答えあわせ
ドクドクと、自身の鼓動だけが耳に大きく響く。
目の前、それも至近距離からの圧を痛いほどに感じながら芽衣は自身の右腕を無意識にさすった。ここに連れて来られるまで掴まれていた彼の手の感覚がくっきりと残るそこは、どうやら熱も持っているよう。
以前はそこまで気にならなかったこの状況。しかし今日ばかりは彼の距離が近いことがやけに気になる。
腕を掴まれたり耳元に顔を寄せられたりといった距離の近さはなにも今に始まったことではない。ならば一体なぜ。
「……俺が、お前に何かしたか?」
「……」
(そうじゃないけど……)
まるで小さい子に尋ねるような口調に思わず心が揺らぐ。
会話をする絶好のチャンスなのは理解しているが、無意識に視線は首元へ向かってしまい声を発することさえ難しい。そうして目の前の男から視線を外せずにいた時ふと、彼の大きな手が右肩に乗せられた。
(っ!?)
突然感じた体温に思わず肩が跳ねた。その反応をどう捉えたのかは分からないが、彼は一瞬だけ顔を曇らせたかと思えば
「ほら言え。言わないとこのままだぞ」
と、なんとも意地悪い台詞を紡ぐ。もしかして、肩に触れたのを嫌がられたとでも思ったのか。
「……」
それでもなお言葉を紡げずにいれば「はあ」と呆れたようなため息が彼の口から溢れ落ちた。
自身から言葉を発することが出来ないというのに、ここで彼に見放されるのは何よりも怖い。自分勝手にも思える感情がキュッと胸を締め付けるのを感じながら、芽衣は彼の首元を見据えたままおずおずと口を開いた。
「そのチョーカーが……」
しかし続く言葉は音にならないまま引っ込んでいく。歯切れの悪い自身に痺れを切らしたように「これがどうした」と、先ほどとは打って変わって詰問口調の声が降ってきた。
こちらをしっかりと捉えた漆黒の瞳。吸血鬼の鮮血のような瞳とは似ても似つかないその色は、翔が吸血鬼ではないことの証明。
しかし、その首元の黒だけは──。
意を決し、両手をギュッと握る。そうして彼と目を合わせると
「吸血鬼が付けてたチョーカーとそっくりで……」
尻すぼみになりながらも口にした答えの続き。その言葉が届いた瞬間、彼の瞳が今度ははっきりと見開かれた。
ああ、言ってしまった。
「……これが?」
右手で首をさすりながら、翔は怪訝そうな、それでいて不思議そうな表情を浮かべている。
何を言われているのか本気で分かっていないその様子に途端申し訳なさが込み上げる。しかし次の瞬間、いつの間にか両手が乗せられた肩に手に明らかな圧が掛かった。
「つまり、お前は吸血鬼の正体が俺だと言いたいのか?」
(!!)
全く予想していなかった言葉。
否、その言葉を予測出来なかったはずがない。
違うと頭では否定しても、その考えが自身にも浮かんでしまったのは事実だから。
「ちがっ、別にそこまでは」
「言っているようなものだろ」
明らかに語気が強まったその声に身体が硬直する。
慌てて訂正しようとした言葉を遮る気迫に圧されひゅっと息を呑み、気が付かないうちに下唇を噛んでいた。彼にしてみれば心当たりもなしにいきなり避けられ、あまつさえ疑いの言葉を掛けられているのだ。わざわざ吸血鬼の調査を提案したにも関わらずこの仕打ちは怒って当然だろう。
(っ……)
気付けば、視界には自身の靴が映っている。ゆっくりと俯いた顔を上げることも出来ずに、とうとう辺りは静寂に包まれてしまった。
──そのチョーカーが気になって上手く会話が出来ないだけ。口にしたいその言葉は喉に閊えてしまい、どうしても彼に届けることが出来なかった。
「……ごめん」
空気に融けてしまいそうなほど小さい声で呟く。きっと、声が震えてしまったのはバレていないはず。
先ほどよりも大きな鼓動は相手にも聞こえてしまいそうなほどに響いている。罪悪感にも似た暗い感情でいっぱいになりながら、なおも言葉を発することが出来ずにいた。
そうして、長いようで短い沈黙の後。
「……なんで謝る。別に俺は怒っていない」
「っ」
その言葉で勢いよく顔を上げた時、目の前にあったのは怒りを滲ませた表情でもなければ、こちらを訝しむ表情でもない。
いつも見慣れたあの仏頂面。
その表情を見た瞬間、芽衣は無意識に止めていた息をようやく吐き出した。それでもなお、ドクドクと大きな鼓動は耳を打つばかり。
「……怒ってない……?」
「怒る必要があるのか。まあ、チョーカーだけでそう決めつけるのは早計だがな」
トントンと、彼自身の首元に飾られた黒を指で叩きながらそう答える。
普段となんら変わらぬ表情と声色。先ほどの圧がある口調ではなく、まるで諭すようなその声。本当に同学年なのだろうかと疑いたくなるほど、彼は自身よりもずっと先にいるようだった。
確かに、チョーカーだけで断定するのはいくらなんでも雑すぎる。それはもちろん分かっていた。
しかし、彼に疑いとも取れる言葉を投げかけたのもまた事実。
にも関わらず、彼はこうして正面からその疑惑を受け止めてくれたのだ。
「そう、だよね」
(よ、かった〜……)
見放されたわけではなかった。その事実でふっと力が抜けそうになった両足に慌てて力を込める。
「それにしても、これが似ていると言い出したのはお前が初めてだ」
緩くこちらから視線を外し、翔はまるで独り言のような言葉を溢した。
きっと、今まで一緒に調査をしてきた人たちのことを指しているのだろう。その口ぶりから察するに、吸血鬼がチョーカーを付けていることに誰も気が付かなかったのだろうか。
(私が初めて気付いたんだ……)
そんな小さな発見でさえ、彼の期待に応えられているようでなんとなく嬉しくなった。
そうして緊張の糸が切れたところで改めて気になったのは、やはり彼の距離の近さ。再度合わされた視線が今更ながらに気恥ずかしくなってしまい、思わず目が泳いだ。
「…?顔が赤いようだが、熱でもあるのか」
言われたことの意味をすぐには理解出来ずにいると、不意に左頬へ気持ち良いくらいに冷たいものが触れた。
(……手!?)
