の視線が答えを急かす。
疑問を押し殺し、おずおずと首を縦に振った。
すると、まるでそれが合図だったかのように、芽衣の右肩に翔の手が添えられる。
突然の気配に驚くが、吐息が左耳を掠めるほどに顔が近付いたかと思うと同時に、翔が口を開いた。
そうして、周りに聞こえない程に声を顰め、耳に直接囁かれた言葉。
「お前、それ夢じゃないだろ」
その言葉が耳に届いた瞬間、まるで雷に打たれたような衝撃が芽衣を襲った。
**
「それじゃまた明日〜」
放課後の教室に、帰り支度を終えた同級生たちの声が飛び交う。
その声を右から左に流しながら、芽衣は無心でリュックサックに荷物を詰めていた。
今朝、『あの言葉』を残した後、翔は早々に自席へと向かってしまった。
おかげで授業は全て上の空。ぐるぐると囁かれた内容が頭の中を巡っていた。
──夢じゃないなんて、そんなことがあるはず無い。
咬まれたであろう場所には傷一つ残っていなかった。
例え感覚が限りなくリアルだったとしても、吸血鬼を証明できるものは何もない。
あれは小説の読み過ぎだ。そうに決まってる。
同級生が1人、また1人と教室を後にする中、芽衣の帰り支度は全く進まなかった。
1人で抱えるにしては、疑問があまりにも大きすぎる。
紗季に相談しようとも考えたが、あいにく今日は部活動で都合がつかない。
頭を整理しながら帰るしかない、そう思った時だった。
「芽衣」
突然後ろから声をかけられ、思わず肩が跳ねる。
まだ聞き慣れない声だが、数瞬の後に声の主を理解し振り返る。
そうして少し目線を上に移せば、そこには真顔のままこちらを見下ろす翔の姿が。
「今朝の話だが、今から話せるか?」
「あー…えっと…」
授業が上の空になった元凶でもあるが、同時に疑問を解消できるかもしれない。
そう思った芽衣は考えようと視線を逸らし、なんとなく前方向を見やった。
次の瞬間、こちらを、否、正確に言えば翔を凝視している同級生の視線が刺さる。
その目には、驚きと興味が見てとれた。
翔が自分から言葉を発しているところなど、誰も見たことがないのだからこの反応は至極当然のもの。
しかし、自身も巻き込んだその視線に居た堪れなくなった芽衣は
「ちょっと移動しない?」
と促し、滞っていた帰り支度を手早く済ませ教室を後にした。
そうして半ば走りながら向かった先は、教室と同じ3階にある図書室。
放課後も開放されてはいるものの、昼間に比べて訪れる者は少ない。管理する先生も隣の準備室にいるようだった。
誰もいないことを確認し、西陽の暖かい光が差し込む部屋に足を踏み入れる。そして、入り口から一番近い席に向かい合って腰を下ろした。
今朝、初めて会話らしい会話をした2人。しかし、数時間後には向かい合って密談を交わそうとしている。
第三者が見ればかなり異様な光景に映るであろうこの状況。
そんな状況をものともせず、翔が口を開く。
「お前の言ってた吸血鬼、それを最初に見たのはいつだ?」
最早、夢ではなく現実のものとして話しているように感じられる。
加えて何度も見ていたことを、果たして彼に言っただろうか。
本当にどこから聞いていたのだろう。
しかし、そこまで分かっているのなら話が早いとばかりに芽衣は言葉を紡ぐ。
「えっと、翔が転校してきた次の日、だったかな」
瞬間、今まで表情ひとつ変えなかった翔が瞠目したのを彼女は見逃さなかった。
驚きのあまり、思わず目を瞬かせる。そうして次に目に映った翔は、いつもの無表情。
見間違いだっただろうか。
驚く芽衣に気付いているのかいないのか、翔は次の質問を投げかける。
「そうか。今まで何回見た?」
ハッと、我に返った芽衣も答えを言葉にして返す。
「3、4回かな。あんまりはっきり覚えてないけど」
「…そうか」
やたらこの話題に食いつきのいい翔を見て、芽衣は違和感を覚えた。
今朝のあの言葉といい、翔は吸血鬼に思うところがあるようだった。
空想上の生き物に対する興味、ではなく、まるで実在することを前提として確認をしているような。
そうしてだんだんと膨らむ違和感が、言葉となって滑り落ちる。
「二次元の話なのに、なんでそこまで詳しく知ろうと思うの?」
「吸血鬼は実在するからな」
──今までの問答と違い、間髪入れずに紡がれたその言葉。
今度こそ、芽衣の思考が完全に停止した。耳に届いたその言葉に対し、脳が理解を拒否する。
翔は今なんと言ったのか。吸血鬼が…なんだって?
もう何を言われたのか、何から噛み砕いて理解するべきかも判断できず硬直する芽衣。
1分とも10分とも感じられた一瞬の後、彼女の口から溢れたのは
「へ?」
という、どこまでも気の抜けた返事だった。
「吸血鬼はいる。これは紛れもない事実だ」
やっと理解を開始した脳に追い討ちをかけるが如く、翔がそう言い放つ。
対する芽衣はすでに容量オーバーだった。聞きたいことがありすぎて、逆に何も聞くことが出来ない。
そんな芽衣に構わず、翔は続ける。
「そこで、だ。吸血鬼の正体について、俺と一緒に『調査』をしないか」
既に処理の限界を超えた頭に届いた言葉。
おそらく、16年生きてきた中で一番奇妙な提案。
そんな提案をした翔の表情は相変わらずだったが、纏う雰囲気にはどことなく愉楽の色が見え隠れしている。
まるで、受け入れられることを信じて疑わないように感じられた。
しかしそれに対し、芽衣は何も考えることが出来ないまま
「ちょっと待って」
と、時間を乞う言葉を発するのが精一杯だった。