バッと、頬に伸ばされた彼の右腕を反射的に掴む。彼が何をしたのか理解すると同時に自分でも分かるほど顔が熱くなっていき、ふいと思わず目を逸らした。
「だ、いじょうぶ。ありがと」
「さっきより赤いが」
「っ…気にしないで、大丈夫」
そっけなく返せば「ならいいが」との言葉と同時に、先ほどよりもひんやりとした手のひらが頬から離れていく。
しかし先ほど、翔の腕を掴んだ時。彼の眉根に皺が寄ったように見えたのは果たして気のせいだっただろうか。
(なんでそんな顔するの……?)
まるで傷ついた時に見せるようなあの表情。それが見間違いかのように澄ました顔を見ていても、答えが出るはずもなく。
だが何はともあれ、これでまた彼と関わることが出来るのだ。
心は翔の一挙手一投足で容易く掻き乱されてしまったが、それでもようやく会話が出来たことに対する安心感が溶けたバターのようにじわりと広がる。
だからこそ、芽衣は彼の口から紡がれた言葉が『明確な否定』ではなかったことに気が付かなかった。
**
「眠れなーい……」
明日は週末だからと、夕食後すぐに部屋に戻りベッドに潜り込んだ芽衣。しかし夜中に目が覚めてしまったため気分転換にリビングへと降りてきた。壁掛け時計の時間を確認すればもう真夜中の2時。最後に時計を確認したのが8時だったのだから約6時間寝たことになる。
金曜の真夜中、日付が変わった土曜日。
ソファーに腰を下ろすと大きくない程度の音量でテレビを点け、録画していた番組を何の気なしに選ぶ。それでも大きな画面に集中することが出来ず持ってきた携帯電話を手に取った。そうしてロック画面を表示させた時、その小さな画面に表示されたとあるものが目に飛び込んできた。
「あれ、和海さんからメッセージ来てる」
翔の兄からの珍しいメッセージ。送られてきた時間はちょうど自身が就寝した後であり、内容は
【こんばんは】
【俺があげたヒント、分かったかな】
というもの。
(あっ、そうだった)
すっかり回答を先延ばしにしていた彼からのヒント。『木を隠す最適な場所は?』という問いに対する答えは見つけたものの、その先はまだ行き詰まっていた。
【木を隠すなら森の中っていうところまでは分かったんですけど、その先がまだで……】
今返信しておけば後で確認するだろう、そう考えた芽衣は彼に対する返信を打ち込み送信ボタンを押下した。
そうして携帯をソファーに置くと、再度テレビ画面に視線を向ける。
ピコン。
「っえ」
音がした方へ反射的に視線を落とせば、先ほど閉じたはずの画面が淡く点灯している。その画面上にはこんな時間だと言うのに彼からの返信が。
(わ、申し訳なさすぎる)
通知音で起こしてしまっただろうか。そう考えつつも通知に目を落とした直後、表示されていたメッセージに思わず息が止まった。
【もし寝れないのなら、今から答え合わせでもしよっか?】
(えっ!!)
ちょうど寝付けなかったこの状況を見透かされているような言葉に加え、和海からのまさかの提案。
こんな時間に悪いと思いつつも、芽衣の頭の中は答えを知りたいという好奇心であっという間にいっぱいになった。
【いいんですか?】
【もちろん。声が出せる状況なら電話したいんだけど大丈夫?】
【大丈夫です】
ようやく梅雨が明け、夏がすぐそこまで近づいたある日の真夜中。
吸血鬼が自身の前に現れてからもうすぐ3ヶ月になろうというこの日、彼の正体に迫るための答えあわせが始まろうとしていた。




